さくら色の幻想

※アカデミアでの二人を捏造してます



 デニス・マックフィールドは、とある午後の昼下がりにアカデミアの中庭で一人ティータイムを楽しんでいた。
 とは言っても故郷の国にあるような優雅なガーデニングセットがこんなところにあるわけもなく、設えられたベンチに座り缶コーヒーを飲んでいるだけである。しかし、散り逝く桜の花に想いを馳せるにはそれで充分だった。
 ぼんやりと桜の花を眺めていると、突然ふわりと一陣の風が吹いた。煽られた花びら達が頭上へ舞い上がり、くるくると回りながら雪のようにひらひらと辺りに落ちてくる。
 なんとなく、その欠片を手に取ってみたいと思った。デニスは手を開き、花びらを目掛けて前に突き出す。
 しかし花びらはすんでのところで手を避けていき、掌に収まることはなかった。掴んだ、と思って開いた何もない掌を見て、はぁ、と息を吐く。

「こんなに近いのになあ」

 桜を映すエメラルドの瞳の裏に、ある人物のシルエットがぼんやりと浮かんで消えた。

「………何やってんの」

 静かな空間に響いた声。それは拡散したデニスの意識に、鋭利な刃物のように突き刺さった。
 明らかに聞き覚えがあるものだ。まさか……聞こえてきた方へ振り向くと、中庭に面した廊下から今まさに脳裏に浮かんだ人物がこちらを見ていた。
 デニスはその瞬間、ぼんやりした表情をパッと満面の笑顔に塗り替えた。

「やぁ、ユーリ!」

 彼はユーリ。神秘さと美しさを秘めたアカデミアの高嶺の花。誰も近づけない高みにいる花。見た者の記憶に鮮明に姿を残し、そして欲望を引き出す。
 デニスもまた、彼を初めて見たときにその存在に魅せられた一人だった。
 ユーリは滅多に人前に姿を現すことはない。姿を見られるのは限られた一部の者だけ。彼はアカデミアの一般生徒とは違い、普段はプロフェッサーの元にいる。
 デニスは、何度かユーリに会ったことがある。デニスもまた授業を受けながら、たまにプロフェッサーの元で働いているからだ。しかしだからといっていつでも会えるわけではなかった。それに会ったとしても二人きりになることなどなければ話をすることもない。彼は常にプロフェッサーの傍にいるから。
 それが、そんな彼と、こんなところでばったり出会うなんて。その上、彼の方から声をかけてくれるなんて!
 最も、ユーリはただ仕事仲間に会った、くらいしか思ってないかも知れない。だが、滅多にないことなのは事実。デニスの声は自然と高揚する。
 
「ハナミだよハナミ!花を見ながら食べたり飲んだりするのがこっちのカルチャーなんだろう?僕もそれを楽しみたいと思ってね!」

「ほとんど散ってるじゃん。そんなの見て楽しいの?」

「キレイだけど楽しくはないかなあ。やっぱり話し相手がいなきゃ。ね、ユーリ、一緒にハナミしようよ!僕、あと一時間空きなんだ!こっちにおいでよ!」

「はぁ?別に話すことなんてないけど」

「いいからいいから!」

 こんなに気分を高揚させながら人に話しかけるのはいつぶりだろう。こんなことは後にも先にもあるとは限らない。折角彼に会えた、このチャンスを逃すわけにはいかない。
 ユーリは渋るような顔で返事をしていたが、デニスが熱心に誘ってくるのに根負けしたのか、足を中庭の方へ向けて歩を進めてきた。
 デニスはユーリに気づかれないよう、この幸運を神に感謝する。数年分の運を使い果たしたようにも思えた。

「なんだい?それは」

 デニスの隣に座ったユーリの手元を見ると、何やらビニール袋を持っている。彼は「ああ、」と返事をして中身を取り出した。
 中から現れたのは、プラスチックのパックに包まれた、色とりどりの丸くてつやつやしたもの。三つの塊が串に刺さっている。ユーリはこれを「ダンゴ」だと言った。

「購買で貰ったんだよ。僕が和菓子好きだって言ったら、くれたんだ。一つ食べる?」

「いいのかい?」

 ユーリが何かをくれるなんて!エメラルドの瞳は涙が出そうな程に輝いた。そして何の迷いもなく、差し出されたそれを一本受け取り、口に運ぶ。
 しかし感動するあまり、デニスは一つ大事なことを忘れてしまっていたのだ。

「あ……甘い!」

「……甘いのだめなの?」

 そう、デニスは甘味が全般的に苦手だった。
 口に広がる、砂糖や蜂蜜とはまた違った甘味。さっぱりしていて不思議な味だが、甘いものは甘い。しかも口に残る。デニスは手に持っていたコーヒーを一気に傾け、口の中のそれを胃へ流し込んだ。

「フフッ、異国人の君の口には合わなかったかな。こんなに美味しいものが食べられないなんて、君は憐れだ」

 ユーリは流し目でデニスの様子を一瞥し、優雅に団子を食べている。君は憐れだーーユーリの言葉がこだまのように脳内に響く。全くその通りだ。
 デニスは甘味が食べられないことよりも、ユーリと同じ感覚を共有できないことを嘆いた。

「なに?食べれない癖に物欲しそうな顔してるね」

「だって、折角君から貰ったものなのに…。甘いものが食べられないことを初めて後悔したよ」

「じゃあ、これくらいの甘さなら大丈夫じゃない?」

「っ、ユーリ…?」

 ふわりと鼻腔を掠める甘い香りは桜の香りか、ユーリが食べていた団子の香りか、それとも、彼自身の香りか。いずれにせよデニスにとっては魔法のような香りだった。縛られて動けない。
 気がつけば、彼の顔が目の前にある。一体これはどういう状況だろう?そして唇に触れるこの感触は?
 キスって、こんなに甘いものだったっけ。

「……これは甘すぎるよ…」

 一瞬にも永遠にも感じられた魔法が解かれて、やっとデニスは言葉を発することができた。だが取り憑かれたようにさっきのキスの甘さが消えない。甘いものは苦手だが、この甘さは忘れられそうになかった。
 呆けた顔のデニスを揶揄うようにユーリは笑うと、最後の団子を串から引き抜いて食べた。そして空のパックに串を投げ、ベンチから立ち上がる。

「僕を捕まえたかったら、相応のものを持って今夜僕の部屋においで。君を試してあげる」

「ユーリ、それは…!」

 その言葉はどういう意味?確かめようと、デニスは背中を向けて校舎の方へ歩き出したユーリを引き留めるために手を伸ばした。しかし、届かない。手は彼の後ろ姿ではなく、空を掴んだ。

 気高い桜の花は手を伸ばしても届くことはない。だが見るものの記憶に鮮明な情景を残す。彼も、痛いほどの鮮明な甘さを一瞬でデニスの記憶に刻み付けて、するりとすり抜けて行ってしまった。
 手の中に残ることのない、まるで幻想のようだった一時。それは桜の花が魅せたものだったのか、それとも、ユーリ自身があの木から舞い降りた桜の妖精なのか?
 それは今夜、確かめるしかない。

「だけどユーリ…君は知ってるかい。桜の花びらって、掴むことができると願いが叶うんだってね」

 じゃあ君を捕まえることができたら、どんな願いが叶うのかな?

 デニスは小さくなっていくユーリの背中を見つめながら口元に弧を描く。もう一度、指で唇に残る感触を確かめた。
 唇から手を離して見ると、掌にはいつの間にかひと欠片の桜の花びらが収まっていた。

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