モノフォビアの妄執 | ナノ
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第8話


黒いシャツにプリーツのある黒いスカート、シャツの上に着ているジャケットは背面が燕尾のようになっており、程よく長く風によって犬の尾のようにふわりと揺れていた。全身を黒で整えている彼女の制服はまるで喪服のようだったが異色のように首元にあるネクタイだけが鮮血のように赤い。
目の前で見せつけるようにくるりと回った彼女に、その首のネクタイが硯戸には首輪のように見えて、悪趣味めと心の中で吐き出した。


「どうかな、善」


いつもの着物と打って変わって、高専の制服に身を包んだ黒百合が様子を伺うように硯戸に聞く。
初めて着替えた時、ボタンを留めるのとネクタイを結ぶのに苦戦して中々制服というのは難しいのだと黒百合は思った。中学の時はセーラー服だった彼女は普段着が和服の為にボタンというものがとにかく苦手だった。
それも毎日着てみれば当初30分はかかっていた着替えも最近では10分強とかなりの進歩だ。着せられていた感満載の制服も馴染んできて彼女は漸く制服で任務に出ることを決めた。
今までずっと着物姿しか見せていなかった硯戸に制服姿を見せるのは少しむず痒い気がして些か不安を感じ、更に首を傾げて彼の反応を待った。


「それは五条が?」


正直黒百合に制服を用意する人物など五条しか硯戸には思い当たる人物がいなかった。そもそも上層部は黒百合が高専に通う事に対してかなり渋っていたと聞く。乗り気でないのは分かっているのだ、だとしたら五条悟しかいない。いない、がこの赤い首輪は皮肉のように取れてしまい気分が良いものでは無かった。


「…変かな?」


硯戸の問い掛けに不安に感じてのだろう黒百合が答えることなくそう聞いた。質問に対してのその反応ならば答えておらずとも肯定しているようなものだ。


「いや…」


着こなしてて良いんじゃないか。そう続けようとした彼を遮るようにポケットに入れた携帯電話のバイブレーションが振動する。着信を知らせる長い震えに少しだけ怠そうにしながら硯戸は携帯を取り出した。
そして画面に表示された着信相手を確認して密かに目を細めると、溜め息を我慢してから彼女へ視線を移す。


「似合ってるよ、黒百合」


言葉をそう言い直して彼は受話ボタンを押し端末を耳へあてる。


『黒ってさ、全部を侵食する色だけど、そんな中にこれ見よがしの赤は映えるだろ?』


どう?僕の見立て。挨拶をお座なりに脈略なくもそう続けた五条に硯戸は今度こそ溜息を吐き出した。


『善くん、善く〜ん。ダメでしょ溜息なんてついたら』


幸せ逃げちゃうよ、なんてケラケラと笑う電話の向こうにいる男はこんなくだらない事を話すために電話をかけたのかと硯戸は判断しかねていた。
普段からどうでも良いような事を連絡して暇つぶしにしてくる男だ。五条悟は硯戸善にとって最強の呪術師である前にチャランポランでいい加減な男であった。


「用件は」
『相変わらず冷たいなぁ』


埒が明かないと判断した彼が短く尋ねると五条がからりと笑った。
不思議そうにこちらを見上げる黒百合に口の前で人差し指を立ててサインを送ると彼女は素直に頷いてくれた。五条の元にいた割に黒百合は純真だ。勿論憑き物筋特有のネガティブな思考や捻くれた部分があるのは否めないが、それでも黒百合は硯戸から見れば天真爛漫と言うに相応しい。無論初めて会った時は卑屈で根暗ったらしいガキと思っていたが数年の付き合いとなった今は払拭されていた。おそらくはきっと五条に拾われるより前に黒百合を育てていた親たる人物がきちんとしていたのだと硯戸は思っている。
硯戸の電話を大人しく待つ彼女は象牙の犬の毛繕いを始めたばかりだ。そんな様子を眺めながらもやはり目に付く赤いネクタイに彼はゆっくりと視線を外した。


「五条の趣味とは逸れてるよな、何の意図が?」
『セ・ン・パ・イ、だろ善。なんならお兄ちゃんでもいいけど』
「死んでも嫌だ」
『可愛くないなぁ〜』
「お前は俺に何を求めてるんだよ」


五条悟との会話は困難であるというのはよく知っている事だった。的を得ない喋り方、飄々とした態度、方々に散る話題はいつだって脈略がない。
こんな会話を繰り返すのも、もう20年程前から続いて、硯戸が面倒を感じながらも交わすこのやり取りも五条にとっては挨拶のようなものだと硯戸は判断している。つまり、意味はないのだ。
五条悟――血に愛され、才能を開花しセンスを磨き上げた天才。
呪術界最強を冠する男は硯戸がどう足掻いても垣間見ることの出来ない世界を見て生きている。


『…それ、どう思った?』


突然に真剣味を帯びた声で五条が問いかけてきた。
それ、と曖昧な言い方をしたが何を指すのか直ぐに察して硯戸はチラリとまた黒百合の首元を見る。
上から下まで黒で包んだ彼女が唯一赤い布を首に巻いている。正に黒に赤はよく映えた。


「お前の趣味を疑った」
『…僕の趣味な訳ないだろ』


今度こそ五条は硯戸の言葉を無視しなかった。先程と変わって五条の好みではないだろうと断言した言葉を取り消すような硯戸に訝しんだのかもしれない。きっかけはなんだって良い。


「…犬に首輪は皮肉だろ」


ボソリ、黒百合に聞こえないように呟いた言葉を電話の向こうにいる男は拾い上げ少しの間を置いてクックックと噛み殺すよう笑った。何が面白いのだろう皮肉を嘆いた硯戸が意外だったのか、それとも皮肉がその通りだと思っての笑いなのか五条の事は硯戸にも分からない。


『まぁ聞けよ』


勿体ぶる様な口調で五条がそう口にする。聞かないという選択肢は元よりないし、初めに意図を聞いたのは硯戸の方だった。にも関わらず五条はいつだって自分のペースで話そうとするのだから会話を運ぶのは骨が折れる作業だ。


『今回から僕の生徒が同行する。多忙な善くんの役割を交代させようって判断ね』
「生徒って、お前な……」


これがどんなに危険であるか五条は知っているはずだ。優秀なだけでは務まらない、残忍さも持ち合わせ手加減なく力を行使出来る者ではないと黒百合を抑えるのは困難だ。
それを学び中の生徒が行うなどと愚行だろう、そう反論しようとした硯戸を『センパイだろ、善』と再度五条が口にして遮った。


『優秀だよ。既に一度黒百合を抑え込んでる』
「……噂の乙骨憂太か?」
『あははは!違うよ!憂太なんて付き添いさせたらそれこそ大戦争だ』


乙骨憂太と言えば高専の入学と共に特級呪術師となった異例の人物だ。実力ある生徒だと言うならば話題となった彼の事かと思ったが違うらしい。
耳にした程度の名前を挙げれば五条は愉快そうに笑う。本人に会ったことがないのだ、大戦争と言われても硯戸には想像が付かなかった。
付かなかった、がそれぞれ特級の人物達は問題児でもある。乙骨憂太も同様なのかもしれないと硯戸は頭の隅で自分を納得させた。


『狗巻家の子だよ。二級呪術師』


一頻り笑った五条が息を整えると改めてそう口にした。
狗巻――そう聞いて硯戸はすぐに理解する。
ああ、そう。そういうことね。心の中で呟いてなるほどと頷いた。
狗巻と言えば言葉に呪いを込めた術式を使用する一族。呪いを音に乗せるのだから犬神とエンカウントしたとしても距離を取って術式を使えばいい。リスクは低く済むのだから黒百合へ振られる人物としては適任だったのだろう。
だとしても危険は危険。何の保険も無く上がそれを許しただろうかと硯戸が疑問を持つのは当然の事だった。


「その呪言師は理不尽を飲み込むことが出来るのか?」


理不尽も不条理も全部を甘受して非情でなければならない。
そう言葉に込めた硯戸に五条が偏屈そうに笑った。


『随分遠回しな言い方をするね』


硯戸にしては珍しかったのだろう、五条はどこか愉快そうだった。その言い方が気に食わなくて硯戸は眉間にシワを寄せた。
一瞬でもピリッとした空気に気が付いたのだろう黒百合と戯れていた象牙の犬が「わん!」と高く鳴く。その声につられてこちらを見た黒百合と目が合い硯戸は何でもないと言ったように首を左右に振って見せた。
聞こえはしていないだろう事も何となく理解していたが、もう少しだけ距離をとって彼は電話口の向こうに低く唸った。


「それで?」
『まあ…優しいってのは善にとって良い答えではないよね』


優しいと甘いとでは意味が違うが、紙一重だと硯戸は思う。件の呪言師が優しさを持ち合わせていたとして、それが甘さに転化して油断に繋がらないと良い。


『上が大事に扱っているのは勿論、僕の大切な生徒だからね』
「……五条のそれは、」


誰を指しているのか。言い切る前に口を噤む。
上が大事にしているのは狗巻の方だろう。呪言師の末裔で二級とくれば将来を期待されているに違いない。だからそれは聞かずとも分かる。ならば五条が言った大切な生徒という表現は誰に寄せたものなのか。


『両方に決まってるだろ』


言葉を切った硯戸が聞こうとした事を五条は掬い取ったらしい。はっきりと述べた五条にどこと無く硯戸は安堵を覚えた。それすらも汲んで五条は少しだけ不満そうに、あのさぁ?と言葉を続ける。


『善は僕の事を鬼か悪魔かと思ってない?』
「思ってない、イカれてるとは思ってる」
『フッ、まあそれは否定しないけど』


鬼や悪魔なんて五条悟と比べたら可愛い存在じゃないだろうか。至極真面目にそう考えて硯戸が即答するように言えば五条は噴き出すように笑う。


『でさ、あの首輪だけど…』


最早ネクタイという言葉も使わない五条に、やはり首輪の意味だったのかと片隅で思いながら彼の本題に似たそれを待つ事にした。


『特別仕様の布で出来てる、上が用意した保険≠セね』
「やっぱり上か…」
『しかも善には胸糞悪い作りになってる』


確信した硯戸に五条が追い討ちをかけるようにそう囁いた。
胸糞悪い作り、というワードに聞きたくない思いを抱えながら硯戸は黙り込んだ。五条が紡ぐ言葉を聞き逃さないために。
聞きたくないのに聞き逃さないなんて矛盾はとても複雑な心情だ。でも、そう思わずにはいられないほど硯戸は黒百合と親しくなってしまったし、上層部の黒百合に対しての扱いは見過ごせないものがあった。


『硯戸善≠ェ確実に花菱黒百合≠仕留める為に作られた善専用の首輪』
「…今まで手を抜いた覚えはない」
『分かってるよ。ただ今回からは状況が違う』
「狗巻を守って黒百合を殺せってところか」
『端的に言えばそうなる。けど、棘が黒百合を抑え込めるって認められればそれもなくなるから』


淡々と述べる五条悟に彼の本心を探る。
五条が言いたいことはよく分かるつもりだった。有望された呪言師と忌み血と嫌われた黒百合では待遇の差は雲泥だ。例え黒百合が呪術界に貢献し忠実に仕えたとしても、その血が穢れていると古い考えを持つ上は意識を変える事をしないだろう。
事実調べ上げられた黒百合の犬神はその昔強い怨みを込めて全てを呪う為に生まれた。人を呪い人を葬るその為だけに時代を渡ってきたのだ。神と崇められつけ上がった犬神を上は決して許したりしないだろう。
五条の言うように、認められれば緩和もするかもしれない。数年に渡り真摯に任務をこなしてきた黒百合は五条の力あってこそだが高専に通う事にまでこぎつけた。

だとしても、だとしてもだ。
優しさを捨てて非情でなければならない。理不尽も不条理も全部を甘受して冷徹に落ちなければならない。
じゃないと無理だこんな事。こんな事をする為に呪術師になった訳じゃないのだ。



「――俺はあと何回黒百合を殺せばいい?」



ぽつり呟いた硯戸に五条は何も答えなかった。