なんだか今日は、屯所がやけに騒がしい。廊下ですれ違う隊士の数がやたらと多いし、なんだか盛り上がっている様子だ。千鶴と一緒に、不思議に思いながら廊下を歩いていると、向こうから奴がバタバタとやってきた。
「冗談じゃありませんよ、まったく!」
チッ!と音を立ててあからさまに舌打ちしてやれば、隣の千鶴が苦笑する。なんか息を切らしている奴に質問する気など更々ないので黙っていると、千鶴が口を開いた。
「どうしたんですか?伊東さん」
「どうしたもこうしたもありませんよ!私がなんで、あんな野蛮人どもと同じ部屋で肌をさらさなきゃならないのです!」
伊東のドアホの言葉は全く返答になっていない。少し困った様子の千鶴が質問を変えれば、気を取り直した奴が不機嫌そうに答える。
将軍上洛時に近藤さんと意気投合した医者が、隊士たちの健康診断という名目で屯所に来たのだそうだ。……ああ、そういえば土方さんがそんなこと言ってたっけ。隊士はみんな服を脱いで身体検査をするから、あたしと千鶴は広間には近付くなとか。
「あのハゲ坊主!皆の前で私に服を脱げと仰るのよ!!拒んだら無理やり脱がそうとするし」
「脱がなくていいから死ねばいいのに」
「それに、あの隊士たちの態度!まったくなんて野蛮なんでしょう!!」
「アンタのキモさのほうが問題だよ」
「クラちゃん……」
医者の娘として、どんなことをしているのか気になったのだろう(まぁ軍の健康診断と大して変わらないだろうけど)、千鶴が医者の名前を問う。そして返ってきた言葉に、彼女は目を見開いた。
「そのお医者様って、松本良順先生なんですか!?」
どうやら知っている人らしい。千鶴はいてもたってもいられない様子で、
「私も健康診断に行ってきます!」
と言って広間へ駆け出していった。
「あらあら、あんな野蛮人に会いたいなんて、なんて物好きなのかしら」
「いいからさっさとどっか行けよ」
屯所に来ていた松本先生というのは千鶴の父親の友人で、彼女が京に来た時に最初に頼るつもりだった人なのだそうだ。行き違いになってしまっていたらしいけど、そんな人とこんなところで会えるなんて、そりゃもう感動ものだろう。千鶴のあの反応も頷ける。まあ、彼が来たのも偶然ではなく、近藤さんの計らいなのだそうだけど。
「へぇ……あの薬、“変若水(おちみず)”っていうんだ」
松本先生は綱道氏の研究についても知っていて、山南さんが飲んだあの赤い液体の正式名と、“羅刹”という名を教えてくれた。“変若水”は不老不死の霊薬のようなもので、それを飲んだ者は鬼神の如き力と驚異的な治癒能力を得るーーつまり“羅刹”になる。
「……だけど血に狂うってリスクもある……か。どっかの石とほとんど同じだね」
「クラちゃん?」
「何でもないよ」
ま、結局は新選組が向き合わねばならない事柄なので、あたしがあれこれ言う必要はなし、と。
とりあえず、隊士たちの健康診断は終わったようだ。しかし土方さんの言葉であたしも診断を受けることになり、女であることを考慮して個室を用意してもらった。一応、千鶴も後で診てもらうらしい。
医者にかかるの、ちょっと久しぶりかもしれない。……本当は、あまり診てもらいたくないんだけど。
「君……」
案の定、松本先生は険しい顔であたしを見た。彼が何を言おうとしているのかはわかっているし、特別驚くこともないからあたしは笑みを浮かべてさえいる。
この世界に来てから、怪我はわりとしているけど病気は一度もかかったことがない。体調不良も感じていないし、その辺に関しては何も問題ない筈だ。
「やっぱり、医者にはわかっちゃうんだね」
あるとすれば、一つ。
「……君、右目が見えていないんだろう」