モノフォビアの妄執 | ナノ
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第5話


黒百合にとって五条や特定の人物以外とこの階段を上がる感覚というのは新鮮なものだった。
先行をいく五条と自分の後ろをついてくる棘に何とも言えないむず痒さを感じて、その正体が何なのか探るように顔だけを振り向いてみた。


「ツナツナ」


階段を上がっていた最中だったからだろう、上を向いていた棘と黒百合の視線が合い、棘は首を傾げながらもおにぎりの具を口にした。
棘にとってそれは前を向かないと足元危ないよ、という気にかけての意味を込めた物だったのだが残念ながら黒百合にそれが伝わる事はなく、ぴゃっと怯えたように体を揺らして前を向き直した彼女に棘は人知れず肩を落とす事となる。
当の本人である黒百合は何を言われたのか分からないものの目が合うと思っていなかった為、驚きが大半を占めつつ何かを言われたという事実に身を引いてしまったのだった。
その様子を背中で読み取って五条は人知れずクツリと笑う。
会話を頑張ってと黒百合に言いはしたが、黒百合にとって同年代との会話など数年ぶりであり、しかも最後に交わしたものは彼女に対しての拒絶だった。それぶりとなる会話がおにぎりの具しか話さない異性となれば難易度は高いだろう。棘の方が何とか会話を試みようとしているが、出会ったばかりの引きこもりに伝わる訳もなく棘の気遣いは空振りとなっていた。

階段を登りきって仏堂のすぐ外で待機していた真希達はそんな三者三様に怪訝に首を傾げる事となる。
ニヤニヤと愉しげな五条の背後にどこか居心地悪そうに緊張な面持ちの黒百合、それに続いた棘は項垂れていて哀愁漂う様な姿だった。

下で一体何があったんだろう。

そう思うも、疑問を音に乗せるより前に五条が「はい、ごたいめーん!」と語尾に星が付きそうな声色で黒百合を促した。しかもピースのポーズまで付けてその場を盛り上げようとせんばかりのテンションに冷たい空気が流れ込んでいるなど本人は気付いていても全力で滑り続けている。
五条の要らない采配によって微妙な空気が流れつつあり、それをもろに受けてしまっている黒百合は困惑の表情を隠しもせずに五条を見上げていた。

何これ一体どうしたらいいの。

そんな事を言いたげなのが表情から伺えて真希は溜め息をつきながら額を抑えた。五条のあえて空気を破壊する具合に頭が痛くなりそうだったのだ。
誰かがどうにかするのを待っているような空気に動き出したのは意外にも件の黒百合自身だった。


「あ…、」


思わず一音が喉から漏れて、彼女は憂太を凝視していた。
ずりっと後ずさる様に足を後退させて様子を伺う様に言葉を一度飲み込んだ様子の黒百合が恐る恐ると言った様子で「あの」と続けた。
まさか自分に向けられて言葉が投げられると思っていなかったのだろう、憂太が「僕?」と驚いた様子を見せる。


「さっきはごめんなさい、体は大丈夫…?」


恐々と聞きながらも黒百合がじわじわと下がる足を止めない。五条の隣にいたはずなのに、今や背後にいた棘と並びあっている。
このまま下がる様であればまた仏堂の中に潜り込んでしまいそうな勢いに棘が「高菜」と黒百合に向けて声をかけた。


「え………え??」
「こんぶ」
「…こん、ぶ…」


そんな棘に困惑してしまう黒百合に憂太は思わず綻んだ。
棘が伝えたいことが黒百合には空回りで、そんな黒百合にどうにか伝えようと必死に言葉を続ける棘がどこか微笑ましかったのがある。こんな状況なのに少しだけ可笑しくて溢れた笑いを堪えることが出来なかった。
そんな憂太の様子に気が付いて周りの視線が彼に集まると憂太は少し慌てて言葉を繕った。


「あ、いえ……大したことないから気にしないで」


そう言って緩く笑う憂太に黒百合は心底安心した様に息を吐いて小さく会釈をした。
一連の流れを眺めていた五条はどこか嬉しそうに笑うとすっかり後ろに下がってしまった黒百合を引き戻す様に背中をぽんぽんと叩いて前へと促し、再び横に並ぶと「じゃー自己紹介ね」と取り仕切るように声を弾ませた。


「さっきも説明した通り、犬神憑きの花菱黒百合。犬神と白児の過保護っぷりがちょっと過剰で引きこもっちゃった拗らせ女子でーす」
「悟!」


紹介と称して何やら罵られてしまったのは気のせいではないと黒百合は抗議の声を上げた。隣の大男はそんな様子をケラケラと笑い、まあまあと子供扱いに黒百合の頭を撫でるので黒百合はその手を感情のままに叩き落とした。


「で、呪具使いの禪院真希。呪霊だけじゃなく対人戦闘も長けてる。そのうち組手やってもらうからそのつもりでね」
「え!?」


叩き落とされた手を気にすることなく五条は続けた。そうして口にされた組手と言うワードに声を上げたのは黒百合だ。
犬神がいる以上、組手なんて不可能だ真希を殺してしまう。そんな意味を込めて反射的に上がった声だったが五条はにんまりと笑うだけで発言を取り下げる事はしなかった。


「あっちの彼は愛に呪われちゃった乙骨憂太。犬神が反応したのは彼に憑いてる里香ちゃんね。里香ちゃんも憂太が攻撃されたりすると反応したりしなかったりだから気をつけて」


で、最後にパンダ。

憂太に続けて紹介されたパンダの内容がずさんに一言で終了してしまったことに真希も棘も当の本人のパンダも反応を見せなかったが、憂太だけは苦笑いをした。
黒百合も落差に一瞬驚いて目を瞬かせ困ったように五条を見上げた。「ん、なーに?」と視線に気が付いた彼が黒百合に向かって首を傾げる。言いたい事は分かっているだろうに分からないフリをしている。それがありありと分かって黒百合は無言のまま視線を彷徨わせた後チラリと背後の棘を見た。


「おかか」


黒百合と目が合って棘は首を振りながらそう口にした。
パンダの説明をする為には呪術に纏わる話をしないといけない。その仕組みや構造を理解した上で恐らく理解となるだろう。呪言師の末裔として生まれた棘や呪術師の名家に生まれた真希ならばするりと理解することも出来るが、黒百合が呪いについて何処まで知識があるのか分からなかった以上は今ここで立ち話にするのは無駄に思えた。
そう考えて気にしなくていいと言う意味を込めたのだが、やはり黒百合には伝わらなかったらしく誤魔化すように視線が泳いで逸らされてしまった。


「憂太はパンダに付き添ってもらって一応怪我の具合を診てきてもらいな」


そんな空気を一新する様に割って入ったのは五条だった。徐ろに告げた言葉にパンダと憂太が顔を見合わせる。その様子を気にした様子なく五条はさらに続けた。


「真希は黒百合の買い出しに付き合ってやって、色々足りない物あるだろうから」


棘は荷物持ち兼黒百合の見張りね。って言っても今は犬神も大して動き出さないだろうけど。
そう続いた言葉に棘は「しゃけ」と頷き、黒百合は買い出しと言うワードに過剰に体をビクつかせた。しかし最も顔を歪めたのは真希だった。


「ちょっと待て、何で私が。棘が行くなら別にいらないだろ」


人の多い所に紛れて周りに危害を加えない様に見張って付き添うならば何人も人手はいらないだろうし、五条も今し方犬神は動かないと予想した。それがどんな理由でかはさて置き、事実ならば棘一人で事足りる。しかも先刻犬神が暴れる中で棘は黒百合の動きを防いで見せたのだから。
そう訴えた真希に五条は「うーん」と少し言葉を濁した。彼にしては珍しく言い淀んでいる様子に「はっきり言えよ」と少しイラついた声で真希が催促すれば、彼は少しだけ困った様子を見せた。


「黒百合はね、ほんっとーに田舎の山奥出身でさ見ての通り普段着が着物なんだよ」


そこまで言ってから五条は真希に近寄り声を潜めて耳打ちをした。
「文化も一昔前レベルで閉鎖的な村にいたから…まあ習慣の違いなんだけどさ。」そう続いた言葉に真希は少しだけ眉を潜め、チラリと黒百合に視線をやる。
五条は構わず続けた。


「真希なら分かると思うんだけど、和服と洋服で肌着ってかなり違うでしょ?高専の制服に今の肌着っていうのは…ね?」


黒百合自身、自分で買うなんてした事ないだろうし、そんな中で棘を付き添いにするのは棘が可哀想じゃない?多分黒百合もよく分かってないからあれこれ聞くだろうけど、思春期真っ只中で棘に耐えられる?


「ね?」
「……」


肯定を促されて真希は黙ったまま今度は棘に視線を滑らせる。黒百合の元から離れて、パンダや憂太と何か話している所だった。
確かに縁が無いだろう婦人系下着売り場に棘を放り込むのは酷だ、おそらく本人もかなり嫌がるだろう。五条の言葉が本当ならば黒百合が一人で買うというのも無理かもしれない。その辺りは店員に任せれば良いだろうが、あんなにもおどおどとしている彼女が自ら店員へ声をかけに行き意思を伝えられるか分からない、というより難しい気もする。
つまり、自分は保護者みたいなものか…
そう納得して真希は深いため息をついた。


「仕方ねぇな」


意思疎通が上手くできない棘と時代錯誤で疎い黒百合を放り投げて障りが無い方が考えにくい気もして真希は諦めた様にそう口にしたのだった。
チラリとまた彼らに視線を向ければパンダ達の元に黒百合も混ざり何やら談笑をしている様だ。
と言っても黒百合は縮こまって首を縦に振ったり横に振ったり忙しない様子で思わず「あいつら何してるんだ…」と呟けば五条もそちらを向いて楽しそうに「何だろね?」と笑う。
図体のデカいパンダと顔の半分を隠している棘、一般人には見えないものの特級の呪いを連れている憂太、そんな3人を前に体を小さくしている黒百合は一見カツアゲにでも合っているのかと思わせるような絵面だった。


「あ!真希。ついでに黒百合にATMの使い方も教えてやって」


そんな言葉と共に五条が「はいこれ」と差し出したものを見る。
よく見る銀行の通帳とキャッシュカードだった。出されたそれを流れに沿う様に受け取ってまじまじと見れば表紙には花菱黒百合様と印字されているところ彼女の物らしい。
渡された意味は分かるが五条から出されたそれにどういう事だろうかと彼に視線を滑らせば、五条はケラリと笑った。


「黒百合って仕事以外ほとんど此処にいるからさ、必要な物とかあったら僕が引き出してたんだよね」


いや、ダメだろそれ。

思わず言葉を飲み込んで真希は心の中で呟く。
買いに行かせるのは伊地知とかにだったけど、と続けた彼にきっと嫌がらせも兼ねてのパシリなんだろうなと他人事に思いながらもやはりそれは言葉にしなかった。

そうしていれば、パンダ達の元からもじもじとした様子で黒百合がこちらに歩み寄ってきた。上背のある五条と真希を前にして黒百合は視線を右へ左へと泳がせる。
何か用があって来たのだろうに何も言わずにもじもじとしている黒百合に「何だよ」と真希は問いかけた。少し離れたところでこちらの様子を伺いながらニヤニヤしているパンダ達は後で殴ろう。
そう心に決めた頃、黒百合が漸く決心した様に真希を真っ直ぐに見つめてきた。


「あ、あの、よろしくお願いします!」


真希、ちゃん!

そう意気込む様にして呼ばれた自分の名前に真希は僅かに目を見張った。
名字で呼ばれることを嫌う真希だからその呼び方に問題はないのだが、そわそわとする黒百合の様子は完全に勢いで叫んだそれだった。
なるほど、あいつらの入れ知恵か。
余計な事を、とは思わないが如何せんパンダのニヤケ顔がムカついて睨みつけるようにそちらを見た後、真希はゆっくり長く息を吐いて彼女に「宜しくな」と言葉を返した。