君が願えば銀河はきっと美しい

※人間に転生したけど人間恐怖症こじらせて精神不安定なミザエルという若干シリアスな感じ


 ハートランドシティの一番高いところにある、ハートのシンボルマーク。そこには、天城ハルトの部屋がある。彼の部屋の反対側にはもうひとつ、天城カイトの部屋があった。
 ミザエルはこの部屋から見えるハートランドシティが好きだった。夜の帳が降りると街中に明かりが点る。 点々としたそれは暗い宇宙に浮かぶ星々のように美しく、ミザエルは息をすることも忘れて見入った。

「ミザエル。そろそろ寝る時間だ」

 声がして、ミザエルは振り向いた。この部屋の主だ。いつものコートではなく、ラフな部屋着。ああ、もうそんな時間かとカイトの元に歩み寄る。

「ああ」

 カイトと共にベッドに入り、自然と彼の腕に包まれる。そこには抵抗や拒絶という概念は存在しない。ただ、もういつの記憶かはわからないがほんのりと懐かしい人肌の温度がミザエルの脳裏をよぎる。
 以前のミザエルがこの光景を見たら何と言うだろうか。同じ龍の力を持つ者同士敵対していた時には夢にも見なかった光景だ。今その現実を何の疑念も迷いもなく受け入れている自分がいる。

「人間が作った街を、美しいと思うときが来ると思わなかった」

「そうか」

 ミザエルはカイトの腕に甘えるようにすり寄りながら、小さく微笑んだ。いつも浮かべていた、自信満々に誰かを見下すものでもなくただ嬉しそうな、無邪気な笑み。カイトはその様子に安堵を覚えながら彼の背中を撫でた。ここへ来た当初よりも幾分か安定している。この分なら、彼が他の七皇と同じように学校へ通えるようになるのもそう遠くはないだろう。



 転生を喜ぶ七皇の中で、最後まで人間になることを拒んだのはミザエルだった。仲間と共に転生するのは喜ばしいが、人間になるくらいなら死んだままでいい。前世の記憶を受け入れたもののミザエルの心に残る人間への嫌悪感が、人間への転生を拒んだ。人間になるなど、吐き気しかしなかった。
 そんな彼を、カイトが迎えに行ったのだ。アストラルは未来を生きるために、死んだ自分たちにもう一度チャンスをくれたのだと。それを無駄にするなと。
 「人として生きるのが不安なら、俺と共に生きよう」と。

 ミザエルは必死に拒んで喚いたが、カイトに後押しされ、諦めるような形で人間になった。いざ転生してみれば今までのヒューマノイドモードの時と姿形は変わらない。
 しかし、もうバリアンの力を使うことはできない。 あんなに大切だった銀河の瞳を持つ龍はもう、存在しない。

「人間は無力だ」

 襲いかかる吐き気と戦って落ち着いた後、ミザエルは何の力も持たない人間になってしまった自分を嘆いた。

「そんなことはない。確かに人間は、バリアンやアストラルのように不思議な力を持たない。しかし、それでも自分たちの力で人間は進歩してきた。科学の力はそれを証明してくれる」

「………」

「なぁ、ミザエル」

 カイトはミザエルの背中を撫でながら、顔を覗き込んだ。あの月面で見せた、慈しむような笑みをその顔に浮かべて。
 誰でもない、それはミザエルに向けられたものだった。

「お前のことが知りたい。お前がなぜそこまで人間を嫌うのか…。お前のこと、教えてくれないか?」

「カイト…なぜお前は私に気にかける?なぜお前は私に世話を焼く?仲間だった七皇ならばいざ知らず、お前は敵だった。それに私は一度、お前を死なせてしまった…」

 人間になった後、行く宛がなかった七皇はナッシュの提案で、神代家としての家と名を持つナッシュとメラグの元へ引き取られることとなった。しかし、ミザエルだけはカイトが面倒を見たいと言い出したのだ。
 人間を拒絶する今のままだとミザエルは人間世界に適応することができない。身体ではなく、精神が。それを見かねてのカイトの申し出だった。

「戦いは終わったんだ、ミザエル。今はもう俺とお前は敵ではない。いや、敵だった時から、お前はその垣根を超えて、俺の唯一のライバルだった。最高の、好敵手だ」

「お前だから、余計だ……お前に、情けをかけられるなど……」

 初めはカイトを下等な人間と見下していた。しかし彼の実力に触れ、彼と闘いを重ねる中で、いつしか彼のことをミザエルは認めていた。ミザエルの中でも、カイトは生涯でただ一人の強敵、好敵手だった。いつしか、それはカイトとミザエルにしかわからない「絆」になっていた。
 だからこそ、カイトの申し出は嬉しい反面、苦しいのだ。カイトに情けをかけられると、惨めになってしまう。こんな不安定な姿を、カイトに見られたくなかった。堂々とした姿で彼と再会し、また共に力を競い合いたかった。対等な、ライバルとして。

「ミザエル…」

 不安と拒絶で無意識に小さく震えるミザエル。カイトは堪らなくなって、半ば衝動的に抱き締めた。自信満々で、何物にも物怖じしない彼のこんな姿を見るのは初めてだ。

「情けじゃない。俺の願いだ。お前の傍に居たい。お前を支えたい。お前を守りたい。…お前が好きなんだ、ミザエル。」

「カイト……っ!」

 予想していなかったカイトの告白に、ミザエルの心が震えた。波紋のようにその響きが広がってゆく。自分を好きだと、そんなことを言ってくれる存在が目の前に現れたのはいつぶりなのだろうか。
 カイトの指がミザエルの眼に伸びる。そこはいつの間にか雫を零していた。カイトは何も言わずにただミザエルの涙を優しく拭う。
 ミザエルは目の前が弾け、自分を包むカイトの腕にすがりついた。

「私は、人間が嫌いなんだ……人間が怖い!見下すことで、人間から遠ざかることで、私は心の平穏を保っていた…。私は、人間の中で生きることが怖いんだ!」

 ミザエルは、自分の記憶をカイトに語った。自分の生まれた故郷で戦争が起きたこと、何の罪もない両親が無慈悲に殺され、自分は故郷を追われたこと。命からがら逃げ延びた先で、美しい龍に出会ったこと。
 彼と共に新しく訪れた国は、ミザエルを受け入れてくれた。しかし、その国の人々はミザエルを裏切った。大切な相棒である龍は命に換えてでも守りたかったけれど、それも叶わず自分と共に殺されてしまった。
 その無念と恨みから、ミザエルはずっと人間を憎んできた。争いを繰り返す、愚かしい生き物。大義の為などといって、自分の益の為ならばどんな犠牲も厭わない。声など届かない。幾千の矢を射られた時にミザエルの身を駆けた憎しみはいかばかりであったか。

「私を支えたのは銀河眼の時空龍だけだ。彼は何時でも私を助け、高みを見せてくれた。しかし、それもドンサウザンドの呪いだったのだ。唯一心の拠り処だったものにまで、裏切られてしまった…」

 カイトは彼の小さな声を一語一句残さず拾った。彼の人間に対する憎しみも、運命を嘆く悲しい心も全て、残さず拾った。痛々しい彼の心を癒してやりたいと切に願いながら、ミザエルを包む腕に力を込める。

「……俺のことも、信じられないか?」

 ミザエルが顔を上げると、カイトと目が合った。二人の青い瞳が重なる。彼はミザエルの瞳を、伝説に描かれた龍の瞳によく似ていると言った。あの時、自尊心で覆われた中に湛えた悲しい色を、きっと彼は見つけていたのだろう。
 カイトが誠実な人間だということは、ミザエルも知っている。人間を嫌うミザエルが、唯一心を開いた人間。彼と共にならば、この世界で生きていけるだろうか。

「まだ…わから、ない。でも…お前は、嫌いじゃない」

 ミザエルはようやく、彼の腕に少しだけ寄りかかることができた。

 それから、カイトはクリスやトロン、父フェイカーと共に研究をしながら、ミザエルの様子を見守り、彼を励ました。
 ミザエルはハルトやクリスのことも、最初は敬遠していた。クリスを一度殺したこととハルトの兄であるカイトを一度死なせた罪悪感、そして人間になってからの不安定な心が彼らを遠ざけていた。
 だがクリスもハルトも、ミザエルを拒まなかった。カイトと共に彼を見守った。クリスは「もう一人弟が増えたようだ」と笑い、ミザエルにこの世界の逸話やミザエルの知らない知識を教えた。ハルトはミザエルの心を晴らせないかと、度々何か嬉しいことや楽しいことをミザエルに教えては共有した。
 根気強い彼らの姿勢に、ミザエルを信じて待つ彼らに、クリスとハルトにもミザエルは徐々に心を開いていくことができた。

「人間と触れあうというのも、悪くはないだろう?」

「だが、信じられるのは…安心できるのは…ここの人間だけだ。駄目だな…ちゃんと、他の七皇達と同じように、新しい人生を生きなければならないのに」

「焦らなくていい。ゆっくりでいいんだ。お前の感じるままに生きろ」

「カイト…私は、邪魔ではないか?お前達は研究で忙しい。なのに、こんな私のことまで気にかけるなど」

「そんなわけがあるはずないだろう。お前は家族同然に思っているのだから」

 ミザエルを見守っていると、かつてハルトが病んでしまったときにナンバーズハンターをしながらハルトの世話をしていた時のことを思い出す。あの時も、ただハルトの病気を治したい、ハルトに元気になってほしい。その願いだけで生きていた。ハルトを大事と思いこそすれ、重荷だと感じたことは一度もない。
 ミザエルに対しても同じだ。彼が再び、かつての自信に満ちたミザエルに戻るならそれだけでいい。それが今のカイトの願いだった。
 ただあの頃と違うのは、カイト自身が孤独ではないこと。死にもの狂いだったあの頃とは違う。今のカイトの心は穏やかだった。血縁の者ではない人を大切に思い、「守りたい」と思える心の余裕が、他人を愛する心が、今のカイトにはある。

「家族…?」

 ミザエルはカイトの言葉を、幼子のように聞き返した。それは、とうの昔に亡くしたもの。ミザエルにはもう、望めないもの。
 それはミザエルが誰にも心を許さなかったから。自尊心と自信で固めた寂しく悲しい心を、見せなかったから。かつての仲間であった七皇ですら、ミザエルの腕と自信を信頼こそすれ、それ以上踏み込むことは出来なかった。知らなかったのだ。ミザエルが抱える、心の闇を。ミザエルは仲間がいながら、孤独だった。
 そんな、彼らが踏み込めなかった領域にカイトは踏み込もうとしている。

「そうだ。家族は心の拠り処。心の支えだ。昔は、俺にはハルトしかいなかった。…だがそれも、首の皮が一枚繋がったような危ういものだったんだ。俺が必死に手を伸ばさなければ、たった一人の家族をも繋ぎ止められなかった」

 次は、カイトがミザエルに自分のことを話す番だった。父が異世界の研究のせいでおかしくなってしまったこと。身体の弱かったハルトのこと。師匠と慕っていたクリスとのこと。弟を助けるためにナンバーズハンターになったこと。あの時のカイトは唯一の繋がりであるハルトを繋ぎ止める為に必死だった。他人などどうでもよかった。
 しかし遊馬やシャークのお陰で、彼らのお節介のお蔭で、カイトは家族を取り戻せた。弟がいて、父がいる。兄のように慕ったクリスがいる。家族がいる日常はカイトを支え、幸福を与えた。カイトの力になった。カイトにミザエルを想う心の余裕があるのは、家族のお蔭だ。

「家族は、俺に力をくれる。家族を守りたいから、強くなれる。お前も、その一人として守りたい…ミザエル。俺がバリアンを認めたのは、お前がいたからだ」

「だが……お前の家族を陥れ、人生を滅茶苦茶にしたのは…他でもないバリアンではないか…。お前はそれを憎まず、私をそう想うことなど……」

「最初は憎んださ。お前が人間を憎むように、俺もバリアンを憎んだ。親父を陥れ、ハルトの心を奪い、俺から、家族を奪った…!しかし、バリアン世界があったから、俺はお前に出会えた。お前との出会いは、俺にとってはかけがえのないもの。新しい可能性だった。あの時月でお前の心を垣間見た時から、お前を守りたいと思った」

「カイト……」

「今は感謝している。その存在に。アストラルがバリアン世界を消滅させなくて、本当によかった」

 カイトはミザエルを気遣ってそう言っているのではない。心から、思っているのだ。ミザエルに出会えてよかったと。彼らが会って、惹かれ合ったのは銀河の龍ではない。銀河の龍に導かれた、二人の方だったのだ。

「カイト、私は……」

 ミザエルは自分の心の内を吐露した。「お前と、家族になりたい」と。ミザエルの全てを包んでくれる彼の為に。全てを引き出し、受け入れてくれた、彼の為に。ミザエルは強くなりたい、と思った。彼の心に応える為に。
 ミザエルの心を聞いて、カイトはまたあの慈愛の笑みを向けてくれた。安心して身を委ねられる微笑み。ミザエルはその笑顔が、大好きだった。



 ここに至るまでを、ミザエルはカイトの腕の中でぼんやりと思い出した。もう気負わなくていい。ありのままの自分でいい。そう言ってくれたカイトやハルト、クリスの存在が、ミザエルの心に余裕を作ってくれた。
 人間を許すことは多分できない。大切なものを奪ったのは彼らだ。その憎しみを忘れることはできない。しかし、それを癒してくれるのもまた人間。ミザエルが人間として生きる以上、喜びをくれ、愛情をくれるのもまた人間だった。現に、カイトが家族になると言ってくれて、どれだけミザエルの心が救われたことか。
 愛と憎悪、それはどちらも人間と関わる中で生まれる。避けて通ることはできない。自分の欲しいものだけを求めることはできない。愛と憎悪を繰り返し、喜びと悲しみを繰り返し、人は物語を紡ぐ。ミザエルはそうやって、人間の中で生きていくのだ。人間として生きるということは、そういうことだ。

「カイト」

「何だ?」

「…七皇の皆に、会いに行きたい…。きっと皆心配している。私のこと」

「外に、行くのか」

「ああ。ずっと外に出ていなかったから、今度、外に出たい。人間社会の様子を、見てみたい」

「大丈夫か?」

「大丈夫だ。カイト…お前がいるなら」

「っ……!」

 ミザエルの背中に回っている手が震え、力がこもった。息を詰まらせていて声は聞こえないが、時折漏れる息の音が、彼が泣いているのだとミザエルに教えてくれた。

「何故お前が泣く…カイト」

「嬉しいんだ。お前が、…ようやく、そこまで……」

「お前のお蔭だ…。お前がいなかったら、私は人間が嫌いなまま、人間が怖いまま、死んでいたかもしれない」

「俺が死なせないさ。何があっても」

 カイトは眼に涙を浮かべたまま、ミザエルに微笑みかける。暗くて表情はよく見えないが、ミザエルには彼が、あの大好きな微笑みを向けてくれているのだとわかった。青い瞳が優しい光を湛えていたから。
 ミザエルはカイトの綺麗な瞳にため息を吐きながら、静かに語りかけた。

「お前の眼は、綺麗だな。銀河を浮かべた宙のような色だ。銀河がその中に入っているようだ」

「銀河か…。そう言われるのは初めてだ。俺とお前が持っていた、龍のようだな」

「ああ。キラキラと光って、綺麗だ。私が見た、あの街並みよりも美しい。お前はよく厳しい顔を見せていた気がするが、そんな優しい顔もできるのだな」

「俺がこんな顔を見せるのは、俺が守りたいと思った人間…お前とハルトだけだ。」

 カイトの言葉を聞いて、ミザエルは満足したように笑った。彼は最近、よく笑うようになった。無邪気に笑うミザエルは、髪の長さのせいもあるのだろうがいたいけな少女のように愛らしい。カイトはそんなミザエルの笑顔が大好きだった。
 安心感と共に、カイトの中にある欲求めいたものがふと頭をもたげる。

「ミザエル、」

 カイトが名前を呼んだのと同時に、ミザエルの唇に何かが触れた。ミザエルは眼を見開いたまま、何故だか動けなかった。静かに動きを止めているカイトの邪魔をしてはいけないと思いながら、唇に重なる温度を感じていた。柔らかくて、気持ちが落ち着く。

「何だか、恥ずかしいぞ、カイト。…家族はこういうこともするのか?」

「眠る前の挨拶だ。気持ちがいいだろう」

「そうだな…。なあ、もっとしてほし、…ん…」

 口づけの意味するところをミザエルは知らないようだった。彼はそういうものを知る前に、人間の輪の中から外れてしまったのだ。彼の無知をいいことに、カイトは一度離した唇にもう一度口づけ、柔らかくミザエルの唇を吸った。彼の気持ち良さそうな吐息が漏れる。
 カイトは最後にちゅ、と音を立てて唇を離すと、ミザエルの耳におやすみ、と囁いた。ミザエルもいつもと同じように、しかしいつもよりも少し頬を染めて小さな声で、おやすみ、と返した。
 やがてミザエルはうとうとと眠り始めた。夜に何か考えごとばかりしていた彼の寝つきが良くなったのも、つい最近のことだ。カイトも彼が夢の世界へと旅立つのを見送って布団をかけ直してやり、その瞳を閉じた。
 今度、ミザエルをどこに連れて行ってやろうか。ミザエルは、どういうところに行きたいだろうか。彼の喜ぶ無邪気な顔を瞼の裏に思い描きながら、カイトもまた夢の世界へと誘われたのだった。



ーーーー
ミザエルの瞳は澄み渡った高い空の色。カイト兄さんの瞳は、星の光でぼんやり青く、明るくなった宇宙の色。V兄様の瞳は青く燃える恒星の色。シャークの瞳は深い深海の色。
そんなイメージです。

←戻る
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -