あの後、一通りの説明を聞き終えて呆然としていた私を連れ出した白髪サングラスの五条先生は、「噂の転入生。うーん良い響きだねぇ」と言いながら廊下を先導していた。
彼がこれから、私の担任の先生になるのだという。
先生は身長に見合う程、脚がすらりと長い。たぶんお兄ちゃんよりもずっと背が高いだろう。普通に歩くだけでも私を置いていけるはずなのに、私が小走りにならないように歩幅を縮めて歩いてくれている。
「一年生は三人だけだから、すぐ仲良くなれると思うよ!」
「はい……」
「元気ないね。アラタのこと、考えてる?」
「……全部、変な……夢を見てるみたいで」
「現実感が無い?」
「お兄ちゃんが死んだのも、本当かどうか受け止められてないんです。……涙も流さないなんて私、ひどい妹ですよね」
「じきにわかるさ。ほら着いたよ」
五条先生は一つの扉の前で足を止めて、すぅっと息を吸ってから勢いよく扉を開けた。そのまま大きな声で教室の中に向かって声をかける。
「紳士淑女諸君! 転校生を紹介します!」
「もう昼だぞ」
「しゃけ」
「ヨ! 待ってました」
「転校生が来るのは朝礼から。そんな固定観念は破壊しよう!」
「もったいぶるな。パンダも乗るな、うるせぇ」
「まあまあ。ほら、入っておいで」
五条先生に呼ばれた私は、おそるおそる教室の中へ足を踏み入れた。
教室に机が三つ、女の子が一人、男の子が一人、パンダがひとり。
居るとは聞かされていたけど、見知った顔がいるとやっぱり安心する。
私がパンダくんに小さく会釈をしたとき、「は?」と女の子が声を漏らした。
「なんの冗談だ」
「高菜」
「冗談じゃないよ! 噂の転校生、佐倉ゆきさ!」
「そりゃ知ってるけど」
「しゃけ」
「俺の同輩ってことだよ」
「……」
「……」
「自己紹介も終わったことだし、授業にしよっか!」
あ、この二人は真希と棘ね。と五条先生はさらりと紹介を省いた。そんな、御無体な。人数は少ないから名前を覚えるのは難しくないと思うけれど、もう少しこの空気に慣れるまで時間と心の準備が欲しかった。
私の内心を知ってか知らずか、五条先生はそのまま黒板へ向かって「さあ授業を始めますよ!」といわんばかりにチョークを手に持ち振り返った。
パンタくんとはあの後少し話をして、「よそよそしいし変な感じがするしな。前までと同じように
パンダくんって呼んでくれや」とお許しを得てから「パンダさん」から「パンダくん」へと呼び方を変えさせてもらった。確かにパンダさん、だととてもファンシーな感じではある。"くん"を付けるだけで少し距離感が近くなった、と感じるのは、私がパンダくんと同じ"呪骸"だからだろうか。
だからこの自己紹介の場は、目の前に座っている眼鏡の女の子と口元を隠した男の子へ向けたものだった。
同級生が二人しかいないからと言っても、とりあえず自分の自己紹介くらいはしなきゃいけない。
そう思った私は、手短に自分の名前だけでも言おうと口を開いた。
「あの、初めまして、佐倉ゆきです」
「いやいやいやちょっと待て」
「すじこ」
最低限の義務を果たして授業の邪魔にならないよう、空いている席に座ろうと私が動き始めたとき、ぽかんとしていた二人が静止の声を上げた。
……すじこが静止を意味するかは、辞書を引いてみないとわからないけれど。
二人は怪訝そうな顔つきで私をじろりと睨み、続いて五条先生へその視線を移動させる。
「佐倉さんがここで教鞭執ってんのに? あの人サラリーマンにでも転職すんのか?」
「高菜……こんぶ」
「あはは、アラタが頭おかしかったのは前からでしょ。ボイコットでもないし、あいつがトチ狂って妹を学校に通わせようと思いついたからでもない。それでもって、術師が死んでも何故か呪骸が勝手に動いてるだけ」
「いつ」
「昨日の話」
五条先生の言葉に瞠目した二人はもう一度私に視線を戻して何か言いたげな表情を浮かべている。
そうか。この人たちも、お兄ちゃんと私とは知り合いなんだった。
「え、えっと、生前は兄がお世話になりました……」
「おかか」
「お……」
「いや世話してたろ。佐倉さんのお人形ごっこにも付き合ってるし、そりゃ強かったから助けてももらったけど……それがなんで同級生になるんだよ」
「俺と同じって言ったろ」
「超自然的に発生する人形の感情ってなんだよ」
そう言って、真希さんという女の子はパンダくんをギリッと睨みつけた。
……どうしたらいいんだろう。目の前で喧嘩が勃発しようとしている。
困った私が五条先生を見ると、彼は緩く腕を組んで黒板によりかかり、我関せずといった様子でニコニコと私達四人を見つめていた。
間に入って仲裁したりするつもりもないようで、言葉に表すなら「おやってるやってる。面白いからもうちょっと見てよーっと」という感じだろうか。
この短期間で、五条先生の性格がぼんやりとだけどわかってきた気がする。……たぶん、結構ちゃらんぽらんな人だ。
困惑する私から目をそらした棘くんという男の子が、ふうっと息を吐いて言った。
「高菜」
「お、良い事言うな棘。真希も見習えよ」
「順応性高すぎるだろ。なんでそんなすぐに受け入れられんだよ……どいつもこいつも変態かよ」
まあパンダという前例もいるか……と真希さんは私の方を見て呟いた。諦めた様子で、ぶっきらぼうに自己紹介をしてくれる。
「はぁ……禪院真希。よろしく、苗字で呼ぶなよ」
「あ、え? う、うん、真希さ……」
「真希でいい」
「ま……真希ちゃん」
それだけ言うと、真希ちゃんは私を見つめたのちにプイッと向こうを向いてしまった。
ここへ来てから不安なこと続きだったけれど、初めて同い年の女の子と会えたからか少し肩の力が抜ける。真希ちゃん、とそう呼ぶだけで、とても距離が近くなったみたいで胸がぽかぽかする。
続けるように、真希ちゃんの隣にいる男の子が私の方を見て声をかけてくれる。確か名前は、棘――――
「高菜」
「えっと……と……」
「狗巻棘。よろしくだってさ」
パンダくんが助け舟を出してくれる。
そっか。五条先生が言ったときは苗字か名前かわからなかったけれど、狗巻が苗字なのか。最初に五条先生が真希ちゃんを下の名前で呼んでいたんだから、もちろん彼のことも下の名前で呼んでいると推測できたはずなのに。
初対面から男の子を下の名前で呼ぼうとしちゃっていたなんて……もし本当に「棘くん」と呼んでいたとしたら、ちょっとどころかかなり恥ずかしかっただろう。
「よ、よろしく……狗巻くん」
「……こんぶ」
「え、だめだったかな……? 狗巻さん……?」
「お、おかか」
「ぷ……狗巻さんはよそよそしいってさ」
「ご、ごめん! 狗巻くん、でいい……かな?」
もちろん、同い年の男の子も初めてだった。いや、パンダくんをカウントするなら二人目だろうか。
狗巻くんは私の言葉に一瞬躊躇ったのち、「しゃけ」とだけ言った。
「語彙がおにぎりの具なんだよ」
「しゃけ」
「慣れるまで慣れろ」
「……う、うん」
パンダくんと、そっぽを向きながらも応援してくれた真希ちゃんの言葉に頷いて、狗巻くんの方へ向き直る。
なるほど。それなら私も、狗巻くんに合わせて喋った方が彼もわかりやすいだろう。
「狗巻くん」
「高菜?」
「えっと、まぐろ!」
「……?」
「あれっ違うかな、きゅうり?」
「……」
「……」
「……」
教室内に沈黙が落ちる。
「ぶ」
先にその空気を引き裂いたのは、五条先生だった。
「マグロとキュウリは……っはは……今度お寿司屋さん連れてったげるよゆき。君まで語彙絞らなくても、棘にはちゃーんと伝わるから!」
顔を真っ赤にする私を除いた三人の爆笑がその後に続いた。
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