休日。乙骨くんは丸々オフだそうで、それならと半日充電をお願いすることになった。予定では食堂で昼食を摂ったあと、午後から夕方にかけて出かける予定だ。
今日は棘くんは午前から任務に出ているし、どうやら真希ちゃんとパンダくんは学長先生に呼ばれているらしい。
平日も休日も、特別な用事がなければ必ずと言っていいほど棘くんとお昼ご飯を食べることになるので、こんな風に乙骨くんと二人っきりで顔を合わせられる機会はそう巡っては来ない。
これ幸いとばかりに乙骨くんと一緒に食堂の席に座り、特に理由は無いけれどダラダラとお喋りをして箸を進めていく。
最近では割と里香ちゃんも落ち着いてきたそうで、それでも刀に呪力を込めることは上手くいかないんだとか。
高専へ来るまでは乙骨くんは一般人だったわけだし……むしろ呪力操作だとか呪具戦闘ができるようになっただけすごいと思うんだけどなぁ。
「佐倉さんはナックル使ってるけど、それって呪力を込めるのとは違うの?」
「んー……これはどっちかっていうと纏わせる、って感じかな?」
「纏わせる?」
「うん。拳に呪力を集めて、ナックルに……スポンジみたいに浸透させる、っていうか……それで滲み出てきた分の呪力で拳全体を覆うんだよ」
「はぁ……」
私の説明を聞いた乙骨くんは、わかったようなわからないような、という顔をして首を捻っている。
……あんまりうまく説明できないや。概念的な部分が多いし、私は呪骸だからか呪力操作に関してはそこまで苦戦せずにするりと受け入れられたから。
食堂の奥から、誰かの話し声が聞こえる。なんだか楽し気な笑い声も響いていて、今日は何かいいことがあったんだろうか。食堂のおばちゃん達は私の食べっぷりがいいからか、最初の内は「あ、ゆきちゃんはご飯多めでいいんだよね?」とよく訊かれたけれど、近頃は私の顔を見るだけで何も声を掛けられずにご飯大盛りにしてくれることも多い。……食いしん坊なので顔を覚えられた、とも言う。
私達の手元にあったお皿たちはもうほとんど空になっているし、食べ終わったら充電しに出発しようかな。
「そういえば……明日、メニューなんだっけ? 乙骨くん憶えてる?」
「確か昼が豚の生姜焼きで、夜はカレーだった気がする」
「ほんと!? やったぁ! 食堂の生姜焼きってさ、とっても美味しいから大好きなんだ」
「うん、わかる。なんていうか……いい匂いでお腹減るよね」
「あれね、チューブの生姜じゃなくて、生の生姜すりおろして使ってるんだって」
「そうなんだ? あんまり見た目の違いはわかんなかったけど……全然違うんだね」
……ご飯の話はするべきじゃなかったかもしれない。
今お昼ご飯を食べているのにもかかわらず、なんだかお腹が空いてきた気がする。乙骨くんも同じことを考えたのか、二人で一瞬黙り込んでしまう。
――――先に口火を切ったのは、乙骨くんの方だった。
「……へんなこと、聞いてもいい?」
「え? ……うん」
「狗巻君のことでさ……なにか、あった?」
「……」
「いや、狗巻君が最近変わったなっていうのは気づいてるし、理由もまあ……わかるけど。佐倉さんの方はもっと……狗巻君が考えてるのとは、好きとか嫌いとかとは違う理由だよね」
「……やっぱり、わかる?」
乙骨くんを蚊帳の外に置いているわけじゃないけれど、やっぱり何も言わなくても友達のことはわかってしまうんだろうか。
私がそう思ったのが伝わったのか、乙骨くんはちょっと困ったように眉尻を下げながら笑みを浮かべる。
「あはは……佐倉さん最近なんだか元気無いみたいだから」
「うん……」
「……あ、あんまり話したくないことなら無理に話さなくていいよ! 別にその、佐倉さんが悩んでることで何か力になれたらな、って思っただけで」
「…………」
「……僕で良かったら、いくらでも聞くよ?」
「――――乙骨くんはさ、里香ちゃんのことどう思ってる?」
「え?」
左の薬指に嵌めた指輪。二人の愛の証。
私の突然の質問にも嫌な顔ひとつせず、乙骨くんは口元に手をやって考えてくれている。
「んー……どう、って言われると難しいな」
「あ、ごめん。曖昧な聞き方しちゃって……里香ちゃんのこと、大切に想ってるんだよね?」
「そうだね。世界で一番大事な女の子、かな」
そう口にする乙骨くんはとても幸せそうな顔をして、指につけた約束の証を大事に撫でていた。
――――世界で一番大事な女の子。
好きな人にそう言ってもらえる里香ちゃんは、とっても幸せだろうな。
「……里香ちゃんが、呪いでも?」
「…………」
「もう人間じゃなくて、周りに祝福されない存在でも、好き?」
「…………うん。里香ちゃんは、里香ちゃんだから」
「そっか……」
「僕は……里香ちゃんっていう"一人の女の子"のことを大事にしてるんだ。どんな姿であれ、それは変わらないよ」
……じゃあ、
「里香ちゃんが最初から呪いだったとしても……愛せた?」
「……」
私の言葉に乙骨くんは少し沈黙した後、指輪から視線を上げて私の目を真正面から見据えた。
その眼には怒りや悲しみは無くて、ただただ心配するような色が渦巻いている。
「……それって、狗巻君のこと……だよね」
「…………」
ズルい聞き方をしたと思う。それでも乙骨くんは怒るでもなく、私をちゃんと見てくれている。
「そう……本当は……棘くんの、ことなの。……酷い聞き方してごめん」
「ううん、別に気にしてないよ。誰に何と言われようと、僕は里香ちゃんに正面から向き合うって決めたから」
「……乙骨くんは、強いね」
「え?」
「一途な里香ちゃんを受け止めて、守ろうとしてるから」
きっとそれは、並大抵の決意じゃできないはずだ。乙骨くんは努力とか諦観ではなく、呪いと化した里香ちゃんを"解呪"しなければいけないのだとしても……本当に、心の底から里香ちゃんを大切に想っている。
「私も……棘くんのこと、守りたい」
「……」
「前に出て戦って守るのもそうだけど……未来も、今も、全部。」
将来的に私の存在が呪いになるかもしれない。呪霊とか呪物じゃなくて、もっと概念的なもの。
今ひと時だけ彼の幸いになれても、意味は無い。
「んー……考えすぎじゃないかな。狗巻君の幸せは、きっと狗巻君が決めるんだと思う」
「え?」
「里香ちゃんはたとえ歪んだ形だとしても僕を求めて愛してくれて、僕もそれを受け入れた。僕たちの愛は、そこで完結してるんだよ」
「完結……」
「僕たちのことを誰がなんと言おうと、そこに他人が入り込む余地はない、ってこと。……ちょっとクサいかな?」
あはは、と言ってへにゃりと恥ずかしそうに笑った乙骨くんの表情は、入学当初の自信なさげな姿とは打って変わって、大切な人への愛に満ちていた。
愛して、受け入れて。手を繋ぎあった乙骨くんと里香ちゃんは、ふたりでひとつの大きな輪を作る。
「ううん……素敵だと思うな」
「自分の考えてること、こうやって言葉にすると照れちゃうね」
照れた乙骨くんはちょっぴり頬っぺたを赤く染めて、私を見つめている。
棘くんとはまた少し違う優しげな瞳。乙骨くんが転校してきてから早半年。十一月も終わりに近づいているけれど、勉強のこと以外で乙骨くんとこんなに真剣に話をしたのは、案外初めてかもしれない。
「僕が里香ちゃんを大切に想ってるのは、"ずーっと一緒にいたから"だけじゃないよ」
「……棘くんも、本当にそうやって想ってくれてるのかなぁ」
確かに、私のこの想いに『恋』というラベルが貼られたのも一瞬のできごとだった。
……じゃあ、棘くんが私を好きだと思ったのはどの瞬間だったんだろう。
「狗巻君に訊いてみたら?」
「うーん。自己評価なんてアテになんないよ」
「あはは……でも、他の誰が自分の感情とか考えを理解できるかっていったらさ、結局は自分が一番"自分"のことを理解してあげられるんじゃないかな」
「自分がいちばん……?」
「うん。えーっと、そうだなぁ……佐倉さんが、誰かに"今悲しいでしょ"って言われても、"本当にそうかな?"って自分が思うなら、それが佐倉さんの本当の気持ちなんだと思う。……上手く説明できなくてごめん。人に決めつけられた自分の気持ちとか思いって、本当に自分が感じてることなのかな、って」
「…………」
人に決めつけられた自分の気持ち、思い。自分ではない誰かが貼ったレッテルを鵜呑みにするのは自分の本心を殺しているようなものだ。
乙骨くんはそんな風に説明してくれて、最後にまたへにゃりと柔らかな笑みを浮かべた。
「最後は佐倉さんと狗巻君がどう思うか、が重要なんだと思うよ」
「……ありがと。」
「ううん……佐倉さんの気持ちが少しでも軽くなるなら、むしろ僕は嬉しいかな」
「乙骨くん…………ほんと、乙骨くんと会えてよかった。ずっと私と友達でいてね……」
「――――僕が高専生じゃなくなっても、遊んでくれる?」
「あったりまえじゃん。むしろ皆で会いに行くし……あ、でもパンダくんは行くの難しいから、たまには遊びに来てね」
「うん、」
もちろんだよ、と乙骨くんが言葉を続けたところで私たちはやっと席を立った。返却口にトレーを返して食堂を出る。
市内の大きな繁華街へ行けば、楽に充電できるだろう。
「乙骨くんは買いたいものある?」
「うーん……マフラー、は……この間買っちゃったし。……小説とか……あれ?」
と、向こうから制服姿の棘くんが歩いてきた。ちょうど任務から帰ってきたところなのだろう。どうしたの、という顔で彼が近寄って来ると、乙骨くんが「任務お疲れ様」なんて声を掛けて小さく手を上げている。
本当に二人とも、いつの間にか仲良くなっちゃって。難しいクイズに答えられた時とかにお互いよくハイタッチしてるよね。
「棘くんおかえり〜」
「しゃけ。……明太子?」
「いや、特に――――」
「そうだよ。佐倉さんの充電、どこ行こうかって話してたんだ」
棘くんへ律儀に答えた乙骨くんの足を、思い切り踏んづけてやりたかった。別に大した話じゃないよ、と言ってくれれば良かったのに。
……断言する。乙骨くんに悪気は無い。彼は棘くんと私を無理に近づけようとしているわけじゃなくて、ただ単に嘘が吐けないだけだ。
棘くんは「ちょうど自分も外出するところだったし、一緒に行こうか」と言って私を見る。
このままだと乙骨くんの代わりに
一緒に行こうか、という話になりそうだったから、私は慌てて口を開いた。
「あー……じゃ、じゃあ棘くんも一緒に来る? 三人で買い物行くのはどうかな?」
「……しゃけ」
少し不服そうな顔で頷いてみせた棘くんは、思いついたように誰かへ携帯電話で連絡を取り始めた。
乙骨くんが不思議そうな顔をしていると、その眼差しに気付いた棘くんが「いくら」と口にする。……ついでに買うものはないか、とパンダくんへ聞いているのだとか。
なんだ、もう学長先生の話が終わって帰ってきたのかな?
じゃあ私も、と思って真希ちゃんへメッセージを送ったところで、急に乙骨くんの携帯電話が鳴った。
「――――は、はいもしもしパンダ君? うん、どうしたの……え? あ、うん…………いや、今から佐倉さんと充電しに……え? いぬま……えぇー……?」
最後にチラ、と棘くんと私を見た乙骨くんは、電話口のパンダくんへ「了解」と答えて通話を切った。
「どうしたの? 困りごと?」
「いや……ごめん、真希さんが僕に相談したいことがあるって、パンダ君が言ってるから……僕、寮に戻るね」
「しゃけ」
「え?」
「佐倉さん申し訳ないけど、狗巻君と二人で行ってきてもらっていいかな」
そう言って、乙骨くんは走り去っていった。呆然と彼の後ろ姿を見つめた私の横で、棘くんがふぅっと息を吐く。
「すじこ、こんぶ」
「…………」
じゃあ残念だけど二人で行こっか。
何ともない風で棘くんはそう言ったけれど、発した言葉に比べるとその声色はやけに上機嫌だ。
私が既に真希ちゃんへと送っていた「学長先生のお話終わった? 良ければ一緒に買い出しに行かない?」というメッセージにも、すぐに返信が来た。
――――ごめん、ちょっと悟と取り込み中。時間かかるし今日はパス
「……」
「ツナ?」
不思議そうに首を傾げてみせた棘くんは、その言葉の後に続けて「何か買うものある? どこに行きたい?」と言って、携帯電話をひらひらと振ってみせる。
「特にないかな……人が多そうだから立川のグランデュオ、とか?」
「すじこ……、」
そう言ってぱちぱちと眠たげな眼を瞬いた棘くんは、「それも良いけどもっと他に買いたいものがあるから、遠出しようよ」なんて言葉を続けてから目元を緩ませた。
棘くんには早く目を覚ましてもらいたいから、絶対に口には出さないけれど……私は、好きな人と外出するのは嬉しいし。もちろん充電のために外へ連れて行ってもらうのだから、彼が行きたいと言う目的地に否やを言える立場ではない。
素直に棘くんの言葉に頷いて、二人で建物を後にした。棘くんへ「私服に着替えたら?」と提案して時間稼ぎをしてみたものの、用事を終えた乙骨くんが帰ってくる様子はなかった。
……ささっと私服に着替えた棘くんが寮の通用口に来るのも、ものの数分もかからなかった。
そして電車を乗り継ぎ辿り着いたのは東京浅草――――古き良き下町。大きな雷門と、たくさんの観光客。
確かにここなら早く充電が終わりそうだ。
雷門は、正式には風雷神門というらしい。これはついこの間、乙骨くんとテスト対策で勉強したから憶えている。何度も火事で焼失してその度に再建し、しかも風神雷神像は慶応の大火で頭部以外が燃えてしまったのだという。
門の裏側に回ってみると、風神雷神のちょうど後ろ側には天龍像と金龍像が安置されていた。この二柱は水を司る龍神だというから、雷門がまた燃えてしまわないように、という思いが込められているに違いない。
赤い大きな提灯に描かれた『雷門』の文字が入るように、団体ツアーの人たちをちょっと避けながら写真を撮っていた私の肩に、スッと手が回された。
びっくりして隣を見ると、棘くんが何食わぬ顔で携帯のカメラを起動させている。
私を引き寄せた棘くんはそのまま半回転して雷門をバックにすると、ほっぺがくっつきそうな距離まで顔を寄せ、「ツナマヨー」なんて掛け声を口にする。
「ち、近いよ……」
「おかかおかか」
くっつかないと提灯が入らないよ、とでも言いたげに首を振る棘くんに押し切られる形で、二人のツーショットが彼の端末にシャッター音と共に保存された。
撮影される直前の液晶画面で見た限りでは、文字も提灯も門もそれぞれ一部しか収まっていなかったように思う。むしろ提灯を綺麗に画角に入れたいのなら、私たちが少し離れて立って、間に朱色が入るようにした方が収まりがよかったんじゃないだろうか。
どんな写真が撮れたのだろうか。答え合わせがしたくなった私が見せて、と棘くんの画面を覗き込もうとすると、またもや首を振って断られてしまった。
「おかか、明太子」
ここ、電波良くないから。あとでまとめて送るよ。そう言った棘くんはごく自然に私の手を取り、朱色の門をくぐって仲見世通りへと歩を進めていく。
……観光地だから通信が悪いなんてことはあまり無いような気がするけれど、どちらかというと往来の真ん中で立ち止まって携帯を触っている方が邪魔になるだろうな。
雷おこしや人形焼きが一個からばら売りされているお店、外国人観光客が興味深そうに立ち止まっている日本の昔懐かしい玩具が売られているお店、カメラ用品店に扇子のお店、なんと仏具店まである。
そこら中に紅白の提灯がぶら下げられていて、お店の外観もどことなく大正を感じさせるようなレトロな趣があって、見ているだけでもとても楽しい。
折角来たから思い出に、とデフォルメされた風神雷神が描かれたタオル地のハンカチを私が手に取ると、雷門の文字が大きく描かれた江戸っ子風のハンカチを選んだ棘くんがスイっとそれを攫って行った。そのままお会計までして、私が選んだ方のハンカチを手渡してきてくれる。
「ありがと……あの、払うから」
「おかか、こんぶ」
じゃあ代わりに写真撮ろうよ。そう言った棘くんは私が受け取ったハンカチを指差すと、それ持っててと声を掛けてから携帯電話を構えた。
雑踏の中でも通りの良い、パシャッという撮影音が私の耳に届く。
何も準備する暇が無かったから、ハンカチを手に持って驚いている間抜けな私の写真が撮れたことだろう。
「ごめん、変な顔してたかも……」
「ツナマヨ?」
首を傾げて今の写真をカメラロールから確認したらしい棘くんは、そんなことないよと言わんばかりに首を振って目元を緩ませると、もう少し先へ行こうよと促してくる。
どんどん奥へ進むと、その分色々なお土産を扱うお店が目に飛び込んできて視界が騒がしい。
真希ちゃんたちへのお土産に、と人形焼きを一箱買って振り向くと、またシャッター音が響く。
「ちょ、」
お店の迷惑になる場所で撮ってるわけじゃないから別にいいけど、被写体の私がぼんやりしてる間に写真に収められるのはちょっと恥ずかしい。
「絶対変な顔してたでしょ」
「……おかか」
また自分だけで写真を確認した棘くんは、私の言葉を否定して携帯をポッケにしまい込んでしまった。
――――全然見せてくれる気配がない。
充電残量が少なすぎるという状態で外出しているわけじゃないから、ここまで人が多い場所なら充電速度も結構早いと思うんだけど。
棘くんが見せてくれないなら仕方ない、じゃあ自分の携帯で確認を。
と思って自撮りするために端末を構えると、優しく手を掴んで阻まれた。何事かと思ってそちらへ顔を向けると、「さっきの写真、確認してみたけどまだ充電できてなかった」と棘くんが言う。
「そ……うだった?」
「しゃけしゃけ」
また少しお土産を買って、棘くんに写真を撮られて。その度に自分一人で画像を確認してしまう棘くんに「まだ時間かかりそうだね」と押し切られてしまって。
……結局写真は見せてもらえないまま、時間が過ぎていった。
同じようなことを何度か繰り返したところで、お土産か何かのお会計をしている棘くんの目が離れた隙に自分の携帯でサッと自撮りをした私は画像を確認する。
――――写真に写る目の中には、綺麗な丸がくっきりと浮かび上がっている。
充電完了のサインを確認した私が「そろそろ帰ろうよ」と声を掛けようとしたけれど、振り向いた先には揚げたてメンチカツを一個、嬉しそうに手に持っている棘くんの姿があったから、つい口を噤んでしまった。
「ツナマヨ」
「あ……ありがとう……」
どうぞ、と渡されたメンチカツを受け取った私を写真に収めた棘くんは、ちょっと上機嫌に見える。
人目が多いから自分は食べないだろうに、優しい棘くんは私の分だけ買ってくれたのだ。
それでも彼は、先ほど自分の端末で撮った写真を眺めては「まだ充電終わらなさそうだね」なんてどこか嬉しそうに言って、メンチカツを頬張っている私をもう一度写真に収めている。
「……うん」
もう少しくらい、可愛い嘘に付き合ってあげてもいいかもしれない。
メンチカツ、人形焼き、揚げ饅頭まで買い与えられて浅草寺に参拝までしたところで、流石の私も棘くんに声をかけた。
「さっき自分で確認したら、もう充電終わってたみたい。帰ろうよ」
少し残念そうな顔で「しゃけ」と応えた棘くんは、素直に駅へと足を向ける。
――――かと思いきや、ここまで来たらついでに、なんて押し切られた私はスカイツリーまで連れていかれて、手を繋ぐ棘くんと二人してチケットカウンターの前に立っていた。
展望台のチケットが予約制だということを案内看板で知った棘くんは少し残念そうに私の方を見て、今度は水族館のサインプレートを指差している。
充電は終わっているから、もうこれ以上私を連れまわす必要性はないのにな。
運が良いのか悪いのか、水族館の入場口にはやたらと人が並んでいて、どうやら入場制限までかかりそうだという。やっぱり休日だと、観光地はどこも混むらしい。
「あの、水族館は入るの混んでるみたいだし、今日はもういいんじゃないかな……?」
「……しゃけ」
名残惜しそうに棘くんは頷いたけれど、今度はソラマチ内にあるらしきプラネタリウムのポスターを視界に収めると「じゃあこっち、」と言ってエントランスを出ようとする。
慌てて手を引き抵抗した私は、「どうしたの?」と言わんばかりの顔をしている棘くんへ最大限努力して笑いかけた。
「……水族館もプラネタリウムも、また今度来ようよ。ね?」
「――――しゃけっ!」
……また今度、「棘くんの目が醒めたら一年生みんなで」来ようね。
その言葉は胸の中だけで付け足しておいて、奥にしまいこむ。嘘は吐いてないよ。本当のことを少し隠しているだけ。
"また今度"の言葉を聞いてか途端に機嫌を良くした棘くんは、じゃあ帰りに皆へお土産を買って帰ろうよなんて言って、ソラマチの自動ドアを抜けて中へと入る。仲見世通りで既にお土産は買ってあるから、これ以上買ってしまったら高専の教員室の机ひとつひとつにまで配って回っても残りそうなんだけど。お土産
と言いつつも、棘くんが見ているのは何故か普通の雑貨屋さんで、これはどうかなあれはゆきに似合いそうかもなんて言って、その都度柔らかく微笑んでは私を見る。
その眼差しを見るたび、とても嬉しいような恥ずかしいような気持ちが私の胸を支配して蝕んでいく。
……こんなのは、ただのお人形遊びだ。着せ替えの服を選んだり、ドールハウスに置く小物を考えたりするのと同じ。
そう自分に言い聞かせるけれど、昼に食堂で乙骨くんから言われた言葉が脳裏をよぎる。
――――狗巻君の幸せは、きっと狗巻君が決めるんだと思う。
――――僕が里香ちゃんを大切に想ってるのは、"ずーっと一緒にいたから"だけじゃないよ。
ふと気づくと、スカイツリーのマークが描かれた手拭いを手にして振り返った棘くんが、きょとんとした顔で私の目を見つめ返していた。
考え事をしていて私が上の空だったからだろう。取り繕うように口を開いて、たまたま思いついたことを言葉にする。
「そうだ、棘くんは新しいネックウォーマーとか買わないの?」
「すじこ?」
うーんと悩むような仕草を見せた棘くんは、何も巻いていない私の首元を見て「明太子」と呟く。
「……確かに、そうかも?」
言われるままに周囲を見てみると、お店を冷かして歩いているお客さんの中には、もうストールを巻いている女の人の姿もある。
もう十一月も下旬に近づき、ファッションフロアは冬の装いだ。
結局、食べられるお土産をいくつか買い足したところで棘くんは私の手を引く。
こっちに行こうよと連れてこられたのは、プラネタリウムのひとつ上の階。
フロア案内を見上げた瞬間、もしかして「やっぱりプラネタリウムくらいなら行く時間あるよ」なんて言われるのかと内心ドキドキしたけれど、棘くんはエスカレーターをそのまま乗り継いで上階へと足を向け、『ドームガーデン』と書かれた看板の前で立ち止まった。
……どうやらここは屋外庭園らしい。外へ出てみるとそこには広々とした芝生が広がっていて、まるでオフィス街に急に現れた公園のような……そう、棘くんが一番最初に私を新宿へ連れていってくれた時に足を踏み入れた稲荷神社のような、気持ちの良い不思議な違和感。
スカイツリーの真下にこんな場所があるなんてびっくりだな。
もうすぐ夕方になるかもという微妙な時間だからか、私たち以外に人影は無い。
と、背後で紙袋を置く音が聞こえた。
「……」
「…………わ、」
音に振り向くと同時に手を引かれ、バランスを崩した私を棘くんが抱き留める。そのままぎゅっと腕に力がこめられ、ネックウォーマーに覆われた棘くんの口元が私の耳の横に近づく。
「……ツナマヨ」
「と、棘くん……苦しいよ、」
「……」
拘束を緩めてくれた棘くんは、それでも私が逃げないように背へ片手を回したまま、ポケットから携帯を取り出して文字を打ち込むと私へ画面を向ける。
『好きです。付き合ってください』
「……ツナ」
「気持ちは、嬉しいけど……ごめん……」
残念そうに私を解放した棘くんは、少し困ったように眉尻を下げて「しゃけ」と呟いた。
……まだ、目を醒ますには時間がかかりそうだ。
気を取り直したようにもう一度ツーショットを端末に収めた棘くんは、また私の手を引いて屋内へと歩いていく。
下のフロアへ向かうエスカレーターを二つ乗り継いだところで、先程の告白の返事に「その恋は勘違いだよ」と付け足さなかった自分に驚いた。
どうしてそう言ってあげられなかったんだろう。慌てて口を開いて棘くんへ伝えようとしたけれど、寸前でまた乙骨くんの言葉を思い出す。
――――最後は佐倉さんと狗巻君がどう思うか、が重要なんだと思うよ。
「……」
「高菜?」
私は、棘くんが好き。
もし仮に今の棘くんが本当に私を好きだとして……でも、やっぱり人形と付き合って後悔するのは、未来の棘くんなのだ。
「……私は、人形だから。ごめんね」
「…………」
私の言葉を聞かなかったフリをしてエスカレーターを降りた棘くんは、フロアガイドに目をやっている。
「明太子」
「……お夕飯は寮で食べたいな」
「しゃけ……」
建物を出るころには、辺りはすっかり暗くなっていた。少し風が強いようで、私たちとすれ違いながらビルの中へ避難する制服姿の女の子たちは「キャー!」なんて可愛らしい声を上げながらスカートの裾を押さえている。
「……すじこ」
「…………?」
また手を握られた。私が何か言うより先に、「寒いから手繋ごうよ」と続けて言った棘くんの耳の端っこは、少し赤く染まっている。
「さ――――」むい。確かに寒い。でも耐えられないわけじゃない。
……"寒いと感じるけれど体に変調は無い"というのが一番近いだろうか。周囲を見てみると、私より少し厚着をしている女の人も、スーツを着た男性も、寒そうに肩をすくめている。
「夜は冷えるって言ってたけど寒すぎ……風強いし」私達の隣で男の子と一緒に信号待ちをしている女の子が、そんなことを言っている。
――――自覚しない限りは痛みを感じない、ということは、気温にもそれが適用されるのだ。
寒いということはわかるけれど、ただそれだけ。私はきっとこの格好のままでも、雪山登山だって問題なくできてしまうだろう。酸素が薄いところでどうなるかはわからないけれど、寒いのが大丈夫なら暑いのもたぶん平気。砂漠だってサウナスーツを着たまま歩けるかもしれない。
これから本格的な冬になる前に、コートを買っておかなきゃいけないな。そして朝のニュースを見る時は、もっとちゃんと気温をよく見て服を選ぶようにしよう。
そんなことを考えていると、棘くんが「水族館に行くならいつがいいかな?」なんて携帯電話でカレンダーを眺めている。
「……んー。また今度、かな」
「…………こんぶ、」
「プラネタリウムも……またいつか、ね」
「おかか、すじこ?」
私は不服そうな棘くんの問いをはぐらかすようにして笑顔を返し、駅の改札を通った。
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