きみと見る景色


カレンダーに毎月何かしらイベントがあるように、恋する季節は年中無休だ。


 恋に生きる年頃の女の子は、イベントや記念日等と何かしら恋人と一緒に居るための口実を作る。定期的に愛を確かめたくなる生き物なのだ。
 トーマス・アークライトもそんな青春に生きる一人だった。

 兄クリスと身も心も結ばれて早くも2ヶ月が過ぎた。
 お互いに兄妹として認め合いながらもいわゆる兄妹以上に愛を求め合い与え合う関係。
 そんな特別な恋をしながらも、やはり彼女も普通の女の子だった。
 愛を語り合うセックスもいいが、世間一般でいう恋人らしいことがしてみたい。

 そう、トーマスはクリスと一緒に、浴衣を着て夏祭りに―――花火を見に行きたいのだ。

「花火行こうぜクリス」

 デスクの傍らにあるベッドに座るトーマスは、パソコンに向かいレポートを仕上げているクリスに手を合わせた。
 やることをやりにきて、持ってきた雑誌を読みながら彼がレポートを終わらせるのを待っているという状況だ。

「花火か……」

「来週の日曜日。なあ、いいだろ?」

「いつも学校の友人と行っているだろう。今年はその友人と行かないのか?」

「いつもそうだからって今年はそうとは限らないだろ!あんたが嫌なら別にいいけどよ。他に行く人探すし……」

 クリスはそういうイベント等には興味がない。いい返事ではないだろうとは思っていたが、やはり、淡白な返答が返ってきた。
 素直に「クリスと行きたい」と言えばいいのかも知れないが、恥ずかしくてなかなか言い出せなかった。

 こういう特別なことがある時、一番最初に思い浮かぶのはやっぱり大好きな兄であり、クリスと特別な時を過ごしたいと思う。
 しかしクリスは決してそうではなく、言外に「私ばかりではなく交友関係も大切にしろ」と言っているように聞こえた。
 トーマスはふと、自分ばかりが兄のことを考えて、自分ばかりが好きなんじゃないかという唐突な不安にかられた。
 どちらの愛情が大きいかなどと比べること自体ナンセンスなのに。

 勝手に不安を大きくしている彼女の心を知ってか知らずか、クリスは再び口を開いた。

「断るとは言っていない。確認をしただけだ。私もこの日は空いている。お前が行きたいのなら付き合おう」

 クリスの唐突な返答に、トーマスは俯いていた顔を上げた。

「マジで…?いいのかよ?」

「私が駄目だという理由がどこにある」

 クリスはそう言って微笑んでみせた。彼の優しい微笑みは不安な心にとても良く効く。
 自分は愛されている、そういった安心感を与えてくれる。

 そして彼は椅子から立ち上がり、ベッドで雑誌を読んでいたトーマスの隣に腰かけた。

「課題終わったのかよ」

「ああ。…待たせたな」

 トーマスは雑誌をベッドの下に落としてクリスの膝に乗った。するといつものように抱き締めてくれ、彼女もクリスの首に腕を回して抱きついた。
 お互いの体温を感じながら、じゃれあうように互いの頬や唇に口付け合う。
 それは一日の終わりを癒す安らぎの一時であるとともに、夜の始まりの合図であった。
 
「へへっ……じゃあさ、浴衣買いに行くのにも付き合ってくれよ」

「浴衣?…ああ」

「夏祭りと言えば浴衣だろ!俺丁度欲しいやつあったんだよなあ!」

 トーマスの心はクリスに誘われながらも、もうすでに来週の日曜日にあった。
 これからの予定と当日のことに思いを馳せながら、目の前の兄に溺れてゆくのだった。



「すげぇ人だな!」

 どれだけこの日を楽しみにしていたか。
 いつも以上に祭りの音に胸を高鳴らせながら、トーマスはからころと下駄を鳴らしてはしゃいだ。

「あまりはしゃいでいると転ぶぞ」

「俺はもうそんな歳じゃねーよ!だったら俺が転ばないようにエスコートしてくれませんかねぇ」

 いつも通り冷静なクリスに、ちょっとむっとした。
 彼はうるさいのが好きではないとはいえ盛り上がりに少し水を差された気分だ。
 浴衣まで着て、これからだというのに。

 クリスはそんなトーマスを見て、仕方ないという顔で、立ち止まったトーマスの手を取った。
 機嫌を直せとばかりに、恋人がするように指を絡めて手を握る。

「あっ…」

「どうした?行くぞ」

 クリスがこういうことをするのは予想外で、トーマスは嬉しさ混じりに驚いた。
 その様子にクリスはフッと微笑んで彼女の手を引いた。

 二人はしばらく屋台を巡った。食べ物はもちろん、射的やヨーヨー釣り等も巡った。
 いつもと変わらないクリスの横で、トーマスは幼い頃に戻ったように祭りを楽しんだ。

「お前が浴衣を着る姿を見るのはいつぶりだろうか」

「んー?去年も着たけどなあ。クリスがこういうの来なさすぎなんだよ」

「そうか。…その浴衣、お前に良く似合っている。しかし以前よりも随分と大人びたな」

「え…何だよしみじみと…。恥ずかしいからやめろよ」

 クリスが昔を思い出しながら言うと、困ったような顔をして肩をすくめた。
 素直に嬉しいと言えばいいのに、恥ずかしがりで天の邪鬼なところは変わらない。しかしそういうところも妹の可愛い所だ。

「俺達ってさ……恋人同士に見えたりすんのかな」

「さあな。夜だし、私達はあまり外見が似ているというわけでもないからな。一見そう見えるかもしれない」

「なんか…照れ臭ぇ。こういうことってなかったからさ」

「人がどう見ようと関係のないことだ。私達が好きなように過ごせばいいのだから」

「うん…そうだな。クリス、これいるか?」

 トーマスは先程屋台で買ったたこ焼きを頬張りながら、一つクリスに差し出した。

 目的のない時間は、非常に無益に過ぎる。
 祭りとはいえ、特別何かがあるわけではない。
 屋台を巡り、花火を見て、いつもより人で活気づく少し変わった町の雰囲気を楽しむものだ。
 毎年行われるものであり、毎年花火と屋台くらいしか目当てとするものもない。
 大人になってからというものの、クリスはめっきりこういった「いつもと違う日常」に触れなくなってしまった。

 しかしトーマスにとっては、目的はなくとも同じものを見て、同じ空間を共有していることそれ自体が意味のあることだった。
 自分にとって特別でも何でもない日でも、トーマスは頑張って特別な日にしようとしている。
 この日の為にわざわざ浴衣を買い、めかし込んでいつもと違う時間を演出しようとしている。
 行事や思い出が人にとってどれだけ価値のあるものになるかは、人の努力次第なのだ。

 クリスはそれを理解している。
 兄妹での恋人の真似事など端から見れば無意味なものかもしれないが、可愛い妹の願いなのだ。
 クリスはそれを承諾した時からその役割を全うする気でいた。
 即ち、どう応えれば彼女が喜ぶかはもうすでに解っているのだ。

「ああ、頂こう」

 クリスは差し出されたそれを口で受け取った。
 トーマスは目を丸くして、次に頬を染めながら嬉しそうにはにかんだ。

「他に何か食べたいものはあるか?」

「え、…うーん……あ、りんご飴あったよな?あれがいい」

「解った、私が買って来よう。その下駄では疲れただろう。お前はここで休んでいるといい」

「早く帰ってこいよ。待ちくたびれちまうからな」

 クリスを見送り、一人心細さを感じたが、それを押し殺してトーマスはたこ焼きの残りを食べながら彼の帰りを待った。

「おねーちゃん可愛いね、一人?」

 どこからか声が聞こえたが、それが自分に向けられたものだと、トーマスは露とも思わなかった。
 もう一度同じ言葉が彼女に掛けられ、軽く肩を抱かれて驚きの声をあげた。

「ひゃあ!?」

「可愛いー反応。いい女じゃねーか。なあおねーちゃん俺らと遊ばね?」

 見るからに柄の悪そうな男が二人。トーマスはようやく、自分に声を掛けられたのだと気づいた。

「ひ、人を、待っていますから…」

 トーマスは身体を押し返そうと抵抗するが、肩を抱かれたまま離れてくれない。
 顔を近づけられた。酒臭い。

「こんな人混みじゃ帰って来ねーよ。こんな所よりもっとイイトコ行かね?奢ってやるから」

「い…いや…やだ…」

 突然の事態に半ばパニックになりながら、必死にトーマスは抵抗した。

「人の女に手を出そうとは、度胸のある命知らずか、はたまた愚か者か」

 怒りを噛み殺したような低い声が響き、三人はそちらを見た。
 りんご飴を買って戻ってきたクリスが氷よりも冷ややかな眼を二人の男に向けて立っていた。

「なんだてめぇは」

「彼女の恋人だと言ったら?…その汚い手をどけろ」

「何だと?やんのかてめっ…!」

 男の一人がクリスに殴りかかろうとする、その一歩手前でその行動が止まった。
 クリスは二本のりんご飴の柄を男に向けていた。

「危なかったな。もう一歩踏み込んでいれば、君の目は潰れていた」

 淡々と言うクリスを見て、今のは本当に刺す気だったのだと、トーマスは思った。
 本気で怒気を顕にしている今のクリスは静かだが何をするかわからない雰囲気を纏っていた。
 二人の男はそんな彼を見て顔を見合せ、そそくさと退散してゆく。

 男達が去った後、ふと緊張が切れて脱力したトーマスの身体を受け止め、優しく肩を擦った。

「すまなかったな、早く帰って来れなくて。…大丈夫か?」

「肩抱かれて酒臭ぇ息吐かれただけだ。ちょっと突然でパニクっちまった。それよりあんたが人刺しそうで怖かったぜ…」

「当然だ。お前を守るのが私の役目だからな」

「ク…クリス…俺のこと…こ…恋人って…」

「あの場ではそう言っておいた方が良いだろう。それに今日は、私も兄ではなくお前の恋人という役目で来ているつもりでいる」

「そ…そうだったのか…?…って、言うのおせーよ!」

 トーマスはかあっと顔を紅く染めた。
 まさかあの兄が恋人の真似事に付き合ってくれていると思っていなかったのだ。
 もっと早く気づいてイチャついておけばよかった、とトーマスは後悔した。

「お前が頑張っているからな。…そろそろ、花火の席を取りに行こう。時間が経てば混み合ってくる」

「ああ」

 クリスは、先程トーマスが絡まれた方の肩を抱いて歩き出した。
 先程の言葉といい、クリスの気遣いといい、トーマスは本当に彼と恋人同士であるような錯覚を覚え、鼓動を高鳴らせたままクリスと歩を合わせた。


 屋台が並ぶ祭りの中心地から二駅程離れた場所、そこが花火大会の場所だった。
 そこから二人は更に歩き、人気の少ない高台へ着いた。いわゆる花火がよく見える穴場というところだ。
 岩の影になっているところに、二人は腰かけた。

 先程の出来事からの緊張はもうなく、彼女は安心しきった顔でクリスに寄りかかる。
 それを見てクリスも一安心し、共に花火の始まりを待った。肩の手は離さないまま。

 やがて、空で一発目の花火が弾けた。それを皮切りに次々と花火が夜空を彩っていく。
 一瞬にして開いては散る美しい焔に二人は見入った。

 ふと周りを見ると、自分達のいる場所よりかなり前の方で、雰囲気に盛り上がったカップルが熱い口付けを交わしているのが目に入った。
 その瞬間を見てしまい、トーマスは慌てて目を逸らしたが、ドキドキと心臓が早鐘を打っている。

 ちらりと隣を見上げると、兄の端正な横顔が目に入った。
 いつも真っ直ぐに自分を見てくれる蒼い瞳は今は考え事をしているのか、花火に見入っているのか、空を見つめている。
 トーマスはそんなクリスの気を引きたくて、くいっと彼の袖を引いた。

「どうした、トーマス」

「いや…別にどうというわけじゃねーけど…なんとなく」

「暑いか?体調を崩したのか?」

「そ…そんなんじゃねーって…!……ただ…今日はお、俺は恋人なんだから…俺のこと…あんまほっとくなよ…」 

「…?」

 クリスはきょとんとした顔でトーマスを見つめた。
 クリスの蒼い瞳が光に照らされてより美しく見えたのと、自分で何を言い出しているのかわからなくなったのと、二重の意味でトーマスは赤面してしまった。

「要は!……花火ばっか見てんじゃねーってことだよ…」

 半ばやけくそのように、しかし花火の音に消えそうなくらい小声でトーマスは言葉を紡いだ。
 花火を見に来ているのに花火に嫉妬しているらしいトーマスの様子を感じ取ったクリスは、やれやれとため息を吐いた。

「全く…。あの盛り上がっているカップルのせいか」

「う……バレたか…。なあ、クリス。…俺も…」

「花火を見に来たのではないのか」

「ちょっとだけ…だからさ」

 トーマスはクリスを上目遣いでじっと見つめる。完全に、期待している顔だ。
 クリスは頬に手を添えて唇を軽く重ね、ちゅっと優しく彼女の唇を吸う。
 トーマスは貰えたものにうっとりと目を閉じてクリスとの口づけに集中した。
 両方の唇を一度吸い、次に上唇と下唇を片方ずつ。そしてもう一度二つの唇を合わせて吸った。
 彼女の好きな口づけ方だった。

 花火の光に照らされ、大好きな人と口づけを交わす…。なんとロマンチックな展開だろう。
 トーマスは夢に描いたような展開に堪らなくなり、次は自分からクリスの首に腕を回して唇に吸い付いた。

「っ……トーマス、っん…」

 花火の音と歓声が遠くで聞こえる。
 トーマスは花火よりも口づけに夢中になってしまい、言葉を発しようとしたクリスの口内に舌を入れて口づけを深めた。
 クリスは絡み付く舌を押し退けようとする。

「ん…っふ………トー、マス…!」

「………んだよ、いいところなのに」

 お互い唇を離し、溢れて顎を濡らした唾液を拭う。

「こんな所で興奮するな」

「けち」

「花火が終わってしまうぞ」

「えー……」

「仕様のない子だな。帰りまで我慢しなさい」

「じゃあ、帰ったら続きしてくれる?」

「ああ」

 クリスは短く返事をして、最後に一瞬だけトーマスの唇に口づけた。

「今はお前と同じ景色を見ていたい」

「あんた時々…そうやって気障なこと言うよな…わかったよ」

 トーマスはクリスの臭い台詞とキスに満足して、ようやく花火の観覧を再開する。
 花火はもう終盤に差し掛かっていた。



「花火…終わったようだな」

  最後の30連発で、花火大会は終わったようだ。周りの観覧客も帰り始めていた。

「最後すっごかったな!やっぱ花火っていいや。見てて飽きねーからな」

「誰かのせいで中盤が見られなかったがな…まさか花火に嫉妬とは」

「しちゃったもんはしょうがねぇだろ。まあ花火は来年もあるし。それより早く帰ろうぜ」

「そんなに急ぐこともあるまい。」

「早く帰ってさ……することがあんだろ」

「全くお前は…」

 そう言いつつも、クリスも積極的に求めてくる妹に、若干気持ちが盛り上がってしまっていた。
 お互いの昂る気持ちが、帰路を急かす。無事に家に辿り着くことが二人の課題であった。

 祭りは終わり、夢の時間はもうおしまい。しかし、「恋人」の夜は、まだこれからのようだ。
 その一日が特別な日になったかどうかは、本人達のみぞ知ることである。

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