のちに油小路の変と呼ばれるようになった、伊東甲子太郎の暗殺と御陵衛士への襲撃。
あの大事件から一ヶ月弱、多くの隊士を失い、さらに多くの隊士が負傷した新選組は、暗く、張り詰めた空気に包まれている。屯所はほぼ常にと言っていいほど騒がしく、たまに訪れる静寂もほんの一時のものだ。

平助は、助かる見込みがないと見て取れる大怪我を負っていたところを一般の隊士たちにも見られていたため、表向きは死んだことになり、羅刹隊の一員となった。

イチくんは、事情を知らない隊士たちから、一度は伊東派につきながら伊東派が不利と見るやそれを裏切り、新選組に舞い戻ったと見られて陰口を叩かれている。
彼もそれが当初からの任務だったと公表すればいいのに、本当のことを言えば、そのやり口が汚いと、局長や副長に批判の矛先が向きかねないから伏せておくつもりらしい。彼らしいと言えばらしいが。
ほとぼりが冷めるまでは屯所を離れるとのことで、今は紀州藩の公用人である三浦休太郎を警護するため、天満屋に滞在している。

つまりイチくんと平助は戻ったが、未だ三番と八番の組長は欠けたままなのだ。以前と同じように、各組の指導は左之と新八が負担している。
そして、一番組の面倒はあたしが見ている。

羅刹となった総司の体調は、あれから徐々に回復していった。養生していれば、またこれまで通り剣も振るえるようになる、とのことだ。咳も出なくなった、傷や病が治るというのは本当らしい、と千鶴に語ったと聞く。
だけど、山南さんや他の羅刹と同じく、昼間に起きているのは辛いらしい。昼間に動けなくては、一般の隊士たちを率いるのは難しい。そのため、総司も羅刹隊と職務を同じくする予定なのだ。そしてあたしは、あくまで代理という名目で一番組を指揮する役割に就いている。

ーー薫のことは、千鶴には話していない。
話せるわけがない。あの子はばかに優しいから、血を分けた兄のしでかしたことに、これでもかというほど頭を悩みに悩ませるだろう。ただでさえ平助のことで鬱いでいるというのに。
だからといって、それでいいと思っているわけではない。こんなものは序の口だ、と彼が言ったからには、薫はまたあたしの前に現れるだろう。今後のあたしが、アイツを殺す可能性は大いにある。千鶴は何も知らぬまま、唯一の肉親を失うかもしれない。……あたしも姉のことがあったから、本当に知らせないままでいいのかと、一応悩んではいるのだ。

「……あれ?」

ふいに視界に入ったその姿に、あたしは思考と共に足を止めた。
隊士がバタバタと動き回っている屯所の中でも、幹部の私室が多いこの区画には人気がない。なのに今、あたしが視界の端にとらえたのは意外な人で、それがまた意外なところへ入っていくところだったのだ。
なんだか嫌な感じがする。少し早足でその後を追ったあたしが障子戸を開けば、室内の二人がこちらを向いた。

「珍しいね。千鶴に何のご用、山南さん?」

あたしの姿をみとめた山南さんがニコリと笑む。その目に獰猛さと不吉さを感じながら、あたしはクラちゃん、と小さく呟いた千鶴の前に割って入る。山南さんからは、彼女を背に庇う形に見えているだろう。

「ああ、麻倉君ですか」

「まだ昼間だけど、こんな時間から起きてていいの?身体、つらいんじゃないの」

「これはまさに天啓。これほどの妙案が思い浮かんでは、ゆっくり寝ていることなど出来ませんよ」

ふぅん、とおざなりに答えて先を促す。この様子では、話を聞いてやらねば引き下がりはしないだろう。今の山南さんと千鶴を二人きりにするのも気が引ける。

「雪村君。あなたは鬼です」

唐突にそんなことを言われたものだから、背後で千鶴が息を呑んだ。

「そして……鬼たちは戦闘力も生命力も人間より遥かに強い。それは、先日我々を襲撃した鬼たちの力を思い起こすまでもないことです」

「それが、一体なんだって言うんですか……」

「その、強い力を持つ鬼に流れる血は、やはり、人の血よりも強い力を持っているのではないでしょうか?あるいは、羅刹の狂気を完全に抑える力があるかもしれません」

「な、なんで……そんなことが言えるんですか?」

「自らが羅刹となる前から、そして羅刹となってからも……薬についてずっと研究をしてきたのは私です。その私が辿り着いたこの考えが、間違っているはずはないでしょう?」

穴だらけだよ、山南さん。
薬について多くを知らないあたしでも、それだけは言える。彼の理屈は穴だらけだ。

「少なくとも……試してみる価値はある筈です。この仮説が正しいことが証明されれば、それはとても素晴らしいことなのですから!」

山南さんの鋭い目つきと強い言葉に押されるように、千鶴は一歩、また一歩と後ずさる。

「あなたの存在で、我々全て……羅刹隊、いや、新選組の全てを救うことが出来るのですよ!」

「なっ……」

整然と刀を抜いた山南さんのその所作、剣先は正気を失った人間のものではない。そのことがかえって恐怖を覚えさせるのだろう、体を震わせる千鶴は言葉を失っている。

「……そりゃ、穴だらけの理論を証明するのに実験は必要だろうけどさ」

悪いけど、あたしがここを退く理由にはならないよ。
千鶴に向かって一歩、また一歩と足を進める山南さんに立ち塞がったまま、腰の刀に手を添えた。

「心配しなくていいですよ、麻倉君。私は何も、雪村君を殺そうと言うのではない。ただ、ほんの少し、血を分けてもらえるだけでいいのです」

「頼むよ、山南さん。あたしに抜かせないで」

確かに彼の剣には殺意も敵意もないけれど、だからといって「はい、どうぞ」と千鶴を斬らせてやるわけにはいかない。左手を鞘に添えたまま動かないあたしに、山南さんは眉を寄せた。

「……何やってんだ?」

先のあたしのように障子戸を開け、姿を現したのは土方さんだった。室内を静かに見渡して、彼は山南さんとあたしの間に割って入る。こちらに背を向けた土方さんがさり気なく刀に手を添えたのを見て、逆にあたしは手を下ろし、千鶴の隣まで後退した。

「土方君まで邪魔をするんですか?これは、我々新選組にとって大きな一歩になるかもしれないんですよ?」

「……もう一度聞く。何やってんだ、山南さん?」

「隊のために。羅刹の狂気を抑える方法を探っているんですよ」

「そのために、こいつを斬るってのか?」

あくまで殺しはしない、血を分けてもらうだけだと山南さんは言う。
……まあ、ね。彼の言いたいこともわからなくはないし、可能性は否定出来ない。
先日の件で、多くの羅刹と一般の隊士を失った。今いる羅刹やこれから増やす羅刹をより有効に活用しようというのなら、狂気を抑える術を見出しておくことは必要不可欠だ。そして、羅刹を活用しなければ、今後の戦いは新選組にとってますます厳しいものとなる、と山南さんは言う。

「私のしていることは、全て新選組のため。聡明な土方君にはおわかりいただけるでしょう?それでもなお、雪村君には一滴の血も流させないと……守ってみせるつもりですか?」

「俺は、そういうことを言ってるんじゃねぇ。……山南さん。総長ともあろうものが、隊規を破るつもりかい?」

私闘はご法度。土方さんの言葉に、なるほどと山南さんは頷く。

「しかし、雪村君は隊士ではありませんが?それでもですか?」

「隊士じゃねぇが、ずっとここにいるんだ。似たようなもんだろうが。……第一、あんたが刀を納めなきゃ、こいつが抜くだろうよ」

そう言ってあたしを見るので、頷きだけを返す。あたしも正式には隊士ではないが、今や組長代理までしているのだ。隊士同然に扱われてもおかしくない。

「……ならば、仕方ありませんね」

漸く山南さんが刀を納める。土方さんはその様子を、柄に手を添えながら微動だにせず見守っていた。

「今日のところは引き下がりましょう。ですが、私の言ったことも少しは考えておいてください」

「考えたって同じに決まってる。なんでこいつを切り刻んで血をとったりしなきゃいけねぇんだ。それに……もし俺が許したって、近藤さんが止めるに決まってるだろ」

「あたしも止めるよ」

「まったく……近藤さんも土方君も、麻倉君も、他人事だからそうやって、反対ばかり唱えるんでしょう」

ですが。山南さんは続ける。口元だけで笑って。

「もう、羅刹は私だけではない。藤堂君や沖田君にとっても、降りかかる問題なのですからね。かわいい仲間のためにも、少しは真剣に考えてほしいものです」

目を見張って口を閉ざしたあたしに気付いたのだろう、彼の笑みが微かに深まる。
ーーああ、そうだった。狂気に負けてしまう可能性が、彼らの内側にだって潜んでいるんじゃないか。あのギラリとした赤に、彼らの眼が染まってしまう可能性が。

「……ひとついいかい?」

魂の奥底から言葉を振り絞るように土方さんが言った。
山南さんの理屈は正しい。それは昔から、ずっと変わらない。だが。

「山南さん……あんた、自分自身が血に飢えてるとか、そんなことじゃねぇよな?自分が血を口にするために、その正しい小理屈を並べ立ててるって、そんなくだらない話じゃ……」

「……そんなわけはないでしょう。私は常に、新選組のことを考えていますよ。では、雪村君、また……」

一つ笑みを残して、千鶴に意味あり気な視線を送ってから、山南さんは部屋を出ていった。






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