日曜日。ぱちん、と手を叩いた五条先生が言った。
「さてと、検証タイムだ」
と。
「ひとまず今までの状況を整理しよう。呪術師への充電――――チャージはいつ起きてたかな?」
「……最初の任務でフードコートの呪霊を祓った時と、この間の山の上の神社で呪霊を祓った時です」
「どっちもチャージ対象は棘だった。合ってるね?」
「はい」
「その時の状態……身体に感じた違和感とか、聞こえたり見たりしたものは?」
「……体が重くなって、とても怠く感じました。あとお腹が空いて……幻聴や幻覚の類は、特に。」
五条先生の執務室、狭い部屋の中に机と椅子を運び込んで、学長先生と五条先生と伊地知さんと私が検証のために集まっていた。
伊地知さんはホワイトボードに文字を書いて、書記の役割。
五条先生は話をまとめる司会役。
学長先生は頭脳で、私は研究対象――――恐れ多いことに今回の主役だ。
「チャージの時は何してた?」
「えっと……一回目は抱きかかえられてて、二回目は手を繋いでもらって、その後で背中を擦ってもらってました」
「ヒューッ青春」
「……」
「悟」
「ハイハイ」
私の視線と学長先生の声に肩を竦めてみせた五条先生は、更に質問を続ける。
「対象の呪術師は? 何をしてたか、何をした後だったか」
「ん……呪霊と戦ってる時と、戦い終わった後……?」
「伊地知、書いて」
「は、はい。平時では無く、跋除に関係している。っと」
「あ、術式を使った後……とも言えます」
一度目は呪言を使って呪力切れになりかけた棘くんへ。
二度目は呪言を使って反動がきた戦闘後の棘くんへ。
「自分の意志で?」
「……いえ、特に何も考えてはいなかったと思います」
「まず接触は条件のひとつだと思うけど、他にもトリガーの確認が必要だね……で、充電後は?」
「一回目は意識が無くなって、気づいたら伊地知さんの車の中でした。二回目は途中で棘くんに充電……チャージしてるんだって気づいて、そしたら棘くんが途中で離れちゃったので……」
「んー、術師の許容限界まで充電しようとするのか、もしくはロスっても毎回残量を全部使い切っちゃうのか……自分の意志で止められるのか、も知りたいね」
先生が顎に手を当てて考え込むように宙を仰いだ。
……確かに、自分の意志でチャージを止められないなら、私は呪霊や呪詛師に鹵獲されてしまったらアウトだ。どう悪用されるかなんて想像するだけで恐ろしい。
「僕が無下限で使ったら一気に枯渇させちゃいそうだし……そうだ、いい"テスター"がいるよ」
「てすたー?」
そう言って笑った先生が昼過ぎにグラウンドへ連れてきたのは、棘くんや乙骨くんと殆ど年の変わらないであろう男の子だった。
「……伏黒恵です」
「佐倉ゆきです」
「恵は来年高専入学予定だよ後輩だから優しくしてあげてねっ」
つまり将来的には私の後輩、になるわけだ。
伏黒くんは真希ちゃんより少し背が高くて、真っ黒な髪の毛がぴょんぴょんと元気に跳ねている。ちょっと乙骨くんに似てるかな?
でも目がキリッとしていて眼光が鋭く、穏やかな乙骨くんとは正反対な雰囲気だ。顔は整っていて、たぶん学校では隠れファンクラブができていそう。もしそうだとしたら、伏黒くんは存在を否定したり呆れたような顔をするような……謙遜したりするわけじゃなくて文字通り「どうでもいい」と言いそうな。
そんな男の子だった。
「佐倉……先輩は、佐倉さんの呪骸ですか」
「よ、呼びにくかったらゆきでいいよ……うん、そう。でも今は学長せん――――夜蛾正道一級呪術師の呪骸だよ」
「先輩は先輩なんで。そうですか、雰囲気違うから一瞬わかりませんでした」
「伏黒くんは、最後に私に会ったのはいつ?」
「……たぶん半年近くは前ですかね」
「そっか」
別に呼び方変えなくても今まで通りでいいですよ、と伏黒くんが呟いた。
あぁなるほど、ふしぐろめぐみくん。この子もお兄ちゃんと"私"の知り合いだ。彼自身、私が"意思を持った"ということは知っていて、今の会話に"前の私"と"今の私"の差を感じたのか困惑したように瞳が揺れている。
絶対に名前で呼んでほしい、というなら考えるけれど、もう私は"前の私"に合わせるつもりはない。
「棘には既に二回チャージしてるし、真希とパンダにはできないし、憂太は里香が居るからね……恵が一番イイポジなわけ」
「いいぽじ」
「術式持ちがいいってことですよね? とりあえず玉犬出しとけばいいですか?」
そう言った伏黒くんが両手を構えた瞬間、ぬるりと二体の犬が姿を表した。白と黒、まるで――――
「パンダイヌだ」
「妙な名前つけるのやめてください」
おっと失礼。
と、急に私に向かって携帯を構えた先生が、至近距離からパシャリとシャッターを切った。
フラッシュは焚かないでくれているけれどびっくりするものはびっくりする。
「ちょ、撮るなら撮るって言ってください!」
「ごめんごめん、モデルのゆきちゃんは可愛いね」
「…………」
「ハイ恵、先輩のおめめ見て」
「……は? まあいいですけど」
じ、と覗き込まれて居心地が悪い。伏黒くんって睫毛長いなぁ、なんだか顔つきがちょっと真希ちゃんに似ているような気もする。美人顔だ。
私の瞳を確認するための指示だということはわかっているし、だからこそ私も視線を逸らさないように必死で伏黒くんの目を見つめ返しているけれど……男の子とずっと目を合わせるのってとっても恥ずかしい。
「せんせ、あの、そろそろ……」
「これでいいですか?」
「うん。なんか気づいたことある?」
五条先生のOKを受けた伏黒くんはスッと身を引いた。伏黒くんが至近距離で私を見ても堂々としているのは……女の子慣れしているとかではなく、ただ単に私を呪骸として見ているからなのだろう。
先生の問いに少し首を傾げて考え込んだ伏黒くんは、私の顔をちらっと見てから口を開く。
「いや別に……」
「なら良かった、じゃあ適当に式神使ってみて、呪力減ってきたなーってとこで教えてくれる?」
「はぁ」
「八割残くらいでいいよ。そしたらチャージしてみよう」
「はぁい」
暫くの間パンダイヌ……もとい白と黒の玉犬たちを運動場で走り回らせていた伏黒くんは、「そろそろです」と言って式神を解いた。
彼はくるりと振り返って五条先生と私を見ると、じゃあ次の指示は? という顔でつまらなさそうにしている。
せっかくの日曜日できっとお友達とも遊びたいだろうに、こんなところへ呼び出されて……ごめんね。
「じゃあゆきと手繋いで」
「はい」
伏黒くんは何ともないような顔で私の手を掬い取った。
……ひんやりとした手だ。棘くんとは、違う。
「…………」
「で? 次は?」
「んんー……ゆき、なんかこう『ピカッ』って感じで十万ボルトを恵に流し込むみたいなイメージしてみてよ。どうせ毎週見てんでしょ」
「別に毎回じゃないですよ……残量カツカツになったらポケセン連れてってくれます?」
「浜松町でいい?」
「遠いですね……」
言われたとおり、呪力を伏黒くんに受け渡すイメージをする。
器に注ぎ入れるように、水かさを増す川のように……無機物ではないからか、呪力操作でナックルへ通すのとは違ってとても難しい。
「何も起こんないなぁ」
「すみません」
「じゃあ次は……行け、恵! 吸血攻撃!」
「……」
「効果はばつぐんだ!」
「……」
「…………伏黒くん大丈夫? 五条先生に連れ回されて困ったりしてない……?」
「してます」
「だよねぇ」
それでも真面目なのか、伏黒くんは素直に集中して私の手を握る手にきゅっと力を込めた。
「……」
「……」
「……どう?」
「いや、特に何も……」
「……ん、」
ぬる、と何かが手を伝って動いた感覚がした。でもそれはほんのちょっぴりだけで、気のせいと言ってもおかしくない程度。
「なんか感じた?」
「はい……なんかぬるって」
「俺は何も感じませんでした」
「ふーん? ゆき、ちょっと撮るね」
「はい」
パシャ。
「うーん……薄くなってるような、そうでもないような……?」
「もうちょっとやってみよっか。恵、もっと式神使って」
「はぁ……わかりました」
伏黒くんが両手を動かすたび、いろんな式神が生まれていく。
犬、鳥、蛇、蛙……大きさも様々で、普通の生き物とはサイズも容姿もかなり異なっている。
「すごいねぇ」
「……だいぶ術式使ったんで、そろそろいいですか?」
「いいよ。もう一回手繋いで」
「はい」
また伏黒くんがぎゅっと私の手を握った瞬間、もやもやと掌の中で何かが渦巻いた。コップの縁から零れる寸前まで水を注いだ表面を、指で撫でているような感覚につい声を上げてしまう。
「わ、」
「?」
「恵は? なんか感じない?」
「いや特に……」
「ヤダ〜不感症」
「…………」
「ふ、伏黒くん落ち着いて……」
私は掌の違和感を伏黒くんの方へ押し付けるように意識すると、ずるずると呪力が移動する感覚が走る。棘くんにした時のとはまた違って、水面にハンカチの先を浸してゆっくりと水が浸透していくような静かな変化だ。
「……?」
「伏黒くん、これでどうかな? たぶんチャージできた気がする」
「ゆきは気分悪くなったりしてない?」
「んー……平気です。でもちょっとお腹空きました」
パシャ、とまた五条先生が私の顔を撮った。
携帯の画面を見て頷いて、それを私に見せてくる。
「ホラ、さっき撮ったのとだいぶ違う」
「……あ、ホントですね」
一番最初に撮った私の目の中にはまんまるの丸が輝いて見えたけれど、今撮った三枚目の私は殆ど丸が見えない。意識すれば見えるような、といった程度だ。
「このまま恵にチャージしてってみようか」
「……充電切れが怖いんですけど」
「切れたら僕がお外連れてったげるよ。お姫様抱っこでね」
「人目を惹きそうですしすごく嫌です……」
「佐倉先輩、たぶんこの人本当にやりますよ」
「だから尚更嫌なんだよ」
伏黒くんは五条先生に指示されるまま、どんどん式神を生み出しては解除していった。折を見て術式を止め、私と手を繋ぐ。最初は伏黒くんへ手のひらの違和感を押し付けるようにして呪力を受け渡していたけれど、チャージしていくうちに私の意志とは無関係に、呪力が勝手に吸い取られるようになっていった。
強烈な倦怠感で体が重くなる。重しを肩に乗せられているみたいに重力が増し、視界がくらくらと揺らめいた。
伏黒くんと手を繋いだまま後ろへよろめいた私の肩を、慌てて五条先生が大きな手で支えてくれる。
「お、っと」
「すみませ……ちょっともう、立ってるのつらいです……」
「よしよし。だいぶ頑張ったからね、ちょっと座ろうか」
ジャージのまま地面にしゃがみ込み、私はふぅーっと息を吐いた。
伏黒くんとはもう手を繋いでいないけれど、歪む視界と倦怠感は全く変わらない。
「うんうんつらいよね、もうちょっと我慢してて……撮るよ」
パシャ、
怠さにぼーっとしていた私がその音に反応して現実の世界へ戻ってくると、私の顎に手を添えて上を向かせた先生がカメラのレンズをこちらに向けてちょうど写真を撮ったところだった。
先生は私の頭をひと撫でして解放すると、携帯の液晶画面をじっと見つめている。
「瞳孔が開いてるね。恵、見てみな」
「……本当ですね」
「どうこう、ですか」
「ちょっと照らすよ」
「……う」
先生が手に持っている端末の、レンズの近くにあるライトがぴかりと光った。そのまま灯りで私の瞳を照らされ、夏の日差しの中で日陰から日向へ移動した時のような明るさに目がチカチカする。
「眩しい?」
「もちろん……でもそこまで強烈なわけじゃ……」
「佐倉先輩の目……照らしてるのに反応鈍いですね」
「人の死を表現してるだけかな? フル充電の模様とは違って、瞳孔の開き具合は僕でも見えるね」
呪力が減ったら瞳孔が開き、お兄ちゃんの残穢で偽装した瞳にも同じ変化が現れる。瞳を覆う呪力が薄まるのかどうかはわからないけれど……開いた瞳孔は通常の役割を放棄しかけているのか、光に反応して緩く収縮するだけのようだ。
でも別に、私が感じる光の強さに違いは無い。
――――つまり、"外見上だけ"人が死ぬ様に似せてある。
「……よっし、今日はここまでにしようか! ゆきも恵も、頑張ったから美味しい焼き肉でも食べに行こう。パーフェクトルッキングな五条先生が連れてったげる」
「……ありがとうございます」
「人がいっぱいいるところでお願いします……あと、たくさん食べたいので食べ放題がある安いお店がいいです……」
先生にボリュームに定評のある安価な焼肉屋さんへ連れていってもらった伏黒くんと私は、「好きなだけ食べな」という言葉に甘えて食べ放題コースで舌鼓を打った。伏黒くんはとっても食べ方が綺麗で、でも育ち盛りの男の子らしく次から次へとお皿の中身を焼いては平らげていく。
最初、自分と同じくらい食べている私を見た伏黒くんは「先輩って飯食って平気なんですか」と目を丸くしていたけれど、"主人"からの呪力供給が途絶えた私が複雑な仕様を維持するために食事と外出で充電をしているのだと説明すると、理解するので精一杯といった難しそうな顔つきで「そうですか」と頷いた。
夕飯を食べてお腹は満ち足りたけど、私の充電が追いついていないからそのまま居酒屋をはしごして、三人でジュースを飲んで家路についた。
五条先生とついでに私の貴重な休日は全て状況整理とチャージ検証と充電で消え去ったし、その内ふたつに付き合わされた伏黒くんの貴重な時間も、もちろん半日以上が費やされていた。
大衆居酒屋は人が多かったものの、悲しいことにフル充電には足りず――――つまり私は、明日の放課後も五条先生と一緒に外出することが決まった。
翌日の月曜日。午前の体術が終わって、更衣室で制服へ着替えた真希ちゃんは、同じく着替え終わった私に向かって目を細めてみせた。
「月曜からそんな疲れた顔してっと流石に心配になるな」
「んー。昨日ハードだったから……疲れちゃった」
気を張って伏黒くんにチャージをして、低残量になって、三人でご飯を食べて充電して。時間は足りていたものの一週間の端っこにある日曜日でやるにしては少し重めのメニューだった。
……まぁ私の仕様を確認するための作業なので文句を言う理由もなく、今日の充電が終わったら明日の放課後にも伏黒くんに時間をもらって同じことをする予定だし。検証が終わるまでは毎日同じことが続く予定だし。
真希ちゃんの言う通り、今からバテていたら身体も精神も保たなそうだ。
「お昼いこ……お腹減ったぁ」
「……途中で力尽きてぶっ倒れんなよ? オマエ殆ど人間と同じ重さなんだし、重くはねーけど手間だ」
「大丈夫、そこまでへろへろじゃないもん」
とは言っても普段に比べれば充電が足りていないことは事実なので、今日はちょっと多めに昼食を摂っておいた方がいいだろうか。
「――――あ?」
「なに? ……あ、棘くん」
更衣室の場所は違うし男の子たちとは食堂で合流できるものかと思ってたんだけど、廊下の曲がり角には棘くんが立っていた。乙骨くんとパンダくんは近くに居ない。
「どうした?」
「……いくら」
待ってた、と言った棘くんは、じっと私の目を見つめている。
もしかして私は誰かに呼び出されたんだろうか。それを伝えに来てくれた、とか?
今日の充電の件なら、
「五条先生?」
「おかか」
呪骸の仕様に関することなら、
「じゃあ学長せんせ――――」
「おかか」
頻度が減って月に一回になった身体測定の件なら、
「……家入せ」
「おかか」
可能性は薄いけれど、もしかすると、
「いじ」
「おかか」
じゃあ誰に、と言いかけた私に歩み寄ってきた棘くんは、すっと私の右手を握った。そのまま踵を返し、何事もない様子で歩き出そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってどうしたの」
「ツナ」
「誰の呼び出し? もしかして七海さん?」
「おかか」
「あー……棘オマエ……」
「しゃけ」
一歩置いていく形になった真希ちゃんを振り返ると、彼女がちょっと呆れたような顔で棘くんと私を見ているのがわかった。きっと真希ちゃんにも呼び出し人の見当がつかないのだろう。
そのまま素直に棘くんに連れていかれた先は――――食堂だった。
「ん……?」
「……」
「棘くん、ここ食堂だけど」
「しゃけ」
そうだよ、と言った棘くんは私の手を放してランチプレートを受け取り、真希ちゃんと私が自分と同じものを受け取る姿を見守っている。流されるように私がご飯の器やおかずの小鉢をプレートに取ると、こくりと頷いた彼は乙骨くんとパンダくんが座っているテーブルへと歩いて行く。
「……?」
「ほらゆき、さっさと行くぞ。冷める」
「う、うん」
呼び出しじゃなかった、んだろうけど、どうしたんだろう。真希ちゃんも棘くんの行動に対して何も言わないし、先にテーブルについている乙骨くんとパンダくん――――前者は苦笑いをしていて、後者はニヤニヤと笑っている――――も、椅子に座らずに私たちを待っている棘くんに対して何も指摘しようとしない。
また何か新しい悪巧みか何かが始まったのだろうか。
首を傾げながら席に着いた私の隣に当たり前のように腰掛けた棘くんは、みんなで揃っていただきますをして半分くらい食事を平らげたところで、私の顔を覗き込んで「ツナマヨ」と言った。
「……放課後?」
「しゃけ」
「うん……どうかしたの?」
「いくら」
出かけようよ、と言ったのは私の充電不足を気にしてくれたのだろうか。
……でもきっと、それだけでは無いのだろう。私はちょっと困りつつ、棘くんに向かって首を振った。
「ごめんね、五条先生と充電しに行くから」
「…………」
「ドーンマイ、次があるって」
パンダくんがそう言って棘くんにニヤニヤと笑いかけた。
……ちょっと、楽しそうに引っ掻き回すのやめてほしいんだけど。私のことを茶化したりけしかけたりするならまだしも、棘くんにまで同じことをされるのは困る。
――――というか、もしかしてパンダくんが唆して囃し立てて、棘くんをその気にさせてしまったんじゃ? まさかさっきの行動も?
友達を悪い方向に疑いたくはないけれど、人が傷つくような揶揄い方はダメだ。
「すじこ」
「明後日はチャージ検証で……というか今週は平日ずっと」
「しゃけ、明太子」
「ごめん土日はちょっとまだ確定してなくて」
「……こんぶ」
「んん……チャージ条件が確定するまでは、ほとんど毎日検証と充電だから……」
「ツナマヨ、」
「…………」
じゃあ充電くらいは先生じゃなく自分と一緒に、って言ってくれる棘くんのこと――――私は好きなんだけどな。
こうやって棘くんと二人っきりでの充電の回数が減れば、いずれ棘くんの私を見る目は変わっていくだろう。
「……ツナ」
「あ……」
一週間半後。今日は充電は、と棘くんが机の前に立ち私を見下ろして言った。
もちろん充電しないと足りない。昨日の放課後に学校帰りの伏黒くんを捕まえた五条先生と何回目かのチャージ検証をしていたから、やっぱりその後の夜の食事会だけでは充電不足だった。
しかも運の悪いことに、今日は五条先生が外出だ。
然しながら元々検証を始める前までは毎日フル充電にしなければいけないというわけでもなかったし、五条先生だって「もし誰かと出かけないなら、明日僕か恵と一緒にお出かけしよーね」なんて言っていたから、そうさせてもらおうと思っていた。
仕方ないから今日は多めに夕食を食べて、外出せずに自室でゆっくり過ごそうかなと思っていたんだけど。
「…………今日は、その……五条先生がいないから」
「しゃけ、いくら」
「寮で静かにしてるよ……あ、クイズ大会は参加するよ? 今日こそ乙骨くんとの最下位争いから抜け出したいし……」
「……」
黙り込んだ棘くんは、考え込むようにネックウォーマー越しに口元へと手をやり、何度か瞬きをしてからもう一度私に視線を戻した。
「高菜……こんぶ」
「買い出し……」
じゃあ買い出しに行くから"手伝って"。そう言われてしまえば首を横に振るのも気が引けて、仕方なく私はこくりと頷いた。
"手伝って"。は、やっぱり言葉通りの意味ではなかった。
「……」
「……買い出し、」
新宿程の遠出ではないけれど、市内のそこそこ栄えている駅。
駅隣接の商業施設に来た棘くんは、何も言わずに私の手を取った。
「あの、手――――」
「おかか、こんぶ」
はぐれたら困るから。そう言い切られてしまうと反論の余地が残されていないようで戸惑うけれど、休日程の人出ではないから迷子になる可能性なんてほとんど無い。
――――私と、ただ手を繋ぎたいだけなのだ。
そのほかの理由は全て後付け。私は嬉しいし、周りから見ればただの男女のデートに見えるだろう。
棘くんが"人形離れ"できるまでは、付き合うしかない。
「……わかった」
「…………」
お洒落な輸入食品店で紅茶を買って、授業で使う新しいノートとペンを買い足す。
本当に、ただそれだけの買い物。"買い出し"ではなく、"お出かけついでに買い物をした"だけ。
流石に夕飯は寮で食べたいと私が言ったところで、渋々棘くんは駅へと続くフロアサインを見上げた。
寮に戻って、ギリギリ間に合ったクイズ大会に参加して。いつもの夜のルーティンをこなしてベッドに潜り込んだところで私は溜息を吐いた。
「ね、今日は棘くんと手を繋いでお出かけしたんだよ……」
いつも通り、真ん丸のキツネに話しかける。
「……もし、君を棘くんに返したらさ。棘くんも早く"人形離れ"できるかな」
そうしたら私の相談相手が居なくなってしまうけど。きっと、棘くんはこの子に飽きたらいずれ私にくれるだろう。パンダくんと玩具屋さんを開くのは遠い未来の話だから、それでも大丈夫だ。
「…………」
でも、まだもう少しこの子と一緒に居たい。私をどう思っていようと棘くんがくれたものだから……それに、何かを抱きしめるのってとっても安心する。
五条先生が忙しくて私を充電に連れていけなかったのはその一回限りで、後はどうにか時間を調整して私を連れ出してくれた。
こんなに忙しい人を、特級呪術師の五条先生を。毎日占領しているのは申し訳ない。もちろん検証のためには前提条件を全て統一することが重要だと理解してはいるけれど。
そう先生に言ったら「だって毎日伊地知の顔見るのつまんないもん」なんて笑っていたけど……それってもしかして、例の"調べ事"を伊地知さんに押し付けているだけなのでは?
それからチャージ検証を五回続けたところで、充電先の大衆居酒屋でメロンソーダをジョッキで飲んでいた五条先生が不思議そうに首を傾げた。
「ゆき、だんだん充電する時間増えてない?」
確かに、伏黒くんの式神使用回数と時間、それに私からのチャージ時間、充電のために一緒に外出する呪術師。条件をほぼ同じにしても、なぜかフル充電に持っていくには時間がかかるようになっていた。チャージで一日、充電で一日。平日は放課後しか時間が取れないから、二日でワンセットの予定を組んでいた。充電日に五条先生を付き合わせる時間は回を重ねるごとに長くなっていって、今日も本来なら伏黒くんとチャージ検証をする予定だったのに――――昨日の充電だけでは足りなくて、予定を変更して急遽充電に費やすことになったのだ。
「もしかしてさ、溜めておける容量が増えてるとか」
「……」
体重みたいに? と言おうかと思ったけど、面白くない冗談だったから心の中で思うにとめておいた。
「使えば使うほど、容量が増える?」
「可能性はあるねぇ」
試すなら、人の往来があるところで呪術師にチャージをしてそのまま充電、またチャージをして……と繰り返すのが一番いいのだろう。もちろん人混みのど真ん中で術式を使うなんてことはできないわけだけど。
「……今度、繁華街のどっか人目に付かないとこで僕の術式で呪力使って、そのままチャージと充電繰り返してみる?」
「えっ? そんなのできるんですか?」
「できるできる! だって僕、最強だよ?」
じゃあ今日はフル充電の状態にして、明日は放課後丸々使って二人っきりで人の多い所へ行こうか。
そう言って翌日の予定を決めた五条先生と私は居酒屋の美味しい唐揚げを頬張って、帰路に就いた。
――――結論から言うと、五条先生の試みは大成功だった。
私は短時間のうちに何度もチャージと充電を繰り返したことで疲労困憊だったけれど、呪力容量が増えたのを見て魔法使いよろしく宙に浮いていた先生は私を抱きかかえたままとても嬉しそうに笑った。
「これで、棘にもいっぱいチャージできるね」
「……私は棘くん専用の充電器じゃないですから。先生や伏黒くんにも、もちろん他の呪術師さんにもチャージしますよ」
そのためには、対象呪術師の呪力許容量の限界値を把握できれば嬉しいんだけど……私は計測器では無いから見込みは薄いだろう。
「棘専用、ねぇ……」
五条先生が何か言いたげにしているのがわかったけれど、私は気づかないふりをして携帯電話を構え、自分の瞳を写真に撮った。
――――パシャ。
画面に映し出された私の目の中には、前よりも少し濃さを増した丸い輪が輝いている。
<< △ >>
×