「アハハ! 今の僕ってさ、傍から見たら入れ込んでるキャバ嬢にスマホ契約してあげるお兄さんみたいじゃない?」
携帯ショップの自動ドアをくぐって外へ出た五条先生が、そう言って笑った。
傍を通ったサラリーマンが、怪訝そうな顔で五条先生をジロジロと睨みつけて去っていった。身長と髪の色で既に目立っているというのに、大きな声でそんなことを言ったら変な人だと思われるじゃないか。
――――そう、私は遂に携帯電話を契約することができたのだ。
と、言うと語弊がある。正しくは、五条先生に契約してもらった携帯電話をゲットした、という次第である。
もちろんキャリア代や通信費は私が払うし、私の口座から引き落としである。その辺は五条先生がうまくねじ込んでくれたり、高専のコネクションや権力などを活用したらしい。
先生が色々と走り回ってくれたおかげで手に入れることができたモノ。自分一人では何もできなかったけれど、それでも私はとても嬉しかった。
これで、いろんな人と連絡が取れるのだ。
……主には迷った時に、という一言は余計である。
喫茶店で一息ついた私は、ひとまず五条先生による文明の利器レクチャーを受けることとなった。
「とりあえず僕の番号とか登録しよっか」
「……はーい」
「なんで嫌そうな顔するかな? そんなに最初の一人目は真希がいいの? 皆と交換するときに使い方わかんないと恥ずかしくない?」
「むー……確かにそれはそうかもですけど……」
私が選んだカラーはシンプルなブラック。店員さんからは「女性に人気はこのシャンパンゴールドですよ!」と散々推されてはいたものの、私はこのブラックがよかった。
……なぜなら、
「真希みたいにカッコいいスマートフォン、欲しいんだもんね?」
「もー! その話おしまいってことになったじゃないですか! からかわないでくださいっ!」
真希ちゃんが持っていたそれが、真っ黒でかっこよかったのだ。
狗巻くんや乙骨くんも機種は違えど同じブラックのスマートフォン。
男の子は黒が好きなんだろうか? でも、シンプルなカバーに包まれたそれは、真希ちゃんが持つと本当にかっこよかった。
ケースはこれから買うとして、初めて手に持つそれに私はとても浮かれていた。
「じゃ、練習ってことで」
「はーい」
五条先生が見せてくれた、白黒のドットがたくさん並んでいる画面を見る。
「これを、どこに入力? したらいいですか?」
「あー違う違う。この右上のマークあるでしょ、そこを押して」
「ん? このカメラのですか?」
「それそれ。で、四角い枠が出てるでしょ? その枠に僕のQRコードが入るようにかざしてみ」
「んー……あ、でた」
ぽちぽちと触ること十数秒。私の手元の画面には、「五条悟」という名前と丸い写真が写っていた。この画像はどこかのお店を撮ったのだろうか?
「で、ここ押したら僕の名前が一覧に出てくるでしょ。ちょっと僕になんか送ってみてよ」
「なんかですか?」
そう言われた私は、五条先生へ向けてシュッと右の人差し指を突き出した。
「ん? なにしてんのゆき」
「え……五条先生が送ってって言ったんですけど」
自分で言っておきながら私を見て怪訝そうにした五条先生は、私が差し出した人差し指に、自らの指をくっつけた。
とても長い指だ。というか手が大きい。きっと身長に比例しているのだろう。お兄ちゃんも五条先生ほどではなかったが背が高くて、おっきな手はいつも温かかった。
指先から私が送ったテレパシーをしっかり受け取ることができたのか、五条先生は指を離してゆっくりと私を見た。……が、急に口元を覆ってしまう。
「っぷ、くく……送っ……ふ」
自由すぎる。自分で送れと言って、いざ私が送ったらこの反応。
突然笑い始めた彼を不審げに見つめた私を宥めるように、五条先生は私の手元の型落ち機種を覗き込んで触る。
「ふ、アハハ、ごめんごめん。ここの長四角のところに文字を入れて、紙飛行機のマーク押したらメッセージ送れるからさ」
「このちっちゃいとこですか? ん、ん……あ、できたぁ! すごい……!」
私がしばらくの間その新しい玩具に夢中になっていると、五条先生が頬杖をついて私を見つめていた。その視線に何か温かいものを感じて、私も五条先生を見つめ返す。
「……? なんですか?」
「いやぁ別に? 楽しそうでよかったなと思って」
「はい……本当にありがとうございます、五条先生」
私は今日何度目かになるありがとうを五条先生へ伝える。
最強なのに割とちゃらんぽらんな先生だけれど、この人が居なかったら私の今は成り立たなかったはずだ。
携帯電話も、狗巻くんや真希ちゃんとのおでかけも、お兄ちゃんの遺品整理も……こうやって高専へ通うことすら。
手元の端末で、「ありがとう!」「さんきゅー」「Thanks♪」と書かれている、可愛らしいキツネのスタンプを三つ順番に押してみる。
私がそうするたびに、五条先生が手に持つ携帯電話が振動するのがとても楽しい。
「もー。そんなに送ったら超束縛な彼女みたいだよ?」
「……」
「そんな顔しないでよ! 冗談だってば〜」
私は小さな端末を操って、「Never mind★」と親指を立てているキツネを五条先生とのメッセージ画面へ送った。
それに対して、なんだかよくわからないポーズを取っているカバウナギとしか言い表せない奇妙な動物を、五条先生が送り返してくれる。
すぐ目の前にいるのに、手元の画面で会話をする。離れていても会話だってできるし、写真も撮れる。
帰ったら真希ちゃんにあの写真を送ってもらおう。
だいぶ操作に慣れてきた私を高専へと連れ帰ってくれた先生は、「僕は予定があるからここで。また今度デートしようね!」とサングラス越しにウィンクをひとつ残して去っていった。
残された私は携帯電話片手に、スキップしそうな勢いで寮へと向かう。
早くみんなにこれを報告したい。
もしかしたら居るかも、と思って覗いた共有スペースに、オセロをするパンダくんと真希ちゃん、それを横からのんびりと眺める狗巻くんと乙骨くんが居るのが見えた。
私は四人に駆け寄って、携帯電話を見せびらかす。
「見て見て! じゃーん」
「おっ。ついに契約してもらえたのか」
「うん、五条先生に連れてってもらったの」
「すじこ」
「黒?」
「もっと別の色にしたほうがよかったんじゃねーの? ピンクとか白とか」
乙骨くんと真希ちゃんが不思議そうに首を傾げる。
少し型落ちで安かったこれは、でも特別なのだ。
「黒が良かったの!」
「ふーん」
「……ツナマヨ?」
「ん? あ、確かにこれ同じやつか?」
ちょっと見してみ、とパンダくんが私の携帯電話をつまみ上げる。
その横で狗巻くんがポケットから取り出した端末と見比べてから、パンダくんは「棘と同じ機種にしたのか」と言って驚いた顔で私を見た。
「え? 違うよ、真希ちゃんと同じのだよ? 最新のはちょっと高かったから、型落ちのにしたんだ」
「カメラの位置とか違うだろ。色だけしか似てねーし」
「ま、まあまあ……」
「なんでもいーけどな。連絡先交換しとくか。俺はこれ煩くて好きじゃないからあんまし見てないけど」
そう言ってパンダくんが、私に端末の画面を見せてくれる。
私は少し前に五条先生から会得した技術を総動員しながら、表面上はなんでもないように振る舞いつつそれを登録する。
さらりと登録する、かっこいい私。
内心ニヤニヤしていると、自分の携帯をスイスイ触っていた真希ちゃんが口を開いた。
「めんどくさいしゆきが自分の見せりゃすぐだろ」
「?」
「確かに。佐倉さんのを僕たちで読み取るほうが早いかもね」
「む……それは……?」
しまった。そのパターンはまだ予習してない。
「ほら貸してみ。ここんとこ押して、そうそう」
「おー……真希ちゃんありがとう!」
私が水戸黄門ばりに掲げた画面を、三人が読み取ってゆく。
あっという間に五人に増えた連絡先を眺めて私がにまにましていると、その画面がぴよぴよ音を立て始めた。
「うわわ」
「とりあえずこれグループ。なんかあったらここに連絡するか、誰かに電話かけろ」
「CALL」という札を持ったパンダの絵を送ってきてくれたのは、絵柄そのままパンダくんのようだ。狗巻くんは拍手をするラッコ、真希ちゃんは如意棒を持った猫、乙骨くんは眉毛を下げた犬の絵柄を送ってきてくれる。
「あーうるせ……これ苦手なんだよな」
「携帯電話のこと?」
「ああ。なんかキーンてする」
「確かに私のはずっと音が鳴ってるね……みんなのは静かなのに」
音量を変えるボタンはあるけれど、音を消すボタンはないのだろうか?
私が端末をひっくり返したりして眺めていると、狗巻くんの手が横からにゅうっと伸びてきて、画面を上から下へ指でなぞった。
「ツナ、高菜」
「マナーモードな」
「良かったじゃねえか、棘と同じ機種でさ」
「?」
狗巻くんが指差すところを押していくと、音だけが静かになった。もう一度押すと、今度は振動も消える。
また同じところを押せば、振動だけが戻ってきた。
「あ! すごい……!」
「しゃけしゃけ」
「狗巻くんありがと」
「いくら」
どうやら本当に、契約してもらったこの機種は色も含め狗巻くんのものと同型らしい。
私が操作方法に迷うとそばで教えてくれて、ついでに便利そうなものや必要な設定をぽちぽちと追加してくれる彼の横顔は、ちょっと頼もしかった。
「……ふふ」
「いくら?」
「なんだよ急に」
「んーん、なんでもない」
夜になったら、バッテリー残量が多少残っていても充電器に挿しておくこと。
教えてもらったそのルールを守るのは、なかなかに難しかった。
そんなに四六時中携帯電話を触っているわけでもないので、カバンから出すのを忘れてしまったり、手に持っていても寝る前にケーブルに繋ぐことを単純に忘れてしまうのだ。
みんなはちゃんと寝る時に充電しておくそうだが、どうやったらそれを覚えておけるんだろう?
なぜか朝になるとほとんど減ってしまっている残量を眺めながら、私は首を捻る。
「また充電忘れたのか……」
「うーん」
私は別にゲームをするでも呟くでもない。連絡がくれば画面を見て、たまに写真を見返す。
それでも減っていく電池のマークを不思議に思う。
私と同じように、電源が入っているだけで残量を消費していくだけのことなのだが。
私にもメーターがついていればいいのにな。そうすれば、そろそろご飯を食べておこうとか、呪力の減り具合もわかりやすくていいのに。
もしバッテリー残量のアイコンが私についていたら、と想像してみる。
おでこの真ん中であの電池マークが光っていて、「26%」とか表示されていたら。
そんな自分の顔を思い浮かべたらあまりに面白すぎて、くだらない考えは首を振って捨てた。
そういえば昨日の夜、談話室で見たテレビのニュースでは、中高生に増えているスマホ依存症のことが取り上げられてたっけ。四六時中携帯電話を手放せなくて、食事時もお風呂の最中もSNSを見たり誰かと会話をしている。
そういう人たちの気持ちは、いまいちよくわからない。
私は携帯を持ってはいるものの、みんなと話したいなら部屋を訪ねればいいし、今のところは迷子にもなっていないのだから。
――――後者は、当たり前のことなのだが。高専内をみんなに案内してもらったのにまた迷子に、となれば、私はもうひとりではどこにも行けやしないだろう。
パンダくんは、真希ちゃんや狗巻くんが実習に出ているときに「ちょっと連絡してみろよ」と言って私の先生役をしてくれる。
機能面でわからないことがあったら狗巻くんへ、ぶら下げるストラップは乙骨くんに相談してみたり、真希ちゃんには写真を撮ってもらったり、送ってもらったり。
初心者にも優しく接してくれる良い友人達が居るのを見て、お兄ちゃんは天国で安心してくれているだろうか。
「部屋に戻ったらまた充電するよ」
「それまでに電源落ちるぞ。まぁ実習もないし困ることもないけどさ」
「しゃけしゃけ」
そう会話をしていたら、手元の端末がみみみ、と振動した。
どうやら五条先生からの連絡らしい。
『これ、なーんだ』
その写真を見て、私は首を傾げる。
全体的に真っ白だが、画面の左側に見切れた黒い丸がある。
奥に映っているのはアスファルトだろうか? ということは、上から見下ろして何かを撮っているらしい。
よく見ると無数の細い糸のようなものが写っていることに気づいた私は、五条先生へ絵文字付きのメッセージを送った。
『ねこですか?』
『正解!』
五条先生はこうやって、一日に何度か写真やらなぞなぞやらを送ってきてくれる。
きっと、私が文字を打ち込んだりいろいろな機能に早く慣れるよう、気を回してくれているんだろう。
八割くらいは暇つぶしとか気まぐれなような気もするが。いい方に受け取っておいた方が、幸せになれる。いろんな意味で。
『それはさておき。週末の予定決まったよ〜! 一人行動して棘と合流、最後は真希と合流して少しブラついたら帰宅な感じでヨロピ』
『わかりました』
どうやら、私一人で街を歩く時、狗巻くんと一緒に街を歩く時、そこに真希ちゃんが合流した時、で違いがあるかを確認したいのだそうだ。
呪術師と一緒に居たほうが充電速度が速いのか、独りでも変わらないのか。もし呪術師と行動した方がいいようであれば、呪力の少ない真希ちゃんでも対象になるのか。
「あのね、週末のお出かけは途中で狗巻くんと合流してから、そのあと真希ちゃんと一緒にだって」
「しゃけ」
「悟か」
「へいへい。新宿ダンジョンで迷うなよ?」
「迷わないよ! 今回は地図も見れるし」
「憂太は俺と留守番だな」
「あはは……寂しいけど、僕もあのダンジョンは苦手かも」
そう。乙骨くんの歓迎会の買い出しをするのが、週末の第二目標なのだ。
主役の彼にはバレないように準備をしているのだから、ついてきてもらっては困る。
……もちろん、初めの二回の実験で同行してくれた狗巻くんと真希ちゃんと一緒の方が、私を同じ条件で実験できるからというだけの人選理由だけれども。
「それ契約してから初めての外出だよな?」
「うん。場所とか行くとことか、なんかあったら連絡するね!」
「初めてのお使い feat. 呪骸ってとこか」
「はじめてのおつかい?」
「細かいとこ気にすんなよ」
「ツナツナ」
とってもわくわくする。
実は既に乙骨くんを抜いたグループを作ってあって、四人でこっそりとやり取りをしながら当日の予定を立てているところだ。
おじさんがトレードマークのチキンをバーレルで買おうとか、握ったら大声で鳴く七面鳥の玩具を買おうとか、持ち帰りでピザを買おうとか。
私はひとりでふふふと笑いながら、席へ着いた。
猫の写真を送ってきてくれた五条先生はきっとすぐに高専へ戻ってくる。
そうしたらホームルームの後、午前の授業が始まるのだ。
……はやく週末にならないかな。
指折り数えて待つ私は、まるでクリスマスを待つ子供のようだった。
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