『――――これは二年前、関東某所の神社で撮影された映像である』
「えっどこどこ? 東京? 埼玉?」
『そう、その人形の髪が伸びていることに……持ち主の諌山さんは気づいていなかったのです。お気づきだろうか……深夜、設置されたカメラの前で……』
「ま、真希ちゃん! 動いた! 動いた!!」
「わーってるよ動くから番組になってんだろ、もっと落ち着いて見ろよ」
『呪いの人形だとでも、いうのだろうか――――』


そんなテレビ番組を見たのは、一昨日の夜のことだ。
いつものクイズ番組が心霊特番でお流れになってしまって、棘くんとパンダくんは少ししょんぼりしていたように思う。でもなんだかんだ心霊映像を見始めてみたら案外面白くて、談話室で五人集まって騒いでいるところを上級生の先輩方に「もう少し静かにしろ」と怒られたりもしながら……きっちり三時間、心霊番組にツッコミを入れながら満喫した。
…………騒いでいたのは主に私と、ついでに乙骨くんがほんの少し驚いているだけだったが。真希ちゃんも棘くんもパンダくんも、こういうラップ音とかポルターガイスト現象なんかは「あーはいはいそれね、どうせ呪霊の仕業だろ」みたいなどうでもよさそうな顔をしてるし。でも体験談に関しては結構興味を持ってくれてたみたいだ。
どうして呪われることになったのか、呪われたことでどういう目に遭ったのか、どんな呪霊や呪物が原因になったのか。
あーでもないこーでもないと、最後は先輩たちを巻き込んでの感想戦となった。



――――まさか、テレビに映っていたその人形を回収しに行く羽目になるとは。あの場に居た誰もが想像もしていなかっただろう。

埼玉県のとある神社に保管されている日本人形。二年前に件の心霊映像を撮ってからというもの参拝客が増え、持ち込まれる人形の数も増えたのだとか。
肝心の人形の方はというと、あの動画以来心霊現象はめっきり鳴りを潜めていたものの、一昨日の晩から急にラップ音や人間の呻き声などが人形の保管されている蔵から聞こえ始めたのだという。
窓の人の報告と補助監督の調べで明らかになったのは、参拝客の増加による負の感情の蓄積、それに加えて蔵の封印が年月とともに劣化したことが追い風になり、更には一昨日の心霊特番で映像が全国的に放送されたのが決め手になったのではないかということ。

「……神社って、神様的なアレで呪いとかはどうにかなったりしないんですか?」
「集まるところには集まるんだよ。神様も呪いの一種だからね」
「しゃけ」

助手席に座っている五条先生は、わかるんだかわからないんだか曖昧な返事をしながらチョコバーをもぐもぐと頬張っている。
私の視線に気づいたのか、目隠し最強先生は徐にこちらを振り返って未開封のチョコバーを揺らしてみせた。

「ゆき、一個あげよっか」
「え! いいんですか!?」
「ウッソピョーン。そんなに簡単に騙されちゃったら、この先やってけないよ?」
「む……ぬか喜びさせるなんてひどいです」
「あはは! ゆきは揶揄い甲斐があるなぁー」

ねー、棘? と五条先生が話を振るけれど、棘くんは我関せずといった風で手元の資料に目を落としている。
今回の呪物に関する、補助監督と窓の人からの報告文だ。私もさっき読んだけれど、大まかにまとめるとこんな感じだろうか。

――――持ち主は東北出身の三十代既婚女性。件の日本人形は祖母の形見で、その祖母も自らの母から受け継いだものだったという。
女性が今の夫と結婚した時から髪が伸びるなど軽度の変異が始まり、やがて子供が生まれると、階下から人の声が聞こえたり、家中を何かが歩き回るような音が聞こえるなど心霊現象がエスカレートした。
お焚き上げでもしてほしいと神社へ送られてきたものの、想いの強さが薄れるまではこの神社で保管しておくしかなく、祓うには呪術師の助けが必要である――――

「……それで、その人形――――呪物を回収するのが、今回の任務ってことですね」
「しゃけ」
「なんで祓っちゃわないんですか?」
「授業で使いたいんだよ」
「えぇ……」

確かに、今まで何度か授業でそういうものを見せてもらったことはある。管理できるレベルの呪物や珍しい呪物、あまりに危険な呪物は高専で保管することがあるそうだ。

「結構年代物の人形らしいし、年取った輩は狡猾だから気をつけてね?」

「ま、そりゃ人間でも同じか!」と五条先生は楽しそうに笑っている。
たぶん、乙骨くんのことでちょいちょいやり合っている上層部の人たちを、言外に罵倒しているのだろう。
私はちょっと苦笑いをしつつ「わかりました」と返答するだけでとどめてく。


案内された蔵は確かに古く、それでも大きくて立派なものだった。
頑丈そうな閂に呪力が込められた南京錠。
持ち込まれた人形類は、ここにひとまとめにして保管しているのだという。

「神主さんのお話だと、入って右奥の棚だったよね?」
「しゃけ」
「中は喋っちゃいけないらしいから……何かあったら、肩叩くとかで合図しようか」
「すじこ」

テレビでも解説していたし、さっき話を聞かせてくれた神社の人も言っていたが……蔵の中では

誰とも

話してはいけないし、声も出してはいけないのだという。
人形たちは静かに眠っているのだから、一体でも刺激して起こしてしまえば他の人形まで目を覚ます可能性がある、と。
確かに道理である。人形に込められた想いや呪いが薄まるまでここで管理しているのだから、静かに置いておくのが一番だろう。呪物という特性を加味し慎重にならざるを得ない分、神社の人が高専へ人形を届けるよりも安全性を考慮して、呪術師が来てくれれば何かが起きても対応が可能ではないか。
そんな経緯で、私たちが呼ばれたわけだ。

南京錠を外した重い扉を棘くんが率先して開けてくれる。私に合わせた軽い任務なのに、四級の私一人では単独任務は許されていないから、棘くんは一緒に同行してくれているのだ。……まぁ、例の呪力バッテリーの件もあるから、運良く棘くんに呪力を供給しているところが確認できれば僥倖、という下心も五条先生にはあるようだけど。

重苦しい音を立てて私たちの後ろで扉が閉まった。蔵の中は薄暗く、小さな電球がところどころを照らしているだけ。棚の上には奥までぎっちりと……それどころか通路を塞ぐように、床にまで大小様々な種類の人形が並べられていた。
――――壮観だ。ビーズのように小さな目、ガラス玉のように透き通った目、墨で描かれただけの目。色々な目が、至る所から私たちを見据えていた。

さっと視線を走らせるだけでも、異様さが手に取るようにわかった。いくつかの人形には、呪詛師のものらしき残穢がこびりついている。人を呪ったことがある人形なのだろう。自分の意志を上書きするように呪詛を込められて、誰かを呪うようにさせられて。この人形たちもきっとつらかっただろうな。
日本人形は髪を特徴的な製法で頭部に埋め込んでいるそうだから、湿度の関係で、埋め込んだ髪が外に出てくることがあるらしい。それを伸びたように錯覚してしまうのだとか。
それでも――――もし。もし私が呪いを視認することができなかったら。髪が伸びたり、動いたりする人形は恐怖の対象でしかないはずだ。
そういう"錯覚"も働いてここへ来た人形たち。暗い蔵の中で、何を考えているんだろう。ゆっくりと時を過ごし、焼かれるその日を待っているのだろうか?

「……」

棘くんが私の肩を指先でトントンと叩き、通路の奥を指差した。それから私に向かって三本指を立て、今度は人差し指と中指でピースを作ったかと思えば、まるで目つぶしをするみたいにして棘くん自身の双眸に向けてみせる。そしてその二本の指をそのまま私の方へ向け、最後に親指を立てた。

一番奥の棚、三段目に対象が保管されている。自分が見ていてあげるから、取っておいで……といったところだろう。

私は彼に無言で親指を立てて合図を返すと、足元の人形を踏みつけないように気を遣いつつ、通路の奥を目指した。


――――探さずともわかる。一番厭な雰囲気を醸し出しているのが、例の人形だった。
見かけはただの日本人形だ。とてもよくできている。本物の反物を使った白い着物に白い帯、懐には懐剣を差し、頭に被った綿帽子の下は日本髪に結った人毛だろう。顔は目が墨、唇は赤で描かれていてふくよかな丸みを帯びている。子供のように見えるが……当時は子供の人形に白無垢を着せるのが流行ったのだろうか?
結われている髪の方はというと、一昨日のテレビ番組で流していた動画――――二年前の映像より、だいぶ伸びているようだ。元は綺麗に結われた日本髪だっただろうに、伸びて乱れた髪が綿帽子の隙間から顔を覗かせている。

正真正銘、髪が伸び続けている呪いの人形である。

私は他の人形を、倒してしまわないように慎重に横に寄せてから、花嫁の着物を着た日本人形を手に取った。他の人形は元の位置へ丁寧に戻し、封印用の呪符を取り出すためにウエストポーチへ片手を突っ込んだ。室内を歩くには邪魔だから、例のチェーンスパイクも同じポーチに入れてある。スパイクに引っかかって破けてしまわないように仕切りはつけてあるけれど、万が一を考えて慎重に札を探し出して、ポーチから引き抜いた。
呪符は栞よりも少し大きいくらいの長方形の紙に、墨で文字が書かれている。達筆すぎて私には読めないし、他にも図形のようなものが等間隔だったり左右非対称だったりバラバラに描かれていて、まるで見知らぬ文明の絵画みたいだ。
これを人形の顔に張りつけて、蔵の外へ持ち出せば任務完了。

両面テープも付けていないのに本当にくっつくのだろうかといつも不思議に思うけれど、高専御用達の呪符使いに作ってもらったこの札は一枚で夕食十回分くらいの値段らしい。

…………ちなみに、"私の夕食で"十回分だ。

『そのお人形、持ってっちゃうの?』
「!」

左の通路から子供の声がした。思わず声を出してしまいそうになるけれど、平常心を装ってそちらに目をやる。
年の頃は四か五といったところだろうか。男の子で、黒い髪と瞳。ハーフパンツを履いていて、Tシャツと靴には戦隊モノのイラストが描かれている。
――――今から十年以上は前に流行った、ヒーローの絵だ。

私は土日の朝もニュースチェックを欠かさないから、ついでに流れているアニメやライダーにもある程度は詳しい。五条先生に見せてもらった映画も、昔のものは同時期に上映されていた映画の宣伝が冒頭に挟まれることが多い。
先生は「ビデオはデッキを探さないと観られないからなぁ〜、残念残念」なんて言ってはいたが、あの人の映画コレクションは凄まじい物だと思う。

……ともかく、その子はまるで普通の男の子のように見えていたけれど、本体は質量をもたない幻であると私の脳が理解した。

『他にもたくさんお人形あるよ? お姉ちゃんはどんなお人形が好き?』
「……」

"誰とも話してはいけない"。その縛りは、つまりこういう状況が往々にして蔵の中で起こるということを表していたのだ。私は口を噤んだまま、男の子の言葉を無視して手元の花嫁人形へ慎重に呪符を貼り付ける。

『そのお札、なあに? おまじない? どんなおまじない?』
「……」
『ねぇねぇ教えてくれないの? なーんだ……つまんないのー』

私に興味を無くしたのか、男の子は踵を返して通路の奥へ消えていく。だんだんとその姿は朧になり、闇に溶けるようにして消えた。

「……」

声を出さないように注意しつつ、安堵の溜息を吐く。後はこれを外へ持ち出すだけだ。

「お嬢さん、足元気を付けて」
「――――っ!」

私を注意してくれた男性の声にハッと振り向くと、不思議そうな顔をした棘くんがこちらを見ていた。私が手に持つ人形を指差し、その指先をそのまま自分の後方にある扉に向けた後、さっきと同じように親指を立てて見せる。

「……」

……幻聴か。

棘くんの合図にこくりと頷いた私は、しっかりと足元を気にしながら棚から離れた。一歩、二歩……棘くんの隣まで来た瞬間、おかか、と声を掛けられる。

「明太子」
「……?」

棘くんの声につられて手元の人形を見ると、先ほど私が貼った札が寸分違わずそのままの姿で貼り付けられていた。別にズレも何もない、教えられた通りの貼り方で。

「……」

トントン、と棘くんが私の肩を叩き、首を横に振った。唇の前で人差し指を立て、今度は両手で耳を塞ぐ仕草をしてみせる。

……なるほど。幻聴かと不思議に思っていたけれど、ここにいる"年寄り"は先程から棘くんの声を真似て、私から反応を引き出そうとしていたのか。男の子の姿に加え、同行者の声真似までしてみせるとは。
確かに、年月を経た呪物というモノは知恵が働くらしい。

静かに蔵の戸に手をかけて開くと、明るい空の光が私たちの顔を照らす。
ほんの短い間とはいえ、気を張っていたからか陽の光が見えるだけで安心感が増した。

こちらへ視線を向け、私に先に出るよう指示した棘くんに頷いてみせ、外に向かって一歩踏み出した。

「ゆき、戻れ」
「え――――」

突然聞こえた命令口調。呪言を使われたのかと思って、つい振り向いてしまった。私が視線を向けた先、まだ蔵の中に居る棘くんが驚いた顔で私を見つめ返している。
しまった、と思ったと同時に手から力が抜け、ぼたりと地面へ人形が落ちていく。
それを拾おうと身を屈めるよりも先に、棘くんの後ろから真っ黒な手が何本もスゥっと伸びてきたかと思えば、次の瞬間には私の体や制服、髪を引っ掴まれて、物凄い勢いで蔵の中へと引きずり込まれた。


バタン、と背後で重い扉が閉まる音が響く。
引きずり込まれた際にバランスを崩したのか、私は膝をついて上体を前に傾けていた。そこそこ広さのある蔵だったはずなのに、異様に壁が近い。先ほどまでは中を照らしていたはずの電球は無く、視界は完全に闇に塗りつぶされている。
私の耳の横で、ハァー……と呆れたような吐息が聞こえた。
……私はどうやら、棘くんと一緒に狭い箱の中にでも閉じ込められているらしい。桐の箱のような木材と、カビの匂いがしている。
試しに左右へ腕を伸ばそうとしてみたけれど、私の肩幅より多少余裕がある程度しか広さが無い。頭上もあまり余裕が無く、1メートルやそこらしかないようだから、中腰になるには少し高さが足りなさそうだ。
前後は手の伸ばしようがなかったけれど、棘くんの脚が胡座をかくみたいに緩く曲げられて私の後ろに回っているようだから、こちらも恐らくそこまで広くはないだろう。
尻もちをついた棘くんに正面から抱きつく形で、私たちは閉じ込められたのだ。

――――やってしまった。あれだけ声を出すなと言われたのに。棘くんも"無視して"とジェスチャーで教えてくれていたのに。
私が気を抜いて声を出して"蔵の中の縛り"を破ってしまったから、有効範囲内の棘くんも巻き添えにして簡易領域か何かに引きずり込まれてしまったんだ。

彼の胸に置いた手と腕越しに、とく、とく、と棘くんの心臓の音が聞こえる。彼はゆっくり息を吸って吐いて、静かに呼吸を繰り返している。
真っ暗で何も見えない。術式を使ってみようかと思ったけれど、無暗に行動を起こすよりは少し様子を見たほうが良いだろうか。

「……」
「……」

私を抱き留め背中に回されていた両手がふっと離れていった。距離が近すぎてめちゃくちゃ気まずい上に、声を出さないようにしているから謝ることもできやしない。
少し身を起こすと、想像した通り至近距離に棘くんの顔が薄っすらと見えた。彼は少し視線を逸らして、私の背から離した手を自分の腰の方へ移動させたかと思うとごそごそと何かを探り始めた。ややあって、目的の物を見つけ出したのか腕を上にあげる。
……と、視界の端で何かが光るのがわかった。

「……?」
「……」

闇に慣れつつあった目が、眩しさに灼かれてチカチカする。液晶に照らされた棘くんの顔が陰影を伴いくっきりと視界に映った。
どうやら携帯電話を取り出したようだ。誰かに連絡を取ろうとしてくれてるんだろうか?
少しの間、棘くんは端末を持つ手を動かしていたが、諦めたのか連絡がつかなかったのか携帯に何事かを入力したかと思うと、私に向かって画面を見せてくれた。

『もう少し、右膝引いてほしい』
「!」

どうやら棘くんの身体のどこかの部位を圧迫してしまっていたらしい。どうにかして私が右膝を少しだけ後ろに引くと、棘くんはまた画面に打ち込んだ『ありがとう』という文字を見せてくれる。

私も自分の端末を取り出せないかと腕を後ろに回そうとしたが、体勢を変えようとしたから変なところに力をかけてしまったようだ。少し苦しそうに棘くんが息を詰めるのが聞こえ、敢え無く断念する他なかった。

「……」

少し考えてから、携帯を触らせてくれないか、と指を動かす仕草をしてみせると棘くんは素直に私へ画面を向けてくれた。片手で持つには体勢がキツくて、彼に端末を持ってもらったままで指を滑らせ文章を作る。

『失敗した。声出してごめん』
「……」
「……」

私の打った文字を見た棘くんは、無言のまま首を横に振った。

……こうやって見ると、棘くんってけっこう睫毛が長いんだな。こんな状況下で間抜けにもそんなことを考えていると、身体の下で棘くんが少し身じろぐ。
制服のズボン越しに彼の脚が私のお尻を押して、つい堪え切れなかった声が箱の中に響いた。

「んぅ……っ!」
「!」

私がびくりと身を竦めたからか、棘くんは石になったみたいに身体を固くして動きを止め、ふぅーと息を吐く。心なしかさっきより箱の中の空間が狭くなっていることに気づき、背筋がひやりとした。きっと声を出してしまったからペナルティが発生したのだろう。
この分では、普通に会話をしてしまったらどんどん箱が狭くなっていって……私たちは圧し潰されてしまうのかもしれない。想像して、もっと恐ろしくなる。

今日は最初から任務に出るとわかっていたから、大目に朝ご飯を食べてきたんだった。だからきっと、私を支えている棘くんは結構体勢的にきついんだろう……本当にごめん。

心の中で謝り倒していると、棘くんが携帯を持っている方とは逆の腕を壁に押し当てて、ふぅっと溜息を吐いた。
……腕、上げたままじゃ辛いだろうな。
そう思った私はもう一度携帯を触らせてくれるようお願いすると、画面へ『私の背中に手置いていいよ』と入力してから棘くんの目を見つめ、親指を立ててこくりと頷いてみせる。

「……」

画面の文章を見てから私の親指へ、最後に私の目へと視線を移した棘くんは、ウロウロと視線を彷徨わせてから私の背中に両腕を置いた。

ごく、と棘くんの喉が鳴ったのがやけに大きく聞こえた。
どうしよう。この箱の解除条件がわからない以上、やっぱり術式を使った方がいいだろうか。

それを相談するため、もう一度携帯を触らせてくれないかと指を動かしかけた瞬間、背中に回された腕にぎゅうっと力が込められた。

「……!!」
「……」

まるで抱きしめるように腕に力を入れられて、バランスを崩した私はたまらず棘くんの肩口に頭を寄せた。

どうしたの、と訊こうにも声は出せないし、携帯は棘くんが持ったままだ。
耳の横でふすふすと匂いを嗅ぐみたいにされたかと思えば、更に腕に力が籠められる。

……棘くんが何をしたいか全くわからない。
もしかして体調が悪いのかな? 狭い所に閉じ込められたから気分が悪くなってしまったのだろうか?
私は少し考えて、彼の胸に置いていた手を下ろしてその背中に回すと、小さい子供にするようにトントンとゆっくり叩いてやった。
大丈夫だよ、安心して。そんな気持ちを伝えたくて、優しく棘くんの背中を撫でてみる。

棘くんは静かに呼吸をしながら、まるでぬいぐるみに甘えるみたいにして私を抱きしめたままだ。

――――どうしよう。早くここから出してあげたいけれど、箱ごと燃やしてしまっても大丈夫だろうか。

棘くんの背に触れていた手を離して、彼の視界に入りそうなところまで上げて壁を指でトントンと叩く。
そのまま少しだけ呪力を込めると、弱くだが手のひらが発火したのが感覚でわかった。

……これで伝わっただろうか?
息をひそめて棘くんの様子を窺うけれど、腕の力が緩むことは無い。

もしかして、弱すぎるか場所が悪かったかで焔が見えなかったのだろうか。そう思い先ほどより多く呪力を流し入れようとした瞬間、バタンと音を立てて何かが開く音がした。

「――――おか、かっ」
「うわ、」

直後、強い力で突き飛ばされた私は尻もちをついて声を上げた。なぜか明るくなった視界の向こうで、座った棘くんが私を突き飛ばした体勢のまま、呆然とした顔でこちらを見ている。周囲にはもう壁は無くて、感情の籠っていない目で人形たちが私たちを見つめていた。
簡易領域が解けたのか、あの蔵の中に戻ってこれたのだ。

「ゆき……ドジだなぁー」
「ご、五条先生」

その声に振り向くと、開かれた蔵の扉の先で五条先生が心底呆れたような表情で笑っていた。

「遠足はねぇ、おうちに帰るまでが遠足なんだよ。こういうなんでもなさそうなとこでもね、"声を出すな"って縛りを守れなかったら何が起きたっておかしかないんだよ?」
「はい……仰る通りです」

私はその場で正座し、上から降ってくる五条先生のお叱りを全身で受け止める。

「縛りを破ったゆきだけじゃなくて、一緒に居た棘まで効果が及んだってことは、蔵の中に居るものが一括りで縛りの対象――――連帯責任だったってことだからね?」
「はい」
「資料はちゃんと読んでたから"不言"は守ろうとしてたみたいだけど、年くった呪物は頭使って嫌がらせ仕掛けてくるんだからさ。……ちゃんと気をつけなきゃ」
「申し訳ございません」

耳が痛い。あのまま五条先生が助けに来てくれなかったら、私と棘くん二人して閉じ込められたまま……もしかしたらずっと出てこれなかったかもしれないのだ。

「……ま、呪物は外に出したし、外から蔵を開けるだけで解ける程度の領域で良かったよ」
「……」
「とーげーも。いつまで座り込んでるのさ。言っただろ、おうちに帰るまでが遠足だ、って」
「……しゃけ」


自分の任務だから自分の手で。五条先生にそう言われ、呪符を貼った人形を片手に抱え車に乗り込むと伊地知さんが「シートベルト、締めてくださいね」と助手席の五条先生に告げ、ゆっくりと車を発進させる。
暫くの間、私はぼんやりと車窓を眺めていたけれど、ふと気になって手元の花嫁人形に視線を落とした。
呪符を顔に貼られ、乱れた髪を綿帽子の隙間から覗かせている花嫁人形。

――――高専に持って帰ったら、この子はちゃんと髪を切って整えてもらえるんだろうか?

そう思ってふと視線を滑らせた先、帯のほつれに気付いた私は人形の背面に垂れ下がっている帯の端っこを何の気無しにめくる。

「あれ?」

なんだか見覚えのあるような模様が真っ白な帯の上に黒で描かれていた。織り模様や染めではない、呪力の籠った墨のあと。

「ん? なになに、悟くんのいいところ見つけちゃった?」
「いや五条先生のいいところは見つけてないんですけど、この人形……家紋みたいなのが入ってます」
「……貸してごらん」

その言葉に素直に頷いて先生へ人形を手渡し、「ここです」と帯をめくって見せる。

「どこかで見たような気がするんですが……」
「僕も見覚えがあるな……もしかして、七海と行った任務じゃない?」
「――――あぁ、」

そういえば確かに、七海さんと一緒に行った実習……私が初めて"燃えた"呪霊跋除の時に見かけたこけしにも、同じ模様が入っていた気がする。
藤輪に壱、家紋のような墨の跡。

「同じ銘ってワケでも無さそうだな……ん?」

花嫁人形をひっくり返したり矯めつ眇めつ眺めていた五条先生は、ちょっと失礼なんて言いながら人形の帯の隙間に指を差し入れた。
ぴらりと一枚の紙の切れ端を抜き出しそれに目を通すと、何も言わずに私へ手渡してくる。

「え? なんですか……?」


――――ゆきへ。頑張っている君へプレゼントです。


「……?」

奇妙な文章だった。もちろん私と同名の子は世界に何人かは居るかもしれない。
それでも、今日私がこの任務に就いてこの呪物を回収したことと、この手紙。やけにできすぎているような気もする。

「左から書いてるし、プレゼントって言葉を使ってるならワリと新しいモノだね……」

それにこれ、と言って、私が持つ紙片の隅を先生が指差す。
メモ帳を破り取って書かれたらしき紙の端には、可愛いキャラクターが印刷されていた。

「…………」

最近、それもつい一ヶ月前に、有名キャラクターブランドから発表された新キャラの茶色いトイプードル。確かニュースにもなっていたはずだ。
朝のニュース番組で連日報道されていたし、勉強会をしに行った先でもこのトイプードルのキーホルダーを付けている子供がいたように記憶している。

「つい最近、誰かがあそこに侵入してこれを仕込んでいった、ってわけだ」
「……なんのために」
「今日僕たちが……ゆきが来るって予知してたのかな? それにしても気味悪いね。伊地知、ちょっと調べといてよ」
「はぁ……わかりました」

"頑張っているゆき"への"花嫁人形"の贈り物。この相手が私か、それ以外のゆきさんを指しているかはわからないが、どちらにせよあまり良い意味のものではないだろう。
呪詛師の仕業とは考えたくなかったが……こけしのことといい、この花嫁人形のことといい、墨で描かれたあの家紋のようなものは一体何なんだろう。

帰りの車中、伊地知さんへ指示を出したりどうでもいい話で揶揄ったりしている五条先生から視線を外し、隣に座る棘くんの横顔を盗み見た。
顔色も悪くないし、むしろネックウォーマーから少し見えている頬っぺたがちょっと赤らんでいるようにも見える。どうやらもう具合は悪くなさそうで少し安心した。

……ただ棘くんは、何かについて考えこんでいるみたいに窓の外を眺めたままだったけれど。


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