Love therapy only for you.


 今日は水曜日。ユーリが来る予定の日だ。
 店じまいを終えたデニスは2階の自宅へ上がり、休憩の合間に作っておいたコーンポタージュを温めていた。あと少し煮詰めれば完成、それが終わればメインのオムレツを作るだけ。卵液と具材の下拵えも終わらせているから、彼が来たらすぐに焼けるよう準備は整っている。
 店の方から、鍵が開く音がした。ユーリだ。デニスはポタージュの火加減を見ながら上がってくるのを待つ。想像した通り、少ししてからトントンと階段を上がってくる音が聞こえてきた。
「ユーリ、いらっしゃい」
「ああ。頼まれたの、買っといたよ」 
 ユーリはそう言って、キッチンカウンターにスーパーの袋を置いた。中を開くと、大玉のレタスがどんと一個。デニスはそれを取り出し、水を張ったボウルに移した。
「Thank you.そうそう、付け合わせのレタス切らしちゃっててね。助かったよ。お金は後で渡すね」
「今日はオムレツ?」
「うん。もうすぐできるから手を洗っておいで」
 小さな唇に軽くキスをして言うと、ユーリは僅かに頬を染めながら洗面台に向かった。その姿にデニスも少し照れながら、フライパンに向き直る。
 少しして、二人分のオムレツが出来上がった。ユーリが付け合わせのレタスとミニトマトを盛り付けてくれている間に、デニスはポタージュとご飯をよそう。二人で手分けしてテーブルに運び、夕食の席についた。
「今日はツナチーズにしてみたよ」
「僕が前食べたいって言ってたやつ?覚えてくれてたんだ」
「まあね。たまには違うものもいいかなと思って。色々参考にしたんだ。どうかな?」
「うん、美味しいよ。あまりチーズがくどくなくていいね。卵の柔らかさも僕好みだ」
「そう言ってくれると作りがいがあるよ」
 嬉しい感想をくれた彼に、デニスはニッコリと笑顔を向けた。
 ユーリとは外食よりもこうして家で食べることの方が多い。元々料理は好きだったのだが、ある日彼に「食べたい」と言われたのがきっかけだった。彼の誕生日には毎年フレンチのコースを模した料理を何日かかけて作り、成人を迎えた日はこれまた丹精こめて作ったイタリアンに彼の誕生年ワインを添えて振る舞った。
 作る方が食費はかからないし、仕事の合間などに献立を考えるのが楽しい。それに、一人の時だと夕食はどうしても手抜きになってしまうが、人に振る舞う時は腕によりをかけて作るからやりがいがある。恋人になら尚更だ。
 そしてユーリもその誠意に応えて、料理は残さず味わってくれる。彼の「美味しい」や「好き」といった言葉が、次のモチベーションに繋がる。安っぽい理由かもしれないが、デニスにとって至福であることには違いなかった。

***

「今日のバスタイムは一緒に入ろう?久しぶりに」
「ん……いいよ」
「洗い物するから少し待ってて」
「じゃあお湯張っておくよ」
「ああ、よろしく」
 夕食後、片付けをしているデニスに言い残して、ユーリはバスルームに向かった。彼も今ではどの部屋に何があるかなど聞かずとも解るくらいに慣れていて、こうして用事を手伝ってくれる。もっとも、それは彼の気が向いた時だけなのだけれど。今日は一緒に入ることも承諾してくれたから、機嫌がいいのだろう。
 アラームが鳴るとデニスは先にバスルームへ入り、戸棚を開けた。色々な生活用品の予備が重なっている傍らに、薄い紫色の粉末が入った透明な小瓶がある。それを手に取った。
「なにそれ」
 後ろから、全裸で腰に一枚タオルを巻いただけのユーリが声をかけてきた。彼の眼は興味深そうに瓶へと向けられている。デニスは口角を上げて笑いかけると、瓶の蓋を開けた。
 中から仄かなラベンダーの香りがする。
「バスソルトだよ。いい匂いだろ?」
「今日はこれにするの?」
 驚いたような、ちょっとだけ残念さの混じった声。彼のお気に入りは湯に溶けると泡が出るタイプもので、今日はそれでないからだろう。
「うん、今日だけね。普通には売ってない、いいやつなんだよ」
「ふーん」
 ユーリには悪いが、デニスとしてはいつも使うものより、せっかく手に入れたこれをどうしても試してみたかったのだ。
 ユーリの機嫌を損ねないよう、さながら営業マンのように力説した。
 これは一般の市場では出ておらず、一部のホテルやサロンにしか販売されていない代物だ。個人ではおろか、小さな店舗では到底手にいれることなどできない。
 デニスがその一部に入れたのはたまたま、それこそ幸運だった。常連客の一人がそのバス用品を取り扱っている店のオーナーで、なかなか饒舌な女性だった。何度か通ってくれるうちに打ち解けたかと思うと、彼は仕事の相談にも乗ってくれて、デニスの腕を見込んで特別に取引してくれるようになった。
 奇跡の出会いを重ねて手に入れたものなのだ。
「ね、すごいやつだろ?効能もすごくよくてね。お客さんには足湯サービスする時にちょっと入れて使うんだけど、すごく評判がいいんだ」
 値が張るのにはそれだけ効能が違う。本場死海の塩多くを含んでいるため良質なミネラルが多く、保湿や美肌効果がある。また、少量でも芯から温めてくれ、疲労への効果が大きい。強すぎないラベンダーの香りは心地よく、目を閉じるとまるで高級スパの温泉に浸かっているようだと言わしめる程で、心身共にリラックスさせてくれる。学年末試験が終わったばかりで勉強の疲労が残るユーリには、色々な面で効果的だろう。
「僕も気になってさ。先方に頼み込んで、特別に一つ、個人用に買わせてもらったんだ。せっかくだからユーリと一緒に使ってみたいと思って今まで取っておいたんだよ。お客さんには足だけなんだど、ユーリには全身サービスだ」
「なるほどね。そこまで言うんなら試してみてもいいよ。いい香りだし」
「OK!絶対気に入るよ!肌スベスベになるしね」
 ユーリの色好い返事を聞いて、デニスは意気揚々とバスソルトを入れた。それはすぐに溶けて、湯を白く染めてゆく。その様子がバスタイムへの期待を高める。
 互いに身体を洗いあっているときに、珍しくユーリが「マッサージしてみたい」と言い始めた。先にデニスが教えながら腕や頭などをマッサージしてやり、一通り終わると彼に自分の身体を任せた。ユーリの指が、確かめるようにデニスの身体を辿っていく。
 資格を持っているプロから見れば手の動きは拙いが、彼が自分のためにしてくれるという実感だけでも嬉しいし気持ちがいい。それに、センスは悪くない。ユーリは要領がいいから、もう少し本格的に教えて練習すればかなり上手くなるだろう。
 そんなことを考えながらデニスは彼のマッサージを堪能した。
 身体を洗うついでにマッサージしてやったお陰か、バスソルトのリラックス効果が効いているのか。バスタブに浸かってしばらくすると、ユーリはとろとろと気持ち良さそうな…あるいは眠そうとも取れる顔でデニスに身を委ねた。「気持ちいい?」と聞くと、無言でコクリと首を縦に振る。どうやらこのバスソルトもお気に召してくれたようだ。
 デニスもまたユーリを後ろから抱き締めながら、濡れた髪や腕を撫でてやる。彼の肌は絹のようにすべすべしていて気持ちよかった。ずっと触っていたいくらいに。
(この時間が、ずっと続いたらいいのに)
 ユーリは大学を出たらどうするのだろう、と、ふとそんな考えが頭に浮かんだ。彼は春が来れば3年生になる。あと2年で社会人だ。やりたいことは見つかったのだろうか。
 もし、彼がこの店に来てくれたら。ここで一緒に暮らせば、こんな風にご飯を一緒に食べたり眠ったりするのが、特別な日ではなく日常になる。
 この幸せが、日常に。
 彼は自分と同じ気持ちでいてくれるだろうか?
「どうしたの?」
 随分考え込んでいたのだろうか。ユーリの声でハッと現実に引き戻された。彼が不思議そうにデニスを見上げている。
「え、いや…なんでもないよ。今、とても幸せだなと思ってさ」
 そう言うと、ユーリはパチパチと瞬きした後、フンと鼻を鳴らして顔を逸らした。その横顔は当たり前だよ、とでも言いたげな表情をしている。
 デニスは後ろから彼の首に顔を擦り寄せて囁いた。
「ねぇ、ユーリはやりたいこと見つかった?」
「んー…」
「もし、卒業するまでやりたいこと見つからなかったらさ…この店に来ない?」
「…人手が欲しいの?」
「うーん、まぁね。僕一人で回せないこともないけど、助手がいればやっぱりそれだけ楽だし。それに、君が来てくれたらこの家に一緒に住めるよ。そうすれば毎日僕がご飯作ってあげる」
「何それ。まさかプロポーズのつもり?」
 ユーリは肩を揺らして可笑しそうに笑った。いつもの冗談とでも受け取られただろうか。デニスとしては、至極真面目に言ったつもりだったのだが。
「どう受けとるかは君によるけどさ…」
「考えとくよ」
 ユーリはさらりと答えて、優雅にバスタブの中で脚を伸ばした。彼が告白についてそう深く考えていないことが少し腑に落ちないが、考え直せばまだ2年はあるのだ。そう焦る必要はない。
 デニスは彼の身体を抱え直して、ラベンダーの香りに身を委ねた。



←戻る  →進む

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -