Dinner Time


「黒咲、いるか」

 来客部屋の扉を叩く音が聞こえたかと思えば、そこにいる者の返事も聞かずにガチャリと開いた。現れたのは社長秘書の中島。彼のいつもと同じ能面のような無表情が見えた途端、隼は不機嫌そうに眉を顰めた。彼が来るときは必ず社長である赤馬零児の言付けを持っており、それは必ずと言っていいほど隼にとって都合のよくないものだからだ。

「社長がお呼びだ」

 中島が発した言葉はやはり予想を違うものではなかった。隼は小さく、そして彼に聞こえるように舌打ちをする。全く憎らしいことなのだが、隼はその言葉に対する拒否権を持っていない。来いと言われればそれに従い、行くしかないのだ。


「来たか」

 レオコーポレーション社長・赤馬零児がいつもデュエルについての研究と分析を行う管制室へと呼び出された隼に、これまた表情のない声がかけられる。来るのが当然だと言わんばかりのその態度が全くもって腹立たしい。

「何の用だ」

 隼は眉間の皺を更に深め、虫の居所が悪いのを隠すことなく零児に投げ掛けた。彼がここに呼び出すのは大抵、隼に故郷やレジスタンスの活動について尋ね、分析する必要のある時だ。今回も大方そのことだろうと目星をつけ、その上で敢えて問う。それは、この男に屈しないという姿勢を見せるためであった。

「何、構えなくていい。今日は別件だ」

 眼鏡を上げながら言う零児の、その口元が僅かに弧を描いているように見えた。今度は予測が外れ、隼は拍子抜けしたような表情になる。その別件の内容を聞こうとする前に零児が椅子から立ち上がった。

「これから夕食の時間だ。君に付き合って貰う」

「………は?」

 零児は何事もなくさらりと言ってのけたが、あまりにも予期していなかったことに、隼はその場に突っ立ったまま情けない声を出す羽目になってしまったのだった。



(何故こんなことに…)

 ここはレオコーポレーションの最上階…だろうか。いつもと違う、見たこともないエレベーターに乗って隼は零児と共にこの部屋にやってきた。部屋の装飾自体はシンプルだが広く、大きなテーブルが中央に設えてある。どうやら会社に併設された赤馬家の住宅のようであった。

「兄様、お帰りなさい」

 先に来ていたらしい零羅がこちらに辛うじて届くような声で呼び、ちょこちょこと小さな足取りで出迎えた。腕には相変わらず古ぼけたぬいぐるみを抱いている。零児はただいま、と返事をすると膝を追って目線を合わせ、零羅の頭をゆっくりと撫でた。
 時間にしてみれば数分もない出来事だったが、その間何故だか隼は二人から目を離すことができなかった。

「行こう」

「あ……ああ…」

 いつの間にやら思考を飛ばしてしまっていたらしく、気づいた時には零児がすぐ傍に来ており、ポンと肩を叩かれた。一瞬きょとんとしたまま生返事を返してしまったが、それに気づくと直ぐ様元の仏頂面へと戻す。一体何を呆けた面して考えていたのだろう。一瞬でも隙を見せてしまったことに、隼は苦虫を噛み潰すように歯を食い縛った。

「礼を言う」

「フン……何を今更」

「今日来て貰ったのは、零羅の希望でな。人にあまり馴れない零羅だが、先日、時間のある時に君と私と三人で食事をしたいと言ったんだ。だからこうして付き添って貰うことにした」

 零児の言葉を聞いて、隼はちらりと零羅に視線を送った。彼はビクリと小さな肩を竦めてぬいぐるみを抱く腕を強めたが、いつものようにビクビクと震えている様子はなかった。母親を前にした時の方がよっぽど何かに怯えているように見える。

「君には確か……妹がいると言ったな」

「…それが何だ」

「これは私の推測だが…零羅は君に、兄である私に対する感情に似たものを感じているのかも知れないな」

「くだらん……俺はガキに興味はない」

 一言だけ言葉を吐くと、隼はふいっと零羅から視線を外し、眼を閉じた。

 静寂とした間に、食事が運ばれる。普段部屋に持って来られる食事も、夜営をしているレジスタンスの身分にとっては大層豪華なものであるが、今日目の前にした食事はそれよりもさらに品格の高いものであった。隼は冷静を乱さぬよう努めるが、空腹の身体は本能的に美味そうな匂いに興味を示し、ごくりと喉を鳴らす。

「今日は来客ありきの食事会だから、シェフには一層腕によりをかけて作らせた。ワインは飲めるか」

「飲めないことはない」

 執事らしき男が隼の水とは別のグラスに白ワインと思われる液体を注ぐ。グラスの半分くらいを満たした液体は仄かな甘い香りを放ち、ゆらゆらと隼の顔をその水面に映す。零児のグラスには赤色の液体が、零羅のグラスには少し炭酸の入った薄桃色の飲料が注がれていた。

「それでは、頂こうか」

 グラスを持った零児がグラスを持って言うと、それを口につけて傾けた。食事の合図だと悟った隼も彼に倣ってグラスに口をつけて少し傾ける。酸味と甘味のある液体が口内を潤し、アルコールの痺れが舌を刺激する。ごくりと飲み干した後、食事に手をつけ始めた。
 零羅の希望ということで招かれた食事会だったが、隼は特に食事の為以外に口を開けることはなかった。零児も零羅も各々、黙々と食事をしている。だだっ広い空間には僅かに食器の音が聞こえるだけであった。
 しかしその中で、時折零児の声が聞こえた。顔を上げて彼の方を見ればどうやら、零羅に話しかけているらしい。

「零羅、私の食べるスピードに合わせなくていい。よく噛んで食べなさい」

「水がなくなったようだな。零羅、入れてあげよう」

「口元にソースがついている。これで拭きなさい」

「量は充分足りたか?」

 一見、零児は相変わらず業務的な無表情のままのように見える。だが、隼の目にはそう映らなかった。いつも引き締まった口元が僅かにだが緩んでおり、鋭い紫の眼光は柔らかな光を湛えている。いつも仏頂面ばかり見て辟易していた隼には、その僅かな変化が解る。そして、水酌みなど執事に頼めばいいものを敢えて自分の手でしてやっている。
 これを見て、とても隼には彼が「普段の赤馬零児」に見えなかったのだ。
 そして零羅も不安そうに兄を見上げているが、その中に少し嬉しそうな表情が見てとれた。そこで隼は気づいたのだ。普段年齢よりも大人しくしっかりとした印象を持つ零羅だったが、この時だけは兄に甘えようとしているのだと。兄に声をかけてもらえるように、気遣ってくれるように少々幼い振る舞いを解ってしている。零児がそれに気づいていないことはないだろう。察した上で、零羅が望むように接しているのだ。

(赤馬零児には父親も母親もいる…権力も金も持っている……。だが、「本当に奴にあるもの」は弟だけなのかもしれん)

 家族にしては随分と距離があり他人行儀のような接し方ではあるが、隼は彼らの兄弟としてのあり方を垣間見たような気がした。
 彼らの置かれている環境は知らないし知ろうとも思わないが、「一般的な家庭ではない」ことは確かだ。しかしその中で、零児と零羅、互いが唯一の拠り所となっているように隼には思えた。



「改めて礼を言おう、黒咲。零羅も君と食事ができてよかったと言っていた」

「俺は別に何もしていないがな」

 珍しく一日に二度も謝礼の言葉を言う赤馬零児を見て、近いうちに槍でも降るのではないかと隼は思った。相変わらず隼が部屋に出てから帰るまで行動を監視下に置こうと着いてくることに窮屈さを感じてならなかったものの、先程の兄弟を見たということもあり、どうしても彼を邪険に扱うことが出来なかった。

「また君を食事に誘いたい」

 零児の言葉はあくまで希望なのだろうが、きっと呼ばれればまた今日のように行かなければならないのだろう。隼に拒否権はないのだから。
 だが少しだけ、次は零羅と何か話を…もしそれが出来なくても、グラスに水を入れてやるくらいはしてやろう、と隼は思ったのだった。

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