ベクターの懺悔室

※ベクター消失妄想
真月の心は殺されベクターの心の奥に沈められていたという二重人格設定


 乾いた砂の上を歩むベクターの足取りは、鎖で繋がれた囚人のように重い。絶望に打ちひしがれた眼はこの先にある扉を開けることを望んでいた。
 ギィ、と重い扉が開きベクターを迎え入れる。椅子が用意されてあった。懺悔をするものは皆これに座ると夢見心地に、懺悔を口にする。ベクターといえども例外ではなかった。何故なら彼はそのためにここへ来たのだから。

 ぼうっと、目の前に一人の人物が現れる。それはやはり自分と同じ姿をしていた。大きな瞳が悲しそうに此方を見つめている。

「あなたも、来てしまったのですね」

「ああ」

「あなたは来ることが……いや、来る必要がないと思っていました。あなたでも、懺悔をすることがあるのですか」

「ああ」

「何を懺悔するんです?あなたが過去に殺した国の人々のこと?嫉妬からその手に掛けたあなたの仲間だった兄妹のこと?それとも利用し裏切り続けた、あなたの親友のこと?」

「いや」

 ベクターは目の前の自分の姿を象った者を見つめた。懺悔をする者は皆自分の意識はないのが通例だが、彼は今までの者とは違い、ハッキリと自分の意思を持っている。

「俺が懺悔をするのは俺自身のことだ」

「…………」

「俺の最初の犠牲となったのは俺自身だ。俺は最初に自らを殺した。世界の王となり、俺を産み出したこの世界に復讐するため、外道となるためだ。俺の心は復讐も殺戮も望んでなんかいねぇことを知ってた。だが、心にできた黒い染みが……俺がお前を殺しちまったんだ」

「それで?」

「お前……いや、俺に懺悔したい。今更だが……もう手遅れかも知れねぇが……俺自身を殺さなければ、俺はこんなにも後悔することはなかっただろう。全てを殺したあとに残る虚しさに、苛まれることもなかったんだ」

「僕自身が赦せば、全て赦されると思っているのですか?他の人の魂が赦さなくても?」

「赦されるなんて思ってねぇよ。地獄へ逝くことも魂が消滅しようとも、それは当然の報いだ。それだけのことをしてきたんだからな。だが……自分には……自分にだけは、最後に全て懺悔して死にてぇんだよ」

 ベクターは喚くわけでもなく、淡々と自らの思いを述べる。彼の前に立つもう一人のベクターは、冷ややかな紫の眼でそれを眺めていたが、次第にその顔を崩していった。

「赦さない……赦さないですよ、僕は」

「そうか」

「僕は、復讐なんてしたくなかった」

「ああ」

「僕は、人を殺したくなんてなかった」

「ああ」

「僕は、もっと生きていたかった」

 真月零として再びベクターの表に出て、遊馬達と過ごした日々は本当に楽しかった。ベクターに殺されたもう一つの人格が求めていたものだった。
 王族時代に、こんな幸せで明るい日々を過ごしたかった。恐れられ、嫌われ、一人になっていく自分を見るのは本当に辛かった。
 誰も裏切りたくなかったし、誰も不幸にしたくなかった。

 幸せに、なりたかった。

「僕の願いを断って、あなたの懺悔を聞き届けるなんて、あまりにも不公平じゃないですか。自分自身からも裏切られた絶望の中で、死んでください」

  もう一人のベクターは、彼を突き放した。ベクターは驚きはしなかったものの、悲しみに後悔の色を混ぜた眼を静かに閉じて、粒子となり消えて逝く。「すまなかった」と、最期に一言だけ残して。

「最期だけ綺麗になるなんて、卑怯じゃないですか」

 もう一人のベクターも、彼と同じなのだ。表の自分を恨み、憎み続け、最期は彼を突き放して殺した。所詮誰しも罪を犯さず、綺麗なままで生きられるはずなどなかった。
 でも最期、彼は綺麗になってしまった。望んでいた懺悔を聞いたのに、耳を塞ぎたくなった。この憎しみは、一体どこへやればいいのだろうか。
 もう一人のベクターは、もう彼の居なくなった椅子を見つめながら苦悩の悲鳴を上げた。

 扉は静かに閉じる。幾つもの哀れな魂をその中に昇華し、また懺悔に訪れる者を待っているのだ。

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