X兄様の結婚前夜

※パラレルのような話。
アークライト家と九十九家が家族ぐるみで仲良しです


「トーマス、ミハエル。話がある」

 父さんは帰ってきた俺達を突然呼んだ。悪い気配はしないが、いつになく真剣な顔。俺とミハエルがリビングへ向かうと、テーブルには先に兄貴が座っていた。科学者として父さんの研究を手伝い続け、いっぱしの科学者となった兄貴。きりっとした眼が本の文字を追っていたが、俺達に気がつくといつものように優しい笑みを浮かべた。

「座りなさい、二人とも」

「父様……あの、お話って……」

「それは彼の口から聞くといい。クリス」

 父さんに催促されて兄貴は口を開いた。

「実は、今度……結婚することになったんだ」

「けっ…………」

「結婚!?」

 一瞬兄貴の言葉の意味が理解出来ず、俺もミハエルもぱちくりと眼を見開いて兄貴の方を見た。いつもの笑顔に、ほんの少し照れが混じったように頬を紅くしていた。こんな表情は初めて見る。
 俺はここで、左手の薬指に光る銀の輪に気づいた。絶対にアクセサリーなど身につけない兄貴の指を彩るそれは俺にとっては違和感でしかなかった。

「相手はあの九十九一馬の娘さんだ。あの娘なら私もよく知っているし、一馬も私も二人の結婚には大いに賛成している」

「遊馬のお姉さん!?ってことは、僕達遊馬とも家族になるってことですか?」

「ああ、そういうことになるな」

 九十九家とは父同士が仕事の付き合いがあり、仲が良かった。俺も何度か遊びに行った記憶がある。俺やミハエルはよく遊馬とデュエルをした。血は繋がってないが人懐っこくて可愛い弟のような奴だった。
 姉の方は確か兄貴と同い年だった。何度か兄貴に勉強を教えてもらってるのを見たことがある。堅物で静かな兄貴とは正反対に、賑やかでいつも遊馬をどやしていた印象があった。お互いを好きとか、そう意識しているようには見えなかったのに。いつの間に、二人はそんな仲になってたんだろう。

「すごいですね!僕も嬉しいです!クリス兄様、おめでとうございます」

「ありがとう、ミハエル」

「…………」

「お前は祝ってくれないのか?トーマス」

「あ、あぁ……よかったな。おめでとう。話はそれだけかよ?俺は戻るぜ」

「トーマス?」

 俺は家族が引き止める声を背に、部屋を出た。鏡を見ることが叶わなかったから今俺がどんな顔をしているかはわからない。しかし無性にあの場から離れたくなった。
 俺は自分の部屋に入るとごろりとベッドに転がった。ぼんやりと先程の会話を思い出す。特に整理をつける気もなく、ぐるぐるとただ映画のフィルムを眼で追うように映像が過ぎて行く。
 兄貴が結婚……?何度も頭を往復する響き。結婚という言葉の意味や音が緩やかに崩壊してゆく。そして兄貴の幸せそうな微笑み。微笑み方はいつも見ているものと同じはずなのに何故遠く感じるのだろう。
 ふいに扉が叩かれる音で意識を現実に戻した。中の人物を気遣うような控えめなこのノックの仕方はミハエルか、兄貴か……。しかし後に続く声で弟ではないことがわかった。俺は扉に向かって適当に返事を返す。

「入るぞ」

 兄貴は声をかけると部屋に入ってきた。だらりとベッドに寝そべっている俺を見てはあ、とため息を吐き、ベッドの端に腰掛けた。

「一体どうしたんだ急に。ミハエルや父様が心配していたぞ」

「別に……いいだろ、何でも」

 別に不機嫌なわけでも、怒っているわけでもないのに悪態をついてしまった。こういう態度のせいでいつも家族に心配かけてばかりいる……のに、気持ちに整理がつかなかったりするとつい、こういう態度をとってしまう。この性格がつくづく嫌になる。
 兄貴は俺の髪の、色の境目辺りを撫で始めた。俺がこういう態度をとったとき、兄貴が怒っていなければよくこうやって髪を撫でられた。そうすると段々俺は気持ちが落ち着いてくる。俺の性格とか全て知り尽くしてる兄貴だからこそ。幼い頃から俺達弟の世話を任されていただけあった。

「トーマス」

「ん」

「すまない」

「何で兄貴が謝んだよ」

「お前がこういう態度をとるのは、私のせいだな」

 兄貴はちょっと困ったように笑って言った。流石、俺のことをよくわかっている。先に兄貴が捌け口を作ってくれたお陰で、俺は今なら我が儘を言ってもいいのではないかと思ってぽつりぽつりと思ったままの言葉を紡いだ。

「兄貴が結婚するって聞いて俺、わけわかんなくなった」

「うん」

「兄貴が居なくなるって思って…怖かった」

「うん」

「別の人に、兄貴が取られるって思って…悲しかった」

「うん…」

「行くなよ兄貴……俺を置いて、結婚なんかすんなよぉ……!」

「すまない……」

 整理がつかないまま呟く内に、視界がどんどんぼやけていった。ただベッドに寝てるだけなのに、身体が震えて止まらない。嬉しい知らせの筈なのに、兄貴を祝わなきゃならないのに……何で涙ばかり出てくるんだろう。何で兄貴にこんな悲しそうな顔させなきゃいけないんだろう。
 兄貴は俺を抱き起こして正面から抱き締めてくれた。その大きな身体と温かい温度にいよいよ声を上げて泣きじゃくった。
 兄貴はいつの間にか俺達を置いて大人になってしまっていた。いつまでも追い付けないその背中が遠くて、見失ってしまいそうで、不安になった。
 我が儘ばかり言って反抗して困らせて、ミハエルよりも手がかかる弟だったかも知れないけど、俺は兄貴が好きだった。大好きだった。この温かさから離れたくなかった。この存在を手放したくなかった。

「置いていかないで……おれ…おれ、…兄貴が居なくなるなんて、嫌だっ!」

 叶わない我が儘だ。ずっと一緒だとか、そんなことあり得るわけないと解っているのに。頭では解っていても気持ちに整理がつかなくて、ただ襲ってくる喪失感から逃げるように兄貴にすがり付いて泣いた。
 兄貴はぽんぽんと俺の背中を優しく叩いたり擦ったり、まるで幼子をあやすみたいだった。子供扱いすんなよ、といつもなら腕をはね除けるのに、今はそれすらも涙の材料にしかならない。

「私達は家族だ。私は結婚して別の家族を持つことになるが、この事実は決して消えることはない」

「解ってる……けど」

「トーマス、家族と距離が遠くなるなど、私は微塵も思っていないよ。私はお前の兄。どうあっても変わることはない。ずっと守り続けると、お前が生まれた時からお前に誓っている。結婚しても変わらない」

「……ほんと?」

 まるでプロポーズのような兄貴の言葉に、悲しみに締め付けられていた心がふと軽くなる。顔を上げるといつもと変わらない優しい笑顔が目に入った。
 兄貴はずっと俺達のこと、忘れないで居てくれる?俺達のこと、ずっと愛してくれる?ずっと、俺の兄貴で居てくれる?そんな俺の幼くて、でも一番答えが欲しい問いに兄貴は一つ一つ頷いてくれた。

「結婚は、悲しい別れじゃない。愛する者が変わるのではない。私が守りたいと思う家族が増える、嬉しいことだぞ」

「そうだよな…。なあ、兄貴……家にも、帰ってきてくれる?」

「もちろん。ここは私の家なのだから」

 一頻り泣いて兄貴の腕に落ち着かされた俺は、今は比較的穏やかな気持ちで兄貴の言葉を聞いていた。落ち着く声、安心する言葉がするすると胸に落ちてくる。兄貴はずっと俺の兄貴だ。世界がどうなろうと、この事実は変わることはないと言ってくれた。
 じゃあ、俺は兄貴がいつでも帰って来れるように兄貴の居場所であり続けよう。兄貴が帰って来れる場所を守り続けよう。それが弟の俺にできる兄孝行だ。

「兄貴」

「何だ?」

「大好きだ。俺達ずっと、兄弟だからな」

「当然だ。こんな私を、兄にしてくれてありがとう。愛している」

 俺はぎゅっと兄貴の背中に回した腕の力を強めた。今なら、心から兄貴の門出を祝える。

「兄貴、結婚おめでとう」

「ありがとう、トーマス」

「なあ、何で遊馬の姉さんと結婚しようと思ったんだよ」

「明里は強かで明るく、太陽のような存在。それでいて、とても繊細だ。幼い頃から、私にないそういうところに惹かれていたのだと思う。彼女は共に居るうちに私にとってかけがえのない存在になっていた。守りたいと、そう思うようになっていたんだ」

 兄貴の腕が俺とミハエルだけのものじゃなくなるのは寂しい。けど、その腕は自分達弟以外にも、これから守る人が増えるんだ。そう思うと、兄貴をとても誇らしく思える。
 遊馬の姉さんなら、きっと兄貴をいい旦那さんにしてくれるだろう。兄貴のちょっとだらしないところもちゃんと叱ってくれるに違いない。それに、寛容な兄貴だから、遊馬の姉さんがちょっと料理を焦がしたり家事を失敗してもきっと穏やかに笑って許すだろう。そんな家庭を想像してなんだかんだ、いい夫婦になりそうだと思った。

「じゃあ、絶対何があっても守れよ。幸せにならなきゃぶっ飛ばすからな」

「ああ、絶対に守ってみせる。お前達も、新しい家族も」

 俺は一人の男の決意を聞いた。兄貴の左手をそっと取る。薬指で光る銀の輪はアクセサリーをつけたことのない兄貴の指にすっかり馴染んでいた。
 俺は兄貴の門出を祝う気持ちにほんの少しの寂しさを込めてその左手をぎゅっと握り、兄貴の頬にキスをした。

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