翌朝。睡眠中に抱き締めていたキツネのぬいぐるみに「おはよう」と挨拶をした私は、休日のルーティンである朝のニュースチェックをするために談話室へ行き、ゆっくりソファに座りながらココアを飲んでいた。
テレビ画面の中では、ニュースキャスターが映像にツッコミを入れたり、コメンテーターから厳しい意見を受けたりと忙しそうにしている。休日なのに大変なことだ。
ふと、誰かの靴音が聞こえた気がして振り向くと、女子寮の方から真希ちゃんが歩いてくるところだった。

「真希ちゃんおはよう〜」
「おはよう。日曜なのに朝早ぇーな、老人かよ」
「そんなに早くないもん。まだお店が開いてないかなってくらいの時間だし」
「ハイハイ。コンビニ行くけど、来るか?」
「えっいいの!? いくー!」

私は外出制限があるので、誰かが外に出かけない限りは必然的に高専内で過ごすことになる。
もちろん、週に何度か充電のために外出できるようスケジュールを組んではあるけれど、暇な休日はちょっと寂しいこともあるのだ。
今私が着ているのは、お兄ちゃんのお下がりが故にゆるっとしたTシャツとカーディガン、真希ちゃんと浴衣を買う時についでに買ったジーパン。コンビニに行くには問題ない服装だから、靴だけ履き替えて財布を持ってくるために自室へ駆け足で戻る。

「おまたせ!」
「ん。まぁ休日だしな、別に急いでねーよ」
「ううん、ありがと!」

高専は山の中みたいな場所に位置しているから、最寄りのコンビニまではとても距離がある。
だらだらお喋りしながら坂を上って下って、途中で何台かの車とすれ違ったところで漸く目的地に辿り着いた。

私は間食用のチョコレートが欲しかったから、店内を適当に物色してめぼしいものを買い物かごに放り込む。ちょうど雑誌コーナーには、昨日棘くんに買ってもらった女性誌が置かれていた。
……そうだ、帰ったら真希ちゃんにも雑誌を見てもらおう。
帰るころには忘れてしまいそうだけど、何十分か後の私が覚えていますようにと念じながら店員さんにお会計をしてもらう。

私は会計を終え、ちょうどお金を支払っている真希ちゃんを外で待つためにコンビニのドアを抜けると、腰回りに何か軽いものが当たった。

「わ、」

びっくりして視線を落とすと、私の腰に抱きつくような形で男の子が立っている。どうやらこの子は勢いよく走ったせいで急には止まれなかったらしい。

「ごめんなさいっ」
「ううん、私の方こそごめんね。大丈夫? ケガしてない?」
「だいじょうぶ! あれ……?」

まだ小学校に上がっていないくらいの年齢だろうか。礼儀正しく謝罪の言葉を述べた男の子は、元気よくそう言って私の顔を見上げてから不思議そうに首を傾げている。

「どうしたの?」
「…………」

しゃがみ込んで視線を合わせた私が尋ねると、男の子は私の顔をびしっと指差して首だけで後ろを振り向き、大きな声でこう言った。

「お母さん! この人、おめめのなかに丸がある!」

その声に振り向いたのが、この子のお母さんだろう。停車した車から乳幼児を抱きかかえてドアを閉めたところだったようで、自分の息子が上げた大声に驚いた様子で目を丸くしてこちらへ駆けてくる。

「こら! 人のこと指差しちゃいけません! うちの息子が失礼なことをして申し訳ありません……」
「あ、いえいえお気になさらないでください」

あなたもごめんなさいしなさい、と言われた男の子は、またもや礼儀正しく大きな声で「ごめんなさい」と私に謝りながらニコニコと笑っている。
……可愛いなぁ。別にこんな小さな子にぶつかられたって痛くもないし、指差されたところで怒る理由もない。元気いっぱいで、お母さんの言うことはよく聞いて、素直に謝ることができる。子供ってとってもかわいい。

「……ぼく、これはね、瞳孔っていうんだよ」
「どうこう?」
「そう。帰ったら、おかあさんといっしょに鏡で見てこらん。ぼくの目の中にも、おんなじ丸のがあるはずだよ」
「……! ありがとう!」

私がそう説明してあげると、もうすぐにでも確認したくて堪らないのだろう。お母さんに向かって「早く帰ろうよぉ」なんて甘えた声を出している。

「ありがとうございます……ほら、お姉ちゃんにサヨナラは?」
「さようならぁ〜」
「ふふ……さよなら」

小さな手に応えるようにして私も手を振り返すと、その親子とすれ違うようにして中から真希ちゃんが出てきた。
待たせたな、という言葉に私は首を横に振って、高専への道を一緒に戻り始める。なんだか今日は風が強い。そういえば朝のニュースで、今日は一日を通して快晴ですが風が強い予報です……みたいなことを言っていたような気がする。

「今の子かわいかったんだよ。私の目の中をじーっと見てね、『丸がある!』だって。瞳孔だよねぇ」
「ふっ……なんだよそれ。まぁガキンチョにとっちゃあ"目は黒い丸でしかない"、って認識だろうけどな。黒い丸の中に更に丸があったら不思議にも思うか」
「明るい所と暗い所では大きさが違うんだよ、って言ってあげればよかったかな?」
「逆に混乱させるだろ」
「あはは、確かに」

そんなどうでもいい話をしながら歩道を歩いていると、前から走ってきた自転車がスイっと私たちの前で停まった。

「?」

白いフレームの細身の自転車。荷台には白い箱のようなものが取り付けられていて、今まさにサドルから降りた男の人は濃い紺色のベストとズボン、ベストの中には空色のシャツを着ていて、頭には紺色の制帽を被っている。腰には警棒、胸元には無線機か何かを付けている。

――――正真正銘、お巡りさんである。

「こんにちは。二人とも、おうちに帰るところかな?」
「……こんにちは」
「私たち、学校の寮に戻るところですけど」

警察の人に呼び止められるようなことをしただろうか? 私はちょっと不安に思いながら挨拶を返し、真希ちゃんは少し警戒したような声で説明をしながら、私の隣でお巡りさんをじっと見上げている。

「学生さんかな、どこの学校の子? 学生証とか持ってるかな」
「あります」
「……はい」

素直にパスケースから学生証を取り出した真希ちゃんに倣って、私もお巡りさんへ自分の学生証を提示する。彼はふんふんと頷きながら私たちの学生証を交互に眺め、「もう大丈夫、ありがとう」と言って笑みを浮かべた。

……顔は笑っているけれど、目は笑っていない。彼は私の顔をじいっと見つめたまま口元だけで微笑んでいる。

「そっちの君は、ガイジンさん?」
「いえ違いますけど……あの、何かあったんですか?」
「いや、この辺も最近は物騒な事件が多くてね」
「へぇ?」
「ぶっそう?」
「タチの悪い高校生が暴力沙汰とかドラッグとか……あ、ポケットの中身も見せてもらってもいいかな?」

中身と言ってもパスケースに携帯と財布、後は手に下げたコンビニ袋の中身くらいしかない。

「いいですよ?」
「……」

真希ちゃんも訝し気な顔をしながら、私と似たり寄ったりな物をポケットから取り出し、お巡りさんに見せている。

「……ありがとう、大丈夫だよ。君たちも気を付けて帰ってね」
「はい」
「失礼します」

特に何でもないのかサッと私たちを解放したお巡りさんは、そのまま自転車に乗って走り去ってしまう。眉を顰めた真希ちゃんが「なんだありゃ」と呟いて、気を取り直すように私たちはまた歩き始めた。


それからは特にこれといったことはなく、もちろんお巡りさんにも再度遭遇することなく私たちは高専へ戻ってきた。
寮の通用口を開けると、談話室に腰を下ろしていたらしきパンダくんがのっそりと起き上がってこちらに手を振る。

「おー。おかえり」
「ただいまパンダくん」
「つーか風強すぎ……レンズ汚れた」

そう言う真希ちゃんの眼鏡には、確かに塵汚れのようなものがくっついている。眼鏡を外した真希ちゃんがごそごそとポケットを探り始めたのを見て、私は談話室の棚の上に置かれていたティッシュボックスを手に彼女へ声をかけた。

「ティッシュいる?」
「や、眼鏡拭きあるから。それにしてもあの警官、なんか――――」

ポケットから小さなクロスを取り出した真希ちゃんが私の顔を見た瞬間、そこで言葉を切った。

「?」
「……ゆき、おまえ……その眼どうした?」
「え? なんかついてる?」
「いや、ちょっと見せてみろ」
「うん……」

ゴミか、傷でもついているだろうか。じーっと目を覗き込んでくる真希ちゃんの視線が探るような色を帯びていて、少し居心地が悪くてソワソワしてしまう。近寄ってきたパンダくんも「お? ガンつけてんのか?」なんて楽しそうな声を出している。

「揶揄わないでよパンダくん……」
「あれ、真希さん何してるの?」
「ツナ」
「乙骨くん、棘くん……真希ちゃんがね、私の目になんかついてるって」

広いところでゲームをするつもりだったのか、携帯ゲーム機片手に廊下を歩いてきた男の子二人に向かって、真希ちゃんは私から視線を外さないまま手をちょいちょいと振って呼びつけた。

「ちょっと、憂太見てみろ」
「えぇ?」
「……」

乙骨くんがちょっと不思議そうな目で私の方に顔を寄せてきて、しかもその横から棘くんが興味深そうな表情で覗き込んでくる。二人の後ろではニヤニヤしているパンダくんが立っていて、眼鏡のレンズを拭き終わって装着し直した真希ちゃんがもう一度私の顔を覗き込んできた。
四人みんなにじーっと覗き込まれていて、なんだかとても落ち着かない。目が泳いでしまう私の顎をガシッと真希ちゃんが掴み、固定する。

「うぶ……」
「おい、きょろきょろすんな。見づらいだろ」
「だ、だって近いもん……」
「真希が言う程の何かがついてる風には見えないけどな」
「しゃけ」
「僕もちょっとわかんないや……」
「……気のせいか?」

真希ちゃんやパンダくんに覗き込まれるならまだしも、男の子二人に近距離で観察されるととてもドキドキする。早く三人と、ついでにパンダくんの視線からも逃げたくて真希ちゃんの名前を呼ぶ。

「真希ちゃあん……居心地悪いよぉ」
「じゃあ写真撮るから我慢しろ」
「うぅ」

そう言った真希ちゃんは端末を私に近づけ、パシャっと撮ったところでやっと私を解放してくれた。
パンダくんを含めた四人は携帯の画面を覗き込み、悩むような顔をして首を捻っている。

「もー……なに? 変になってる?」
「あれ? ほんとだ、真希さんの言う通りなんか違うね」
「……しゃけ」

乙骨くんたちがそう言うや否や、真希ちゃんが無言で夏祭りの時の私とのツーショットを開く。
何度かカメラロールを行ったり来たりして、今撮った写真と見比べているようだ。

「一々開くのめんどい上に並べないとわかりづれぇな……ゆき、ちょっとケータイ貸せ」
「うん」

私も自分の端末で同じく浴衣のツーショット写真を表示させて真希ちゃんへ手渡し、皆と一緒にそれを覗き込む。
確かに何となく……違うような気がする。何がとは言えないんだけど、私の目の色がというか、光の入り具合がというか。
乙骨くんもいまいち理由がわからないのか、うーんと唸って私の顔に視線を戻す。

「光の加減じゃないかな?」
「ゆき、昨日撮った写真無いか?」
「ある、よ」

棘くんフォルダを開いて一番上にあった写真を大きく表示させた。パンケーキの切れ端をフォークに刺している私の写真だ。

「……これは特に普通だな」
「うん。この浴衣のと変わんないね」
「もっと遅い時間に撮ったやつは?」
「あるよ。こっちかな」

展望台に行ったのはこの直後だから、夕方近くになって撮った時の写真を探し出す。キツネ柄のポーチを持った私だ。……ちなみに、撮影者は棘くんである。

「あれ……こっちはさっきのと違うね」
「ほんとだ」
「しゃけ」
「つーかクソ、全然汚れ取れてねーな。買い替えるかこの眼鏡拭き――――」

苛立ち混じりに眼鏡を外して、はた、と動きを止めた真希ちゃんが写真ではなく私の目をもう一度覗き込む。

「え、なになに?」
「おっはよう諸君! 何々? ゆきの観察日記かなんかつけてんの?」
「うっせーな気が散るだろバカ」

冷たく言い放った真希ちゃんを気にすることなく、寮へするりと入ってきた五条先生はアハハと笑い声を上げている。
なに? 今日はみんなが寮に集まる日かなにかなの?

「ど……どうしたんですか……」
「朝っぱらから伊地知がうるさいから逃げてきちゃったよ」
「え? 今日は休日だからオフじゃないんですか?」
「まー教師にもいろいろあんの。調べ事とか」

調べ事とか。……それってたぶんつまり、

「……伊地知さんと調べものしてるんじゃないんですか? かわいそうです」
「いいのいいの。で、なんでみんなしてゆきの顔覗き込んでるワケ?」
「悟、ちょっとこの写真見ろ」
「ん? あ、ゆきも真希もかわいいねー浴衣。色合いがすごく良い」
「そこじゃねーよバカ。ゆきの目、なんか気づかないか」
「うーん特に違いは……」
「じゃあこっちの写真は? さっき撮ったヤツ」
「――――ん?」

先生は写真と私の顔を見比べて、じいっと覗き込んでくる。

「何? 加工?」
「私が眼鏡を外してコイツの目を見ると、この写真と同じに見える」
「………………っあー。なるほど」
「どういうことですか?」
「当たり前に呪いが見えてるから気にしたこと無かったけど、うん。そういうカラクリか」

真希ちゃんと顔を見合わせてハイハイと言いながら独り頷いて見せた五条先生に対し、私は置いて行かれたままだ。

「ゆきの目、非術師にしかわからないように細工がしてある」
「ひじゅつしにしかわからない?」
「いや、正確には呪術師の目を誤魔化す仕掛けがしてある、って感じかな」
「すみません、追い着けてません」
「僕も」
「俺も」
「しゃけ」

置いて行かれていたのは私だけではなかったらしい。乙骨くんにパンダくん、棘くんもさっぱりわからんという顔で五条先生と真希ちゃんを見つめている。

「僕たちには当たり前のように呪いが見えていて、ゆきとこの写真を見比べると違和感を感じる。真希が眼鏡を外して今のゆきの目を見ると、さっき撮ったゆきの写真と同じに見える。……ここから導き出される答えは?」

裸眼の真希ちゃんは呪いを視認できない。
私たちには呪いが見える。
写真には呪いが写らない。

「……私の目に、呪いがかかってる?」
「惜しい。ゆきの目の上にアラタの呪力――――残穢のフィルターが掛けられてる。術師にはフィルター越しの目が見えるけど、非術師には呪力が視認できないから本当のゆきの目が見える」

言ってることはわかるけど、なぜそんなことが?

奇妙な現象に首を傾げる私に向かって、パンダくんが「なぁ」と声をかけてくる。

「昨日は棘と充電してきたんだよな?」
「うん」
「なにした?」
「……DVD予約しに行って、本屋さん行って、パンケーキ食べて、都庁展望台行って、アトレまわって、ロフト行って、お茶して、アルタ行って、ドンキぶらついて……最後はゲーセンに行きました」
「しゃけ」
「なんで敬語だよ」
「…………ただのデートコースじゃねーか」
「いや、棘くんの買い物についてっただけだからね? 充電だよ」
「……」

何故か呆れたような顔をしているパンダくんと真希ちゃんに向かって誤った認識を訂正していると、私の端末を眺めたままの先生が画面を指差して言う。

「この写真は?」
「こっちのはお昼にパンケーキ食べたときので、こっちのポーチ持ってるのは夕方アルタ行ったときのです」

本当はその後に棘くんとゲーセンで撮ったプリクラもあるけれど、あれは小さなシールだから拡大するには向いていないだろう。しかもあの二台は携帯端末にデータの画像を送ってくれるサービスが付帯していなかった……だからこそ、空いていたのだ。

「んー、充電に関係があるかもね……じゃあゆきには宿題を出そうかな。今日から毎日、一時間ごとに自分の目を写真に撮ること。オーケイ?」
「えぇ……はーい」
「食前と食後、明日は鍛錬の前と後も追加で撮ってね」
「……なんか恥ずかしいです」
「じゃあ棘か憂太に毎回至近距離で写真撮ってもらう?」
「自分で撮ります」



私は言われた通りにちゃんと宿題をこなし、翌日と翌々日に自習で組手をして、術式の練習をしたあたりで五条先生に「充電外出」を申しつけられた。

今回は真希ちゃんと行くこと、と指定されて、放課後で時間も無い中とりあえず近場の立川まで行って、それでも三時間はきっちり充電して帰ってきた。もちろんその間、一時間毎に自撮りもする。
不思議なことに……最後の一時間の間、なぜか私達は三度もナンパに遭遇した。どれも真希ちゃんが冷たくあしらったけれど、一時間に三度も同じ目に遭うのはどう考えてもおかしい。

帰ってきた私が提出した"宿題"を見た学長先生と五条先生は、ようやっと理解できたといった表情でこう告げた。

「目の中の丸が残量を示している、と見て間違いないだろう」
「フル充電にならないと薄すぎて殆ど見えない上に、カラコンですって言い切っても違和感が無いレベルでしか違いが無いねぇ」
「私自身は充電が終わったかどうか、目を見る以外には全く何も感じられないんですが……」

私も自分を写真に撮らなければわからないのだが、確かに日曜の朝の写真と充電直後の写真の中の私はうっすらと目の中に丸が輝いていて、五条先生曰く「ナンパ野郎もなんとなく興味が湧いて声かけちゃったんじゃないかな? 罪作りな女だねぇ」なんてことらしいが。

罪作りなわけじゃないもん、私の責任じゃないし。

でも考えてみれば、夏祭りのときも棘くんとゲーセンに行ったときも、非術師が多い環境に長いこと居たから充電が完了している可能性は高いし、この間のコンビニ帰りに子供に目を指差されたのも、お巡りさんにガイジンさんかと尋ねられたのも理由がつく。……後者は私が悪いモノをキメてる学生かと勘違いされた説が濃厚だが。

自習で術式を使う前と後でも濃さが若干違うし、一日目と比べると二日目の写真は丸がより一層薄くなっている。

「問題はアラタがなぜこんな機能を搭載したか、だが」
「……"佐倉アラタだから"?」
「七割方納得のいく説明だな。大方、バッテリーとして連れ歩くために残量を把握しておきたいのと、他の術師にバッテリーの仕様を気付かれにくくするための折衷案といったところだろう」
「ゆきにはアラタの呪力が宿ってて当たり前だったから、違和感も無かったですしね」
「なんにせよ、私の充電完了の目安がわかって嬉しいです」

これで、必要以上に誰かを付き合わせてしまう心配もない。
確認のために一々自撮りをしなきゃいけないのは恥ずかしいけど。





先生たちと写真の話をした翌日、"宿題"のおかげで忘れかけていたお土産を広げていると、棘くんとのお出かけで買ったポーチが転がり出てきた。

そうだ、これに"あれ"を入れようと思って買ったんだ。

棘くんとの初めてのお出かけの時に神社で女の人に貰ったドングリ。そういえばハンカチに包んで持って帰ってきた後、失くしてしまわないように小袋に入れてそのまま大事にウェストポーチに入れておいたような気がする。
そう思ってチェーンスパイクを退けて小袋を取り出してみると、中に入っていた五つのドングリ――――のうち、二個が割れていた。
しまったな、やっぱりちゃんとしたものに入れておかないといけなかった、と思っても後の祭りだ。

仕方なく、割れた二個は取り除いて残りの三つを手のひらに乗せる。
……これ、どうしてあの女の人は私にくれたんだろう。春先にドングリだなんて珍しいから、とかなのかな。
よく見てみると、どうやらこれには呪力が込められているらしい。不思議に思って先ほど取り除いた方を見てみると、割れた二つには呪力が籠っていない。
悪いものでは無いようだし、私がガサツな管理をしていたから割ってしまったけれど、持っていたら御守り代わりにならないかな。
そう思って、買ったばかりのキツネ柄の小さなポーチに三つともしまい入れ、ウェストポーチに戻すことにした。

部屋に大事に置いておくよりも、何となくそうした方が良いような気がしたからだ。
……近々、あの神社にもう一度行ってみようかな。



それから三日間。何事もない日が続いた。私は毎日、自室の机の中のプリクラとキツネのぬいぐるみを眺めてから登校し、帰ってまた眺めて眠りにつく、という生活を続けていた。
その間に一度、五条先生に例の人形と手紙についての進捗を聞いてみたけれど特に進展は無いそうで、むしろ私の"呪術師への充電"の件について調査を進めてみてはどうか、という方向性になっていた。その如何によって、三級への昇級査定についても沙汰が下るだろう、と。

――――私が三級になったらどうなるんだろう? 真希ちゃんの方が私より強いのに。
もしかして術式を持っているかによって昇級の速度が違うんだろうか。だとしたら大変不公平なシステムだと思う。強い人が評価されずにいるだなんて、おかしな世界だ。




そしてやってきた平日最後の金曜日、資料庫で呪術史学の調べ物をしていた私が寮へ戻ろうと廊下を歩いていると、空き会議室から誰かの話し声が聞こえた。

「……だと思いました。火葬したら……破壊されますから」
「硝子のサンプルのお陰だが……でも、――――だろう」
「……、犯人はアラタじゃ無い。それが証明されただけで……、――――」

確かに今、お兄ちゃんの名前が聞こえたような。
通り過ぎかけた私がそう思った次の瞬間、ぱっと誰かが扉を勢いよく開けた。

「わ、」
「……ゆき」
「ご、五条先生……びっくりしました」

一瞬だけ五条先生は私を見て動きを止めたものの、すぐに「ごめんごめん、悪気はなかったんだよ」と笑って後ろ手に扉を閉め、その手に持っていた紙袋を私に向かって掲げてみせる。

「これ、アラタの服。ありがとね。参考にはなったけど……やっぱり七海にはもっと"センスのいい"柄のがいいかと思って、同じのにはしなかったんだ」
「……そうなんですね」

センスのいい、とはきっと言葉通りの意味ではないのだろう。うんざりとした表情で五条先生の"贈り物"から目を逸らす七海さんの顔が目に浮かぶ。
丁寧に畳まれて紙袋の中に納まっているお兄ちゃんの服は、クリーニングか何かに出したのか、ちょっといい香りがした。

「あ。それでね、対・呪術師への充電の件。そろそろ本腰入れてテストしてみようか」
「ほんとですか!」
「残量も把握しやすくなったし、逆に充電切れの目安も知りたいしね」

先生に促されて廊下を歩き、日取りを決める。どうやら先生は明日が用事があるそうで、明後日なら空いているのだとか。

「じゃあ明後日で……何か持っていったら良いモノとかってありますか?」
「いや、特に無くていいよ。まぁ"やる気"程度なら邪魔になんないかな? 初っ端から何かわかるとは思えないし」
「で、ですよね」


私もちょうど、明日は用事がある。
棘くんと一緒にホームセンターへ行くのだ。


高専の一角にある花壇にお花を植えたりして小さな園芸を楽しんでいる棘くんに、「ちょっと買い出しに付き合ってほしい」と言われたのが昨日の話。
肥料だとか、この間の雨でぐしゃぐしゃになってしまった園芸用ラベルの替えだとか、次に何を植えようかとか、そういう色々を見に行きたいのだという。
図書館でのお勉強会以外にも、棘くんと外出できるのはとても嬉しい。
……嬉しいと同時に、苦しい。フル充電の私を連れ回す理由は特に無いから、これから先はお出かけの回数も減るだろう。

五条先生と明後日の約束を取り付けたところで寮へ戻って、夜のルーチンをこなしてからベッドへ潜り込む。


「…………ねぇ聞いて。棘くん最近ね、ちょっとだけ背が伸びたような気がするんだ」

枕元に置いているキツネのぬいぐるみを引き寄せ抱きかかえて、友達に話しかけるように自分の想いを吐露する。

「真希ちゃんも少し伸びたって言ってたし、乙骨くんもそろそろ髪の毛切らなきゃだなーって困ってた」

キツネが何かを返すことは無い。人形が人形へ話しかける姿は、傍から見たら滑稽だろう。
でも私はこの子くらいにしか……棘くんが私にくれた、この子にしかこの想いを打ち明けることができない。

「棘くんはこの間のお出かけでブーツ履いてたし、もう何ヶ月かしたら冬になっちゃうね。……棘くんの私服、かっこよかったなぁ」

真希ちゃんもパンダくんも、私が恋を自覚したあの場にいたけれど。その後私は二人へ棘くんへの想いを相談することなんてできなかった。

呪骸が人に恋をしたところで何になる? 別に何かを生み出すために人は恋をするわけではないと思うけれど、誰も幸せにはならない。
パンダくんは面白がってるから好き勝手"アドバイス"を言いそうだけど、真希ちゃんは「現実を見ろよ」なんて言って一蹴しそうだ。乙骨くんは…………優しいから、話くらいは聞いてくれるかな?

フル充電の目安がわかったから誰かに外へ連れていってもらえる頻度も減って、つまり棘くんとお出かけできる回数が少なくなる。
殆ど高専から出れないパンダくんにこんなことを愚痴ったって、贅沢な悩みだと言われるだろう。


「私、このまま置いてかれちゃうのかな……」

人形の私がこれからどうなるか。メンテナンスをするお兄ちゃんが居ないのだから、誰かが私の中身を研究して外側を更新してくれない限り、姿かたちが変わることはないだろう。
みんなと出会ってから一年も経っていないけれど、段々と違いは出始めている。少し背が伸びただとか、筋肉がついただとか、髪が伸びただとか、そういう外見的な違いが。
私だって、精神年齢は年を経るにつれ変わるだろう。でも"外見"が変わることは無いのだ。

永遠に高校生の、佐倉ゆき。

「……ふふ。いつか真希ちゃんと並んだ時に、『母娘ですか?』なんて聞かれる時が来るのかな」

みんな、ずっとずっと友達で居てくれると私は信じている。その点に関しては何も疑ってはいない。
それでも将来のことを考えると、不安でたまらなくなる。

――――人形であることを受け入れた私は前を向けるようになったけれど、その代わりにもっとずっと先が見えるようになってしまった。

後輩ができて、高専を卒業して、皆が成人して。
どれだけ時間が経っても私とパンダくんはずっとずっと変わらない、今の私たちのままだ。
いつか破壊されて壊れてしまうまで、ずっとこのまま。

運が良ければ

、百年でも二百年でも。

「その時はなんて言ってやろうかな。『ママ、大好き!』とか、『乙骨おじさんお年玉ちょうだい』とか、『実は私はね、棘おじいちゃんの隠し子なんだよ』……と、か………………」


いつか皆が燃えて灰になって、何も残らなくなって。
そしたらパンダくんと一緒に玩具屋さんでも開こうかな。

店長と店員がどっちも呪骸だなんて、面白すぎて評判になるだろう。

「――――――そしたら、キミには店員二号になってもらおうかな」


その時になったら、この子に名札を付けてあげよう。


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