「青春だねぇ」
「なにがだい?」
「いやぁ今年の一年」

五条が見る先には、そわそわする少女と気まずそうにする少年。
食堂の隅で、まるで高嶺の花を前にして目も上げられない子供のように目を伏せ、二人とも黙々と箸を動かしている。

「あぁ、君の受け持ちの。呪言師の末裔と呪骸か」
「冥さんは会ったことあるんだっけ」
「今の彼女とは、会話をしたことは無いね」
「アラタが操作してないゆきがあんな子だったなんて。やっぱり呪骸の性格って、術師が設定するわけじゃないんだなぁって思わされるよ」
「魂が宿っていると?」
「さぁ?」
「私は好きだけどねぇあの呪骸」

冥の言葉に、当代最強の術師は無言で話の先を促した。美しい顔を隠している彼女の青褪めた白妙の髪の縁から、その瞳がゆきの姿を値踏みするように舐めた。

「なんてったってアレを量産できれば金になる。アレを手に入れるためなら、世界中の呪術師達が挙って財産を切り崩すだろうね」
「違いない。冥さんが売り出すならどんな風にプロデュースする?」
「もちろん、首輪をつけるよ。自我を持つ故に脱走したり、主人に楯突くだなんて面倒くさいし値が落ちる」

少女の細い首筋にはめられた犬用の首輪を想像し、五条は忍び笑いを漏らした。一部のマニアには受けそうだが、世間一般的には白眼視される部類だろう。

「首輪かぁ、見た目が変態臭いねぇ。アラタが見たら嫌がるだろうな」
「装飾物としてではないよ。一定距離離れれば壊す、という縛りだ。あぁ、あとは万が一主人へ刃を向けた時には自害する、というプログラムもあるといいね」
「アイツならもっと……主人には刃向かうけど、躊躇って罪悪感から泣き出して更に忠誠を誓う、くらいに手を加えると思うね」
「……フフ。このアイデア、いくらで売れるかな」
「数千万くらいぽんと出すと思うよ。金は余らせてあるやつだから」
「まぁ、財布の持ち主は死んだけれどね」











「あ、あの……い、……とっ……」
「……」
「きょ、今日は! いい天気、だっ……た、ね」
「……しゃけ」

尻すぼみになった私の言葉を受けて、正面に座る彼はゆっくりと頷いた。夕日も沈んだ窓の外は曇天。どう見てもいい天気じゃない。きっと夜遅くには雨になる。
真希ちゃんとパンダくんは、夕飯を平らげるとさっさと先へ行ってしまった。――――全然食べ終わってない私達を置いて。ついでとばかりに、スープを飲んでいる途中だった乙骨くんも引きずっていった。
ここに三人がいてくれれば、まだ会話も盛り上がっただろう。
私たちを中心に下りているこの沈黙の帳は、厨房から聞こえる食器洗いの音をBGMにして構成されていた。もっと人でいっぱいなら、この帳も気にならなかったかもしれないが、生憎高専に来る人間はこんなところで油を売っていられるほど暇ではない人ばかりだった。

「……」
「……」

朝、真希ちゃんに見せられた昨日の写真を思い出す。
頭を撫でられ、嬉しそうに微笑む私。給餌されて満足そうにプリンを頬張る私。置いていかれて目に涙を浮かべながら、乙骨くんに宥められている私。
どう考えても変態女だ。お兄ちゃんと同じだと言われてもおかしくない。
……いや、別にお兄ちゃんが誰かれ構わず抱きつくような暴漢だったと言いたいわけじゃなかった。同じ"変態"という括りに入れられても文句は言えないという意味で、広義では同じ変態だということだ。

私はあの公開教室土下座の後、午前中いっぱいガッツリと昨日の件を説明させられる羽目になった。
もちろん、呪詛師の証言と照らし合わせるためである。
その結果、凡そ四時間にわたって私は苦しみ続けた。
五条先生や学長先生に暴力を振るわれたとか詰問されたとか、そういうことではない。
ウンウン唸りながら昨日の記憶を掘り返しているうちに、私がしでかしたとんでもない行動が記憶の縁からひとつまたひとつと顔を見せ始めたからだった。

気になる男の子。名前で呼んでほしい。撫でてほしい。褒めてほしい。ずっと傍に居たい。抱っこしてほしい。抱きしめてほしい。
同級生の姿を模した優男に褒められたり叱責されたりするたび、情緒が滅茶苦茶になっていって、彼に見捨てられたくないという思いで心がいっぱいになっていった。
私は心の底で、狗巻く……棘くん、のことを、どう思っていたのか。
お兄ちゃんの代わりにでもしようとしていたんだろうか?
呪詛師の術式によるものだとわかってはいたが、あれは行動の強制ではなくあくまでも私の欲望を利用されただけのものに過ぎないという。 
自分の行動を思い出すたびに私が呻いたり頭を抱えたりするもんだから、事情聴取は遅々として進まなかった。本来は昨日の夜のうちにやる予定だったらしいけれど、昨晩の私は話が通じる状態ではなく、いぬ……棘くんにべったりくっついて、むしろ彼の聴取の邪魔をしまくったようだった。
その点に関しては申し訳なく思っているけれど、もうあの写真……いや、思い出したくもない。真希ちゃんやパンダくんの口ぶりからするに、どれほど拝み倒してもデータを消してくれはしないだろう。

変な空気のまま、私達は無言で夕飯を口に運んでは咀嚼し、飲み込んでいく。
美味しそうな豚の生姜焼きの味なんてまったくわからないくらいに緊張していると、スッと私の視界に小瓶が差し出された。

「……ツナ」
「あえ、あ……あり、がと」

私が朝あげた、男の子たちへの贈り物。
あげたのは私なのに、お裾分けしてくれるらしい。
律儀な人だ。

私はご飯中にも関わらずその飴をひとつ頂戴して、ぱくりと口に含んだ。
甘くて柔らかな味が広がる。

「おいしー!」
「ツナマヨ」

ころころと口の中で飴を転がす私の方を見て、彼がふっと笑った。その暖かな笑みを見ているとなんだか顔が熱くなってしまって、私は慌てて下を向く。動揺しすぎでその拍子に飴玉は飲み込んでしまったが、それに拘泥するような余裕はない。

「あ、えと、もうご飯食べ終わったんだね! 待たせてごめん!」
「おかかおかか」
「私ももう食べ終わるから帰ろ!」

わたわたとホウレンソウの小鉢の中身をかき込んで、私は席を立った。そのまま彼と一緒に食器を下げに行く。

「……高専の食堂のご飯って、美味しいよね」
「しゃけ」
「食べ過ぎちゃいそう」
「しゃけしゃけ」

並んで廊下を歩き外へ出た途端、ポツリと私の顔に水滴が落ちた。











バケツをひっくり返したみたいに目の前に停滞している水のカーテンを、狗巻は呆気にとられながら見つめた。
……傘を持ってきておいてよかった。

狗巻は、食堂のある別館の入り口に立て掛けておいた傘を手に取った。
すこし靴が濡れてしまいそうだが、寮までは生憎そこまで遠くはない。
もちろん近いわけでもないが。

パチリとボタンを押して傘を開くと、屋根から飛び出たその膜を雨粒が叩く。
ピンと張った布の上を、大粒の雨がまるでタップダンスを踊るかのような音を立てて跳ねまわっている。

「えっ……えぇー」

と、横で声がした。
そちらに目をやると、呆然とした顔で戸口を見つめる佐倉が……ゆきがいた。

「かさが、ない……」
「……明太子?」

傘が、無い? 確かここに来る前には持っていたはずだが。
しかし彼女が持っていた可愛らしい水玉の傘は影も形もなく、なんなら狗巻の傘以外には誰のものも置かれていなかった。

「誰かに間違って持ってかれちゃったのかな……」
「高菜、ツナマヨ」

しょんぼりとした声でそう言ったゆきへ、じゃあ入りなよ、と声をかけたのは狗巻にとっては当たり前のことだった。

「……あ、ありがとう!」

失礼します、と言いながら自分の左側に収まったゆきは、なぜか落ち着かない様子で視線をウロウロと彷徨わせている。

そんなに意識されてしまうと、こっちまでドキドキしてしまうからやめてほしい。
と、いうか既に自分の顔が熱い。
昔は、彼女がただの呪骸だった頃は、あんなに棘くん棘くんと言っていたのに。いざ感情を、自我を得てみたらずっとこんな調子だ。
始めはただ距離を置かれているだけかと思ったが、乙骨への態度を見るに彼女はどうやら同級生の男――乙骨と自分しか居ないが――に対しては、適度な距離を保とうとしているだけのようだった。
他人とまともな関係を持つのが難しかった自分にはそういう経験は殆ど無いが、ゆきと真希がああだこうだと言いながら眺めている月9だの金曜日の映画ショーだのでは、同級生の男女の距離感がテーマになっているものも多かったように思う。
男女がくっついたり離れたり、互いに想いを伝えられなくてもどかしい距離を眺めて楽しむというエンターテインメントだ。
そういうところまで、ゆきはちゃんと女の子なのだ。

その点、今回の件はちょうどいい転機だったと言える。
婦女暴行のクソ野郎が引き金だったとは言え、ゆきとの距離が縮まるにはこの上ないチャンスだったから。
きっとこういう機会が無ければ、ゆきとは最悪永遠に名前で呼び合う機会は訪れなかったかもしれない。
自分が語彙を制限していてよかった、と初めて狗巻は思った。
面と向かって呼び方を変えるのはちょっと恥ずかしいから。パンダや五条にこの気持ちを知られでもしたら、この先二ヶ月はいじられ続けるだろう。

「あ、あのね、えっと……ほんとうに、狗巻くんのこと、名前で呼んでもいいの?」
「……しゃけ、明太子」
「ほんと……? なんか、恥ずかしいや」

えへへとはにかみながら自分の隣に小さく収まっているゆきの顔を見ていると、なんとも言えない気分が体の奥から広がってくるのを感じて狗巻は無理矢理顔を正面に向けた。
心臓が変な感じに跳ねていて、左肩がそわそわする。
なぜだか急に、傘を持ちゆきの体に少しだけ触れている左腕が気になった。

「……棘くん」
「しゃけ?」
「な、なんでもない! 呼んでみただけだからっ」
「……」

呼ばれたかとそちらを向くも、ただ自分の名前を呟いただけらしい。
なんというか、どうも……うん。上手く言えないが、居心地が悪いようでもあり、ずっとこうしていたいような感じもする、妙な気分に苛まれる。
自分だけがこんな目に遭うのは、フェアじゃないと思うのだが。

少しやり返してやろう、と狗巻が思い至ったのは、至極当然のことだった。



「…………"ゆき"」
「……えっ」
「おかか、ツナマヨ!」


なんでもない、呼んでみただけ。
やり返してやったぞ、としたり顔で彼女のほうへ振り返ると、目が合って一瞬のち、二人とも笑いだしてしまった。










その後寮に戻ると、なぜか入り口の傘立てにはゆきの可愛らしい傘が行儀よく刺さっていた。

「あれ? 私の傘……」
「……ワリ。傘なかったから借りた」

しれっとそんなことを言う真希の後ろで、パンダがニヤニヤと悪い笑みを浮かべていた。隣に立つ乙骨が、どうしようという表情でパンダと狗巻を見比べている。

……こいつら、謀ったな。

狗巻の鋭い視線もどこ吹く風といった様子で素知らぬふりを決め込んだ真希と一緒に、ゆきは自室へと戻っていった。




就寝前、枕元の電源ケーブルを差し込もうと携帯電話を手にしたとき、端末が振動しメッセージの受信を告げた。

画面を点灯させると、そこにはゆきの名前が表示されている。

――今日は傘入れてくれてありがとね。狭かった?
――棘くんが風邪引いちゃったらごめんね

そんな律儀な文章と共に、可愛らしいキツネが雨宿りをしているスタンプが送られてきた。どうやらこのキツネは、初めてのスマートフォンを手に入れたゆきへ、五条から贈られたものらしい。
狗巻は少し考えて、それに返信すべく指を滑らせた。

――ゆきだから大丈夫、狭くなかった
――おやすみ

彼女から「おやすみなさい」と連絡が来たのを見て、狗巻はアラームをつけて画面を消す。
自分の口角が上がっていることには気づいていたが、それを良しとして目を閉じた。


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