天邪鬼ヲトメゴコロ
気づいて欲しい、でも気づかないで。
「トーマスは彼氏とか作らないの?」
「えー、だって面倒だし。皆とこうやって遊んでる方が楽しいよ」
「でも可愛いしスタイルもいいし、実際モテるのに。もったいない」
「あ、さては好きな人がいるんだなー?」
「ちょっ、いないから!はい、この話はやめやめ!」
トーマス・アークライトはアークライト一家の長女で、高校2年生だ。家族は大学生の兄と、中学生の弟。そして、科学者である父の4人である。
彼女は明るくてよく気が利く子だった。クラスの中心に立ちまとめるという役ではなかったが、頼まれたことは嫌な顔をせず、進んで引き受けた。しかも噂によると料理も上手いらしい。
クラスの女子は可愛い上に頼れるトーマスになんとかして友達になろうと近づき、男子は高嶺の花を見守るように眺めては時折我が物にしようと熱烈なアプローチを仕掛けた。
そんな彼女は、少し同年代の女子達と違ったところがあった。
女子高校生ならば誰もが好んで話す「恋愛話」。自分の理想、淡い片思い、恋人との惚気話・・・女子達が意気揚々と花を咲かせるこの話題に、トーマスは全くもって無関心だった。
友人が話していることに対しては相槌を打つだけ、自分に振られると話題を変えようとする。友人達の目からは、彼女が恋愛に対してただ無頓着なわけではなく、むしろ避けているようにも見えた。まるで人に言えないトラウマを持っているかのように。
当然、そんなトーマスに恋人ができた過去もなくアプローチをする男性達も悉く玉砕に終わっていた。
決して、恋愛が嫌いなわけではない。ただ、彼女が少し特殊なだけなのだ。
「ただいまー・・・って、この時間じゃ誰もいねーか」
トーマスは帰宅して一人、呟いた。弟のミハエルは部活、兄のクリストファーはまだ大学でレポートを書いていることだろう。父バイロンも、多忙な科学者だから家に帰ってくること自体少ない。
誰もいないならもう少し友達と時間を潰して来ればよかった。
「トーマスか、おかえり」
靴を脱いでいると頭上から声がした。その声に驚き顔を上げると、クリストファーがマグカップを持って立っていた。
「んだよビビらすな・・・この時間はまだ大学にいるんじゃなかったのかよ」
「課題が仕上げの段階に入ったから一旦切り上げて帰ってきたのだ。」
「じゃあまた部屋に籠もるのかよ・・・ちっとは家事の手伝いでもしてくれよなあ」
「私はまだやることが残っている。それに家事はお前の仕事だろう」
クリストファーはそういい残すと自室へ戻っていった。
「チッ」
彼は大学の生命工学部において、学費が免除されている特待生だった。成績のことがあるため自分の研究や課題で忙しく、炊事・洗濯などは帰宅部で特にすることのないトーマスの仕事だった。
むしろ、家事をするために部活などをしていないと言ったほうが正しい。同年代ではアルバイトをしている子も少なくなかったが、父の仕事柄特にそういうことをしなくても充分に生活できた。
トーマスは夕食の準備をする為にキッチンへと向かった。
「ただいま帰りました!・・・あっ、いい匂い!」
「お帰りミハエル」
「はい、トーマス姉様。いい匂いが玄関まで漂ってきましたよ。今日はビーフシチューですか?手伝います!」
「ああ、いつもと大体同じだが今日は隠し味にこだわってみた」
「へぇ。何を入れたんですか?」
「それを言ったら隠してる意味がないだろ。そろそろできるから食器並べて、クリスを呼んできてくれ」
「わかりました」
言うことを素直に聞き、せかせかと動く弟を見て、あの一つも手伝う気のない兄とは大違いだ、とトーマスは一人ごちた。
「わあ、おいしい!姉様の作るご飯はいつもおいしいですね」
「そうかい。そいつはよかった」
時間をかけて作ったものを褒められるのは素直に嬉しい。ミハエルは本当に美味しそうに食べるから、作る方も作り甲斐がある。顔を綻ばせて食べる彼を見てトーマスは微笑んだ。
チラリとクリストファーの方を見ると、相変わらず無表情で作業のように食べている。
「ところで、隠し味って何を入れたんですか?」
「あ、ああ。それはな、」
「肉の煮込み方を変えたのか。それと、いつもより味が深いな」
「・・・!ああ、最近立ち読みをした雑誌で、味噌と醤油を隠し味に使えるって読んでさ、試してみたんだ。それと、肉はさっぱりと甘酢煮っぽくしてみた」
「そうなんですか!お味噌と醤油って合うんですね!意外です」
「悪くないな」
褒められた。クリスに。
彼に褒められるなんていつ以来だろう。というか、いつも何考えているかわからない顔で、味なんてさも興味ないみたいに食べてるくせに。いつもの味付けなんか覚えていたのか。
トーマスは自分の食事が冷めるのも構わず、浮ついた気持ちでクリストファーを眺めた。
彼はその後も、変わらぬ顔で食事を続けていた。
「あんた、料理の味なんか気にしてたんだな」
トーマスは風呂から上がった後髪を拭きながら、リビングのソファで本を読んでいたクリストファーの隣に座り、話しかけた。
「どういう意味だ」
「そのまんまの意味だよ。あんたいっつも味なんて気にしてなさそうな顔で食べるから、正直味なんてどうでもいいのかなって思ってた」
「私とて人間だ。味覚はある。美味なものは美味だと感じるし不味いものは不味いと感じる」
(それが顔に出ないから作ってる方としては複雑なんだよ・・・!)
トーマスは何ともいえない表情を作ってにガシガシと荒っぽく頭を拭いた。その手にクリストファーの手が伸びる。一瞬のことに気をとられ、彼女は動きを止めた。
「髪が痛む」
彼は一言そう言って頭からトーマスの手を離し、彼女の髪を労わるように拭いた。クリストファーは身長ほどある長髪を保つだけあって、髪の手入れは丁寧だ。
それに比べてトーマスはそういったことには無頓着だった。肌の手入れも、化粧水を軽く塗る程度。男兄弟の間に生まれたせいか、外では猫を被っているものの、家の中では部屋が比較的綺麗ということ以外は振る舞いも言葉も全く女らしくなかった。
「お前は女なのだから、もっと気を遣えと言っているだろう」
「外では愛想良くしてますよお兄様。なんで細かいところにいちいち気を遣わないといけねーんだ、女ってのは。全く面倒だぜ」
髪を優しく乾かされながら大人しくトーマスは身を預けている。兄の手が気持ち良いらしい。
「女らしくしろってんなら、ちょっとは女扱いしたらどうなんだ・・・」
「妹」扱いはするが「女」扱いはしないんだろ。ドライヤーの音に紛れ兄に届くことのない言葉を、トーマスは呟いた。
母は幼い頃亡くなり、忙しい父に代わってクリストファーが妹弟の面倒を見ていた。しっかり者の兄の後をちょこちょこと着いて歩く妹のトーマス。彼女にとってクリストファーはかっこよくて優しくて、頼れる兄だった。そんな兄をずっと慕っていた。
クリストファーが中学に上がると、時間の違いから兄よりも弟といることが多くなった。それが、トーマスの中に早い自我を芽生えさせていった。同時に妹や弟の世話から離れ、ようやく自分のことに没頭できるようになった兄とは距離ができた。
この頃からだ、クリストファーの表情の変化が段々と減っていったのは。
中学、高校も同じところへ通ったが、どちらも共に過ごすことはなかった。
段々と口数も減り、考えていることがわからなくなっていった。
それでも、時折微笑んでは優しく接してくれる。甘えさせてくれる。そう、丁度今温風と共に優しい手つきで髪を梳いてくれているように。彼女はそれが嬉しかった。
その笑顔をもっと向けて欲しい。もっと優しくして欲しい。もっと・・・・・・
できてしまった距離を埋めるように、トーマスはクリストファーに思いを馳せた。
聡い彼女は、この想いをなんと呼ぶかなど、もうわかってしまっていた。クラスの女子達が恋い慕う男性に思いを馳せる、それと全く同じものだということなど、友人の会話を聞いていれば自分の中に思い当たる節はいくらでもある。
当然だ。人間である以上、誰かを好きになることは自然なこと。しかし、トーマスはそれを向けるべき相手が、普通ではなかった。
言える訳がない。兄に恋慕の情を抱いているなんて。甘えたいのも、触れたいのも、優しい言葉をかけて欲しいのも、自分の全てを見せてもいいと思えるのも全部、実の兄だけだなんて。
この想いを悟られたくないが故に、いつしか恋愛話を避けたり女らしく振舞わないようになってしまっていた。
「終わったぞ」
そう声をかけられてトーマスはハッと意識を戻した。櫛も入れられ、サラサラと流れるように髪が整えられている。
「終始上の空だったな。何か悩みでもあるのか」
「いや、・・・そんなんじゃ、ねぇよ」
一瞬ドキッとしたが、背を向けているため細かい表情の変化は悟られなかったようだ。
「そうか、あまり溜め込むなよ。お前はいつも一人でなんでもやろうとするし、一人で解決しようとする。それは決して良いとは言えないことだ。たまには私にも頼りなさい」
ああ、クリスが手を差し伸べてくれる・・・・・・「兄」として、「妹」の俺に。
だが問題が問題である以上、その手を取るわけにはいかなかった。
「何が頼れだよ。あんた家にいないか部屋に引き籠ってるかのどっちかのくせに」
「それもそうだが・・・いざと言うときにはお前の力になる」
クリストファーは立ち上がり、ミハエルが出たであろう浴室へと向かうために部屋の扉を開ける。
そこで彼は振り向いた。
「そうだ、トーマス。・・・今日のビーフシチューは美味しかった。たまにはああいうのもいいな、また作ってくれ。」
「お・・・おう・・・」
トーマスは不自然に固まったまま、扉が閉まるのを見送った。
「そういうのが、反則なんだよ・・・」
不意打ちの微笑みを再度脳裏に思い浮かべた後、息をつき脱力した。
←戻る