(after FA)





エドはあたしを促さず、ただ黙って手を握っていてくれた。

「……」

“それ”を暫し見つめたあたしは、目を伏せ、二度、三度、深呼吸をする。そして彼の手を離し、震える足を漸く踏み出した。

その丘は、墓地にされている。
村人たちが家ごとに立てた小さな墓石が並んでいる、その中に、比較的新しい墓石が集中している一角があった。
石に刻まれた名は、まだ幼い頃の親友が、怒りや悲しみ、絶望や恐怖に涙しながら、ひとつひとつ挙げていったものだ。あたしと姉、親友以外、その頃ウィルヘイムで暮らしていた全員の名が、そこには刻まれている。あたしの、両親の名も。
両親の墓の前に立ったあたしは、何も言わなかった。彼らの冥福を祈るように目を伏せることもなく、ただ、そこに刻まれた二つの名を見つめる。

『フラスコの中の小人(ホムンクルス)』との戦いを終えて、一年。
ウィルヘイム事件で殺害された人々の墓の存在をリオに聞いてから、いつか行かねばと思っていたあたしは、エドについて来てもらうことで、漸く彼らの墓前に立つ覚悟が出来た。
荒れ果てた村の跡地を通り抜け、郊外のこの丘にやって来て、何をするでもなく、ただ立っている。エドは、一歩引いた場所で、じっと、あたしを待ってくれていた。

ここに来て、今さら何をしたいのかは、わからない。あたしのせいで殺された人たちだとはいえ、墓石に対して謝ったところで何にもなりはしないのだ。これは感傷だ。墓参りは元々遺された人間のための行為だと言うけれど、それにしてもあたしの行動は自己満足に尽きる。謝罪も、言い訳も、決意も、もういない彼らには届けようがないのだから。

「行こう、エド」

「……もういいのか?」

「うん」

この風景は、ちゃんと心に刻んだから。
振り返りざまにそっと微笑んで、墓石を背にして歩き出す。その時、突然の強風が砂を巻き上げた。

「わっ!」

咄嗟に顔を庇ったあたしは、風が過ぎ去ったのを確かめてゆるゆると目を開ける。
だが、そこに広がっていた光景は信じられないものだった。

木の壁、床、天井。引き出しのついた棚の上に置かれた花瓶。白い花。四角いテーブル。四辺に置かれた椅子。陽光の入る窓。棚に隙間なく並べられた本。

「え……」

「な、なんだ、ここ……」

そこは先ほどまでいた荒野ではなく、家の中だった。エドもあたしと同じように驚いて、キョロキョロと室内を見回している。
だが、あたしが驚いている理由は、もうひとつあった。

テーブルに敷かれたお手製のクロス。二階に上がる階段の手すりの落書き。開きっ放しの扉の向こうから香る、嗅ぎ慣れた匂い。
ああ、ここは。

「あらっ!」

その扉の向こうからヒョコと顔を覗かせた人に、あたしとエドの肩が跳ねた。ああ、やっぱり。ウェーブがかった栗色の髪。首の後ろでそれを緩く束ねてキッチンに立つ背中を、あたしはどれだけ見ていただろう。

「まあまあまあ!ちょっと、あなた、クライサが彼氏を連れてきたわよ!」

「ええ!?」

わけのわからないまま他人の家に上がり込んでいて、見知らぬ女性が登場して、さらに嬉しげにそんなことまで言うものだから、エドは混乱のまま声を上げた。
もちろんエドの混乱なんて知ったことではなく、その人は「あなた、あなた」と繰り返しながらあたしとエドの間を通り過ぎ、階段の手すりを掴むとそこから二階を仰ぐ。
ミシミシと小さく音を立てながら階段を下りてきたガタイのいい人は、聞こえてるよ、と女の人の肩を叩く。そして大きな手をあたしの頭に置いた。

「ったく、久々に帰ってきたと思ったら男連れか。しょうもねぇ男だったらおまえごと村の外に放り出すぞ」

「あら、あなた。私の娘なんだから、男の見る目がないわけないでしょう?」

「そりゃそうか」

あたしの背中をバシバシ叩きながら、わっはっは、と豪快に笑う姿は昔のまま。その二人の正体に気付いて目を見張るエドの背をやんわりと押す彼女が、あたしに向けた穏やかな笑みも、記憶の中のそれと変わらなかった。

「おかえりなさい、クライサ」

「……ただいま。母さん、父さん」



それから母さんの料理を四人で囲んで、食事をしながらあたしとエドの関係を根掘り葉掘り聞かれた。はっずいな!両親に恋愛方面の話すんのって、こんなに照れくさいんだ。お兄ちゃん相手にする時とはレベルが違う。
エドもエドで、いちいち話振られるたびに顔真っ赤にするし。でも父さんに「クライサを頼む」って言われた時は真剣な顔で頷いて、あたしのほうが赤面するはめになった。

「ちゃんと手入れしてるのね。伸ばさないの?」

「ちょっと前までは、こーんなに長かったんだよ」

「あら、そうなの?残念、そんなに長かったら弄りがいあったのに」

「あはは」

ブラシを持った母さんに手招かれて、あたしは幼い頃よくしてもらったように髪を梳かしてもらっている。視界の端では、エドが父さんの肩を揉んでいた。ちょっと苦労してるのかな。エドの呻くような声と、父さんの上機嫌そうな笑い声が聞こえてくる。

「こんなに綺麗な色だと、都会じゃ目立って大変でしょ?いやだわ、うちの娘は可愛いから、よからぬ男が寄ってきちゃうわね」

「虫を追っ払うぐらいの力はつけたつもりだよ」

「ふふ、頼もしいわ」

お姉ちゃんは母さん似だな。柔らかい声を聞きながら、ぼんやりそう思う。リオはあたしを父さん似だと言ったから、あたしたち姉妹は見事に分かれたものだ。
そういえば、エドは父親似で、アルは母親似だと聞いたことがある。そう思うと、ちょっと親近感が湧くかな。

「……ごめんなさいね」

ふいに、母さんが謝る。何故だかわからなくて振り返ろうとしたけど、髪を梳かすのを止めない手に阻まれた。

「この空色を、私は嫌いになれないの。あなたがたくさん苦しい思いをする、その原因になったというのに」

この色は、おばあちゃんからの遺伝だと聞いた。クレア・マクスウェル。ホーさんも出会ったという話だから、それは間違いないだろう。

「私のお母さんは、私が幼い頃に亡くなったわ。その一年後、お父さんも行方不明になった。私は村の人に引き取られたけど、本当に幼い頃の記憶なんて覚えていられないものね、私にとって両親の姿は写真の中のものだけだった」

写真の中、微笑む母親の髪色を、母さんはずっと綺麗だと思っていたのだと言った。そして生まれたあたしがその色を携えていた時、本当に喜んだのだと。

「お母さんを恐れていた村の人たちは、あなたをお母さんの生まれ変わりだと思ったのね。恐れられ、疎まれ……ごめんなさいね、窮屈な思いをさせて」

「……そんなことない。いつも、母さん、父さん……お姉ちゃんがあたしを守って、慰めてくれた。幸せだったよ。村の人たちも、少しずつ、あたしに関わろうとしてくれてたの、知ってる」

なのに。

「あたしは、大好きな母さんと父さんを、殺したんだ……!」

髪を弄る手は止まっていた。背後にあった気配は、あたしの座る椅子の横を歩き、正面で立ち止まる。
音が無かった。エドも手を止めて、多分父さんと一緒にこっちを見てるんだろう。

ぱちんっ。

「!?」

突然デコピン食らわされて、思わず顔を上げた。
母さんの真剣な顔。

「ばかね。私たちが、娘を見間違えるわけないでしょう」

「え……」

「俺たちが、おまえに殺されて恨んでる、とでも思ったか?ばかやろう」

今度は父さんの手刀だ。食らった頭頂部が痛い。

「俺たちがおまえを恨むことなんかねぇよ。おまえが、何故生んだ、何故守ってくれなかった、と俺たちを恨むことはあってもな」

「なっ、ば、それこそありえないよ!あたしはっ!」

「なら、そういうことでしょう?」

ふわ、と頬を包む両手。目線を合わせるように身を屈めた母さんは、茶色の目をゆるりと細める。

「私たちは、あなたの親。あなたは、私たちの子ども。親子の絆は、誰にも、何にだって否定させないわ」

「そうだろ、エド?」

父さんに同意を求められたエドは、一度目を伏せた。ホーさんと、お母さんのことを思い出しているのだろうか。やがて目を開くと、真っ直ぐなあの金色を父さんに向けて、ああと頷く。

「なんで……なんで恨んでくれないの。あたしがいなければ、普通に暮らしてられたのに。村が滅ぼされることだってなかったのに」

「なんで、ですって。あなた」

「なんで、ってなぁ……。おまえも、親になってみりゃわかるよ」

ぐしゃぐしゃと大きな手のひらがあたしの髪を掻き回す。幼い頃のあたしは、父さんの大きなこの手と背中が大好きだった。父さんと一緒に悪戯しては、母さんとお姉ちゃんのタッグに怒られた。

「おまえの子どもっつったらそりゃ可愛いんだろうな。そんな可愛い子を恨めるか、自分で確かめてみな」

「……そんな日、あたしには……」

「あら、ダメよ。あなたは長生きしなくちゃ」

手を引かれて立たされる。途端、抱き締められた。幼い頃、何度も何度もされたように。あの頃よりずっと背は伸びたのに、包み込むような感覚は変わらない。
ああ、これが“母親”か。

「早死になんか許さねぇぞ。世の中の親、みんなの願いだ。当たり前だな、早死にほど親不孝なことはねぇんだから」

そして“父親”が、ぬくもりごとあたしを抱く。力強くてちょっと乱暴で、ひどく安心する両腕。
なんて。なんて、幸せな子どもなんだろう、あたしは。

「さあ、顔を上げなさい。クライサ。私たち自慢の可愛い子」

ぬくもりが離れていく。目を開けた先で、全てのものが薄れて消えた。

「ほら進め、クライサ。おまえの前には、ばかでけぇ未来が広がってる。それをろくに見もしねぇなんてもったいないこと、おまえには出来ねぇだろ」

二つの名が刻まれた墓石。
荒野を巡る風は砂を含み、青い空は少しばかり茶がかっている。

「わかってるよ、父さん、母さん」

エドが繋いでくれた手を、しっかり握り返す。

「あたしは、クライサ・リミスクだ。おもしろおかしい未来を求めて、どこまでだって突き進んでやる」

ぼろぼろぼろ。空知らぬ雨が大地を濡らす。
父さんとも母さんとも違う腕の中で、あたしは声を上げて泣いた。





038:歩き続ける
愛しています。我が誇りの、





この頃ってカラー写真…(黙)
【H25/11/22】





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