新選組が奉行所の警護についた二日後の、十二月十八日。
軍議に参加するため二条城に向かった近藤さんが、その帰り道で狙撃された。
「……撃たれたのは右肩か。近藤さん、腕は動かせるか?」
土方さんの問いかけに、近藤さんはゆるく首を横に振る。彼の右袖は夥しい量の血で真っ赤に染められている。傷口は直接見えないが、相当に深い筈だ。
山崎君に支えられ、近藤さんはやっとの様子で別室へと歩いていく。それを見送ってから土方さんは島田君を促すので、あたしと、騒ぎを聞きつけて来た千鶴も彼の話を聞かせてもらうことにした。
「……襲撃を受けたのは、二条城からの帰り道でした。突如、馬上の局長が狙撃されたのです」
その瞬間を思い出したように、島田君は奥歯を噛みしめる。
不幸中の幸いというべきか、近藤さんは落馬しなかったという。周囲を刺客に取り囲まれたが、何とか突破して奉行所に帰ってきたのだと。
「馬を狙われてたらマズかったね。きっと逃げ切れなかった」
「ああ……敵が間抜けで助かったってことか」
襲撃された伏見街道の調査には、新八の率いる二番組が向かい、一番組の皆も同行させた。近藤さんを狙った犯人が誰なのか、少しでも手掛かりを得られればいいけど……
「……何の騒ぎ?」
障子戸を開き、現れた姿に千鶴が沖田さんと小さな声を上げる。不機嫌そうな顔をした総司が起きてきていた。
昼間に起きていることは羅刹にとって辛い筈だが、近藤さんが狙撃されたと報告が入ってからの騒ぎは結構なものだ、気配に敏い彼が起きてくるのも不思議ではない。千鶴は心配そうに総司を見ているけど、一般の隊士も多くいるこの場で余計なことを言うわけにはいかないため、黙っている。
「近藤さんが撃たれた」
「なっ……!?」
あたしが端的に答えれば、総司は目を見開き、掴みかからんばかりの勢いで土方さんに詰め寄った。
「それで!?傷は深いんですか!?」
「……浅くはねぇよ」
「総司、落ち着きなよ」
「……落ち着いてるよ、僕は」
初めて見る動揺ぶりに、彼の袖を掴んで宥めると、総司は心なしか身を引いた。ついでに、袖にかかったあたしの手を振り払う。
だが、事のあらましを聞くと、三人しか護衛をつけなかったのか、と再び激高した。
「今は危険なときだってわかってるくせに、どうしてそんな状態で行かせたんです!?」
「近藤さんが二条城に向かったのは、新選組局長として軍議に参加するためだ。幕軍のお偉方が集まる場所に、護衛なんか引き連れて行けるかよ」
声を荒げる総司に対し、土方さんはあくまでも淡々と答える。
新選組を悪く言う奴ってのは、幕軍の上層部にもいる。武勇の誉れ高い新選組の局長がたくさんの護衛を連れていれば、奴らはここぞとばかりに叩いてくるのだろう。
「……近藤さんの命よりも、見栄を張るほうが大事なんですか」
「んなこと言ってねぇよ」
「責めるならば、我々を責めてください。護衛を任されていながら、局長を守りきれませんでした」
島田君がそう言うにも構わず、総司はただ土方さんを睨みつけている。
「銃から人を守るのは簡単じゃない。……島田さんは悪くありませんよ。近藤さんを危険にさらしたのは、少人数での外出を許した土方さんです」
怒りを隠しもしない総司に対し、土方さんは声を荒げることもしない。不安げに彼らを見守るしかない島田君と千鶴の姿に、あたしは内心でやれやれと溜め息を吐いた。
「……八つ当たりもいい加減にしなよ、総司」
途端、彼の鋭い視線がこちらを向く。
「そう喚かれちゃ、近藤さんに聞こえないとも言えない。ただでさえしんどい思いしてるあの人に、アンタが余計な心配かけるわけにはいかないでしょうが」
「……っ」
「アンタだってわかってんでしょ。……護衛を減らしたのは近藤さんの意思だって」
土方さんが新選組の名より近藤さんの命を軽んじるなんてこと、あるわけないじゃないか。そんなの、あたしがわかるんだから、あたしなんかよりずっと付き合いの長い総司がわからないわけがない。
ーーだから、八つ当たりなんだ。わかってても、言わずにはいられない相手なのだろう。
「近藤さんは……奉行所守護を手薄にしてまで、自己の保身を図りたくないんだと」
土方さんは溜め息混じりに言った。
自分の安全よりも慶喜公の威光が大事、だから自分の護衛は必要ない。近藤さんはそう言って、土方さんの説得を突っぱねたのだ。
「近藤さんを行かせたのは、俺の手落ちだ」
土方さんだって、近藤さんにたくさんの護衛をつけたかったのだろう。
せめて殺気に敏感なあたしが共に行けば、と思い、すぐに打ち消す。いくら皆が実力を認めてくれていても、あたしは女で子どもだ。どうしたって外見で見くびられるあたしが、お偉いさんの集まる場へ行く近藤さんと共にいては、彼の顔に泥を塗ることになってしまう。
ーーいずれにせよ、もう起こってしまったことだ。後悔したって遅い。
「……もしも近藤さんが死んだら、それは土方さんのせいですからね」
低い声音で、総司は念を押す。土方さんは、ただ静かに黙していた。
新八たちが帰って来たのは日暮れ頃。
調査の甲斐なく手掛かりは見つけられなかったそうだが、殺された隊士を連れ帰ることが出来たから、出かけて行った意味はあると笑っていた。
夜。羅刹隊が警備に立つ時間帯になっても、あたしは休まず奉行所内での仕事にあたっている。イチくんや左之、新八も何かしら仕事をしているようだ。近藤さんがあんな状態になってしまった今、休んでいられる幹部なんていないんじゃないかと思う。
……近藤さんの容体は悪化している。山崎君が、今夜が峠だ、と言っていた通り、帰ってきた時は辛うじて残っていた意識も傷が熱を持ち始めると共に失われ、昏睡状態に陥った近藤さんは未だ目を覚まさない。
総司は、落ち着いていた。羅刹隊が警備に出る際、玄関まで様子を見に行ったが、彼は昼間の取り乱しようなどなかったかのような態度で、共に警備に立つ千鶴に笑いかけていた。
「……だからこそ心配なんだよねぇ……」
思わず口にしてしまえば、近くにいた土方さんがこちらを向く。無言で、何も露わにしないような表情であたしを見る。……なのに何となく察してしまって、あたしの顔は笑みに歪んだ。泣き笑いみたいな、情けない笑み。
そしてあたしからも何も言うことなく、彼に背を向け歩き出す。少し後に、背中に感じる視線が外れた。
「千鶴」
建物を出るとすぐに彼女の姿は見つかった。
「クラちゃん」
「お疲れさま。眠くない?」
「うん、大丈夫」
昨日今日と昼間に幹部の手伝いをしていた千鶴は、ほとんど寝ずに今夜の警備についている。それは総司の様子を気にしているのと、近藤さんがああいう状態でいるのに休んでなどいられない、という気持ちからの行動なのだろう。
「あ、クライサ、千鶴」
「平助君?」
彼女のそばに総司がいないことに疑問を抱き、千鶴に問おうとしたちょうどその時、裏手で警備をしていた筈の平助が駆けてきた。とりあえず用件を聞こうと、開きかけた口を噤み、彼に向き直る。
「あのさ、総司のこと見てない?どこにもいないみたいなんだけど」
「え……沖田さんなら、だいぶ前に、平助君に用があるって……」
「オレに?オレはいつものとこにいたけど、裏には総司なんて来てないぜ?」
訝しげに眉を寄せる平助。そんな、と口を手で覆う千鶴。二人の会話を聞いていたあたしの頭の片隅で、警鐘を鳴らすものがあった。予感。嫌な。
ーーまさか、
「……千鶴、平助。土方さんに報告頼むね」
「え……?」
「あ、おい、クライサ!」
考える間もなく、足が動いた。奉行所に背を向け、夜闇に駆け出す。
「あの馬鹿……!!」
この状況、導き出せる答えなんかひとつしかないじゃないか。