「おはよぉ真希ちゃん……」
「……なんだその顔。また鍵探しでもしてんのか」
「いや、それはもう終わったから違くて」
起きて早々、廊下で顔を合わせた真希ちゃんは、私の方を見て実に心配そうな表情を浮かべた。
理由はわかっている。私も朝起きて鏡を見たときに自分でも驚いた。
「目ぇ真っ赤じゃねーか」
「そうなの! 聞いてよ、昨日泣きすぎちゃって朝起きたらこんなになってたの……」
「もうその辺はさすがに驚かねーわ。で、なんで泣いてたんだよ?」
「図書館で借りた小説がすっごい面白くって、一日一章読んでたら昨日でちょうど五章目だったの!!」
「あーなんてやつだっけ? 阿修羅?」
「『阿修羅と五日』! 最初に注意書きがあってね、この本は一日一章ずつ読んでくださいって書かれてたから……最後の五日目で一日目の伏線が回収されたんだよもー思い出しただけでも泣いちゃう」
「よく律儀に守って読み切ったな……私はそういうの守れないから無理。一気に読む」
今思い出しても感動してしまう……まさか、五日目の伏線があんな形で冒頭に張られていたなんて。いつかきっと真希ちゃんにも読んでもらいたいから、ネタバレはしないでおく。
「真希ちゃんもぜひ読みなよ!」
「私は純愛ラブストーリーとか胸焼けするから無理」
「えー……残念」
「棘は?」
「棘くんも小説は読むのめんどくさいんだって」
「男どもは漫画ばっか読んでっからな……」
真希ちゃんはそこまで言って、「そういえば」と思い出したかのように手を打ち、携帯電話を取り出した。
そのままポチポチと何事かを調べて、検索結果を私に見せてくれる。
「えいが?」
「そういやこの間CMやってたわ。ちょっと前に公開されたんだと」
昨晩遅くまで泣きながら読んでいたあの小説の、劇場版。
大画面であの感動をもう一度? ……ダメだ、きっとまた泣いてしまう。
「真希ちゃん……」
「私はパス。棘か憂太についてってもらえよ」
真希ちゃんはいつの間にか乙骨くんと仲良くなっていたようで、気づいたら名前呼びに変わっていた。彼が転入してきた時はあんなに厭そうな顔をしていたのに……そんな同級生同士の関係の変化を見ていると、なんだかとても嬉しく思う。
「んーそうしようかな……乙骨くんならラブストーリーも楽しんで観てくれそう。里香ちゃんもいるし」
「アイツは当分の間は実習無いからな。里香を扱えるようになるまでは実戦なんて無理だ」
「そっかぁ。じゃあ今日声かけてみようかな!」
高専は学び舎も女子寮と同じくらい古い。真希ちゃんと並んで歩く廊下はギシギシと床板が軋み、年月の経過を感じる。
昨晩はどうやら男の子たちは夜更かしでもしていたのか、食堂ですれ違うことは無かった。
「午前の呪骸学、また寝たら今度こそ廊下に立たされるぞ」
「大丈夫だもん! 鍵探しも終わったし!」
「ハハ、冗談だよ」
「もー……真希ちゃんのいじわる」
その夜。
「ね、乙骨くん、ちょっといい?」
「え?」
「付き合ってほしいんだけど」
「え!?」
「ハァ!?」
「……」
「ぷ」
私がそう言った途端、男の子たち三人は硬直して、真希ちゃんは口元を押さえた。
夕食後、いつものクイズ大会の時間。
予想通り予選落ちした乙骨くんと私は、決勝に勝ち進む棘くんとパンダくんを後ろから眺めていた。
クイズの切れ目で悪くないタイミングだったはずだが、どうやら二人の集中力を殺いでしまったらしい。びっくりした顔で振り向いた棘くんとパンダくんは、早押しボタンに手をかけたまま目を丸くしている。
テレビ画面の中では、司会者が次の問題を読み上げ始めていた。
「あっごめん、二人は続けてて」
「いやいやいやいやそんな面白い話聞かないわけないだろ」
「……」
「佐倉さん一体何の」
「憂太ぁ、どっちなんだよ? 付き合うのか?」
「真希さんはなんでそんなに乗り気なの?」
「答えてやれよ、男だろ」
クイズそっちのけでこちらへのしのしと歩いてくるパンダくんは、私達の座っている椅子の前にどっかりと腰を下ろした。
真希ちゃんは何故かニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていて、早押しボタンの前で固まったままの棘くんと、困惑したように顔の前で手をばたばた振っている乙骨くんを交互に眺めている。
「里香ちゃんがいるってわかってはいるけど、やっぱり乙骨くんしかいないかなって」
「ちょちょちょ待って待って、それはあの、分類的にはナニ的なやつなんですか?」
「ナニ的って」
「なんで敬語だよ」
「えっと……映画的?」
「はい?」
「『阿修羅と五日』の映画がやってるらしくて、一緒に行ってくれないかなーと思って」
「佐倉さん……念のために聞くけど、それって映画観に行くのに付き合ってってこと?」
「そうだよ?」
「……」
私がそう答えると、なぜか棘くんが深く溜息を吐いた。私の隣に座ったままの乙骨くんは苦笑いを浮かべ、困ったように首に手をやっている。
「僕でいいなら……いいけど」
「ホント? やったぁ! 五のつく日が安いらしいんだけど、いつがいい?」
「あー……じゃあ明後日……かな?」
「了解! 放課後正門で待ち合わせでいい?」
考えてみたら、乙骨くんとお出かけするのは初めてだ。ついでにどこかご飯を食べるところでも探しておいたほうがいいかもしれない。
私は最近覚えたテクニックを駆使して、都心の映画館と食事ができそうなところを探していく。
「あ……会員じゃないと事前予約はできないみたい」
「当日窓口で空いてる席取ったらいいんじゃね?」
「そういうものなの?」
「僕もあんまり映画は観に行かないけど、大丈夫だと思うよ」
「俺も店のことはよくわかんねぇなー。そういうもんか」
「……」
アクション映画は大きい画面で見ると迫力あるぞ、と真希ちゃんが笑った。しかしながら今回観るのは恋愛映画である。
迫力はないかもしれないが、音と俳優さんの演技でしっかり泣いてしまいそう……ハンカチを忘れないようにしよう、と心の中にメモをする。
「二人でデートなんて、里香が嫉妬しないといいなぁ?」
「ちょっデートって真希さん」
「あはは、さすがに人形には嫉妬しないよ!」
「いやー憂太さんのカノジョは一度に四人もロッカーに詰めちゃうカワイイ女の子だからなぁー」
パンダくんも真希ちゃんも楽しそうな……いや、これは悪そうな顔か? どちらでもいいが、乙骨くんを揶揄い倒している。
やっと飽きたのか、乙骨くんを開放したパンダくんは、始終無言でこちらを見ていた棘くんの方を振り向いて「あークイズ終わっちまった」と残念そうに声を上げた。
その二日後。つまり乙骨くんと映画に行く予定の日。
いつも通りけたたましい音を立てながら教室の扉を開いた五条先生が、開口一番こう言った。
「棘とゆき、仙台まで日帰り出張で!」
「ええ!?」
「……高菜」
初の出張、それは嬉しい。
初の仙台、それも嬉しい。
しかしながら今日は乙骨くんとの約束の日なのだ……がっくりと肩を落とした私に向かって、乙骨くんは優しい声で「ま、まぁまぁ、別の日もあるからさ、ね?」とフォローしてくれる。
「ごめんね次は絶対行こうね……」
「佐倉さん気にしないで。それより夜は雨になるらしいから、狗巻くんもちゃんと傘持ってった方がいいよ」
「明太子」
「ありがとう!」
「えーナニナニ? 憂太とデートの予定だった? お邪魔しちゃった?」
「デートじゃないです!」
五条先生はニヤニヤ笑っているけれど、映画館に行くだけで勝手にデート認定されるなんて心外だ。それに、そんな名目をつけてしまったら流石の里香ちゃんだって黙ってはいないだろう。
「新幹線のチケットはこれ。往路は指定席だけど、復路は呪霊祓除の状況にも依るから取ってないからね。帰りは伊地知に手配してもらって帰ってきて」
「しゃけ」
「はーい」
「二人ともまだ帳は下ろせないし、伊地知が引率してくれるからダイジョーブダイジョーブ。そんな捨てられた子犬みたいな顔しないの」
「子供扱いしないでください! こっちには文明の利器だってあるんですから!」
検索すればなんだってわかる、魔法の機械を持っているのだ。それに棘くんだって、出張には何度か行ったことがあるらしいし頼もしいことこの上ない。
「じゃあしゅっぱーつ! すぐ出ないと新幹線の発車時間ギリギリだからね」
五条先生に追い立てられるようにして、私と棘くんは伊地知さんの車に乗り込み、高専を後にした。
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