職員室での用を終え、階段へ向け足を進める少女が一人。
クライサは、小脇に抱えたファイルを片手に持ち直して、左手首の腕時計に目を落とした。
「リミスク」
ふと耳に届いた、聞き覚えのある声。
自身のファミリーネームを呼ぶ、いつも自宅で耳にする声。
少女は、あからさまに顔を歪めた。
November(十一月)
「…何か用ですか、マスタング先生」
歪めた顔をそのままに、嫌々ながらも振り返った。
視線の先には、予想通り、しかし微かな期待を裏切り、黒髪黒眼の教員が立っている。
彼女のクラスの担任であり、彼女の兄である存在。
ロイ・マスタングだ。
「いや、特に用は無いのだが」
「失礼します」
「まあ待ちなさい」
踵を返した腕を掴まれ、逃亡はあえなく失敗。
憎らしそうに彼を睨んだ。
「…で?本当に何の用も無いくせに呼び止めたわけ?こっちはさっさと教室に戻りたいんですけど」
「そうかそうか。早く私の授業が受けたいというわけか」
「え!?次国語なの!?数学じゃなかったっけ!?」
どうやら三限目と四限目の授業を間違えて覚えていたらしい。
そうか、次はこのクソ兄貴の授業か。
「前言撤回!リミスク、サボります!!」
「そんな元気良く挙手して言う事じゃないだろう?」
(くっそ…可愛らしく振る舞えば、少しぐらい見逃してくれると思ったのに…)
世の中それほど甘くはないらしい。
教師を目の前にしたまま、クライサはあからさまな舌打ちをした。
「まったく…たまには真面目に受けてくれないか?君といい、エルリックといい…そんなに私の授業はつまらないかい?」
「うん」
「……君はもう少し気遣いというものを覚えた方がいいぞ」
マズイ。
長ったらしい説教が始まってしまった。
授業時間に遅れる、なんて事は正直どうでもいいのだが、この男に捕まると本当に長い。
サボる事すらまともに出来やしない。
どうやって切り抜けようか。
説教を右から左へ聞き流しながら頭を悩ませていると、突然彼の動きが止まった。