(2011.11.10)


(1st)


ガシャン、と響いた音に肩を震わせた。幸い、野菜を刻む過程は終わっていたため、包丁は既に流しのほうに置いてある。何か切っている間だったら危なかったかもな、と呟きながら作業を中断し、音の発生源へと足を向けた。
「どうした?」
リビングに入れば、テーブルの前で立ち竦んでいる少女の背中が見えた。その足元には、砕けたガラスの破片が散っている。あらかた予想していたが、やはりグラスを割った音だったようだ。
「あー、グラス落としちまったのか。こりゃあまた盛大に割ったなぁ。怪我してないか?」
苦笑混じりに足を進め、それを踏まないあたりで身を屈める。幸いグラスに中身は入っていなかったようで、床に散っているのは粉々になった破片だけだ。右手を伸ばしかけて、いやダメだと思い当たる。小さな破片と侮ってはいけない。今は料理のために手袋を外しており、素手だ。これで怪我でもしたら、スナイパーの利き手を何だと思っているのだ、とティエリアがまた目をつり上げるだろう。
「……キティ?」
箒を持ってくるべきだろうと判断したところで、先程から一言も発していない少女を不審に思い、呼んだ。返答はない。見上げた先にあった顔は、青ざめていた。
「どうした、怪我したか?」
それとも具合が悪いのか。問えば、首を横に振って答える。ならばどうしたのかと、震えている両手を握って言葉を待った。痛々しく寄せられた眉。涙を堪えるような目。震える唇が、恐る恐るといった様子で開かれた。
「……ごめんなさい」
きょとん。意外な言葉に、ロックオンは目を瞬いた。
「……は?」
「グラス…テーブル拭こうと思って持ち上げたら、手、滑って…」
なるほど、グラスを割ってしまった事への謝罪か。理解すると同時に、ロックオンは吹き出した。ケイトが肩を震わせる気配を感じたが、込み上げる笑いを殺すことは難しい。
「ロックオン…?」
「くく…お前、ウソ下手くそすぎだろ。わざとミスする時は平然としてるくせに、素でやらかすと真っ青になるって…」
マイスターに選ばれた当初、優秀過ぎる自身を守るためにわざとミスして訓練成績を下げていた彼女は、他のマイスターやスメラギたちの前ですら、時折故意のミスをする。それを笑って誤魔化したり、完璧ではないこどもを演じる冷静さをロックオンは嫌っていたから、その必要はないのだと説いてきた。しかし無意識レベルにまで染み込んでしまった悪癖はなかなか直る様子はなく、ロックオンはほとほと困っていたのだが、まさかこの少女がこんな一面を見せるとは。不安に揺れる瞳を真っ直ぐに見上げながら、膝をつく。
「そんなに怯えんな、こんなことで怒りゃしねぇよ。ふざけてて落としたならまだしも、準備を手伝ってくれようとしたんだろ?」
「……」
コクン、と頷く。瞳に映る、少しばかり薄れた不安は、刹那と大喧嘩した際のものの次に彼女が見せてくれた感情だ。『よいこ』の皮を被っているだけだった当初を思えば、望ましい変化だとロックオンは考える。ひとの心。それがガンダムマイスターとしては必要のないものだとしても、ひととして、持っていてほしいと思ったのだ。彼女をマイスターとして認めているなら、こども扱いをしてやりたいという気持ちは排除されるべきだ。しかしそれが出来ないのは、ロックオンに今は亡き妹がいたからなのか。
「怪我してないな?」
「…してない」
「そうか」
いくらか震えのおさまった両手を放してやり、立ち上がれば、ケイトの大きな目が動きを追う。こちらを見上げる形になったそれに笑みを浮かべ、手を伸ばすと、
「っ!」
ビクリと跳ねた肩と、瞑られた目。何を予期したのか瞬時に理解して、しかし手を引っ込めることはしなかった。頭にポンと置いた手で、わしゃわしゃと髪をかき混ぜる。殴られると思っていただろうケイトは驚いた様子で固まっていた。
「さて、とりあえずこいつを片付けちまうか。飯の支度も済んでないしな」
破片に触らないように言って、箒を取りに歩き出す。ケイトは暫く呆けていたようだが、ロックオンがリビングへ戻ると、パタパタと駆け寄ってきて率先してチリトリを受け取った。
「お、手伝ってくれるのか?いい子だな」
「……あたしが割ったんだから、ロックオンに全部任せるわけにはいかないよ」
唇を尖らせて答える様子は一見拗ねているようだが、素直でないらしい彼女の本質が垣間見えてロックオンは笑った。何を笑っているのだと睨むケイトの頭を一撫でし、改めて箒を持ち直す。今夜のアイリッシュシチューは最高の出来になりそうだ。






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