「……クライサ」
目を伏せて、静かな口調で彼女の名を呼ぶ。
開いたままの本、そのページを捲る手は先程から順調に動くことをやめてしまった。
「何?どうかした?」
「あのね、それ、どっちかって言うとあたしの台詞」
机に向かって本を読んでいたレイの背後に立つのはクライサだ。
もちろん、それだけなら一切問題は無い。
ただ、首に両腕を回して思いっきり抱きつかれていなければ(若干首が絞まりそうだ)。
中央図書館、その個室を一つ借りて調べ物をしていた彼女を訪ねたのが、クライサだったのだ。
久しぶり、とか、元気してた、とか。そんな挨拶を交わすことなく彼女は駆け寄ってきて、椅子に座るレイの背後から抱きついてきた。
何かあったのかと尋ねても答えは無し、離れろと要求しても反応は無し。やれやれと、溜め息が漏れ出るのを止められない。
「クライサ、放して」
「……」
「これじゃ、顔が見えない」
「……」
「話、聞かせてよ」
「……」
耳元でサラリと音がして、空色の長い髪が揺れた。首に巻き付いていた腕が外され、細い両腕から体が解放されると同時に、手にした本をパタンと閉じる。
見上げる形で振り返ると、そこで漸く彼女の姿を確認し、合った視線に目を見開いた。
「……どうしたの?」
「……どうもしない」
見たことの無い表情だった。今にも泣き出しそうな、困惑したような、不機嫌そうな、顔。
本人でも気持ちの整理が出来ていないのだろう、どうしたらいいのかわからない、複雑そうな表情をしていた。
「…………レイ」
「なに?」
「あたしは……さ、」
「うん」
「……やっぱ、いい」
突然ごめんね。
そう笑って、クライサはレイに背を向けた。
まったく。あんな顔をしておいて、『やっぱりいい』はないだろう。やれやれと溜め息をついたレイが、再び本を手に取りながら口を開いた。
「ねぇ、クライサ。調べ物手伝ってくれない?」
「え?」
「手伝ってくれたら早く済むし。終わったら、街でデートしようよ」
「……!うんっ!!」
彼女のことだから、問い詰めたところで話そうとはしないだろうし、無理矢理聞き出すのは趣味じゃない。
だから、クライサがいいと言うのならその話はここでおしまい。自分に聞いて欲しいのなら、彼女は口を閉ざさずちゃんと話す人だから。
(でもほら、久しぶりに会ったんだからやっぱり、ね)
クライサには、笑っていて欲しいから。彼女の笑顔が好きだから。
「で、何を調べればいいの?」
「コレ」
「……そりゃまた、気の遠くなりそうなこって…」
嬉しそうな満面の笑み、困ったような苦笑、時折見せる静かな微笑み。彼女の笑顔に、安堵している自分がいた。