さっきまでお経と木魚の音が聞こえていたそこは、夜蛾学長と私と白い骨壷だけが残されている。
「あの……学長先生」
「なんだ」
「私は、その……」
結論から言うと、私はお兄ちゃんの葬儀に参加させてもらえなかった。
奥の電気が点けられていない暗い和室に座って、襖越しに葬儀の様子を伺うことだけが私に許されたことだった。
……頭ではわかっている。お兄ちゃんの持ち物の呪骸である私が親戚面して前に座るのは、参列者の少ない葬儀だとしても弔問者にとっていい気分ではないだろう。
ましてや術師の死後に自我を得て動き始めた……呪骸だ。
――――佐倉さん、亡くなっただなんて
――――前線で戦ってた一級が減るとなると、早く後進が育ってくれなきゃ当分の間厳しくなるだろうな
お兄ちゃんが私を可愛がっていたこと、それが度を越していたこと、呪霊の予想等級からしてもお兄ちゃんなら祓えたであろうこと、失敗した原因はやはり私なのではないかということ。
最初に五条先生から聞かされてはいたけれど、実際に襖越しに聞こえてくる弔問客の声を聞いた私の心は、涙を流しながらボロボロと食い荒らされていた。食べた主は、罪悪感とか、後悔とか、私一人が残ってしまった事実とか、そういうドロドロした薄暗いモノだ。
……私が親戚のことを思い出せなかったのも、心を蝕むものの一つだった。
お兄ちゃんには、生きている親族はもう一人もいなかったそうだ。妹の"私"が死んでから、ずっと独りきりだったという。
父の顔も母の顔も、思い出そうとしても欠片も浮かばなかった。
私の思い出はすべてお兄ちゃんで構成されていて、そのどれもが水に垂らされた墨のように薄ぼんやりとしていた。
本当に、私は人ではないモノなんだろう。
その事実が心の中で実体を持って、私を責めている。
葬儀が始まる前に唯一見せてもらえた、棺桶に入って眠っているみたいなお兄ちゃんの顔。
そして、焼かれて小さな陶器に詰められた重量の無いもの。
終わったぞ、と骨壷を大事そうに抱えた学長先生はきっと忙しいはずなのに、襖を開けられずに蹲っていた私のそばに付き添ってくれた。
私は、「学長先生が使役する呪骸」として書類申請され、無事受理されたという。
"持ち物"の扱いである私は、本来ならば人権が認められていなくたっておかしくはない。パンダくんという前例がいたからこそ、高専側も私を生徒として入学させることに頷いてくれたのだろう。
「……私、本当に人間じゃないんですね」
ありありと思い出せる。お経を上げに来たお坊さんの、私を見る目。ちらりとだけ私を見て、もうあとは見向きもされなかった。
きっと、私がお兄ちゃんの本当の家族なら。
そこまで考えて、こんな"もしも"は無意味なんだということに気づいた。
過去に対してもしもを唱えたって、お兄ちゃんが帰ってくるわけもない。私が人間に"変異"できるわけでもない。
――――嘘を吐かず、良い子にしていたら。
「青い妖精を見つけたら」
「ん?」
「……私は、人間になれるでしょうか」
「それは、」
「知ってます。呪術規定で、人を生き返らせちゃいけないって決まってるんですよね。ごめんなさい、ちょっと言ってみたかっただけです」
過去じゃなく未来に"もしも"を祈ったって、御伽噺が現実になるわけじゃない。もしかしたら、奇跡が起きたら、技術が進歩したら。
……そんなのは馬鹿らしい現実逃避だ。
学長先生と私を沈黙が包み込む中、襖の向こうで、誰かがぺたぺたと歩いていく音がした。
きっと祭具を片付けているんだろう。
ここは電気が点いていないけれど、見られたら恥ずかしいなとふと思って、ハンカチで目元を拭った。
私の着ている服のポケット。当たり前のようにそこに入っていた白いハンカチには、小さく私の名前のイニシャルが刺繍されていた。
これが、お兄ちゃんが作ってくれたものなのか、それとも買ってくれたものなのか。"ゆき"が元々持っていたものなのか。
もうどこにも、答えを教えてくれる人はいない。
私が会いに行こうとしたって、魂が無くちゃ来世にだって期待できない。
「呪骸も泣くんだなって思いましたか?」
「いや。アラタの……居た頃は、お前はよく泣いていた。だから別に気にならない」
お兄ちゃんの前の"私"は、泣き虫だったんだろうか。
それなら猶更、私は頑張らなくちゃいけない。
「今日で、泣き虫は卒業します。私がいつまでも泣いてたら、お兄ちゃんがきっと悲しみますね」
「……だろうな」
これからは一人で歩いて行かなきゃいけないんだ。
私はぱっと立ち上がると、夜蛾学長へ今できるとびっきりの笑顔を作ってみせる。
「お兄ちゃんを連れてきてくれて、ありがとうございます」
「……共同墓地しか用意してやれなくて申し訳ないが、」
「いえ……これだけでも、やらせてもらえるならありがたいです」
私が骨壺をお墓に収める許可を得るのだけでも、学長先生はきっと方々へお願いして回ってくれたんだろう。
ずいぶん軽くなってしまったお兄ちゃんを夜蛾学長から受け取った私は、丁寧にそれを箱に収め、きらきらきれいな金糸銀糸に彩られた骨覆を被せた。
これがお兄ちゃんを近くに感じられる、最後のひとときだった。
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