きみが見る境界線
花火大会からの帰路は多難だった。
溢れる人混みで電車に乗ることは叶わず、終電も無理だろうという結論に至り、二人はどこかで一泊することになった。
ともかくまず近くにあったレストランに入り、食事をとりつつ父とミハエルにはそれぞれ友人の家に泊まる、という風に連絡を入れた。
「ミハエルは?花火を見に行ったのか」
『はい、兄様。兄様達とは違う所ですけど、父様と遊馬と見に行って、一緒に食事をしています。遊馬、僕の家に泊まりに来るんですよ。友達を家に泊めるなんて初めてだから楽しみで』
「そうか、部屋はちゃんと片付けてあるのか?」
『大丈夫ですよ!クリス兄様じゃないんですから!…兄様、外泊気をつけてくださいね?』
「ああ、大丈夫だ。では」
「ミハエル、何て?」
「父様と遊馬と、私達とは別の所で花火を見て、今は一緒に食事だそうだ」
「えええ!?いいなあ!ずりぃミハエル!」
今父は多忙な中休暇を取って久しぶりに家に居る。
トーマスはなかなか家にいない父をミハエルに独り占めされて機嫌を損ねたようだった。
「お前が私と来たいと言ったのだろう。父様を取られて悔しいならミハエルや父様と行けばよかったのに」
「別にそういうことじゃなくてさー。父さんと外食ってめったにないことだから羨ましかっただけだよ。…俺も今度父さんにご飯連れてってもらおー」
「そうしなさい。今日は帰れないのだから仕方がない」
「んで?これからどうするんだよ」
「お前はまだ高校生だからな…時間帯的に入れない所が多い。近場のホテルで構わないか?」
「あ、あぁ、いいぜ」
ホテル、と聞いてトーマスはドキッと心臓を鳴らした。
「どうした?」
「い、いや、なんでもねーよ」
「緊張しているのか?」
「悪いかよ…」
「場所は違えど家と変わらない。あえて言うなら声を抑えなくていいということが利点だな」
「その顔…絶対俺のこと泣かせる気だろ」
「さあ…お前がいつも勝手に泣いているのではないか?お前の声を抑えているのも私だ。我慢がきかないからな、お前は」
珍しく楽し気で意地の悪いクリスに、最中のことを思い出してしまったトーマスはますます顔を紅くした。
声が出てしまうのも、我慢がきかないのも、クリスが意地悪で優しいからであって、彼女にとっては仕方のないことなのだ。
唯単に自分が感じやすいというだけでは決してない。
「ああもう、うるせーよ!行くなら早く行こうぜ」
トーマスはガタンと席を立った。
クリスに茶化されて居ても立ってもいられないくらいに顔を火照らせている。
妹にそんな意地悪ができるのも、それでこういった可愛い一面が見られるのも兄の特権であり、時々こうやって意地悪をするのがクリスの楽しみでもあった。
街といえど、深夜ともなれば流石に光を潜め人影は少なく、静かに建物が佇むだけであった。
大通りから裏道に入り、少し外れればそこはホテル街。数ある建物のうちのひとつに、二人は入った。トーマスは慣れない風景に、きょろきょろと辺りを見回している。
「俺、こういうところ初めて」
「普通はそうだろう。私も来たことはない」
「…なんかチェックインとか慣れてるように見えるけど」
「まさか…。こういうところに慣れている兄など、妹としてどうなんだ?」
「ヤダ。ぜってーヤダ!」
クリスが高校時代、女子に人気があり、彼女がいたことは知っている。
それに、初めての時も、嬉しさの反面上手く感じて、童貞じゃないのだろうと、少し不安に思ったりもした。
実際の所、聞いたり見たりして確認をしたことがないのでどうなのかはわからないが。
しかし、自分以外とこういうことをする兄など、想像するだけで…いや、想像したくもなかった。
「安心しろ。お前以外とは来ることなどない」
自分にとって都合の悪い真実は誰だって見たくはない。だからこそ、彼の言葉を信じるしかないのだ。
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