学長に呼び出されて入った部屋は、畳敷きの小さな茶室。
広い会議室に比べると手狭な気もするが、鍵はかかるし内緒話にはもってこいだ。
どかりと胡座を組んで座る学長は渋い顔をして腕組みをしながら、入室してきた僕が腰を下ろすなり口を開く。

「……本当に、夏油傑が術師殺しの犯人だと?」
「あの口ぶりだとそう聞こえましたけど……やっぱり学長も?」
「あぁ。腑に落ちんな」

僕だって、一級のアラタと京都から来ていた査定中の呪術師が死んだと聞いて、可能な限り急いで現場へ足を運んだ。高専による事後処理が終わりかけているところだったけれど、そこには傑らしき残穢はどこにも感じられなかった。
確かに、最近起きた二件の神主殺し現場の残穢とは似通っていたが、いずれも傑の残穢とは似ても似つかない代物だ。憂太と棘が行ったハピナ商店街の残穢は間違いなく傑のものだったし、僕がそこを間違えるとは到底思えない。

ただの呪霊祓除……しかも見立てより等級が高く、術式を行使できる程の能力があったせいで、アラタが縛りの条件であるゆきを守らざるを得なくなったのだと思っていた。
――――あくまで自分に課している縛りだから、最悪の場合は呪骸を捨てて逃げても良かったはずなのに。
それでも"妹"の呪骸を守ろうとしたことは、愚かさと狂気と愛の結果だろう……と受け止めていた。

逃走した呪霊の行き先を追うための手がかりになるかと考え、あの場で死んだ二人の傷口からサンプルを採っておくように、と硝子に声を掛け手配したのは僕だ。手紙の差出人がアラタではないかと憶測が出た時も、ゆきの持っていたアラタの遺品を適当な理由をでっち上げて拝借し、毛髪を鑑定にかけて、硝子が保管しておいてくれたサンプルと照らし合わせて真相を暴こうとした。
結果は、DNA型が一致――――つまりあの場で呪霊に殺されたのはアラタ本人で間違いない、という事実が確実なものとなっただけだ。

「傑があんな悪趣味な"贈り物"を用意するような男だったなんて……冗談にもほどがありますよ」

ハピナ商店街のように、呪霊を放して愉しむようなことはあれど。遠回しに呪物を回収させ、手紙と人形で気味の悪さを演出し、後から神主を"処分"するだなんて……傑がすることとは思えない。
確かに、ゆきと棘が行った山間部の神社では深夜の社に呪霊が出たと言ってはいたが、今からその話を思い返してみても"傑らしくない"というのが率直な感想だ。

――――僕はアラタの生前の妹に実際に会ったこともないし、傑がアラタと妹のことで何かを約束していたという話も聞いた覚えがない。
まぁ……親友は、ペラペラと他人にそういうことを吹聴して回るような男ではなかったから。そんな約束はしていないだろうと言い切れるわけでもなかったが。

「そもそも、アイツがアラタ達を殺害したと仮定して――――すぐにゆきを連れ去らなかった理由はなんだ?」
「……そこなんですよねぇ」

激しい抵抗に遭って、というわけでもなく。ゆきが高専へ戻るのを妨害すらしなかった。主人を失くして戦闘能力を持たない呪骸なら、連れ去るのは容易なはずなのに。
眉根を寄せる学長にチラリと視線をやった僕は、少しは推理を前に進めるべく別の方面からアプローチをかける。

「アラタの家に荷物が少なかった理由の方は、傑が持ち去ったからと考えれば辻褄は合います。術式を使えば足がつくから、口八丁手八丁で大家を丸め込んで開けさせたか、遺体から鍵を持ち去ったか、」
「……その辺は、マンションの防犯カメラをあたればいい」
「半年以上も前の話ですよ? 残ってるかどうか……"仲間"も居るみたいですし、それらしき姿を見なかったか聞き込みしてもらいますか」

伊地知に、という言葉は敢えて言わなかった。どうせ学長もそうだろうとわかっているはずだ。
僕が調査を申し付ければまた後輩は白目を剥きそうだが……生憎、百鬼夜行までの時間は限られている。傑に関する不確定要素はできるだけ排除しておきたい。

「アイツが残した『主人の上書き』と『第二所有者』という発言も気になる。アラタの仕様書か何かが向こうの手元にあるなら、こちらの知らない情報もあるだろう」
「ゆきの隠された仕様……とか。ゲームみたいで嫌ですけど、裏コードとか?」

と、僕と学長の携帯電話が同時に通知を告げる。メールを読んでみると、百鬼夜行の件で対策会議を開くという内容だった。
学長と少し話をしたら会議室へ向かわなくてはならないだろう。

「"夏油傑"を迎え討つために方々へ声をかけて、可能な限り呪術師に協力を仰ぐ他無いな」
「……ですね」

あーあ、僕も暇じゃないのに。これから少しの間、日本各地の呪術師と連携できるように奔走しなけりゃいけないだなんて。
もちろん生徒のフォローも重要だし……まぁ、この場合はゆきのフォローと明言してもいいか。不審な点はいくつかあれど、傑の口から告げられた言葉に一番ショックを受けているのはあの子なのだから。

理性の無い獣ではないのだから、激情に狂うようなことはないと思うけれど……ゆきの性格を見るに、自己より他者への所業に対する憤怒は底知れぬものだろう。

――――この部屋へ来る途中で聞こえてしまった、ゆきの言葉を思い出す。


『復讐してやる……絶対に赦さない……夏油に報いを受けさせてやる……ッ』


復讐する、だなんて……あんなに可愛らしい子に言わせたくはないのになぁ。

「ほんと……傑もアラタも、問題ばっかり残してくれますよね」
「……在学中は、悟のほうが問題児だったはずだがな」
「通算で見たらアイツらの方がよっぽど問題ばっかり起こしてますよ?」

かたや呪詛師として非術師を呪い、かたや人形遊びに傾倒して命を落とし。

そこでもう一度、今度は学長の携帯電話が震える音がする。
すぐさまタタタ、と画面を触って何かを確認した学長は、重たそうに口を開く。

「――――悟。上層部から先に通達が来た」
「……早いですね。会議の時間すら待てないほど痴呆が進んでるんですか?」
「……」

文面を読んだらしき学長がゆっくりと溜め息を吐き、それを僕に投げて寄越す。

「なんです? ……、…………、なるほど」



――――特例ヒト型呪骸の取り扱い区分を「要観察」から「要管理」に変更。
――――当該呪骸については、特級呪詛師・夏油傑の死亡が確認されるまでの間、

高専忌庫へ保管とする





「ふざけてるとしか言いようがないですね」

ゆきを忌庫へ保管? しかも今から百鬼夜行当日までずっと?
そんなことをしてみろ、どう考えたってあの子の呪力はクリスマスを迎える前に底を突く。

「さっき傑にチャージさせられた分で殆ど空ですよ」
「夏油に捕られるくらいなら壊してしまえ、と言い出さないだけマシだ」

今のゆきの呪力残量では、そもそも明後日までもつかどうかが怪しい。明日どうにか充電しに行ったとしても、ゆきが当日を迎えられるかは賭けになる。百鬼夜行が長引けば、その分"保管期間"も伸びる。
同級生とも会えずにたった独り、忌庫の中でいくつもの夜を越える――――

…………正気の沙汰とは思えない。普通の子供であっても精神的に耐えられないだろう。

「当日は東京高専で留守番、ってのはどうです?」
「……充電するのならバッテリーとして持ち出せと言いかねん」

しかも充電に同伴する術師は夏油遭遇を念頭に置いた人選になるだろう、と学長が口にする。
特級の傑に対抗できるヤツなんて、つまり僕じゃないか。憂太は確かに特級ではあるが、傑と正面からやり合ったとして里香無しで勝算があるとは思えない。

「せめて二級以上の呪術師となら充電可能、としてくれるように取り計らってもらえませんか」
「最大限努力するが……一級"以上"が関の山だろう」
「そもそも一級なんて絶対数が少ないんですけどね……特級でもこの状況下じゃあ憂太との外出許可は降りないでしょうし。学生の誰とも充電できないとなると、大人の術師じゃ人手が足りないですよ」

そもそも呪術師は万年人手不足だってのに。百鬼夜行に向けて呪術師も補助監督も大忙しになるだろうし、そんな最中で充電に半日以上の時間を割ける術師はそう多くない。それが一級以上となれば尚更である。

「百鬼夜行だって、普通はゆきの等級じゃ前に出すわけにはいきませんよ。見殺しにするようなものだし……そもそも前線に出して鹵獲されたら話にならない」
「……後衛の呪術師の充電器にでもするつもりだろう」
「はぁー……それなら尚更、容量も増やして最低限自分の身も守れるようにしてもらわないと」

つまり、術式を使った戦闘訓練には呪力が要る。容量を増やすにも呪力消費が必要不可欠。

「頭が痛いな」

一先ず外出制限についての話が纏まり次第、彼女へ沙汰を知らせなければならないだろう。最悪の場合は忌庫にテレビを持ち込んで、お菓子を山ほど持たせるくらいしかしてやれることが無い。
それに運良く忌庫入りを免れたとして、充電のための外出ができないようなら……出入りの業者の搬入作業に付き合わせて、ほんの少量でも充電させてどうにかやり過ごすしかないだろう。


学長と顔を見合わせ、どちらともなく溜息がこぼれた。


……本当に、傑もアラタも問題ばかりを寄越してくる。



既に会議室で待っているのだろう。伊地知からの着信が三回きたところで話をやめ、僕たちは会議に出席するべく部屋をあとにした。


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