モノフォビアの妄執 | ナノ
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第4話


「説明しろよ、こいつ何なんだ」


咎めるような鋭い声色に五条はんー、と少し首を傾げる。考えているというよりは時間を稼ごうとしているような思わせぶりな態度に今し方言葉を投げた真希はイラついたように「はぐらかすな」と追撃した。
棘の呪言によって眠りについた黒を纏った彼女は、体を縛られていた呪言が解け眠りについたのと同時に地面に転がった。
ピクリとも動かない彼女に漸く警戒を解いて、五条に向けて諫言するような口調になったのは、彼女が唯一助けを求め縋った相手が五条悟だったからだろう。五条もそれに答えるようにしていたのを見るに、2人は顔見知りだったのだ。
ならばそれを踏まえて攻撃を仕掛けてきた彼女が解せない。しかも自分は被害者だと言わんばかりに泣いて悲痛を浮かべていた。負傷したのは憂太で、しかも真希も棘だって得体の知れない何かに襲われたというのに。

ずり、ずり、と何かが地面を這う音がして「ツナツナ」と棘が指を指す。
今度は何だよと視線をそちらに向ければ血に塗れた象牙の犬が前足を地面に立てて必死に黒の彼女の元に進んでいる最中だった。
一同、思わず息を飲んだのはその象牙の犬がぶら下がっているだけの下半身を引きずりながらも彼女の元に辿り着けばくーんくーんと鼻を鳴らしその安否を確かめた後、彼女から前へ数歩出てグルグルと喉を鳴らし臨戦態勢へと転じたからだった。


「別に俺たちは何もしないぞ」


困ったような声色で象牙の犬に向けて言葉を放ったのは憂太を背負ったままのパンダだった。
まるでその犬が必死に自分の主人を守ろうとしているようで、痛々しい姿も相まってこちら側が襲いかかったような気さえする。だれも犬に触れてなどいないのに。


「パンダくん、ありがとう……もう大丈夫だから」


そうして徐ろに動き出したのは憂太だった。木に打ち付けられて肺へとダメージがあった彼だが幾分かマシになったらしい。咳き込んでいた呼吸も落ち着きパンダにそう声をかけて地面に降りる。
ピキリと背中に走った痛みに多少顔が歪んで、それに気がついた棘が「高菜」と声をかけた。「大丈夫、ありがとう」と言葉を返して憂太は前方に目を向ける。
牙を剥き出しにして威嚇する象牙の犬と、それに庇われているかのように地面に伏せている黒の彼女。
そんな彼女を犬越しに見つめて、憂太は一歩また一歩と足を前に進める。


「おい、憂太…」
「大丈夫だよ真希さん」


心配して憂太の手を取った真希に、憂太は朗らかに返した。とても自然な笑みと緊張も警戒もしていない声にするりと真希の手が滑り落ちる。
例えるならば慈愛のような表情に呆気にとられたとも言える。憂太の行動が気になったのもその理由。
けど、それ以上に何故か憂太が近寄り難い雰囲気を出していたような気がして気圧されるように手を離してしまった。
やがて象牙の犬より3歩ほど手前まで歩むと、憂太はその場に膝をついて目線を引くさせた。警戒が強くなり飛びかからんばかりに姿勢を低く唸る象牙の犬に里香も「憂太ぁ…憂太ぁ…」と反応し始めている。


「大丈夫だから、里香ちゃん。何もしないで」


とても柔らかい口調でそう言うと憂太は視線を犬に向け努めて優しい声になるように言葉を犬に向けた。


「ごめんね、里香ちゃんを見たから吃驚させちゃったんだよね」


先日も憂太――正確には折本里香を見て敵対した呪いが激しく怒り始めたのだ。彼女もきっと同じで驚きと怯えから生存本能が叩かれてしまったに違いない。
襲ってきた何かまでは判断が出来ないけれど、必死に止めようと叫んでいた彼女のあの涙は憂太にとって他人事には出来なかった。
憂太自身、里香の暴走によって周囲の人を憂太の意思とは別に傷付けてしまった。
事情までは分からないけど、きっとこれは彼女が望んだ事じゃないのははっきりと分かる。
五条は彼女の事を拗らせたと揶揄していたが、あながち間違いではないのだろう。
傷付けることが怖くて誰も傷付けたくなんかない、その気持ちで引きこもってしまうというのは憂太には痛いほど良く分かる。でも、それでも…


「1人は寂しいですから…」


そうして五条を仰ぐように言えば、五条は息を吐くようにふっと笑った。
いつだったかのやり取りを彷彿させる物言いは気のせいでもなく狙っているのだろう。憂太の愚直さは嫌いではないと五条はまた笑い、そのまま象牙の犬に近寄った。


「ガーオ、ほらもう大丈夫だからお前も一旦戻りな」


グルグルと喉を鳴らし続ける象牙の犬に五条はそう告げながら犬の下半身へと手を伸ばした。
「ガァ!!」と低い鳴き声なのか威嚇の声なのか判断が難しい吠え方をしながら象牙の犬は伸びてきた五条の手に牙を向ける…が、届く前に見えない壁のようなものに阻まれる。「こっわー」と笑いながら五条は伸ばした手を引っ込める事はせず、犬の具合を確かめるように胴体の毛を掻き分けていた。


「結構ひどいじゃん、早く戻りな。黒百合を泣かせたくはないだろ?」


ほとんど千切れてしまっている体を見て五条はそう続けるも、犬の警戒は止むどころか強くなるばかりでジリジリと前足で地面を踏みながら今にも飛びかからんとしていた。


「前にも言ったけど、取って食いやしないよ。信用ないなぁ」


僕たち何年の付き合いになるのさ。口をすぼめて拗ねたような口調で言いながら埒があかないと思ったのか五条は象牙の犬から目を離し、やや離れたところで待機している3人に目を向けた。


「棘、ちょっとガオを戻してくれる?」


僕が無理矢理黒百合を連れて行ってもいいんだけど、君達に飛び掛かりでもしたら今度こそ黒百合は舌でも噛み切るだろうし。
なんて続ける五条に多少の困惑をしながら棘はネックウォーマーを掴んだ。この状況を説明して欲しいのだが、その為にはまず犬をどうにかしない。そう判断してのことだった。







「さて…と」


象牙の犬を呪言によって戻し――黒の彼女の影に吸い込まれるようにして消えた――五条は説明はこっちで、と彼女を横抱きに抱え上げて彼らを引率した。
当初の行き先であった仏堂の引き戸を躊躇いなく開けると明かされた中に誰かが息を飲んだ気配がして五条は思わず笑った。
所狭しと貼り付けられた札がその異様さを醸し出していて、その札は仏堂の中に隠されるようにして存在していた地下への階段でも確認できる限り貼り付けられている。


「なんだここ…」
「ツナマヨ」


思わず呟いたパンダに棘もぽつりと吐き出す。
まるで呪いを封じ込めているような場所…まさにその通りだ。
高専にある寺社仏閣はその殆どがハリボテで本来の意味とは別の意図があり建設されている。だとしても誰が仏堂の中に地下階段があると予想するだろうか。しかも元の素材を覆うかのように貼られている札に異質さを覚えずにはいられない。


「ここは黒百合の檻だよ」


彼女が望んでここに籠っている以上、他にも言い方はあったはずだった。彼女にとっての安息の場。周りにとっての安全地帯。高専の保険。けれど実際はどれもこれもが建前な気がして五条はわざと重々しい言い方を選択した。
返事を待たず反応を見るでもなく五条はそのまま仏堂へ足を踏み入れ、そのまま階段を躊躇いなく降りていく。「ああ靴はそこで脱いでね」と彼女を抱えながらも器用に靴を脱いだ彼にパンダは足裏の土埃を丁寧に落とした。

檻と称されたそこの更に異様さを目の当たりにしたのは階段を降りてすぐのこと。
六畳ほどの広さの部屋に壁にも天井にも札が重なり合うようにして貼られている。図書館のような古い紙の匂いが鼻を掠めるが、正体はこの札によるものだろう。
五条は横抱きにしていた彼女を降ろして寝かせるとその脇に胡座をかいて座る。そうして困惑とこの空気に呑まれつつある生徒たちに「まーまー座って」といつもの調子で手招きをした。


「じゃあ彼女の紹介をするね」


先程までの事も何もかも、何でもなかったというような様子で軽薄にそう進める五条に「説明をしろよ」と真希が言葉を挟んだ。


「急かすなよ、今からするから」


大人には順序ってものがあるの。と茶化すような物言いに真希はあからさまに顔を歪める。
五条と向き合うようにして彼の生徒たちは畳に腰掛けたが禍々しさを感じるこの部屋にはどこか居心地が悪そうだった。
そんな生徒の顔を眺めて五条はゆっくり深呼吸を1つしてから口を開く。


「この子は花菱黒百合。教室でも話したとおり、みんなのクラスメイトの1人だよ」


そう言って五条は棘と憂太に視線を移す。


「呪いに関して言うなら棘と憂太に近いかな」


その言葉に名指しをされた2人が顔を見合わせる。そんな様子を見守りながら五条は側で眠る黒百合の頭をぽんぽんと優しく撫でた。


「生まれ持った呪いで自分の意思とは別にフルオートで周りを傷付ける。カウンターって言えば聞こえは良いけどそんな万能なものじゃなくてね、黒百合に対して悪意の類が向けられると反応するし、黒百合が心を乱しても反応する」


まあ厄介だよね、こんな世の中だ悪意に溢れてる。
そうやって明るく続けた五条に視線が黒を纏う少女黒百合に向けられた。


「何の呪いに憑かれてるんだ?」


そうして疑問を投げたのはパンダだった。人間でも動物でもないパンダはいつだって比較的冷静だ。
五条は口元に笑みを浮かべて自分の顔の側に指を立てる。その仕草が普段の授業のそれと似通っていて五条にしてみればこれは何てことはないただの説明なのだとパンダは何となく理解した。


「憑き物筋――黒百合には犬神が憑いている」


静かに、けれどはっきりと告げた五条に「明太子」と口を挟んだのは棘だった。棘の言葉に真希は頷いて「そうだぜ」と不服そうに続ける。


「犬神憑きにしては凶暴過ぎるだろ」


呪いが全盛期と呼ばれた一昔前ならいざ知らずその血も薄れているだろうに、一般的な憑き物筋よりも現世に対する影響が逸脱している。その存在感は初めて対面した時の折本里香を彷彿させるほどだった。
そんな意味を込めて言った真希に五条は「うん、そうだね」と相槌を入れた。
普通の犬神憑きならば、地形を変えうる力など持たなかっただろう。ただ、彼女が持つその呪詛はただの憑き物ではない。


「とある村で長いこと神様≠ニして崇められていたからね」


人の念が呪いを生むのだ、崇められ祀られていた犬神は神たる力を持ってしまった。
元よりこの呪いは呪術が全盛期とされた千年は前に人の手によって生み出されたと判断している。人を呪う為だけに生まれた呪詛が長い年月をかけて神様として信仰され力を蓄えてしまった。


「黒百合が通ってた中学でちょっと犬神が暴れちゃってね、そこから不登校になって引き篭もりに磨きがかかったんだけど…甘やかすのもそろそろ辞めようかなって思ってさ」


高専に籍はあるんだけど中々教室に来てくれなくて、クラスメイトの顔を見たら気分も変わるかなって思ったんだけど犬神健在だったね。
てへっと語尾に星でも付きそうな勢いでそう吐いてみた五条に彼の生徒は何も反応を示さなかった。五条自身そんな生徒達の塩対応に慣れてしまっているのか特別気にした様子なく今度はやや真剣な声色で、でも…と言葉続けた。


「まあ、そんなことを言ってもご覧の通り黒百合を昏倒させれば犬神も動けないから棘とは相性がいいね」


白児の方は黒百合に忠順だから心配はいらないだろうし。逆に里香は刺激が強すぎるから憂太とは合わないかもしれないね。
と、軽やかな口振りで続けた五条に沈黙が訪れた。何をどう言おうか誰も彼も考えがまとまらなかったのだろう。少しの静けさの後、口火を切ったのは棘だった。


「こんぶ、高菜…」


おにぎりの具に乗せた自分なりの考えは、自分が出来ることがあると言うならば力になってやりたい。という気持ちだった。それを見込んで五条は棘を名指しして相性が良いと言ったのだろうし、試す意味もあってあの場で自分を仕掛けたのだとも理解した。
そんな棘の言葉に難色を示したのは真希とパンダだ。
棘は優しい。先程五条が言ったが呪いの系統として生まれつき苦労をしてきたというならば彼が気にかけてしまうのは必然な事だと2人は思った。


「…棘、それは同情からか?」
「お前がそんな重荷を背負う必要はないんだぞ」


先刻目の当たりにした彼女の呪いは、彼女自身が制御出来ていない極めて危険なものだった。遠慮も手加減も知らず見極める余裕すらない呪いの暴力。
棘も真希も憂太も、重体を負っていてもおかしくない程の力だった。
そんな黒百合の力になるというのは必然的に接触が多くなるという事で、それは危険を伴うという意味だ。
変な仲間意識を感じてしまっているのではと、パンダと真希はわざと言葉を悪くして棘を諌めるように言葉を繋ぐ。
同情∞重荷°ュ調するようにして言われた言葉を棘は自分の中で噛み砕き飲み込んだ。同情、かもしれない。重荷、かもしれない。
それでも彼女に呪言をかけるとき、引っかかった何かの正体を知りたいと思った。


「う…っ」


不意に魘されるような声を漏らした黒百合に皆の注目がそちらに移った。
顔を顰める彼女を見て五条は手をパンと一度叩き高い音を奏でいつもの口調で高らかに言う。


「さぁさぁ!一旦出よっか!黒百合が起きた時にみんなに見つめられてたんじゃ恥ずかしくて泣いちゃうかもしれないよ」


はい、早く早く行った行った。と追い払うようにして生徒を立たせる彼に、パンダと真希はげんなりとした表情をして、そんな様子に憂太は苦笑いをしていた。
入って来た所から階段を登って地上へ向かう友人達の背を見て、棘はその一歩を踏み戻して五条に視線を投げる。その様子に気付いていたのだろうか、五条は口角を上げて笑みを浮かべ棘の方を向いていた。
布で目元を覆っているにも関わらず、見通されているような感覚に少しだけ居心地が悪い。
そんな棘に気付いてか否か、五条は笑みを少しだけ深くすると「いいよ棘、そこで待ってな」と何も言っていないのに、言いたいことを理解しているという風に了承を出された。

…まぁ、いいか。

何も言ってはいないが、あながち間違ってはいないと1人そんな風に思って棘は階段の段差に適当に腰掛けて中の様子を伺うことにしたのだった。







そうして暫く待った後、棘の鼓膜を揺らしたその声は阿鼻叫喚のそれを表しているようで自然と目線が床に落ちていった。


「馬鹿!悟!馬鹿!嫌い!!」


悲痛をぶつけるように泣き叫ぶ彼女は馬鹿、酷い、嫌いという単語をただただ繰り返し嗚咽すらも交えていた。
まるで泣き方を知らない子供のように苦しそうに無く彼女を五条は謝罪の気持ちも籠っていなさそうな声でごめんごめんと告げる。
泣いているその声が痛くて、まるでこれではパンダの言うとおり同情≠ノなってしまいそうだとゆっくり目を閉じた。
泣いて喚いて五条を罵りながら時折咳き込んでまた泣く。


「もう、死にたい…っ」


そうして吐かれた彼女のその言葉に棘は目を開く。
ここまで泣いている彼女の様子を伺えばあれはやはり不可抗力で、彼女の望んだものではなかったのだとよく分かる。
けど違う、そうじゃなくて――既視感でも未視感でもない、類似とも少し違う。
けど、あの時感じていた違和感の正体が霧が晴れたかのように分かって、それと同時に愕然とした。まさかとは思うけど五条はここまで線を引いて近いと言ったのだろうか。
泣きながら死を願った彼女のその言葉にはありとあらゆる感情が込められていて、それらを把握出来てしまったのはおそらく棘が狗巻棘だったからだ。

――あれは、まるで幼い頃の自分じゃないか

傷付ける事を恐れて外を怖がって自分が傷付く事も畏れた。こんな力欲しくなかったと、そう思ったことが無かったわけじゃない。結果として今がある訳だがその過程には拭いきれない葛藤があったのが事実。それでも、泣き方を知らない子供のように泣き喚いていた彼女が、誰も救えなかった幼い頃の自分と重なって棘はがくりと項垂れた。

重荷…そうか重荷、うん、そうだ。

同情と言ったパンダ、重荷と言った真希。まるでその通りになってしまった――けど、棘の中で放っておくという選択肢はすでに存在しなかった。
今なら憂太が込めた憐憫の目もその憂いを理解出来た。


「いくら」


だから棘は五条によって彼女に紹介された後、自らの意思で彼女に手を差し出した。
握手という意味では無かった。手を引いて外に連れ出したいとそういう意図から、一緒に行こうとおにぎりの具に意味を込めたのだが残念ながら黒百合には伝わらなかったらしい。
大きな目に困惑が揺れているのに気がついて、彼女の手が縋るように五条の服の裾を掴んだのが分かると棘は諦めて手を降ろした。
にやにやと笑うだけのこの男はどうやら何も口を挟むつもりはないらしいので、黒百合に意味が伝わる可能性はゼロには等しいだろう。


「みんなを上で待たせてるから、とりあえず顔合わせでもしようか」


棘の行方を失った手などまるで知らないと言うように振る舞って五条は黒百合を促すように立ち上がらせる。
それに習って棘も五条と同じように立ち上がりゆっくりと視線だけを辺りに投げる。

檻と称されたこの異質な空間が、いつか黒百合の意思で壊される事をどことなく願っていた。