私の言葉を聞いた学長先生は、何でもない様子で「それは呪骸の性能とは無関係だ」と言い切った。


答えが出なかったことに不安を覚えつつ、運動場へ戻った私はしょんぼりと肩を落として皆の実技練習に合流する。

「おう。どうだった?」
「ん……なんでもないって」
「高菜」
「……」

心配そうに見つめてくる棘くんの視線から逃げるように、パンダくんの隣へ腰を下ろす。
運動場の真ん中では、真希ちゃんと乙骨くんが得物を持って立ち合いの真っ最中のようだ。

「やぁやぁ皆。調子はどうだい?」
「あっ、えーと」

建物から出てきた五条先生がそう言った瞬間、余所見して集中が切れた乙骨くんを真希ちゃんがパコンと叩く。呪具の扱いに関して真希ちゃんは天性の才能があるから、里香ちゃんを刀に込めて戦う方法を選んだ乙骨くんをスパルタでしごいているのだ。

びゅんびゅんと棍を振り回す真希ちゃんに対し、木刀で受け流しながら確実に距離を詰めていく乙骨くん。すぱ、と彼が横薙ぎに切り払った瞬間、大きく飛び上がった真希ちゃんが体勢を低くして着地を決め、その瞬間を捉えようとしていた乙骨くんの下半身に綺麗に脚を引っかけ――――
またもや乙骨くんは、真希ちゃんの棍にゴツンと頭を叩かれた。
何度も立ち上がっては稽古をつけてもらう乙骨くんは、当初に比べれば本当に的確に動けるようになったと思う。
……私は呪具を使わないから、彼と比べることはできないけれど。

「憂太が高専にきて三ヶ月か。かなり動けるようになったな」
「しゃけ」
「ほんとだね」
「性格も前向きになったよねぇ」

五条先生も嬉しそうに乙骨くんを眺めている。確かに乙骨くんは、入学当初はいつも悲しそうな辛そうな表情をしていて、私たちと楽しく会話をしていてもふとした瞬間に考え込むような仕草を見せることが多かったように思う。

「すじこ」
「確かに真希も楽しそうだ。今まで武具同士の立ち合いってあんまなかっ…………」

パンダくんはそこまで言って急に言葉を切り、落雷を受けたかのようなハッとした表情でぴしりと固まった。

「パンダくん? どうし――――」
「憂太ァ!!! ちょっと来い!!」
「どうしたのパンダ君」

物凄い大きな声で乙骨くんを呼びつけたパンダくんは「超大事な話だ!! 心して聞け!!」なんて真剣な表情を浮かべ、何事かと走り寄ってきた乙骨くんへ囁くように何かを問いかけている。

「オマエ……」
「……人並みに…………」
「ほっほーう」

どうやら内緒話らしい。置いて行かれた私がちら、と横を見ると、棘くんは至極どうでも良さそうな顔でパンダくんと乙骨くんのやり取りを眺めているようだった。
見ているうちに、彼がふとこちらを向きそうな仕草を見せたから、私は慌てて視線を逸らして足元へと目を落とす。

なぜか、朝からずっと……棘くんの顔をまともに見ることができない。

「真希!!」
「あ? ………………何勘違いしてんだ殺すぞ!!!」
「棘もゆきも春が来てんだよ! 照れんなや!! 小学生か!!」

ワシントン条約の話をしながらブチ切れている真希ちゃんの声があたりに響く。
……二人とも、今日も元気だなぁ。

「はは。なんの話かな」
「ん……」
「……こんぶ」
「……」
「……」
「……」

さっきまでパンダくんに肩を抱かれていたはずの乙骨くんはというと、棘くんと顔を見合わせては黙り込んでいるようだ。男の子って不思議だな……すぐに仲良くなるかと思えば、ひとり抜けただけでこんなに静かになっちゃうんだもん。
……乙骨くんは、もしかしたら棘くんにどこか遠慮しているのかもしれないけど。

そんなことを考えていたら、パンパンと手を鳴らした五条先生がよく通る声で「はーい集合」と号令をかけた。
私は素直に五条先生に注目して、棘くんと乙骨くんと一緒に話を聞く。
真希ちゃんとパンダくんはまだギチギチと組み合っているから……この様子だと当分終わりそうにないだろうな。

乙骨くんの二度目の任務は棘くんとの呪霊祓除に決まったようで、技を掛け合っている真希ちゃんとパンダくんと私はそのまま鍛錬を続行、五条先生は引率せずに高専に残るらしい。

私は見送りの五条先生を含めた三人に向かってぱたぱたと手を振って、まだまだ終わりそうにない真希ちゃんとパンダくんのやり取りに目を向けた。

「うっせーなモノクロ畜生! 脳内お花畑でモノ考えてんじゃねぇよ!」
「真希も素直になれよ〜。な、ゆき?」
「…………え?」

ふと名前を呼ばれ、ぼんやりと二人を眺めるだけだった私はハッと現実に引き戻された。

「ご、ごめん何の話だっけ」
「オマエ、今朝からずっとそんな調子だな」
「言ったろ? ゆきにも春が来たんだって」
「……もう夏だよ?」

そう。だいぶ日差しも強くなって、もう夏本番。
棘くんも乙骨くんも暑そうにしているし、真希ちゃんも今は長袖のジャージだけど、鍛錬が終わったらあちーなんて言いながらアイスを食べたりするんだろう。

「その春じゃあないんだなぁこれが」
「……学長は? さっきまで見てもらってたんだろ」
「ん……『呪骸の性能には無関係だから、同級生にでも相談しなさい』って」
「はぁーんナルホド」
「相談ねぇ……」
「……」

でも、どう相談したらいいのかな? 体調が悪いんだけど、なんて間抜けな切り出し方じゃ困惑させてしまうだろうし……

「"調子が悪い"のは昨日からか?」
「うん」
「昨日のいつだ? 真希たちと夏祭りに行ってる間だよな」
「真希ちゃんと乙骨くんと別れて、棘くんとお土産買って回って、」
「ふんふん」
「怖い人に絡まれて。と、棘くんに……」
「棘に?」
「……」

続く言葉が出てこなくて、私は何度か口を開けたり閉じたりを繰り返す。真希ちゃんとパンダくんは急かすことなく、目線で続きを促してくれる。

「棘くんに……めいわく、かけちゃって」
「どんな迷惑だよ」
「棘は大抵のことじゃ怒んねぇと思うけど」
「……か、」
「か?」
「彼氏、って……ナンパ断るために、手を繋いで、勝手に"私の彼氏なの"って言わせてもらって……」
「ほぉーなるほどなるほど」
「ふーん」

はぐれないように、また変な人に目を付けられないように、って言ってもう一度手を繋いでくれて。
すれ違う人波に混じる浴衣姿の人たちに棘くんを重ねて、そうしたら……

「なんか、調子が悪くなって」
「……」
「……」
「棘くんが心配してくれたのに、私何も言えなかった……急に顔が熱くなっちゃって、棘くんの顔が見れなくなって……ひとまず外に出ようかって棘くんが言ってくれて、」
「……他に、棘に何か言われたか?」
「ううん……『大丈夫?』って訊かれただけ……それからずっと、寮に帰っても、朝起きても、ずっと……調子が悪いんだ」
「はぁー……」
「なーるほどなるほど。アイツ言わなかったのか」

私の話を聞き終わった二人は、何かを理解した風な顔つきで頷いている。
なにか、私には気付づけなかったことに気付いたんだろうか。

「なんなんだろうこれ。二人は何かわかる……?」
「いや……ははぁ。ハイハイハイ」
「……ゆき、オマエそれ本当にわかんねぇのか?」
「え……」
「毎週毎週、憂太と私と何見てると思ってんだ」
「なにって」

ドラマとか、映画とか。

「それで、ドラマとか映画ン中で、そいつらはどんな話してた?」
「……」

この間見た、バンパイアハンターの映画。アンジーは世界を裏切った。自分の友人であるジャックがマリアを好きだと言って、身分違いの恋に身を焦がしていた。アンジーはジャックに片想いを――――

「――――え」
「どうだ? 身に覚えがあるんじゃねーか?」
「いや……いやいやいや、まさかそんな、そんなはずは……」

棘くんと観に行った映画。繰り返す五日といつか。六日目を迎えたヒロインは男の子と恋に落ち、七日目でキスをする――――

「俺たちの予想とゆきの予想、答え合わせしてみようぜ」
「……そんな、わけ」
「真希も俺も、たぶん同じ答えだぞ」
「だな。せーので言ってみるか?」
「…………」

私が、棘くんのことを、

「だって…………だって、私……呪骸なのに」
「"前"とか"今"とか、そうやって考えんの止めたって言ってなかったか?」
「それとこれとは……話が、ちがう」

違う。そう、そうだよ。呪骸の私が誰かのことを、そんな、そんな風に、

「どう違う?」
「……」
「じゃあオマエ、昨日の夜に棘と二人行動した時に何考えた?」
「なに、を」
「調子が悪くなった時。何を考えてた?」
「……可愛い着物を着た女の子が居て、その子は男の子と一緒に歩いてて。優しい棘くんはきっと……きっと、誰かが棘くんのことをよく知ってくれたとしたら…………」

あの優しい色をした瞳や髪を、優しく触れる手を、優しい声を、綺麗な呪印を。
誰かが、知ってしまったら。

「……棘のことを、知ったら?」
「…………棘くんが優しいって、気づいちゃったら……女の子は皆、きっと棘くんを好きになっちゃう、から」
「そんで? 誰かが棘のことを好きになったらどうすんだよ」
「…………」

浴衣を着た、可愛い女の子の誰かが。
棘くんのことを好きになったら。

「……きっと、とげくんはしあわせになる」
「ふーん。じゃあ、いいじゃねぇか」
「そうだよなぁ。"友達"が幸せになるなら万事オッケーで丸く収まるぞ」
「……」
「棘はきっと、その特別な"誰か"のことを大事にするし、悲しませないように努力するだろうし、幸せにしてやれるだろうなぁ」
「もちろん棘の方も、その"誰か"に大切にしてもらって、"誰か"のことを想って幸せに毎日を過ごせる。だろ?」
「うん……」

そう。きっとそれは一番いいこと。棘くんは特別な誰かを見つけて、大切にして、大切にされて。

「祝福してやれるだろ? "棘の友達"なら」
「なぁ、ゆき。……棘が"幸せ"になんのに、なんでオマエが泣くんだ?」
「寂しい、から」
「……じゃあ、憂太が里香のことを大事にしてたら? まぁ生憎里香は呪いだけどよ。それ抜きにして憂太と里香がお互いを幸せにしてやってたら、ゆきは寂しいか?」

お互いに想い合う二人。重かろうと愛が呪いに変わろうと、幸せなら。

「…………ううん。うれしい」
「じゃあ真希は? もし真希が憂太と」
「オイ」
「いいじゃねぇか。仮定の話だぞ? んで、真希が憂太とそういう関係だったらどうだ?」

もし里香ちゃんが居なくて。真希ちゃんが乙骨くんとお互いに想い合っていたら。

「私は……真希ちゃんと乙骨くんが幸せなら、嬉しいよ」
「――――じゃあ、なんで棘だけダメなんだよ」
「…………」


それは……私が。私が…………

「……」

頭を抱えてしゃがみ込む。
自覚した瞬間に失恋するだなんて……そんな、


「私が――――――――棘くんのこと、好きになっちゃったから」



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