大坂に移ってからも、総司の状態は変わらなかった。松本先生も、銀の銃弾は羅刹の回復力を抑えるものだろうという見解だったが、彼の腕でも総司を回復させるには至らなかった。
総司の意識は戻っていたが、傷の痛みと熱に苦しんでいる。声をかけられてもろくに反応出来ない様子で、あたしはそんな彼をただ見守ることしか出来なかった。

年が明けると、いよいよ戦が始まる。世に言う鳥羽・伏見の戦いだ。
総勢一万五千人余りの幕軍に対し、薩長連合軍は多く見積もっても五千人。だがこの戦に賭ける薩摩・長州両藩の士気は凄まじく、幕軍を圧倒した。
さらに薩摩はイギリス、長州は英仏蘭米、そして幕軍と二度の戦闘を経験し、近代戦術を完璧に自分たちのものにしている。あたしの危惧した通りだ。最新兵器を手にした敵に、新選組の剣術は役に立たなかった。
伏見奉行所にも火がかけられ、新選組は京からの撤退を余儀なくされた。

敗走した新選組が大坂城に辿り着いたのは、開戦の報せを聞いた数日後。
怪我を負った隊士らが城内に運び込まれるのと入れ違うようにあたしは外に出て、城に到着したばかりの土方さんに駆け寄った。彼の隣に立つ千鶴に、思いの丈をぶつけるように勢いよく抱きつく。

「千鶴!生きててよかった……」

「クラちゃん……」

千鶴は他の隊士たちと同じように、疲れた顔をしていた。ここに来る間にも何度か戦闘があり、そのたびに敗走する結果になったという。
源さんが亡くなった、ということは、その時初めて知った。戦い抜いた末に腹に銃弾を受け、おそらく即死だっただろう、と。新八の沈んだ表情に、あたしは目を伏せる。
総司と近藤さんとともに奉行所を離れる際、二人を頼む、とあたしの肩を叩いた源さん。その穏やかな笑顔を見ることはもう叶わないのだと思うと、こみ上げてくるものがあった。もう何度も経験した感覚だというのに、一向に慣れやしない。そっか、とだけ呟いたあたしは、目を潤ませる千鶴を抱き締める腕に力をこめた。



幕軍はかなりの苦境に立たされている。一万もの兵力差がありながら、だ。
理由のひとつは、先にも述べた武器の質。土方さん曰わく化け物みたいに射程の長い銃は、二発に一発という命中率の高さを誇り、連射機能までついているため接近戦に持ち込む隙さえない。
もうひとつの理由は、幕府側であった藩の対応だ。中立だとか言って援軍の要請を断る藩が多く、親藩の尾張藩でさえ日和見を決め込んでいる。千鶴も淀城に援軍の要請に行ったのだが、城門が開かれることさえなく追い返されたそうだ。

それでも土方さんは、この大坂城で薩長軍を迎え撃ち、源さんらの仇を討たんと闘気を漲らせていた。この城は落ちない、ここに籠もってさえいれば自分たちは負けないと、勝つための戦いをする顔をしていた。
だが、その思惑さえも覆される。よりによって、幕府軍の総大将に。

「将軍が江戸に引き上げたって……!?」

ハルによってもたらされた報せに、土方さんは唖然とした。当たり前だ。命懸けで戦っていた幕府軍を放り捨てて、その大将であるべき徳川慶喜は船で江戸に向かってしまったというのだから。
新八や左之も呆れていた。イチくんは信じられないといった顔で呆然としており、報告したハルも納得のいかない様子で目を伏せている。
土方さんは怒りに肩を震わせていたが、やがて顔を上げると、上からの指示通り船に乗るため荷物をまとめるよう命令を出した。江戸に着いたら喧嘩のやり直しだ、と。逆境に追い込まれてより増した闘気が、紫の瞳を鋭く光らせていた。

こうして、新選組と旧幕府勢力は大坂城を捨て、大坂湾から船で江戸へと撤退することになった。
敗戦の後の撤退、総大将たる徳川慶喜の恭順。どう見ても先行き明るいとは言えず、船上の隊士らもすっかり士気を落としてしまっている。無理もない。せめて心の支えとなるべき殿様が、大将然としていてくれたなら、兵の心持ちも変わっていただろうが。



数日の船旅の後、江戸に到着した新選組は、品川にある旗本専用の宿『釜屋』に身を寄せる。その少し後には、旗本屋敷を屯所としてあてがわれ、全員がそこにうつった。

あたしと総司は新選組を離れ、松本先生が手配してくれた小さな隠れ家で過ごしている。土方さんは山崎君を頻繁に寄越してくれて、彼が総司を見ていてくれる間にあたしは屯所を訪れ、一番組の隊士らに顔を見せたり稽古をつけたりしていた。士気の下がった隊士たちを励ますため、土方さんから頼まれたことだった。
それ以外はずっと、隠れ家で総司を見守っている。江戸へ来て一ヶ月ほど経った今では、総司の容体もある程度落ち着いてきたが、未だ傷が痛むようでほとんど寝たきりの状態だ。

「ねぇ、クライサちゃん。添い寝くらいしてくれたっていいんじゃない?」

だけど、この意地っ張りが軽口をたたけるくらいに回復してくれたことを、あたしは素直に喜んでいた。

「はいはい、バカ言ってないで横になんなさい。まだ傷も痛むんでしょうが」

「今は眠くないんだけどなぁ……」

鈍るからといって体を起こしたがる総司を布団に押しとどめるのは、ここ最近、毎晩の仕事になりつつある。彼の気持ちもわからんではないが、体力が戻らないうちから無理をされては困るのだ。
総司は不服そうに唇を尖らせながらも、己の状態に自覚はあるのか、素直に布団へと横たわる。

「クライサちゃん、何か話してよ」

甘えるような声でそう言った総司は、布団を掛け直そうとしたあたしの手を取った。いい歳した男が何を。舌打ちしたい気分になったが、思うところもあって、口を閉ざす。「クライサちゃん?」急に真顔になったあたしを疑問に思ったらしい、総司があたしの名を呼ぶ。手は放され、翡翠が窺うようにじっとこちらを見上げている。

ふ、と微笑んだ。
掛け布団を総司の首のあたりまで引っ張り上げ、胸元を軽くぽんぽんと叩く。
それから、あたしは布団の脇に腰を下ろした。こちらを窺う総司が口を開かないのをいいことに、沈黙して俯いている。

「……同情って、言ったのはね」

ゆっくりと言葉を紡ぐあたしが思い浮かべるのは、薫の告げた言葉と総司の凍りついたかお。そして後悔と、左之の手のひら。

言う必要なんてない。これはただの言い訳だ。言って何になる。何にもなりはしない。ーーわかっているのに。

「あたしとアンタが、すごく似てるから」

話したいと、聞いてほしいと思った。どんな相手にも、自ら話そうなんて思ったことがなかったのに。このひとにだけは。

「労咳で臥せてたアンタは、未来のあたしだったから」

総司が目を見開く。あたしはただ、微笑っていた。






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