モノフォビアの妄執 | ナノ
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第6話


人、人、人。
左右前後どこを見ても視界に入る人の姿に黒百合は緊張のあまり手を固く握り締めていた。血の気が引いて指先が冷たいのは勘違いじゃないだろう。
任務の為に街に出ることはあるが、その時は人の少ない夜の時間帯だったりあるいは帳を降ろして人払いがされていたりした。
まだ明るい時分のショッピングセンターは人で溢れていてワイワイと賑わっているのが分かる。走り回る子供や楽しそうに並んで歩くカップル、夫婦。一体何人とすれ違っただろう、何もなくここに立っていられるだけで黒百合は奇跡だと思った。


「高菜」


トントンと肩を叩かれてハッとする。通路のど真ん中で突っ立ってしまっていた。
わたわたと端に寄れば倣って棘も2、3歩通路の端へと進みそのまま黒百合の顔を覗き込んできた。
高菜、とかけられた声になんて答えていいのか分からず目をそらす様にずるずると視線が床に落ちていけばピカピカに磨かれた床と棘の足元を見ることになった。視界に揺れるショップバッグは既に4つとなりそれを全て棘が持ってくれている。
流石に申し訳ない気持ちだったが、真希には持たせていいと言われるし棘本人も進んで荷物持ちを行なっていた。
必要な物の買い出しとして高専から来たわけだが、黒百合は実際真希について来ただけである。買われた荷物のその殆どを真希が選出したので黒百合はただ眺めているだけで、正直助かっていた。何が必要なのか彼女には判断がつかなかったのである。


「よし、下降りるぞ」


フロアマップを確認しに行っていた真希が戻ってきてそう口にする。
声に反応するように黒百合が落ちていた視線をゆるゆると上げれば彼女は携帯電話を手にしていて、それを棘に振って見せていた。


「ちょっと行ってくるから棘は休憩な。終わったら連絡するからどっかで時間潰しててくれ」


そう言った真希に棘が首を傾げた。
五条から聞いた役割では棘は黒百合の監視役で暴走しないように見ていないといけない。万が一の時にリスクを限りなく少なくして黒百合を止められるのは真希ではなく棘である。何より荷物持ちに任命されているのだから店の前で待てというならまだしも適当に時間を潰せと言うのはおかしな気がした。


「明太子」
「いや、そんな大荷物にならないしすぐ済ませる予定だから」


特に欲しいものがあるわけじゃないし、合流する手間を考えるならば店の前で待っている。その方が合理的だと考えておにぎりの具に意味を託せば真希がきっぱりと断った。


「おかか、すじこ」


すぐに済むならば尚更じゃないか、なのに何故遠ざけようとするんだろうか。そんな風に思って疑問を口にすれば珍しく真希が言い淀んだ。
何だろう、何故拒むのだろう、いつも物事をハッキリと述べる彼女の稀な姿に首を傾げて促してみれば真希は「はぁー…」と諦めたような長い溜息をついた。そして様子を見守っていた黒百合をチラリと見てから真希は棘に今一度向き直る。


「分かった、遠回しに言うのやめるわ」
「しゃけ」
「あのな棘、今からこいつの下着を買いに行くんだよ」
「し……っ!?」


こいつ、と言って親指を立てて指差すその言動に一瞬遅れて理解をする。
びっくりして、しゃけと言おうとしたのか他の事を言いそうになったのか棘自身も分からず慌てて口を噤んだ。
なるほど…そういうことか。それならば確かに店に着いて行くのも前で待っているというのも抵抗があり棘にはハードルの高いミッションだ。
チラリと黒百合に視線を向ければ彼女は事の次第を見守るように会話の一歩外にいて、ふと目があって思わず視線を逸らす。


「こんぶ」


真希の気遣いを改めて感じて、気恥ずかしくて居た堪れない思いを誤魔化すように棘は自分の携帯が入っているポケットを叩いた。反動でガサガサとショップバッグが音を立てて騒がしくする。彼にとっては取るに足らない物音だったはずなのに何故か顔が熱くなった気がしてショップバッグを一度片手で全部抱え込み空いた手で自分のネックウォーマーを引き上げた。
パンダがこの場に居なくて良かったと思う、おそらく彼がこの場面に出くわしていたらかなり茶化されたに違いない。


「おう、じゃあまた後でな」


少しだけ意地悪そうに笑った真希の視線から逃げるように棘は踵を返して早足でその場を離れようと歩みを進めた。
つまり、真希を付き添いにしたのはこのためか…
荷物持ちだけなら棘で事足りたはずなのに真希をも指名した五条の思惑にようやく気が付いて「ツーナーマーヨーッ」とネックウォーマーから漏れないくらい小さな声で彼は教師に向けて悪態を吐いたのだった。





鏡に映る自分の姿を見て黒百合はお腹を隠すようにぎゅうっと自分を抱きしめた。
呪いは普通の人には見えない。かと言って誰もがその素質を持っていないわけでもなく、見えなくても何となく感じる人もいる。
店員によってフィッティングルームに押し込められた黒百合はあれよあれよという間に着物を脱がされ肌襦袢一枚になった。手早く採寸をされ「実際に合わせてみますね」と笑顔で言われた時は緊張と混乱で一杯だった。
幸いな事に彼女は呪いを感じられない体質な様で黒百合のお腹を見ても何も言わなかったし微かな反応も見せなかった。


「嫌だな…これ…」


腹に刻まれた犬神憑きである証を鏡越しに撫でて黒百合は小さく呟く。
試着として着けられた下着が淡い色のレースと控えめなフリルをあしらった物だったからだろうか、可憐に見えるそれと相対して自分の腹が酷く醜く見えた。
ゆっくり目を逸らして、着けられた下着を脱ぎ肌襦袢を今一度身にして、自分の着物に袖を通す。
やっぱり自分にはこれが合っているなと思いながらフィッティングルームを出て待っていた店員に今ので良いと告げれば少し離れていた真希がやってきて店員と二言三言なにか話し始めた。


「真希ちゃん、ありがとう。私一人じゃどうしていいか分からなかったと思う」


店員が真希から離れたのを見計らって黒百合はもじもじと真希にそう声をかけた。
店員の方を向いていた顔がこちらを向くと、上背のある彼女が黒百合を見下ろすような形になる。


「高専はただでさえ男女比が極端だからな、分かんない事あったら遠慮せず聞けよ?」


そう言った真希に黒百合は少しだけ驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうに笑った。
ただ純粋に嬉しいと思った。こんな風に同年代の同性と一緒に買い物ができてこれから同じ学校に通える。そうして真希自身も聞かれることを嫌と感じ取っていない、むしろ聞けと言ってくれたことが黒百合にはただただ嬉しかった。
もう二度とこんな風に誰かと並んで歩けるなど思っていなかったから。


「ありがとう真希ちゃん」


そうした黒百合に対して真希は意外な物を見るように感じ微かに目を細める。
憑き物筋で引き篭もりと聞けばもっと根暗を想像していた。血に住まう呪いだ、卑屈になっていても不思議ではない。
だが黒百合にその様子は見られず、かと言ってその力に高飛車になっているわけでも無さそうだった。
地形を変えるような、あそこまでの力を持ちながらどうしたらこんなにおどおどとした性格になれるのかと高専では思っていたが、買い物に付き合ってみれば意外な面を見れて印象が塗り替えられていく。
おそらく蝶よ花よと育てられたのだろう、言い方こそは悪いがきっと平和ボケだ。黒百合からは千年前に作られた呪いをまるで感じない。
あの時の空気を裂くような禍々しさが嘘のようだった。

ぐぅぅうっと、決して控えめではない轟音が2人の間を割るように響いて真希は目を点にした。それと真逆に黒百合は顔を赤らめ咄嗟に自身の腹を抑える。


「…き、きこえた?」


恥じらうように真希を見上げる黒百合に、耐えきれず真希は噴出するように笑う。
自己主張の激しい腹だなと笑って時計をチラリと確認する。晩御飯と言うにはやや早い時間だが悪くはないだろう。


「ここ出たら飯でも食いに行くか」


にんまりと笑みを浮かべて言った真希に黒百合は表情を明るくして大きく頷く。
どれだけお腹が空いているんだよと、その元気な表情におかしくなって真希はまた笑った。
そうしてやってきた店員と何やらやり取りをして差し出されたショップバッグを黒百合が受け取ると、真希はおもむろに携帯電話を取り出して画面を操作するとその流れのまま耳にあてる。
数回のコールの後、呼び出し音が鳴り止んで先程別行動となった彼が出た。


「棘、こっち終わったから合流な。ついでだし飯食って帰ろうぜ」


ありがとうございましたーという高めの声に背中を押されて2人で店を出る。棘と話す真希の会話を聞きながら黒百合は通路を歩く人達を眺めた。
人が集まるショッピングセンターに来るとなってかなり身構えていたが来てみれば拍子抜けするくらい普通だった。危惧していた犬神も暴れる様子はなく順調に買い物が終えていく。…と言っても何が反動で動くか黒百合自身分からないので油断は出来ない。さすがにフィッティングルームで着物を剥がされた時はひやひやした。
五条が言っていた棘が抑止になると言う言葉をよく理解して、その上で離れたことに確かな不安をも感じた。
あの森で棘の呪言の強制力を身を以て知った彼女は何かが起これば棘が止めてくれると言う安心感を持っていた。場違いのような店に入った点を除いてもそわそわしてしまったのはそれに依るところもあったのだと今になって理解する。

先を歩く真希についてエスカレーターに乗って上に行く。迷い無く進む真希の足取りに急かされるように足を動かせばふんわりと嗅覚を擽る匂いに気がついた。
次いで視界に入った沢山の座席とそれを埋める人。それらを囲むように建つ隣接した飲食店に黒百合の目は輝いた。
フードコート、なんて来るのは初めてだった。中学の時も友達とはファストフード店くらいしか寄らなかったしそれも稀だった。こんな風に同じ空間に様々な飲食店が並ぶのを目の当たりにして彼女の胃袋は踊るように空腹を訴える。


「こんぶ」


ヒラヒラと、4人テーブルに腰掛けていた棘がこちらに合図するように手を振っていた。どうやら席を取っていてくれたらしい。
座席に荷物を置いてそわそわと黒百合は周りを見渡す。浮き足立つ様な気持ちが溢れ出ていて真希は可笑しそうに笑い棘は不思議そうに首を傾げる。真希にはきっと食い意地を張っていると思われているのだろう、半分は正解だが半分は誤解だ。
少しだけ恥ずかしそうに黒百合はたじろいでそれから迷う様に口を開いた。


「はじめてなの、フードコート…」


宝箱みたいだね、と続けた彼女に2人が目を点にさせそれから噴き出す。
フードコートを宝箱と称したのが可笑しかったのかもしれないし、嬉しそうなどこか恥ずかしそうな姿に微笑ましさを覚えたのもあっただろう。なによりもの決めてはそわそわと視線を忙しなく店舗へ移し、我慢ならないと鳴いた腹の音にあった。



ラーメン、チャーハン、ステーキセットにロコモコ丼、具がたっぷり入ったハンバーガー。4人掛けのテーブルでは足らず慌てて棘は空いていた隣からテーブルを拝借してくっつけた。
どうにかして乗り切ったメニューに目を白黒させていたがそれに全く気がつかないまま黒百合は幸せそうに口に運んでいく。どの料理にも「おいしい!」と声を上げながら箸が止まることはなく、数人前はあるその量をペロリと平らげてしまった。


「よく…食うんだな」
「…しゃけ」


どこに入ったんだその量。呆気にとられつつも口にした真希の言葉に黒百合は「え?」と首を傾げるも、その視線は既に周りへと飛んでいた。
棘はハンバーグステーキを、真希はラーメンを食している最中であるが目の前の見事な食べっぷりに食欲も収まりつつある。というより見ているだけでお腹いっぱいだ。


「ピザ…」
「…食べたいなら買ってこい、私らまだ食べ終わってないから」


というより食べ切れる気はもはやしない。
そんな意味も黒百合には伝わらず真希の言葉に純粋に喜んで黒百合は財布を片手に立ち上がった。
フードコート初心者の黒百合に「ついでに返却口に食器返してこいよ」と教えて彼女はなるほどそういうものなのか、と頷く。
しどろもどろで一品目を注文していた黒百合も既にキラキラな眼差しと軽い足取りで料理店に足を向けるのだから人の三大欲求とは馬鹿にできない。あんなに挙動不審だった彼女が数十分後には1人で注文をするまでになっているのだから。


「フードコートって美味しいね」


早速手にピザを抱えて帰ってきた黒百合は席に着くなりガッツき始める。口いっぱいに頬張って幸せそうに咀嚼する黒百合は飲み込んだ後にえへへと笑いながらそう言った。
大食い選手権でもあれば良い線いけるだろうと思わせるように、ピザすら飲み物のように平らげて黒百合は長く息をついた。その視線はまだ周りのお店に飛んでいるので、満足したのかは分からない。
棘と真希が漸く自分達のご飯を食べきった頃には黒百合はじっとクレープ屋を眺めている様子だった。
だから食べないなら買ってこいよ…と呆れつつ真希は水を飲み干す。


「明太子」
「ん、え?」


そんな黒百合に声を掛けたのは棘だ。真希より一足先に食べ終わり食器を返却してきた彼は彼女がじぃっと見つめている先に気が付いて、食べる?と意味を込めて声を掛けた。
しかし当然ながら黒百合には棘の言葉が明太子以上の意味で伝わることもなく少し困ったような顔をする。


「食いたいのかって」
「あ、…えっと…」


そんな2人に向かって助け舟を出した真希に黒百合が意味を理解すると、どうしたことがしどろもどろに言葉を濁した。
「はっきりしろよ」と容赦なく切り捨てる真希に彼女が言いにくそうにもごもごとまごついて首をゆるゆると振った。


「食べたことの無いものを食べてみたいって思ったの」


けど、あれはお腹にたまらなそうだなぁって思って。
そう付け足された彼女の言葉に2人の反応が出遅れる。一呼吸置いて吐かれた台詞を反芻して「んん?」と彼女を見た。クレープがどうのとかそんな話ではなく。


「食べたことがないもの…?」
「うん…あ、さすがにハンバーガーはあるけど、あそこまで具沢山なのは初めてで目移りしちゃった」


お肉がすごいお肉!って感じなんだね、と語彙力ない感想を述べる黒百合に一度言葉を飲み込む。
ど田舎出身とは聞いていたが、それは数年前の話。東京にきてしばらく経つだろうにラーメンもステーキも食べる機会がなかったとは思えない。


「普段何食ってるんだよ」


無意識に出た疑問に黒百合は少しだけ首を傾げた。


「ふつうに…お魚とか、煮物とか…?」


可笑しなことを言っているつもりは無いのだろう、帰ってきた言葉も至極普通で別段おかしいわけじゃない。
それでも異質を感じてしまうのは彼女が住まうあの異様な部屋に起因するのかもしれない。引きこもりを拗らせていたというのだから、外食など殆ど経験もないのだろう。
解釈しつつ頷き難いのは、こうして話してみればみるほどに、黒百合の性格に問題があるようにはさほど思えない。
好きな物をたらふく平らげて幸せそうな顔をする黒百合は挙動不審の空気もどこかに追いやって溌剌とした印象さえ持たせる。

どこか腑に落ちないという顔をしながら「食器返してくる」と席を立つ真希を見送って、棘だけはその表情に影を落としていた。