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憲兵を巻くため、とりあえず駅前まで戻ってきたエドワードは、堤防の前に行くと腰ほどの高さの壁に手をかけジャンプする。

「よし、降りるぞ!」

「あ、待ってよ、下に人がいたら……」

「アル、アル、もう遅い」

クライサの言う通りだった。アルフォンスが全てを言い終える前に、河原からエドワードの驚いたような声と小さな悲鳴が聞こえてきたのだ。
堤防に駆け寄り見下ろすと、二メートルほど下の河原でエドワードと小さな子どもが座り込んでいる。傍には子どもが持っていたらしい、ダンボール箱がひっくり返っていた。

「二人とも、大丈夫!?」

「ったく、後先考えないで動くから……」

アルフォンスは急いで自分も河原に降り、クライサは呆れたように呟きながら背後を振り返って、憲兵が追ってこないことを確認してから壁を飛び越えた。
子どもはどうやらエドワードが降りてきたのに驚いて尻餅をついたらしい。片膝を着いたアルフォンスの傍で小さな両手についた砂利を払い、顔を上げる。

「!」

振り仰いだ男の子を見て、エドワードとアルフォンスは一瞬言葉を失った。
年の頃は六〜八歳くらいだろうか。明るい色の髪は柔らかそうで少し跳ねている。この陽気にもかかわらず、長袖のシャツと足首まで覆い隠すズボンを身につけていた。
服の裾から出ている小さな手やサンダルを履いた足は、褐色の肌。そして、つぶらな赤い瞳がエドワードたちを見上げている。

「イシュヴァールの……」

思わず呟いた声が聞こえたのか、少年は困ったような顔をした。
ぎこちない沈黙が暫し流れたが、少年はこういった反応に慣れていたらしい。困った顔をすぐに笑顔にすると、見下ろすエドワードたちに話しかけてきた。

「こんにちは」

「こんにちは」

明るく元気な声に、すぐさま反応したのはクライサだった。ニコリと笑んだ顔は、先ほどの沈黙のぎこちなさを感じさせない。
自分たちを恨みがましく睨んできたら、謝るべきなのか、それとも黙って去るべきなのか悩んでいたエドワードたちは、少年の様子にホッとする。クライサに続いて挨拶を返した。

「ホント、ごめんな。どこもケガないか?」

「うん」

アルフォンスに窘められながら、エドワードは河原でひっくり返っている箱に手を伸ばした。勢いよく落としたのか、ダンボール箱は端が破れている。すぐ直す、とエドワードは謝ったが、少年はううん、と首を振った。

「これ、ぼくがここに来る時に落としたせいなの。だからお兄さんのせいじゃないよ。気にしないで」

「でも、これじゃ持ちにくいでしょ」

少年の前で腰を屈めたエドワードの横で、クライサが周囲を見渡す。辺りには少年のものらしい本が散らばっていた。本を運んできたダンボール箱は、河原にある水たまりに落としたのか濡れていて、いつ底が抜けてもおかしくない。それに破れかけた箱ではさぞ持ちにくいだろう。
エドワードはお詫びもかねて、錬金術で箱を補強しようとした。しかし、両腕を持ち上げたところで、自分の手元を赤い瞳が見つめていることに気づき、合わせかけた手を離す。

「……ちょっと待ってな」

河原を見渡したエドワードは、少し離れた位置に古いロープが落ちているのを見つけると、早速それを拾ってきた。
イシュヴァール人にとって、錬金術は恐怖と恨みの対象になりうる。この少年も大人たちから話を聞いているに違いない。わざわざ嫌な思いをさせることはないと思った彼は、自分の手で直すことにしたのだ。そんな兄の優しさに気づいたアルフォンスは何も言わずに手伝い、クライサは辺りに散らばる本を集めた。

「よし、できた!」

「わあ、ありがとう!」

箱には紐がかけられて補強され、持ちやすいように輪っかにした取っ手がつけられる。クライサが集め終えた本を箱に入れていると、エドワードがその一冊を手にとった。可愛らしい絵が描かれた、子ども向けの本だ。

「これ、絵本か?」

「うん。あっちに住んでる友達たちに貸してたんだ。今から持って帰るところ」

少年が指す方向に、小さな住居があった。よく見ると河原にはそういった家々が並んでいる。

「イシュヴァールの人たちかな」

「そうだね」

アルフォンスの囁きに、クライサは小さく頷く。
各都市や国境では、生きる場を追いやられたイシュヴァールの者たちが身を寄せ合って暮らしている。ラムズイヤーは殲滅戦後に封鎖されたイシュヴァール地区に近いこともあって、イシュヴァール人の姿は珍しくないようだった。
クライサは絵本についてしまった砂を丁寧に払ってから、少年に手渡す。

「随分たくさんの絵本を持ってるんだね」

「うん。ぼくの家、本屋さんなんだ。三番地にあるんだよ」

エッガー本屋っていうの、と続いた少年の言葉に、エドワードたちは目を剥いた。それはまさに、これから行こうと思っていた場所ではないか。
よくよく見ると、少年の持っている本の表紙に『エッガー本屋』と小さく書かれた紙が貼ってあった。
驚いた様子の三人に、少年は不思議そうに首を傾げる。

「お兄さんたち、ご本好きなの?」

「あ、ああ」

「あたしたち、ある本を探しに来たの」

「じゃあ、ぼく、案内するよ!」

「……」

「……あ、ぼくだとダメ?」

すぐに返答しないエドワードらに、少年は顔を曇らせた。イシュヴァール人である自分が声をかけることで、戸惑う人たちがいるのを知っている顔だ。アルフォンスは慌てて手を振る。

「あ、違うんだよ!ちょっと驚いただけで……」

本屋の経営者がイシュヴァール人だとは思っていなかった三人は、少々躊躇ってしまう。だが、彼は純粋な親切心から申し出てくれたのだ。悲しい顔などさせたくなかった。
小さく頷き合った三人は、屈んでいた河原から立ち上がる。

「案内、頼むよ。オレはエドワード。こっちは弟のアルフォンス」

「あたしはクライサだよ。よろしく」

「ぼく、キップっていうの。よろしくね」

クライサが差し出した手を、キップは小さな手でしっかり握り返してきた。
にっこりと笑った顔は、凄惨な歴史など感じさせない純粋な明るさがあった。








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