Love therapy only for you.


 駅から少し歩いて通りを入ったところに、ひっそりと建つ一件の店舗がある。
 ここは若い店主が一人で経営するリラクゼーションサロン。広告は予約スケジュールとメニューを自作のHPでしているだけで、知る人ぞ知る隠れ家のようなサロンだ。高い技術の割に値段がお手頃だと掲示板などの口コミで評判が広がり、予約がなかなかとれない、という風に聞いている。
 店主の趣味か、外観は一昔前のカフェを思わせるアンティークな造り。ぼんやりとした明るすぎないオレンジ色の照明が来店した者を別の世界に誘うようだった。
 店に入ると、カウンターにいた店主がにっこりと人の好い笑みで笑いかけてくれる。鼻筋が通り、眼が大きく優しそうな顔の外国人だった。口コミでは店主の技術もさることながら、人柄も評価されていた。それが、表情から滲み出て安心感を与える。
「予約のお客様かな?」
彼は流暢な日本語でそう問いかけてきた。
 店主の問いかけに対し首を横に振ると、彼は微笑みを少し残念そうに崩した。

***

 この個人サロンは完全予約制なんだ、せっかく来てくれたのにごめんね。今から10分後にも予約が入ってる。
 最初は予約受付も当日受付もどっちもやってたんだけど、口コミで広がっちゃったのか最近予約が多くなってきてね。スタッフは僕一人だからさ、手が回らなくなっちゃうんだよ。
人を増やさないのか、だって?うーん、最初はそれも考えたんだよね。だけど、一人でのんびりやる方が気楽だし、性に合ってる。僕はこういうスタイルで店をやるのが楽しいんだ。元々この店を始めたきっかけだって、趣味からだからね。そして、ある人のためなんだ。だから、これといってお金儲けしようっていう気もないしね。
 …おっと、ちょっと言い過ぎたね。これ以上は私情だから慎んでおくよ。
 まあ、そういうことだから。今日はごめんね。今度は予約をしてから来てくれると嬉しいな。そうすれば、自慢のマッサージをたっぷりしてあげるからさ。 そうそう、名刺あげとくよ。僕は店主のデニス・マックフィールド。予約したくなったらここに電話して。今月はもういっぱいになっちゃったから、そうだな……来月の三日以降ならまだ空いてるからお早めにね。

***

 営業時間は10:00〜18:00。駅前の店としては、閉まるのは早い方だった。商店街が仕事帰りの人々で賑わい居酒屋等の店のネオンが点く頃、最後の客を見送った店の扉には、"CLOSED"の看板がかけられていた。
 店を閉めた後、デニスは軽く店内の掃除をして施術室で準備を整えていた。部屋を暖めておき、マッサージ用のオイルを調合する。明日の準備ではなく、今から来る特別客を迎えるためだ。
 そう、少し早い閉店時間は、その客がいつも店に来る頃に合わせて設定しているのだ。
店の表の方からチャイムが鳴る音が聞こえた。デニスはオイルの瓶を置いて入口の方へと向かう。
「いらっしゃい。久しぶりだね、ユーリ」
 扉を開けるなり、ふわりと顔を和らげて客に声をかけた。客はデニスの声に応えるように、紫色の無地の傘を下ろして閉じる。
「雨が降ってるんだね、気づかなかった。今タオルを持ってくるよ。そこで待ってて」
「いいよ、どうせ脱ぐし。シャワー貸して」
「そうかい。荷物は僕が片付けておくから温まっておいで」
 少し濡れた彼の髪をかきあげて、現れた額に軽くキスをする。仏頂面だった客はようやくふん、と鼻を鳴らして表情を僅かに崩した。彼は荷物をデニスに預けると勝手知ったるという体ですたすたと奥へ向かった。
 彼はユーリ。近くに住む大学生だ。そしてこの店の常連客であり、店主の恋人である。
デニスが店を出し、この道で生きることになったのは彼のお陰だ。もっと言えば、彼の義父であるレオ・コーポレーション社長、赤馬零王のお陰だった。
 デニスはこの道に来る以前、レオ・コーポレーションのセキュリティとして雇われていた。ユーリとはそこで知り合った。アメリカ出身でバイリンガルのデニスに、「高校生になったばかりの彼のために家庭教師をしてやってくれないか」と、零王が頼んたのがきっかけだった。ある時は主人の息子と従者として。ある時は先生と生徒として。立場を変えて関わるうちに、ユーリとの仲は親密になっていった。
 いつだったか、将来の夢や進路についての話になった。特にない、と言う彼にデニスは自身の学生の頃の話をした。
「僕ねぇ、こう見えて結構マッサージとか得意なんだ。趣味だけど、昔はセラピストになるのが夢だったりしてね。免許も取ったんだ。でも、ここに勤めてると使い道がないからただのお飾りだよね」
「だったら店を出せばいいじゃないか。なんでこんなところに勤めてるの?」
「そんなお金ないよ。今までの貯金を掻き集めたって足りないよ。それに趣味で生きていくようなものだしね。経費とか現実的なことを考えるととてもそれで生きていくことなんて……」
「僕を誰だと思ってる?」
 デニスの言葉を遮ってユーリが言った。
「父様に口きいてあげるよ。夢のある奴がこんなところで燻ってて仕事にならないから、退職金出してやれってね」
「ユーリ…」
「店出したら僕にはサービスしてよ」
 ユーリはそう言って不敵な笑みを見せた。
 それからユーリが話をつけ、彼の父親が投資をしてくれたお陰で、デニスはほとんど頭金ゼロの状態から夢だった店を構えることができたのだ。それに借金も、利子がほとんどなく少しずつ返せばいいから、経済的にも負担が少ない。普通では考えられない程の好条件だった。
 そして後に、ユーリがデニスに想いを寄せていたことを零王に聞いた。彼が自分にここまで力添えをしてくれた理由を知ったデニスは居ても立ってもいられなくなって、ユーリを開店前の店に招いて告白した。
「馬鹿じゃないの……そんな暇あったら自分のこと考えなよ」
 ユーリはそう言いながらふわりと頬を染めたのだった。
 ……随分と懐かしい思い出だ。
 デニスはユーリの服を畳みながら当時のことを思い出していた。あの時の感動は今まで一度も忘れたことがない。彼ら親子は恩人だ。ユーリは、デニスにもう一度夢を思い出させてくれた人だ。
 その感謝はいつしか、ユーリと一緒に過ごすうちに愛情へと変わっていった。同性に恋をするなんて以前は想像もつかなかったが、今ではもう彼がいない生活など考えられない。
「あ、しっかり温まれたかい?」
「ん……」
 バスタオル一枚だけを羽織り、身体を拭きながらユーリがシャワーから上がってきた。彼をそのまま寝台に座らせて、フェイスタオルで彼の髪を拭く。水気が大分取れると、棚からドライヤーを取り出し、慣れた手つきで髪を乾かしていく。
「何でもサロンみたいだね、ここは」
「ユーリだけに、特別だよ」
 デニスはブラッシングしてしなやかさを取り戻した髪を撫で、ユーリにウインクした。
「恋人限定メニューだ」
「フン……悪い気はしないね」
「これからすぐにする?それとも何か食べるかい?お腹すいただろう」
「今日は軽く食べてきてるから大丈夫だよ。もうやって」
「ん、解ったよ。じゃあ、まずはうつ伏せで寝てくれるかい」
 言われるままユーリは横になり、ふぅ、と深い息を吐いた。薄目のブランケットを取り出し、何も身に纏っていない彼の身体にかけてやる。
そして先程まで調合していたオイルの瓶を手に取って蓋を開け、まず香りを嗅がせた。
「今日はこれを使うよ」
「ん……いつもと違うね」
「ああ、いつもは花の香りで作ってるけど今日はレモングラスを中心にブレンドしてるんだ。ユーリ、今テスト週間だろ?柑橘系の香りは頭をスッキリさせて、集中力を高めるんだよ」
「ふーん…」
 疲れているのか、ユーリは気のない返事を返すだけだった。眼がとろんとして落ちそうだ。あまり寝ていないのかもしれない。
 オイルを取って手に出すと、それを伸ばすようにマッサージを開始した。久しぶりに触る恋人の身体は、いつもより少し張っていて冷たい。テスト勉強頑張ってるんだろうな、と想像しながら、彼に気づかれないようにふっと微笑んだ。
 脚から腰、背中へとオイルを馴染ませながら、凝りのある部分を重点的に指や手のひらで解していく。強すぎず弱すぎず、ユーリの気持ちいいと思う強さに力を調節するよう、細心の注意を払う。
 丹念に背面を解すと、今度は仰向けに寝かせて、胸や腹回りもマッサージしていく。ユーリは横になってから数分も立たず安らかに寝息を立てていた。彼の安心しきった寝顔を見て思わず笑みが零れる。
 デニスは彼の寝顔を見ながらするのが好きだった。ユーリがリラックスできているのが目に見えて解り、それは自分の技術への自信にもなる。それ以外にも、彼の寝顔を見ているのは自分だけだという優越感めいたものもひっそりと噛み締められるのだ。薄く開いた唇に思わずキスをしたくなるが、ぐっと堪えて、マッサージを続ける。
「はい、とりあえず一通りは終わったよ。どう?」
 始めてから1、2時間が経ったところか。ユーリの身体は血行がよくなったお陰で最初よりも温かくなっていた。ざっと一通り施術を終えたデニスは額の汗を拭き、ポンポンと肩を叩いて声をかける。
 ユーリは「ん」と小さく声を漏らしてゆっくりと眼を開けた。まだ眠いのかぼんやりと天井を見ていたが、デニスの顔を瞳に映すとムッと物足りなさそうな顔をした。
「………ねぇ」
「ん?」
「いつもの、してよ」
 少しだけ視線を逸らしながらユーリが新たな注文をつけた。いつもの……それを聞いたデニスは些か困った顔をして彼の髪を撫でる。
「テスト週間なのに、いいのかい。この後勉強できなくなるかもしれないよ」
「今日はいい。明日午前中休講になったから」
「ふふっ。じゃあ、お望み通りに」
 デニスは唇に彼が望むキスをした。
 恋人限定メニューには時間制限がない。ユーリが納得いくまで、デニス手のひらは…いや、デニスは彼のものだ。

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