夜明けの訪れ


 ビュゥッと風が唸り、髪や服をはためかせる。顔にかかる風圧にメラグは眼を細めた。
 海を渡る天馬は空を蹴り、目的の場所へと疾風の如く駆け抜けてゆく。

 祖国を出て2日目。メラグとドルベは途中休憩を挟みながら空を駆け続け、メラグが嫁いでいた国が水平線の上に見えるところまで来ていた。
 ドルベは振り向き、後ろに乗るメラグに声を掛けた。

「あと少しだ。疲れていないかい」

「ええ、大丈夫よ」

「ならば、一気に行く。しっかり掴まっていてくれ」

 ドルベが手綱を操り、天馬は速度を上げた。メラグは振り落とされないように、彼の腰に回した腕に力を込めた。国が近づくに連れ、メラグの鼓動も大きくなってゆく。
 国はどうなっているのか、王宮はどうなっているのか……何より、ベクターは今どうなっているのか。不安とも心配とも取れない疑問が頭の中に渦巻く。

「そろそろだ。このまま王宮へ向かう」

 小一時間程して、領海へと入った。天馬は人の目に入りそうな路を避け、なるべく目立たないように領土の上を飛んでゆく。ドルベが以前ここに来たときに使った路だった。
 遠目ではあまり下の様子がわからない。しかし幕舎を思わせるような、テント型の布や人だかりが所々目に入った。もしかすると、反乱軍なのかもしれない。

「っ!メラグ、伏せろ!」

 突然ドルベがそう叫んだのと同時に、天馬が大きく傾いた。刹那、ヒュンッという何かが疾る音が耳を掠めた。

「矢……!?」

「見つかったか……!」

 どうやら天馬を狙う弓兵は一人ではないらしい。ほどなくして再び矢を射られた。ドルベは小さく舌打ちをして手綱を引き、矢を回避してゆく。
 更に片手で剣を抜き、他方から飛んでくる矢を叩き斬った。

「きゃあぁっ!」

 メラグは、命を狙われる恐怖に思わず悲鳴を上げた。
 いくら死を覚悟していても、死と隣り合わせの戦場では恐怖が身体を支配する。屈強な戦士ですらもそうなのだ。戦場を経験したことのないメラグは尚更だった。

「大丈夫だ!君は私が命に代えても守る。……必ず!」

 前を見据えながら、ドルベが強く吼えた。彼の力強い言葉に、絶対の安心と信頼をメラグは感じた。
 仕えるべき主がいるにも関わらず、メラグの為に命を投げ打ってでも役割を果たし、守ろうとしてくれる彼の誠実さにメラグは感嘆した。そして友の強い絆に感謝し、ありがとう、と彼の背中を見ながら微笑む。
 メラグは眼を閉じて歯を食いしばり、ドルベの背中に伏せた。

「一旦、矢の射程距離の外まで上昇する。少し苦しいが、我慢してくれ」

 このままでは埒があかないと判断したドルベは、矢を避けながらメラグに言った。メラグも、了承の旨を彼に返事した。
 彼の掛け声と共に、天馬は更に天を目指す。耳がツンと遠くなった。
 しばらく上に駆けたところで、天馬は一度止まった。

「ここなら、矢は届かない。上から王宮を目指す。……大丈夫かい、メラグ」

「ええ……」

 上空は酸素が薄く、寒い。メラグは小さく震えながら、深呼吸をした。
 矢を避けながら目指すことも出来なくはなかったが、より安全に行くことを考えるとやむを得ないことだった。少し苦しいが大丈夫だと、メラグはドルベに伝えた。

 天馬は空から獲物を狙う鷹のように上空を飛び、王宮へと近づいていった。しばらく矢が天馬の腹の下で落ちていくのが見えたが、届かないと判断したのか、ぱたりと攻撃が止んだ。 
 それからは矢を射られることなく天馬は王宮の裏手にある庭に降り立った。メラグはそこから、裏口を通って王宮内部へと入ることにした。

「一人で行けるかい?」

「大丈夫。主な通路なら大体わかるわ」

 ドルベは一旦降りて、メラグを天馬から抱き下ろす。メラグがふと彼の顔を見ると、頬に一筋傷が入っているのが眼についた。

「ドルベ、あなた傷が……!」

「ああ……。掠り傷だ、心配ないよ。これくらい慣れている」

 メラグはキョロキョロと自分の持ち物を見回す。しかし消毒できる薬や包帯のようなものは持ち合わせていない。メラグは自分の腕輪から飾り布を外し、ドルベの傷に当てた。白い布は彼の血を吸って、紅く染まってゆく。

「メラグ、そんな……いけない、君の大事なものじゃないか」

「いいわ、これくらい。薬など、何も持ってなくてごめんなさい。でも血を拭くだけでも違うと思うわ。使って」

 優しく微笑むメラグに少しばかり頬を染めながら、ドルベは彼女の飾り布を受け取った。

「すまない、ありがとう。メラグ…くれぐれも気をつけてくれ。多分見た感じだとまだ内戦は激化していないから、王宮自体は大丈夫だと思う。無事を祈るよ」

「ええ、ありがとうドルベ。本当に、ありがとう。あなたも気をつけて」

 メラグはドルベの手を強く握り、感謝と別れを告げ、彼の祈るような眼を背に王宮へと向かっていく。
 ドルベは紅く染まった白い布をぎゅっと握りしめ、メラグの姿がその視界から消えるまで見つめていた。

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