山崎君と入れ違いに隠れ家を出たあたしは、新選組の屯所とされている旗本屋敷を訪れた。

近藤さんは未だ医者にかかっており、土方さんは薩長との再戦の機会を得るため、連日幕府のお偉方と面会を繰り返している。
イチくんが書類仕事を主に担当しているが、新八と左之は敗戦が尾を引いているのか、些か無気力気味で、平隊士を連れてしょっちゅう吉原に出かけているらしい。釜屋に滞在していた頃よりは頻度は減ったようだが、未だ少ないとは言えない回数だろう。あたしが屯所に赴いた時の五割以上、彼らは外出している。

いつものように一番組や他の平隊士に顔を見せ、不安渦巻く彼らの胸の内を直接声で聞き、言葉で宥めてやったり稽古をつけてやる。それから副長室を訪ねると、ちょうど土方さんが戻っていた。お茶を運んできた千鶴の姿もある。

「総司の傷はまだ癒えねぇか」

文机の前に腰を下ろした土方さんに、現状をありのまま報告した。
今の総司は会話をしたり、短時間なら体を起こしていられるくらいには回復している。しかし傷が完治したわけではなかった。少しでも無理をしたら、すぐに傷が開いてしまうだろう。刀を振るうなんて以ての外だ。

「とはいえ、命に別状はないし、黙ってても何とかなるってさ。ようは医学的見地からはお手上げ状態ってことだね」

「まぁな……松本先生だってどうにかしたいと思ってくれてるんだろうが、本来は普通の人間相手の医者だからな……」

「綱道さんなら何かわかるかも、とは言ってたけど、この状況で捜索なんて出来ないだろうし……他に羅刹の身体構造に詳しい人、その辺に転がってないかね」

頭を抱えたい気持ちでそう言うと、あっ!と千鶴が声を上げる。

「私の家には、父様の資料がたくさんありました。もしかしたら、羅刹に関する資料もあるかも……」

「そういえば、千鶴の家って江戸にあるんだっけ」

「うん。ここからそんなに遠くないよ」

千鶴は家に戻ってみてもいいかと土方さんに許可を取ろうとしたが、もうじき日が暮れるから今日はやめておけと返された。そのかわり、明日また隠れ家に山崎君を寄越すから、あたしと千鶴で彼女の家に向かうよう言われ、もちろんあたしは快諾する。

そして翌日、山崎君に総司を任せたあたしは屯所へ赴き、千鶴を連れて雪村邸へと向かった。
江戸の外れにある家には、彼女の言った通りそう時間をかけずに着いた。数年ぶりの我が家を前にした千鶴は、懐かしさを噛み締めているのだろうか。しかし些か緊張した面持ちをしている。総司の傷を治す術があるだろうか、平助や山南さんの助けになるような情報はあるだろうか。なかなか足を踏み出せないでいる千鶴の手を取り、あたしは遠慮なく家に上がる。
数年間人の出入りのない家は、覚悟していた通り埃っぽい。だが、ところどころに違和感を見つけた。

「……埃の溜まり方が一定じゃないな。ほら、あの棚とか、机の上とか」

「えっ!?もしかして、父様が……?」

ざっと家の中を探ってみたが、人の気配は無い。引っ掻き回した様子があるわけでもなく、ごく最近まで誰かがいたという感じでもないから、おそらく千鶴が京に滞在している間、入れ違いに綱道さんが戻っていたのだろう。

推測をやめたあたしたちは早速羅刹に関する資料探しを始めた。家の中には様々な資料があって苦労するが、元より楽に情報が手に入るとは思っていない。ひとつひとつ、埃を払いながら、資料の端の走り書きにまで注意深く目を通す。

それを見つけたのは千鶴だった。

「羅刹の力の代償は、命そのもの……!?」

机の上に広げた資料を食い入るように見ていた彼女は、青ざめた顔でそう言った。
そこには羅刹の力のメカニズムが書いてあり、彼らの回復力や身体能力は命を削ることで発揮されているという。羅刹の体力は無尽蔵ではなく、人が長い間かけて使うべきものを短時間で消費しているのだ。

「やっぱりそうか」

「え……クラちゃん、やっぱりって……?」

千鶴の冷えた指先を握るあたしに動揺はなかった。ただ、期待外れで予想通りだったことが悲しかった。

「何の対価もなく強大な力を得られるわけがないんだよ。どんな世界だって等価交換が理の基本だ。命を代償とした力なんだろうって、薄々気付いてた」

だから、バカだって言ったんだ。薬を飲んだ隊士たちも、実験を命じた幕府も、それを実行する新選組も。
生まれ持ったものより大きな力を得ようとする行為が破滅を呼ぶことは想像に難くない。羅刹はつまり、“身の程知らずの馬鹿野郎”だったわけだ。

「……じゃあ、沖田さんや平助君、山南さんは……羅刹隊の皆さんは、長く生きられないってこと……?」

あんなに苦しい思いをしている人たちが、生きられる時間はあまり無いの?泣きそうに顔を歪めた千鶴の肩を叩く。

「落ち着いて、千鶴。もっとよく調べよう」

あたしだってショックがないわけではないが、ここで嘆いていたって仕方ない。羅刹というもののつくりがそうだとしても、彼らが少しでも長く生きられる道を探すことは不可能ではないのだ。それに、羅刹を知ることは、今後起こり得る事態の対処にきっと必要だろう。千鶴はあたしの言葉に頷き、資料探しにより努めた。
だが、あたしたちの思いを裏切って、それ以上有益な情報は手に入らなかった。



家を出るとすでに日が傾き始めており、山崎君が千鶴の迎えに来ていた。
なんでも、あたしの帰りを待ちかねた総司の我が儘を聞いてくれたそうなのだ。げんなりした山崎君に、そりゃ悪かったと苦笑する。総司のことは松本先生が見ていてくれてるらしい。

「じゃ、山崎君、千鶴のことよろしくね」

「了解しました」

そちらこそ尾行に気をつけてください、と耳タコの台詞に手を振って返し、真っ直ぐ向かえることになった隠れ家へ帰るべく走り出す。

しかし、少し走ったあたりで厄介な匂いを嗅ぎつけてしまった。あーあ、と思いつつも足は止めない。駆け足のまま手は左腰へ。柄を握り一息に抜いた愛刀を、曲がり角の向こうの気配へ思いっきり振り下ろした。

「うわっ!?」

翻る黒い外套。慌てて飛び退ったソイツの顔には、毎度の腹が立つ笑みは浮かんでいない。バッサリやれなかったことには舌打ちしたが、焦りに歪んだ表情が見れたから少しは清々した。

「いきなり随分な挨拶だね」

「アンタこそ。あたしの前にのうのうと顔出してきやがるなんて、いい度胸してるよ」

身なりを正した南雲薫はいつものように薄笑いを顔に貼りつけるけど、おそらく内心はまだドキドキしているのだろう。そう思うと、すぐさま実行に移したい殺意は些か落ち着く。

「沖田の様子はどう?そろそろ死んだかな」

「今まさに斬られる寸前だった奴が何ナマ言ってんだよバーカ」

「うるさいな!」

どうやら今日のところは手を出してくるつもりはないらしい。総司のことであたしを揺さぶりに来たようだ。まったく、暇人め。

「綱道おじさんの資料、見たんだろ?ああでも、お前のことだから気付いてたかな」

「羅刹の力の代償は己の生命力だってんでしょ。それが何?」

「強がるなよ。沖田の命が残り僅かだと知って、平気でいられるお前じゃないだろ?」

なんだねコイツは。あたしの何を知っているつもりなんだか。
そりゃ、平気か平気じゃないかと言われれば全く平気じゃないが、コイツに指摘される筋合いはない。……本当に斬ってやろうか。

「沖田を助ける方法、教えてやろうか?」

ーー馬鹿だな。
嘘だってわかってるのに、刀に伸ばす手を止めてしまった。

「鬼の血を与えればいいんだよ。人間と交わった半端な鬼の血よりも、純血筋に生まれた鬼の血が望ましいかな」

「そう言われて、千鶴の血を総司に与えると思ってんの?このあたしが」

「……そうだね。鬼の血を与えたって、狂う精神は止められても、短くなった寿命が延びるわけじゃないから。本当に助けたとは言えないよね」

それに、お前は千鶴を傷つけたいと思わないだろう?
また知ったような顔で奴は言う。薫は緩慢な動きで人差し指を立てた右手を差し出した。

「もうひとつ、沖田が狂わずに済む方法があるんだ。この方法でも寿命は延ばせないけど、お前はやっぱり沖田には狂わないでいてほしいだろ?」

あたしはとりあえず頷いてみせる。
そりゃそうだ。総司は死ぬことよりも戦えなくなることを恐れていた。きっと羅刹となった今でも、先の短い身であることより、自分が自分でなくなってしまう可能性のほうを恐れているのだと思う。
……あたしがそうだから。

「同じ人間の血を、定期的に与える。そうすれば、あいつの精神は狂わないよ。羅刹の回復力も強まる。今あいつを苦しめている、傷の痛みからも解放してやれるんだ。人間であるお前でも、沖田を救ってやれるんだよ」

優しげに眦を下げた薫の表情は、それでも千鶴に似ても似つかなかった。あまりにも。あまりにもお粗末なウソ。そんなものに騙されてやるほどあたしは馬鹿じゃない。溺れる者が掴む藁よりもっとチャチなウソだ。

「……ねぇ、薫」

「うん?」

「今日は見逃してやるから、とっとと帰んな。これ以上その不愉快な面見せないで」

限界だ。
あたしの右手が刀にかかるのを見た薫が、機嫌良さげに目を細める。その笑みにも腹が立ち、彼を睨むあたしの目から色が消えた。

そんなに簡単じゃないってことくらい、知ってる。
求めた分だけ代償を要する。それが力というものだから、そこに例外や裏技なんかないんだ。
あたしの血を定期的に与えたところで、羅刹と化した肉体の歪は増すばかりだろうし、純血筋の鬼の血にだってそれを抑える効果があるとは思えない。
結局、あたしの反応を見て遊びたかっただけなのだ、この男は。

「……信じるかどうかはお前次第だよ」

「信じないよ。迷うまでもない」

「はは、やっぱりお前はいいね。その揺るぎなさ、叩き折ってやりたくなる」

今日一番の笑顔でそう言った薫は、外套を翻して路地の影へと消えていった。
お前なんかに折られるもんか。
あたしはその影へと小石をひとつ蹴飛ばして、踵を返して走り出す。

ああ、遅くなったから総司が拗ねるぞ、こりゃ。








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