悪意の館

現代パラレルのスパイパロ。ユーリが女装してます


 会場へ向かう車中、男は白く蓄えられた顎髭を撫でた。白みがかった髪は薄く、禿げ上がった額は脂ぎって光っている。腹からはみ出た脂肪を窮屈そうにシャツに収め、暑いのか、スーツのジャケットは羽織らずに傍らに控える執事が抱えている。
 男の髭を撫でている逆の手には白い封筒が握られていて、目線は封筒に注がれたり窓の外の景色に向けられたりと、些か忙しなかった。
 彼は初老の紳士を気取った資産家だ。堅実な投資を、あるいはギャンブルとも言える投資を積極的に行っていた。彼にとって投資は冒険と同義だった。冒険をすれば宝が手に入る。そうして一代で地位と財力を築き上げた。まさに人生の頂点と言えるべき高みにいるだろう。
 そんな彼に、一枚の契機が舞い込んできたのだ。男はもう一度封筒から手紙を取り出して目を通した。滑らかな筆記体の最後に、大きく書かれた【J】の文字がやけに目につく。
 この手紙を寄越してきた人物は名乗らなかったと、門番の者は言った。黒いスーツ姿で、右眼の泣き黒子が印象的な、背の高い青年だったらしい。彼はただ、「ご主人に渡してください。中身を見てもらえればわかります」と言って人懐こい笑みを浮かべたという。
 手紙はとあるパーティーの招待状だった。資産家の男は手紙を見るや否や、車を出せと周りの者に命じた。突然の命令に皆が慌てふためく中、彼は着替えもそこそこにスーツを引っ掴み、車に乗り込んだのだ。



 パーティー会場となる館はマルセイユの屋敷から車で一時間程走った郊外にあった。すっかり夜の帳が降りた中に、ライトアップされた館だけが幻想的に浮かび上がっている。資産家の男は運転手に門の前で下ろさせ、車を回してくるように命じた。執事からジャケットを受け取り、袖を通しながら会場へと向かう。
 今回のパーティーを主催するのは大きな財団だった。【アカデミア】と名乗っているが何を生業としているかは知られていない。世界各地にある有名企業の後ろ盾であるらしいとは聞いたことがある。男もこの組織とは取引があり、幹部たちとは顔見知りだった。ただトップ――確か赤馬零王という名前だった――とは顔を合わせたことはなかった。こういった催しはいつも唐突に開かれるが、彼自身は姿を現したことがない。全て代理人に委任して行われるのだ。その代理人も、以前は狡猾な狐のような顔の男だったが、前回のパーティーから替わっている。
 しかし資産家の男にとって、そんな情報も他の資産家や貴族の自慢話もどうでもよかった。形だけの交流を行って利益になる情報を収集し、彼はその時を待った。真の目的は別にあるのだ。

「お客様」

 突然背後から声を掛けられ、資産家の男はビクリと肥満した身体を揺らしながら振り向いた。目元を青銅色の不気味な仮面で覆った、橙色髪の男が立っている。この館のボーイだった。何の慣習かは知らないが、男も女も、給仕たちは皆一様にこの仮面を着けていた。何度もパーティーに呼ばれて見慣れていたが、突然背後に立たれると驚かざるを得ない。

「ああ、驚かせてしまってすみません。手紙、読んで貰えました?」

 ボーイは口元に弧を描きながら、ワインボトルを出して見せた。男のグラスが空になっているのを見て用意をしてくれたらしい。
 手紙。彼の言葉を聞いて、例の手紙がジャケットの胸ポケットに入っていることを思い出し、男は頷いた。屋敷に来て門番に手紙を渡していったのが彼であることを察した。
 ワインを注ぎ終わり、栓をした仮面のボーイは、資産家の男に耳打ちした。

「ユーリが来ています。これから挨拶回りなのですぐには動けませんが、後程合図があるでしょう。別室をご用意していますから、後はごゆっくりなさってください」

 男はハッと目を見開き、ボーイの言葉を聞き終わる前にキョロキョロと辺りを見回した。少し離れた、会場の入口近くで談笑していた貴族たちが色めき立っている。
 やがて見えたのは、大きく肩を出した菫色のドレスを身に纏い、同じ色をした髪を揺らしながら歩く娘だった。年は十四、五。ユーリという名の、赤馬零王の養女であると聞いている。パーティに出ない彼の代わりに彼女がこうして挨拶回りを行っているのだ。
 そう、急な招待でも、大した収益がなくとも、財団と交流のある貴族たちが飛んでくるのはひとえに彼女のためだ。懇親会などと銘打つも、本当のところは彼女のお披露目会といってよかった。しかし暇を持て余した彼らにとっては丁度いい娯楽といえよう。
 なにせユーリは美しいのだ。パーティーそれ自体よりも、彼女と会うことに値打ちがある。優雅な立ち振る舞い。顔立ち。雪のように透き通った白い肌。艶のある菫色の髪。そして深い薔薇色の瞳。全てが美しい。彼女は宝石だ。ここに来るのはモード・テキスタル美術館に飾られた宝石を見に来ているようなものだ。
 それだけでなく、気軽に手を出せない危険さと妖しい雰囲気が、更に彼女の美しさを引き立てている。一度見れば目に焼き付いて離れない。ここにいる全員が目を縫い付けられてしまったかのように、彼女に見惚れていた。
 資産家の男はここがパーティー会場であることも忘れて、ユーリに釘づけになっている。グラスが落ちないよう最低限の注意を払い、それ以外の意識は全て彼女に向けた。
 彼女はやがてゆっくりと男に近づいてきて短い世辞を交わし、男の手を握った。白く小さな手は柔らかかった。

「後で待ってる」

 ユーリは男の耳に小さく囁くと、微かな薔薇の香りを残して別の貴族の元へ行ってしまった。男はふるりと身体を震わせた。
 一体何を緊張しているというのだろう。いや、これは武者震いなのだ。手紙の内容を思い返すと、震えずにはいられない。この会場にいる全ての貴族に対して優越感を覚えた。今日当たりを引いたのは自分なのだと。彼らは彼女が会場から出ていってしまえばそれで終わりだが、今宵の自分はそうではない。
 ユーリが会場を後にした直後、資産家の男は赤ワインを一気に傾けた。グラスをカウンターに預けると、足早に出口へ向かう。主人の行動を見ていた執事が慌てて着いてきたが、彼には自分の代わりに挨拶回りをするよう言いつけて撒いた。
 会場を出てすぐのところに、先ほどとはまた別のボーイがいるのを見つけ、彼に話しかけた。

「何、おじさん。もう帰るの?」

 空色の明るい髪を上の方で括った彼は客人に対して些か失礼な態度ではあったが、男はそれを気に止める暇なく手紙を取り出した。
 彼は手渡された手紙に目を通し、ニヤリと口角を上げた。

「ああ、別室の場所ね。この館の奥のエレベーターで七階まで上がった直ぐの部屋さ。どうぞ、ごゆっくり」


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