頭に巻かれていた包帯がゆっくり解かれていく。ユーリははらはらと落ちていく白い布をぼんやりと眺めていた。包帯が巻かれていなかった右目に佇むヴァイオレットの光は、疲れているようにも見えるし意志を失っているようにも見える。
 ユーリの部屋のベッドは儀式の祭壇のように張り詰めた空気に包まれている。デニスはユーリの包帯を解いていく間、終始無言だった。いつも楽しそうに口角の上がった口元はまっすぐ引き結ばれ、医師が怪我人を診察するように、あるいは研究者が未知の生物を研究するような真剣な表情で、彼はユーリを見ていた。

「……これは…」

 最後の布を取り終わったデニスが溢した小さな一言が、重々しい静寂を破った。

「驚いた?」

 驚愕した表情の彼を見て、ユーリは自嘲するように薄く笑った。
 隠していた真実がデニスの目の前に晒される。彼はユーリの声に答えることはなかった。やはり話で聞くよりも実際に目の当たりにした方が驚きも大きいようだ。
 デニスは言葉を失ったまま、エメラルドが埋め込まれたような眼をさらに大きくしてユーリを見ている。そんな彼の視線がユーリの皮膚にチクリと刺さる。
 ふと、ベッドの傍らにあった鏡の方へ顔を向けた。瞬間、鏡の中の醜い姿をした自分と目が合ってしまった。
 包帯の下から現れたのは、鋭くギラついたまるで蛇のような紅い眼と、その周りを覆う紫色に変貌した皮膚。触ると、細かい鱗が敷き詰められていてざらざらしている。結ばれた口の中には、尖った牙……。化け物のような自分の姿にユーリは嫌悪のあまり歯を食い縛り、鏡の中の自分を睨み付けた。

「うっ…!?」

 突然、心臓が大きく鼓動したかと思うと、胸がぎゅっと締め付けられるように痛んだ。ユーリは思わず身体を抱えるように背を丸める。身体が灼かれるように熱い。止まれ、止まれと念じてみても、覚醒した本能をコントロールすることはできなかった。
 バリ、バリ、と何かを引き千切るような無惨な音が聞こえた。うっすら視界の端に映った、高級な布で作られた紫色の衣装の残骸を見て、ユーリは絶望した。自分の身を包み美しく彩っていたそれも、圧倒的な存在の前ではもう意味をなさないものになってしまったのだ。

「…醜いでしょ」

 身体を抱えたまま発せられた声は酷く渇いていた。
 もうこれで、自分が普通の人間ではないことを彼に証明したようなものだった。
 露になった自分の身体に眼を移すと、左半身の皮膚が斑のように、顔と同じ紫色の鱗に変わっている。背中に違和感を感じて意識を集めてみると、肩甲骨の下と臀部のあたりに先程までなかった何かがあるのが解った。
 きっと、ユーリの正体を象徴するものが生えてきているのだろう。紫色の、一対の翼と尾が。

「これで解ったでしょ。僕は人じゃない。竜の子なんだ……君たち人間から見れば、さぞかし化け物みたいなんだろうね」

 気丈に笑うように努めてみても、声が震える。顔を上げることができない。自分の顔を確認するのも、デニスを見るのも怖かった。自分を見る彼の表情を見たくなかった。彼の綺麗なエメラルドの瞳に映る醜い化け物の顔を見たくなかった。
 彼はユーリを好きだと言った。何度も何度も、自分の白い皮膚を撫でては骨董品を愛でるようにキスをしてくれた。綺麗だと言ってくれた。だから力のない人間の姿でも、ユーリは自分の容姿に自信を持つことができた。自分が好きだった。彼が愛してくれる自分は美しく輝いていたから。
 けれど、もう。

「君が好きだと言ってくれた顔じゃなくなっちゃった…」

 デニスは変わってしまったユーリを拒絶するだろうか。毎日手入れしていた自慢の白い絹のような肌は、ざらざらした鱗に変わってしまっている。まだ人間の形を保ってはいるけれど、それさえ変わってしまうのも時間の問題だった。
 拒絶されればきっと、ユーリは死ぬだろう。彼を呪いながら、化け物になってしまった自分の運命を呪いながら。そもそも、興味本意で彼に近づいたのが間違いだったのだ。こんなに愛してしまうなら、そのせいでいずれ別れるならば最初から出会わなければよかったのだ。種族が違えば所詮相容れることはできない……そんなこと、とっくに解っていたはずなのに。
 今ここで死んでしまえば、彼が好きだった自分を永久に彼の中に遺すことができるだろうか。

「ユーリ…」

 長い間沈黙を保っていたデニスの声が聞こえて、ユーリはハッと弾かれたように我に返った。名前を呼んでいる。彼が……この化け物の名を、ユーリだと。
 ユーリが名前に反応して顔を上げた瞬間、ぐいっと腕が引かれた。その先にあったのは、いつも甘えていた彼の胸だった。大きくて、しっかりした筋肉がついていて、でも柔らかい。大好きだった彼の胸が今そこにある。彼の腕に包まれている。何故なのか、咄嗟にユーリは理解できなかった。自分がデニスに抱き締められているのだと気づくまでに、少しの時間がかかった。

「デニス…?」

 やっと彼がしたことの意味を理解したユーリは、戸惑いながらデニスを呼んだ。すると、頬を彼の両手で包まれ、顔を上に向かされた。彼と目が合った。彼は微笑んでいた。いつものニッコリと人懐こい笑みで。
 そのまま、ゆっくりと顔が近づいた。いつもみたいにキスをされる……解ったけれど、ユーリは動けなかった。眼を閉じることも拒否することもせず、自分に口づけるために閉じられた彼の眼を見ていた。

「どんな君でも、ユーリはユーリだよ。どんな君でも、姿が変わっても、何になったとしても…。僕はずっとずっと、君を愛しているよ」

 唇を離し、デニスはまたふわりと笑みを作ってそう言った。彼の指が目元に伸びる。咄嗟に目を瞑ると、ピッとあたたかい雫が飛ぶのを感じた。

「君ってほんっと……馬鹿だよね……!」

 その言葉を皮切りに、ユーリの中にあった細い糸がプツリと切れた。途端、何かが堰を切ったように身体の中から流れて、溢れ出てくる。込み上げる嗚咽が止まらない。とうとうユーリは泣き始めた。迷子になっていた子どもが母親の胸の中に帰ったときのように、ユーリはデニスの胸の中で泣いた。あたたかくておおきな腕が、冷たい身体を包むのを感じた。

「好きだよ、ユーリ。大好き」

「ん……」

 デニスが何度も何度も、ユーリの唇、頬、そして目元にキスをする。まだ白い人間の皮膚も、紫色に変わってしまった竜の皮膚も、どちらにも柔らかな感触が落ちてくる。触れたところが熱い。包まれた身体が熱い。その熱を返すようにユーリもデニスの顔を両手で包んだ。
 こんな自分を愛してくれるひとなんて、きっとこれまでもそしてこれからも、彼以外にいないだろう。好きになった人間が彼でよかった。ユーリは心からそう思った。

「僕も…好き。ありがとう」

 肩に顔を埋めると、デニスが彼の国の言葉で「愛している」と囁いた。何度も聞いた言葉だけれど、今日は一層胸の奥に染み込んでくる。
 ユーリは自らの腕と背中の翼で、そっとデニスの身体を包んだ。



――――
フォロワーさんのイラストが好きすぎてうっかり書いてしましました。
ドラゴン化した経緯についてはそこまで深く考えてなかったのですが、醜くなっていくユーリは自分自身を呪いそうだけど、デニスの存在に救われてドラゴンの自分を受け入れるようになるっていうの妄想してたら泣けてきてしまった。
その想いを形にしたかったのだけれど、やっぱり文章って難しいね!

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