Give me a break!
※if未来ですが少々現パロくさいです
キッチンに立って、少し遅めの夕食の準備をする。後もう少しすれば彼が帰ってくるだろう。彼はどんなに遅く帰るときでもメラグが作る夕食を楽しみにしていて、必ずお腹を空かせて帰ってくるのだ。
リビングで付けっぱなしになっているテレビでは、先程まで彼が出演していた番組が放送されていた。学園を出た後どういう進路を辿るのかと思っていたが、スカウトされて芸能界に入ることになったのだ。元々パフォーマンスや演技が得意なのは知っていたが、まさかその舞台で花を咲かせることになるとは。
鍋を温めている時にそっと、左手の指輪を撫でる。もう一つの同じものを持つベクターとは昔から…それこそ何千年も前から、犬猿の中だった。生まれ変わる前もバリアン世界でも、殺し合う程に憎み合っていた。なのにこうして兄や他の仲間と離れて一つ屋根の下で二人だけで暮らすことになるとは、なんという不思議な運命の巡り合わせだろうとメラグは思う。昔では考えられないことだった。
しかし以前のことがあったその反動からか、彼は今までの罪を償うかのように、メラグを大切にしてくれているのを感じる。表面上ではそれを見せず相変わらず意地が悪く余計なことをしたり言ったりしているが、言葉や態度の節々に確かな愛情を感じるのだ。そういうところは、少し兄と似ているかもしれない。
『ーーー続いてのニュースです』
何気なくテレビに眼を遣ると、いつの間にかニュース番組を映していた。特に興味はないし、チャンネルを換えようか、と手を伸ばしたその時。
『あの、人気若手俳優、真月零さん熱愛発覚?衝撃的な一枚を激写しました!お相手は人気女優のーーー』
「は?」
思わずメラグの口から声が転がり落ちた。真月零とはベクターの表向きの名前だ。その彼が、人気女優と熱愛?公にはなっていないけれど同棲している一般女性の彼女がいるはずの彼が。テレビでは数枚の写真と共に二人がどういう関係だのと真実なのか嘘なのか分からない報道がされている。呆然と、報じられているニュースを目にしたまま夕食の用意も忘れてメラグはリビングに立っていた。
「たっだいまぁー」
玄関から、気の抜けたような、少し疲れたような声が聞こえてきた。彼が帰ってきたのだ。いつものように出迎えてやらないといけないのに、身体が動かない。夕食の準備もそのままなのに。
「あれぇ?メラグどうしたんだよ」
ベクターはリビングに入り、きょとんとしたように声をあげた。どうした?なんて、人の気も知らないでしらばっくれて。よく普通に振る舞っていられるものだ。今日の朝まで愛しく思えていた彼が、何故だか突然忌むべきもののように見えた。毒気が抜けたように思っていたが、昔と全然変わっていない。
メラグは氷よりも冷ややかな眼をベクターに向け、射抜いた。
「あなた今日はご飯抜きだから。私はもう寝るわ」
するりと部屋の扉に立ったままの彼の横を通り抜け、メラグは寝室へと向かう。後ろで、リビングに残されたベクターの「はあぁ!?」という驚き焦るような声がこだました。
「なあおい、どうしたんだよ」
寝室に引きこもってしまったメラグにベクターが声をかける。ふてくされてしまった女王様の機嫌を取り、夕食にありつくために必死だ。それもそのはず、今日も彼は夕食をまだ食べていないだろうから。
メラグはベッドに寝そべっているものの、寝てしまった訳ではなかった。彼女はうつ伏せでは眠ることはない。しかしメラグは彼の方を見ようとしなかった。
「あなた自身にそれを聞いてみれば?」
そう言い放つと、ベクターは再び「はあ?」ととぼけたような声を出した。そんな困ったような顔も今は白々しく見える。ベクターはメラグが事実を知ってしまったなどと微塵も思っていないからそんな態度が取れるのだろう。
あの熱愛が発覚したとされてから一週間が経つ。一週間前、といえば珍しく一度だけ夕食がいらない、と言われたことがあった。ちょうどその日だ。その時は普通に了承し、兄と食事をしたから深く考えなかったが、思えばこの時に疑っておくべきだったのだ。
一週間、何もないように振る舞い自分にそれを隠していたとすれば、浮気の事実よりもメラグにとってはそちらの方が腹立たしいことだった。
「そのままの意味よ。自分の手を胸に当てて考えてご覧なさい。私に何か隠してることがあるんじゃなくて?」
「そんなもんねーよ。何でそう思うんだよ」
ベクターはムッと表情を歪めた。短気だった彼はあの頃に比べ大分大人になったが、今は空腹も助長され、明らかにメラグの態度に腹を立てている。口に出さずとも態度がそう物語っていた。
本当に、何も知らないのか?…では、あのニュースは?人気女優と二人で歩いていたというあの写真は?それとも、もう真実を言う必要もないほどに、メラグに愛想を尽かしてしまったのか。
あくまで何も知らない、という彼の表情に、メラグは段々悲しみを覚え始めた。衝撃で感じていた怒りが今になって悲しみとしてメラグに襲いかかる。
「お前、何泣いてんだよ?」
ベクターに声をかけられ、メラグはハッと自分の頬を撫でた。彼が気遣うように手を伸ばしたが、咄嗟にそれを払いのけた。
「私に情けをかけないで。私に愛想を尽かしたなら、ハッキリ言ったらどう?隠れて他の人と付き合うくらいなら、私のことを切り捨ててよ!」
「…まさかお前、俺が浮気したとか思ってんじゃねーだろうな?何を根拠にそんなこと」
「ニュースで見たのよ。「真月零」の熱愛報道をね」
メラグは自分の見た一部始終を彼に伝えた。これはどういうことなのか、という言及と共に何故黙っていたのかと彼に問う。
言い終わると彼がどう返答するのかを待った。彼は自分を捨てるのだろうか?
メラグは自分の知らない女性に嫉妬をしているわけではない。ただ、悲しかった。自分を受け入れ好きになってくれた彼と過ごした日々を思い返していくうち、もうそれが自分にくれるものではないのか、と思うとそれを受け入れるのが怖かった。
願わくは、この事実が嘘であってほしい、とメラグは思った。真実だとしたら、彼とはもう過ごせないだろう。
黙ってメラグの言葉を聴いていた彼から、ふぅというため息が聞こえてきた。
「その報道…嘘だぜ」
「ど…どうしてそう、言い切れるわけ?」
彼の言葉はメラグにとって希望だった。よかった、と思うものの根拠もなく諸手を上げてそれを信じられはしなかった。
ベクターは勝手な報道をされたと思っているのか苦々しい顔をして、写真の裏に隠された物語を話す為に口を開いた。
報道されていた女優とは先輩後輩の関係で、自分は仕事帰り愚痴に付き合って行き付けの店で一緒に飲んだだけだということ、そして彼女が酔ってしまったため自宅まで送っていった、ただそれだけだということを弁明した。
「あの人とはなんもねぇよ。勝手に目撃した奴が何も知らねぇのに憶測で言ってるだけだろ」
「…本当なの?」
「証拠はこれ以上にねぇよ、残念ながら。これで俺を信じるかどうかはお前次第だな」
「私は……」
メラグは疑念と真実の狭間で揺れた。本当に、彼を信じていいのだろうか。彼の眼がいつになく真剣にメラグを見つめているから、その眼を信じたくなる。しかし彼の本心がどこにあるのかがわからず、戸惑ってしまう。
まさか、とは思う。しかし、信じて裏切られるという痛い目を見ることがメラグは怖かった。
「お前が俺を信じられないのは俺の愛情が足りねぇからか?」
「え……」
「俺が過去にしてきたことを今も憎んでんのかよ」
彼の表情が、苦痛を堪えるようなものに変わった。傷ついているのかもしれない。メラグが彼を信じていないことに。
その彼の言葉には、メラグは何も言えなかった。もう過去のことは過去のことと精算し、彼を憎んではいない。好きなのだ。彼に裏切られることが怖く、彼を思って涙を流す程に。だが、どうしても何かあると疑い深くなってしまうのは、昔の彼を知っているからだ。
「俺がまだお前にとって信用ならねーってことなんだろ。じゃあ努力するよ、俺はよ。言っとくが俺はお前を捨てるとか、考えたこともねーからな。俺はここまで言われたが、お前のことは変わらず好きなんだよ。今までも、これからもな。……あーくそ、こんなこと言わせんじゃねぇよ…」
ベクターは昔メラグに告白したときのように真摯に言ったが、途中から恥ずかしくなったのか、顔を赤らめて眼を逸らした。なんとなくその様子が初々しく見えて、メラグは思わずふふっと笑ってしまった。先ほどまで怪訝な表情をして心を守っていたが、彼の言葉を改めて聞いて、その表情を捨てた。
すると、今まで半信半疑で聞いていた彼の言葉が不思議と、するりと胸に落ちてきた。聴く時の心の持ちようで言葉がどれだけ馴染むかが全然違った。あんなに疑っていたのにたったこれだけで信じて許す気になってしまう自分も安いとは思うが、疑い続けるよりはいいだろう。心が満たされてしまったのだから。
真偽の程はわからなくても、彼が自分を思って好きだと照れながら言ってくれた、その言葉だけでもう充分だった。
メラグはベッドから降りて、侍るようにひざまづいていたベクターの胸元に飛び込んだ。彼は少し慌てて、しかしメラグをしっかりと受け止めてくれた。
「疑ってごめんなさい」
「ん、別にいーぜ。俺が疑わせちまったんだからな」
「今回は信じてあげる。でも、次はないわよ。嘘ついてるとわかったら許さないから」
「おぉ、怖ぇ怖ぇ。気をつけまーす」
ぎゅっとメラグを抱擁する彼が嬉しそうに言うのが聞こえて、メラグも首に回した腕に力を込めた。
こういういさかいは、彼と長い時を過ごす以上、これからもあることだろう。果たしてそのときに、彼をこうやって信じてあげることができるだろうか。それはメラグとベクターが関わる中で、どう作り上げていくかで決まる。信頼とはそういうものだ。一朝一夕でできるものではない。相手を信じる勇気と、相手に見せる誠実さと愛をもって、長い時をかけて作り上げるものなのだ。
「ね、お腹空いてるでしょ?ご飯もう少しでできるから、もうちょっと待ってて。私も食べてないの」
「何だ、お前。食べてなかったのかよ。今日遅くなるって言ってあっただろ?」
「一緒に…食べようと思って……」
ベクターは必ず夕食を家で食べる。あまり遅くなるようなら一人で食べることもあるが、出来る限りメラグは彼と共に食事をしたかった。仕事から疲れて帰っているのに会話もなく一人で食べるのは寂しいだろうというメラグの配慮だった。
メラグの言葉に感極まったのか、ベクターはメラグを胴上げしそうな勢いで喜んだ。これでもかと強く抱き締められて身体が痛い。そこまで喜んでくれるとかえって恥ずかしいのだが。
「まだ、言ってなかったわね。お帰りなさい。そしてお疲れ様。…先、お風呂入っておく?」
「そうだな、そうすっか。あと、…メラグ」
「何?」
「寝る前に一回やらせろ」
「え……明日、早いんじゃ…」
「明日、先方の都合で午後からになったんだよ。それに今俺とっても傷ついちゃってるんですー。慰めてくれよメラグ」
突然の彼の言葉に戸惑っていると、ふいに頬にキスが落ちてきた。探るように手を動かし始め今にもメラグを押し倒そうとする彼に思わず抵抗する。するのは構わないが、それなりに準備が必要だ。
「ちょ…ちょっと!ご飯が先でしょ?早くお風呂入ってきてよ」
「ちぇっ、仕方ねーな。じゃあ後で散々抱きまくってやるから覚悟しとけよ」
ベクターは笑ってメラグを解放すると、風呂場に向かうため寝室を後にした。上機嫌な後ろ姿を見届け、メラグは暗い寝室で一人温かい熱と感触の残る頬を撫でる。久しぶりだしいいか、と微笑み、彼女もまたこの後への期待を胸に秘めて夕食の準備を再開するために再びキッチンへと向かったのだった。
「ふあぁ、ったく眠ぃな。午後からにすんならいっそのことオフにしてくれよなー」
ベクターは昼前だというのに少し眠そうだ。昨晩の夜更かしが祟ったらしい。憂鬱そうだがそれでもメラグの作った少し遅めの朝食を食べて仕事に向かう。
「いってらっしゃい」
いつものように、見送りながら彼にキスを贈る。メラグは昨日のことを思い返し、ほんのりと顔を染めた。ベクターも少し照れながら笑って、キスを返してくれ、眼を閉じてそれを受ける。気恥ずかしいのだが、この瞬間の触れ合いはなんとなく心が満たされ、これを楽しみにしている自分がいるのは隠しようもないことだった。
しかし彼は頬と唇へのキスでは終わらず、首筋に見える昨日付けた痕にも上書きするように口づけた。その悪戯に熱が上ってしまったメラグに早く行きなさい、と追い立てられ、ベクターは楽しそうに笑いながら家を出ていった。
彼の背中を見送りながら、嬉しいような、悔しいような複雑な表情をする。今日は彼の好物を作ってあげようかな、などと考えながらメラグは寝不足を解消するためにもう少しだけ眠ることに決めた。
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