未来は優しい色で待っている


「海に行こうかミザエル」

 何もない休日、キッチンでコーヒーを飲んでいたミザエルにバッタリ会ったかと思うと、何の前触れもなくドルベは言った。ミザエルはそれに対し、ドルベの唐突な言葉の意図を訝しむように眉を顰めた。

「何を唐突に。どういう風の吹き回しだ?」

「今日は何もないからな。天気もいいし、こういう日こそ出掛けたいと思わないか」

 彼に声をかけた意図としてはそんなに難しいものではない。いい天気で、何もないからただどこかに出掛けたくなった。ミザエルを誘ったのは、そこに彼が居たからだ。彼とはバリアン世界で色々行動を共にしたことはあるがどれも使命ありきのことで、何気なくどこかへ行ったりすることは全くと言っていいほどなかった。丁度いい機会だと思ったのだ。
 意外にアウトドア派であるドルベとは逆に、ミザエルは自分にとって興味のないことやどうでもいいことに対する行動力は低い。まさに興味がない、という顔でじっとりとドルベを見つめる彼にドルベはもう一度誘った。

「というかなぜ私なんだ」

「君とはどこかへ行ったりしたことがないだろう。いい機会だと思わないか?たまには外に出なければ駄目だ」

「まるで私が引きこもりであるような言い種だな。しかし私は特に用事もなく出かけるという趣味は…」

「私と共に海へ行くことが君の用事ということにしないか」

 我ながら少々強引だったか、などとドルベは思ったが、一人で楽しそうにするドルベの申し出を無下にできなかったようで、ミザエルはコーヒーを飲み終わるとカップを流し台に置きながら仕方ないな、と呟いた。

「ただしこれを洗ってからだ。少し待て」

「わかった。先に準備しているよ」

 彼から色好い返事が貰えたと、少し上機嫌になりながらドルベは準備をして玄関へと向かう。しばらく待っていると、ミザエルが姿を現した。面倒臭がっていた割にはそこまで嫌そうではない顔だ。行こうか、とドルベは彼に笑いかけ、共に家を出た。


 二人してモノレールに揺られた後、特に会話もなく海への道を歩いた。
 ミザエルはあまり会話を好まない。一見無表情で虫が悪そうに見えるが、実は言うほど何も考えていないのだ。以前気になって何を考えているかと聞いたときは、デュエルのシミュレーションをしていたと言われたことがある。一時は銀河眼と天城カイトのことで頭が一杯だったようだが。
 要するに彼は自分の世界で考え事をするのが好きなのだ。その割にはちゃんと周りを見ていたりする。
 ドルベは会話がないくらいで空気を気にするような質ではないから、その辺りは彼の好きにさせることにした。

「おお、見えてきたな」

 懐かしい潮の香りを感じて辺りを見回すと、前方に青々とした海が見え、ドルベは胸を逸らせた。ドルベの声に反応してミザエルも顔を上げる。まっすぐそのまま歩いて堤防を越え、二人は砂浜に辿り着いた。

「ああ、いい香りだ」

「ふむ…」

「どうした?ミザエル」

「海とは青いんだな。私はバリアン世界の紅い海しか見たことない」

 風を受け波打ち際を歩きながら、ミザエルはそんなことを呟いて水平線の方へと眼を遣った。
 バリアン世界は、世界自体が紅かったから当然その空を映す海の色も紅い。ドルベは海の青さを思い出してからはなんとなくバリアン世界の海に違和感を感じるようになっていたが、ミザエルは紅いのが当然と思っていたようだ。この世界の海は初めてか?とドルベが尋ねると、彼は静かに首を縦に振った。

「元々人間だった頃は海とは縁のない内陸で生まれ育ったから」

「それはもったいないな。海はいい。広大で、色々なものを包んでくれる上にこの色をずっと見ているだけで心が洗われる。私の一番好きな景色だ」

「お前も、遺跡の話を聞く限り海とは関係のない国だと思ったが、違うのか」

「私の生まれは大海の島国で、仕えていた国とは違うんだ。だから祖国を出るまではよく海に遊びに行っていた」

「それでか。成る程な」

 他愛のない会話だったが、互いに自身の過去の話をするのは初めてであった。遺跡に行き自分の記憶に触れたという話はしたが、完全に記憶が戻ってからはそのような話をしたことがない。もう少し聞くと、彼は砂漠に近い国の生まれだという。
 島国で生まれたドルベと、砂漠の国で生まれたミザエルという生まれが全く真逆の二人。何かがなければ出会うことのなかっただろう二人が、こうして出会ったというのも何かの運命なのかな、などとドルベは思った。
 ミザエルの方を見ると、風に髪を乱されて顔を顰めている。髪が長いと大変だな、とその様子に微笑みながら、ドルベはその場にしゃがんだ。

「………ドルベ?」

 急に波打ち際にしゃがんだドルベを心配して覗き込んだミザエルに向かって、ドルベは手で作った水鉄砲を飛ばした。

「冷たっ!」

「まだ泳ぐには若干冷たいな。だが靴を脱げば少し入れるぞ」

「やったな……仕返ししてやる!」

「ははっ、やってみろ」

 悪戯が成功して意地悪く笑いながら、ドルベは素足になって膝上までズボンの裾を上げ、海へと入り込んだ。してやられてムキになったミザエルも同じように靴を脱いで水に入る。童心に返ったように二人は水を掛け合いながら追いかけ回った。すっかり楽しんでいたドルベは言うまでもなく、ミザエルも水を掛け合っているうちに口許に笑みを作っていた。
 日が傾き始めた時には二人揃って全身がびしょ濡れになり、息を切らしながら砂浜に並んで座った。

「ったく、服がびしょ濡れだ。早く乾かさないと風邪をひく。人間とは、面倒な身体だな」

「しかしなかなか、こういうのもいいだろう」

「お前がこういう性格だとは思っていなかった。私に嬉々として水をかけるお前はデュエルをしている時のアリトのようだったぞ」

「そうか?私は元々こういう人間だ。悪戯好きで、ナッシュとはよく色々して怒られたものだ。バリアン世界に行って、少し変わってしまったかな」

 水平線上を走る船に眼を向けながら、昔を思い出すようにドルベはしみじみと語った。かつては空や戦場を愛馬で走り回っていたものだが、バリアン世界に行ってからは全くそういうものとは無縁になっていた。
 戦いの運命の中で世界の行く末を案じる日々。ナッシュとメラグが居なくなってからは更にただ紅い世界から色がなくなった。自分達の居場所を守り、友の居場所を守る為に必死だった。こんな風に過ごす日が来ようなど、あの頃のドルベは夢にも思っていなかっただろう。
 だからこそ、大切な仲間と何気ない日々を過ごす事が尊く、そして些細な事に幸せを感じるのだ。

「お前はそうやって、バリアン世界でもよく海を眺めていたな」

「え?」

「何だ、自覚のない行動だったのか?ふとした時にお前は何かをじっと見つめる癖があった。今まさに、海を見ていたようにな。だがバリアン世界で海を眺めていた時とは、心境が違うようだな。表情が全く違う」

「そうだったかな」

「故郷を思い出していたのか。バリアン世界で」

 言われてみれば、そうだったかもしれない。ドルベ自身も自覚していなかった彼の言う癖なのだが、思い返してみると物思いに耽ることは多かったように思う。それは記憶を取り戻してから度々頭によぎった故郷のことであったり、居なくなったナッシュとメラグのことでもあったと思う。

「またそうやって一人の世界に浸る」

「常に自分の世界にいる君には言われたくないな」

「私はお前みたいに切羽詰まっていないからな。好きで自分の世界にいるのだ。お前は溜め込み過ぎる」

 一見変わらない表情に見えるが少しだけ眉間に皺が寄った。バリアン世界でもミザエルには度々こんな顔で咎められたことがあるが、言葉に刺があるように見えて実はドルベを心配しているのだ。率直でない言葉を使いながらも、その心は透けて見える。そういうところが彼の好感を持てるところであった。

「そうでもないさ。少なくとも、今はな。今は…大切な人達に囲まれて、とても幸せだ」

 大切なものを亡くした記憶も、悲しい日々も辛い記憶も、全ては今の自分を作る為のものだと思えば全ての出会いに、当時の苦しみにすら感謝できる。そして彼とて例外ではない。今のドルベを形成するのになくてはならない人なのだ。
 そう思うと、心に一陣の風が吹いたようにふわりと優しい気持ちになった。

「いつもありがとう、ミザエル」

「何だ突然、気持ち悪いぞ」

「何故か言いたくなった」

 率直にそう言って微笑んでやれば、ミザエルは困ったように眉を顰めて海の方に視線を遣った。

「お前は本当に変わった」

 水平線に近づいてゆく夕陽の方を見ながら言うミザエルは穏やかな顔をしている。ドルベを変わったと言うなら、彼もそうだろうとドルベは思う。昔の彼は人のことなど関係ない、自分の道を往くのみだという自信に溢れた眼をしており、やけに刺々しかったような気がする。
 しかし今のミザエルの言葉や態度から見るに、彼は人を受け入れようとする隙間を作っているようにも見える。それともミザエルは元々、そういう性格だったのかもしれない。そう思うと、今まで彼のことをもっとよく知らずにいたことに対し、ドルベは後悔を覚えた。

「君のことを、もう少し早く知りたかった。前世でもし出会っていれば、また違ったかもしれない」

 しみじみとそう言ってやれば彼はフン、と一つ鼻を鳴らしてドルベを一瞥し、立ち上がった。

「我々の未来はこれから作っていくものだろう。もう邪魔をするものはない。過去を思い返すより、運命などに囚われない、自由な未来を描けばいい」

「ミザエル……。そうだな、君の言う通りだ」

「……もう、気は済んだろう。帰るぞ」

 くるりと背を向けて歩いていくミザエル。彼にとっては過去は過去として過ぎ去ったものに過ぎないのだろう。彼はいつだって未来を見ている。彼の足跡に、ドルベはこれから歩み寄ることが出来るだろうか。
 自分達に用意された時間は長い。その中で仲間達と描く未来はどんなものになるだろうか。その色に期待をしながらドルベもまたミザエルの背中を追い、立ち上がって歩き出した。
 もう一度振り返って見た海は優しく、自分達の未来を祝福しているように見えた。

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