「親友」理論
「ドルベ、聞いてくれ!」
「どうしたんだ、やけに嬉しそうだな。何かあったのか?」
「じ…実は……カイトと、だな…」
自分から「聞いてくれ!」と言った割に最初の威勢はどこへ行ったのか、ミザエルは顔を紅く染めて口ごもった。話したくて話したくてうずうずしているのが手に取るようにわかるが、言うに言えない内容なのだろうか。少なからずとも何の件についての報告か察した私はこちらから話を切り出す。
「前に言っていた件が解決したのか?」
「そうなんだ!話し合うことができてな…やはりお前の言う通り、何も心配する必要がなかったようだ」
こちらから誘導してやれば、助け船を得たとばかりにミザエルは話し始める。先日まで悩んでいたことが解決するまでの過程を、私にこと細かく報告してくれた。
彼の話はいつも聞いていて飽きない。表情がころころと変わる上に本当に感情を込めて話すから。ささいなことでも彼の感じたままに話すのを聞くと、どんな話題でもたちどころに面白くなる。他の人間ではこうはいかないだろう。
ミザエルは何でも話してくれる。しかし誰に対してもそうではない。彼曰く人の好き嫌いが激しく、信頼する人間にしか自分のことを話さないということだった。彼の話を隣で聞けるのは私だけだ。
というのも、私があまり彼の話に対し横槍を入れないからだろう。いつだったか、ミザエルが私にこんなことを言ったことがある。
「ドルベは聞き上手だな。私の話を聞いた上で的確に助言をしてくれるからお前には何でも話したくなる」
私は自分のことを話すのが得意ではないから、いつも聞くに徹する。何でも話せる彼を正直羨ましく思う。しかしそんな私が彼の為になっているというなら、聞くに徹することも悪くはない。聞き上手、というのはこれほどまでにない褒め言葉だと感じる。
「ミザエル、何か首もとに付いているようだが……」
ふと気になったことについて指摘すると、ミザエルは途端に慌てだし、そこを手で隠すように覆った。
「こ……これは……」
先程まで饒舌に話していたのに、ミザエルはまた赤面し口をもごもごと動かしながら何か呻いた。
ああ、そういうことか。首もとのほんのりと紅くなった痕と彼の態度を結びつけ、私は一人納得し何があったのかを推察する。先程話し始める前に取った態度も顧みると、やがてそれは確信へと至る。
私はそれついてはそれ以上、何も追及しなかった。それ以前に頭と心臓の鼓動が連動しておらず、うまく思考ができない。ただ平静を保っていることだけを考えた。
いつからだろうか。彼の嬉しそうな姿を見る度に、彼の話を聞く度に、私の胸がざわつくようなったのは。
元々ミザエルがカイトに好意を寄せ、彼に恋心を抱いているのは知っていた。私はむしろそれを喜び、後押しをしたのだ。私は彼の「親友」だから。彼がカイトとようやく結ばれたという話を聞いたときは、自分のことのように嬉しかった。人のことで自分のことのように喜ぶのは初めてだった。
それからのミザエルの話は、カイトについての内容が多くなった。昨日何をしたというささやかなものから、誕生日に何をすればいいかというような相談、喧嘩をして泣きつかれることもしばしば。私は少しでも彼の為になるよう自分なりの意見を言ってやる。すると彼は嬉そうに顔を綻ばせ、私の助言、時には叱咤する言葉を受け入れる。そして課題が解決すればいつも決まってこう言うのだ。「お前のお陰だ、ドルベ。ありがとう」と。
私はミザエルが楽しそうに話すのを聞くのが好きだった。嬉しそうな彼を見るのが好きだった。彼が幸せなら、それでよかった。
しかしその一方で、度々胸がざわつき締め付けられるように苦しくなることを禁じ得なかった。私は特に疾患を患ってなどいない。至って健康体だ。それなのに、身体の中心が度々痛む。
それを感じたときに限って、私の中に潜む何かが、話をしたこともないカイトに、そして大切な友であるはずのミザエルに対して毒を吐くのだ。
「私より後に現れた癖に」
「ミザエルは私に話す時のように、カイト対してもこのような表情を見せているのか」
「ミザエルのことを私よりも知っているなどあり得ない」
「なぜミザエルはこんなにもカイトのことで一喜一憂するんだ」
「君の中ではやはり、カイトの存在の方に重きを置いているのか」
ミザエルと恋人になりたいかと問われてすぐに首を縦に振れるかというと、そのあたりは自分でも曖昧だった。しかし、いざそうなった場合には何の苦もなく彼を受け入れることは可能だ。それほどにミザエルの存在は私の中で重きを置いている。
彼と共に居ることは、辛苦などなくむしろ楽しい。恋人という関係が友情から発展して、さらに確実なものへとなる過程を考えれば、私が感じる彼への友愛はそれを可能にするはずだ。
そしてこれは自惚れかもしれないが、ミザエルが私に置いている信頼は彼の中でトップクラスであると自負している。彼の友人の中では、私はその頂点に位置付けされているだろう。彼もまた、私といざそういう関係になった場合には、拒否しないであろうという自信はある。
しかし、カイトが現れてそれは変わってしまった。ミザエルの興味の対象、好意の対象はカイトに向けられている。どんなに隣に居たところでその対象を自分に変更することはできない。なぜならば、カイトに対する好意と私に対する好意は初めから種類の違うものだからだ。
そして、友人の中では頂点に居たとしても、ミザエルに関わる全ての人間というところまで範囲を拡げると、私はその頂点には立つことはできない。なぜならばそこはカイトの居場所であるからだ。カイトが、本来私が立っていた場所を奪ってしまった。
カイトは私の知らないミザエルを知っている。ミザエルは私に対してもカイトに対しても気を許している。しかし彼の全てを許すことは私には決してないだろう。その差異がある限り、私はカイトに敵うことはない。
「ドルベ、おい、ドルベ。どうした?」
ハッと気がつくと、目の前にミザエルの顔があり、心配そうに覗き込む蒼い眼と目が合った。
「ぼーっとしているから心配になったぞ。どこか悪いのか」
「何でもない……」
私は渦巻く思考を悟られないように目を伏せ、咳払いをする。 表情がころころ変わる彼はこういうときも私を心配する顔をしたり怪訝に私を見たり百面相だ。
「嘘は良くないぞ。お前はどこか思い詰めたような顔をしていた。何かあったのか?」
「だから、何でもないと……」
「もしかして、私がカイトの話ばかりをするからか?」
ミザエルは不安そうに私を見た。違う、と即答できない自分がいる。私は彼が喜ぶ姿を見たい為に彼の話を聞いているというのに、何故このような顔をさせているのだろう。
その一方で、私の心の闇はミザエルの見せる表情に喜んでいる。彼を想う善でできた心は何を考えているんだ、と闇を殺してやりたい気分に駆られる。しかし押し潰すことが容易でない程に闇はいつしか心の中で大きくなってしまっていた。
「ドルベが嫌だと感じるなら、カイトの話は控える…。すまなかった。人の惚気話など聞いても、何も楽しくないよな…」
「そんなことはない。私が聞きたくて聞いているのだから」
抑えきれない闇を、どうにか抑えて私は答える。カイトの話を私にしなくなったら、ミザエルがカイトのことで悩んだときに一体誰に相談すればいいというのか。そちらの方が私にとって一大事だった。
しかし一度口を開いてしまうと、抑えていた闇が隙間から溢れ出すように言葉が転がり出た。
「ただ、少しだけカイトに嫉妬したのは事実だ…」
「ドルベ……」
「恥ずかしながら…私の中では一番君が身近な存在だったからな。その、君がどこか遠くに行ってしまうようで……言い方が悪いが、カイトに君を取られてしまった、…そんな気がして」
「お前、そんなことを考えていたのか!ーーいじらしい奴め!」
私が抑えきれない心の闇を少しずつ吐き出すように重々しい表情で話しているというのに、彼は対照的にーーどこか嬉しそうな表情すら浮かべて私に抱きついてきた。
「ミ…ミザエル!」
「そうかそうか、お前はカイトに妬いていたのか。嬉しいぞ。お前、そんなに私のことを好いていてくれたのだな!」
「皆まで言うな」
「私はカイトもお前もちゃんと好きだぞ。欲張りだと言われれば、そうかもしれないが…。カイトが好きだからといって、お前が嫌いになることなどあるはずがない。どっちも比べられない。どっちを取るかなど、私にはできない」
私を見る彼の顔は増して清々しく、私がミザエルを好いていることを再確認できて嬉しい、と言った様相だった。
ミザエルの中でのカイトと私への「好き」は違うものだと思っていたが、どうやらその境界線も曖昧なものらしい。いや、違うからこそどちらも手離しがたく、両立したいと考えているのか。
彼は、どう私を安心させようか考えながら、言葉を選んでいるようだった。
「カイトとは……そういう関係だし、そういうことをすることもある。…でもな、カイトの前では、やっぱり緊張したり、どうしても格好つけようとしてしまう。私が気軽にこうやって話したり触ったりするのはお前だけだ。私が一番気を許しているのはお前だけだぞ」
「ミザエル……」
「だから心配するな。私は遠くへなど行かない。お前と私はずっと親友だ。人間関係が移り変わってもお前との関係だけは変わらないと思う。これからも何かあったら相談してもいいか?」
彼の言葉を解釈して、自分の中に馴染ませるのには少し時間が掛かりそうだ。彼と自分では感じることも考えることも違うから、当然そういう愛情や人間関係の考え方も違う。これから先、私にもミザエルの他に大切だと、好きだと思える存在が現れれば、彼の言葉は少しでも解るようになるだろうか。
しかしその中でも、変わらない事実はあった。ミザエルは私を一番に頼ってくれる。これまでも、そしてこれからも。環境が変わろうと人間関係が変わっていこうと、これだけは普遍の事実であると信じたい。
「ああ、こちらこそよろしく。ミザエル」
これからも居心地のいいこの関係は、どういう人間が私の前に現れようとも、少なくとも私は手離せそうにない。私達が望めば、私と彼は離れることはない。
私はミザエルとずっと親友でいられるのだ。
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実体験が基となった小説です。(小説と言っていいのかこれ)
ドルベ→私、ミザエル→私の親友、みたいな。
大好きだった親友に恋人が出来たとき、「恋人と親友は第一の存在として共存するのか」ということを悶々と考えていた時期がありました。
結局私の中ではドルベさんの結論みたいになってしまったわけで。それは私がまだ若造で経験が少ないからなのかなー、なんて思ったりしてます。
「友愛」「恋愛」など、様々な形の「愛」は小説を書くなかでこれから詰めていくべき一つのテーマだと思っています。
最早哲学みたいなw
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