苦しげに呻く彼はその場に膝をつき、自らの顔を鷲掴みするように手で覆った。その髪は真っ白になり、肌に食い込む指の間から真紅に濡れた双眸が覗く。
「山南さん!」
思わず駆け寄ったあたしは、次の瞬間、背筋を走った寒気に反射的に後方へと跳んでいた。そして眼前を横切る山南さんの腕。恐ろしいほどの勢いで振るわれたそれをまともに受けていたら、少なく見積もっても広間の端まで弾き飛ばされていただろう。
「……く……くく……」
苦しげな息遣いは聞こえなくなり、こちらを向いた赤い目には理性の光が見当たらない。口は笑みに歪み、あたしは舌打ちした。狂ってしまったか。決して長くない間合いをとりながら、目の前の彼に対して油断なく構える。
「クラちゃん?」
その時、背後の扉が開く音と聞き慣れた声がして、反射的に振り返ってしまった。
「千……」
そしてその瞬間、彼の動く気配がした。とっさに抜いた刀の峰で、勢いよく突き出された手を受け止めるが、あまりの力に踏ん張りがきかない。吹き飛ばされる形で壁に背中を打ち付け、息が詰まる。
「え、山南さん!?クラちゃ……」
「っ千鶴!人を呼んできて!土方さん……幹部の誰か!!」
混乱した様子の千鶴に、状況の確認をする間も与えず叫んだ。このままここにいられては、山南さんの暴走の標的になりかねない。それに人を呼んでほしいというのも本当だ。
あたしの気迫に圧されてか、すぐに頷いた千鶴は駆け出した。その背を山南さんの目が追おうとしているのに気付いてあたしは床を蹴る。刀の峰で打撃をくわえようとしても、人間離れした筋力を前にしては上手くいかない。
「山南さん!しっかりしてよ!アンタはこんなところで終わる人なの!?」
なんとか彼を正気に戻せないかと、呼びかけ始めてから何度目か。その目に微かな光が宿ったかと思えば、山南さんは床に崩れた。
「……は……ぐ、うぅ……」
「山南さん!」
苦しそうに呻いて心臓辺りの着物を握り締める。理性の戻った目であたしを見た彼の顔が、微笑んだような気がした。
「失敗……の、ようですね……」
そしてよろめきながら立ち上がった山南さんは、おもむろに右手を自らの腰に伸ばす。それが刀の柄を握り、刃を露にするのを見てあたしは駆け出していた。
「何してんの!!」
刃先が彼の胸に向けられるのを、あたしは見ていられなかった。剥き出しの刃を両手で掴み、彼の意思を目一杯邪魔する。手のひらから溢れる血など気にならなかった。下手したら指が切り落とされるとかそんなことも考えてすらいなかった。
「……殺して、ください……」
「ふざけんな!!そんなこと頼むくらいなら、狂わないように努力しろ!!」
「……しかし、このままでは……君を、殺してしまう……」
「殺されてなんかやらない!!アンタが選んだ道でしょ!?アンタが成功に賭けたんだから、失敗なんかするんじゃない!!」
あたしは絶対に、死なせてなんかやらないから。
ボタボタと落ちる赤色が床を汚す。それでもあたしは手を放さなかった。刃先が彼の胸に沈み込むのなんか、見たくなかった。どんなに残酷と思われようと、死に逃げるなんて許したくなかった。
「……ぐ……あ、あぁ……っ」
また苦悶に歪む顔。自分自身と必死に闘っている彼を、瞬きもせず見つめ続けた。刀を持つ手は離れ、赤を纏ったそれは床に落ちて音を立てる。かわりのように伸ばされた右手は、あたしの首の前で大きく震えていた。葛藤している。
一際大きく呻き声を上げ、伸びた手が震えながらあたしの首に触れた。その時。
「よく頑張ったね、クライサちゃん」
聞き慣れた声に安堵した途端、背後から伸びた刃が山南さんの体を貫いた。