挙がった手は千鶴のものだった。その意味を理解した途端、弾かれたように平助が立ち上がる。
「だっダメだ!絶対ダメ!!」
「そうだな…酔っ払いに何されるかわかんねぇし」
「お前がそんな真似する必要なんざねぇよ。万が一のことがあったらどうすんだ」
「嫁入り前の若い女性に、そんなことをさせるわけには…」
続けて左之や土方さん、近藤さんらも彼女の提案に首を振った。単なる茶店とかでなく、島原への潜入だからこその反応だろう。ま、総司は面白そうだからという理由で賛成してるみたいだけど。
「私……やってみます。島原のことをよくご存知の方を知ってますから…危ないことにはならないと思いますし」
その人は言わずもがな、あの千という少女のことだろう。千鶴が本気だと知った土方さんは、やがてどこか呆れた様子で許可を出した。他のみんなも口を噤む。平助はまだ不満そうな顔をしていたけど。
「隊士でもない千鶴ちゃん一人にやらせるってのも酷だと思わない、クライサちゃん?」
そんな時、余計な口を利きやがるのは総司だ。そういえばお前も女だったな、みたいな顔をして土方さんたちがこちらを向く。失礼な。
「ついでだ。お前も潜入してこい」
「嫌だ」
「千鶴一人にやらせて何かあったら困るだろ」
「嫌だ」
「むしろ千鶴じゃなくてお前がやれよ!」
「嫌だ」
「クライサちゃんの芸者姿見たいなぁ」
「嫌だ」
「…そんなに嫌なの?」
「死んでも嫌だ」
全開の笑顔で答えれば、新八・左之・平助は黙り、土方さんは溜め息をつき、近藤さんは苦笑した(総司だけはにこにこ笑ったままだ)。
「っていうか、あたしがそんなことしたら多分、揚屋のほうから苦情が来るよ」
「……そうだな」
「うわ…自分で言っといてなんだけど、納得されると複雑だね」
とりあえず千鶴はあの子と手紙をやり取りして、幹部のみんなと一緒に西本願寺にほど近い料亭に招待してもらうことになった。やっぱりあの子、いいとこのお嬢さんだな。
そして当日。招待されたその店に向かったあたしたちを迎えたのは、千という少女と、以前島原で会った君菊という花魁さんだった。彼女の言っていた、島原にいる知り合い、というのはどうやら君菊さんのことだったらしい。
早速千鶴は少女らに別室へと連れられていった。着物を用意している、と言った彼女の表情が妙に楽しそうだったので、この後暫くはお着替えタイムが楽しまれることだろう。
「お待たせしました!千鶴ちゃん、すごく美人になりましたよ!」
暫し食事を楽しんでいたあたしたちは、元気な少女の声でそちらに振り向く。そして彼女に押されるようにして現れた千鶴の姿に、男たちは静まり返った。千鶴は恥ずかしそうに俯いたまま、なかなか顔を上げられないでいる。
赤を基調とした着物に身を包んだ千鶴は、長い黒髪を結い上げ、顔に化粧もされていて、普段の男装姿とはまるっきり別人だ。あたしも驚いたけど、他の面々より先に我にかえり、開いた口が塞がらない男たちを眺めて楽しむことにした。
「な、なあ、そこにいるのって、千鶴、お前……なのか?」
「う、うん、そうだけど…やっぱり、変…かな?」
「い、いや、そんなことねぇって!むしろ……」
顔真っ赤にしてしどろもどろになってる平助と、恥ずかしそうにしてる千鶴のやり取りは見てて和む。
「化けるもんだね。一瞬、誰だかわからなかったよ」
「それが女の子ってもんよ。それに千鶴は元がいいからね」
「へぇ、じゃあクライサちゃんも化けるの?見てみたいなぁ」
「それとこれとは話が別。何はともあれ千ちゃんグッジョブ!」
グッと親指立てて名前を呼べば、同じポーズをしてくれた素敵笑顔の千ちゃん。あの子順応性高すぎる。
近藤さんや新八はまだ驚きでいっぱいみたいだけど、さすがの土方さんや左之は早々と我にかえってて千鶴を褒めてやっていた。おかげで千鶴はますます顔を上げられなくなってたけど。
その後、千鶴は千ちゃんと君菊さんに連れられて島原に向かうことになった。あたしは本来なら屯所待機のところ、イチくんと山崎君が念のため角屋に詰めていると聞き、土方さんに無理を言ってその任につく許可をもらった。芸者として潜入するのは嫌だけど、千鶴にもしものことがあったら困るから!
そんなわけで、あたしも千ちゃんたちと一緒に島原に向かったのだった。