――――……あいつ、佐倉さんの呪骸だろ?
――――さすがに五条さんでもやりすぎなんじゃないの
――――そりゃ見かけは女子高生そのままでも……俺たちはアレがなんだかわかってるわけだし
――――気味悪いよねぇ
――――ちょっと前までは「私は可愛いお人形です!」みたいな顔してたのにな
――――佐倉さんが居た時の私とは違うんですーみたいなツラで演技してんの見たらさぁ、サムイよな
高専内を歩くたび、遠くから投げつけられる視線と言葉。
今も、食堂から寮へ戻る途中。部屋に背を向けみんなの後ろを歩く、私の背中へ浴びせられる"評価"の声。
真希ちゃんもパンダくんも狗巻くんも乙骨くんも、それが聞こえていても誰も気にしてませんって顔をしている。
……もしかして本当に皆には聞こえていなくて、私にだけ聞こえるくらいの声量なんだろうか。お兄ちゃんが、私の耳は小さな音まで拾えるように、設計したのかもしれない。
そう、思ってしまうほどに。
その言葉たちは私の存在を抉る。
「ゆき、どうした?」
「……あ、ごめん」
「なにぼーっとしてんだよ。置いてくぞ」
「ツナマヨ?」
「他のこと考えてた……ごめん、なんだっけ」
「えっと、佐倉さんは次の外出の時、どこ行きたいの? って」
「ん……まだ決めてない、かなぁ」
「真希と一緒に外出すんだろ? 真希は適当にぶらつくってのは苦手だからなぁ」
「うっせぇクソパンダ。行くとこ決まってりゃそこ以外行く必要ねーだろ」
「おかか」
私の詳細なデータを取るため、次は真希ちゃんと一緒に新宿へ行く。
きっとこのままデータを取っていけば、私がどんな呪骸なのかがわかるのだろう。
どんな呪骸か。何のために作られた呪骸なのか。
窓の外に咲く花木の色に、狗巻くんに連れて行ってもらった、パンケーキ屋さんを思い出した。
見せてくれた携帯電話の画面。きっと、私のために予定を立ててくれた。
……ただの呪骸の、私のために。
「あの……」
「ツナ?」
「……や、やっぱなんでもない」
――――ほら、見た? 一年に二体もさぁ……
――――どうせパンダと同じで学長のお気に入りでしょ?
「……」
「め、ん、た、い、こ!」
「おっ、もうそんな時間か。早く帰って準備しなきゃな」
「おまえらホントそういうの好きだよなぁ」
「早押しが一番楽しんだよなぁ。なー憂太?」
「狗巻君もパンダ君もアツくなりすぎだよ……僕は、特には」
「……お前も毎日テレビ欄チェックしてるくせに」
楽しそうな会話に、無理矢理意識を向ける。
私もみんなと同じように、聞こえないふりをしなきゃ。
「狗巻くんたちは、今日もまたあのピンポーンのやつ使うの?」
「早押しボタンな。毎度毎度持ってきやがって……マジどっから買ってきたんだよあれ」
「棘チョイスだ」
「高菜っ!」
「あはは……私も、あれ押してみたいなー、なんて……」
「じゃあ今日はクイズ王決定戦だな」
今日のクイズ番組の話題で盛り上がる四人に、私はできるだけ明るい声で話を合わせる。
精一杯の笑顔を、顔に張り付けて。
『――――では次の問題。世界で一番長い名前の国はどこでしょう?』
「しゃけっ!」
狗巻くんがすごい速度で押したボタンが、可愛らしい音で「ピポーン!」と鳴った。
「狗巻選手、では正解をどうぞ」
「ツナ!」
『あぁーっと、下家さん残念。正解は二番のイギリスでした!』
指を二本立てていた狗巻くんは、勝ち誇った笑みを浮かべた。もう片方の手でもピースを作り、私たちの方を振り返る。
「すごい、よくわかったね」
「しゃけしゃけ」
「じゃー次は憂太だ。次は得点二倍だからな、気張れよ」
「そ、そんなプレッシャーかけるのやめてよ……」
『――――緊張が伝わってきますねぇ。ではリーダー馬淵さん! バンコクの正式名称はどれでしょう?』
「えぇ!?」
「これは難問だぞ」
「明太子……!」
「ゆきは? こういうの得意だろ」
「え!?」
真希ちゃんの急なフリに驚いた私は、必死で選択肢を見つめた。
……信じられないほど長い。しかもなんて読めばいいのかわからない暗号のような文字。上にフリガナが振ってあるものの、カタカナがずらーっと並んでいるだけで目がつるつると滑る。
「ま、マハー……? アモーン、ラ……?」
「早く選べよ」
「高菜ー」
「佐倉さん頑張れ!」
「憂太おまえは諦めんな。リーダーだろ」
「えぇいつから!? 初耳だよ……」
「OK乙骨くん、ヤマを張ろう! 二人で手分けすれば二分の一だよ」
「わ、わかった。じゃあ僕は……一番で」
「よし。じゃあ私は……」
乙骨くんが選んだ「クランシープ」を除いた、残りの選択肢を睨む。クルンテープ、クリンドープ、クヤンナード。全く違いがわからない。
「……! わかった、四番だけがドで終わってる!」
「すじこ?」
「ほう?」
「だから正解は四番の」
『――――さすがリーダー、正解です! 答えは二番のクルンテープでした!』
「……」
「……」
「……」
「……」
「は、外れちゃったね……僕も全然わかんなかったよ……」
三人の私を見る目が冷たい。
優しいのは乙骨くんだけだ。
乙骨・佐倉地理苦手連合同盟を作ろう、と心に決めた。
期末テストのときは一緒に勉強をしよう。そして三人を見返してやる。
「む……みんなもわからなかったでしょ……?」
「いやそりゃそうだけど」
「ツナマヨ、」
「な、なに……?」
妙なものに遭遇したかのような表情で狗巻くんが私の目を見た。
その隣の真希ちゃんが、怪訝そうな顔で口を開く。
「ゆきおまえ、地理できるだろ」
「……え? いや、別……に?」
「は?」
「あんまり暗記とか……好きじゃない……し」
「……ま、そういうこともあるだろ。ほら真希! 次の問題始まるぞ」
「私もやんのかよ……めんどくせーな」
「ツナマヨ!」
先ほど一瞬流れた、変な空気に首を傾げる。
……やっぱり、勉強ができない呪骸ってちょっと変なんだろうか?
データさえ入れておけば、答えられるはずだから?
考えないようにと思う程、私の思考は深い方へ転がっていく。
ぐるぐると疑問が渦を巻く。
お兄ちゃんは、私をどんな風に作ろうとしてたんだろう。
テストで百点が取れて、運動ができて、人見知りせず誰とでも笑顔で話せる妹?
今の私は、不完全だ。
国の正式名称もわからなくて、そこまで組手も上手くなくて、七海さんに話しかけるのはちょっと委縮してしまう自分。
「……佐倉さん? 大丈夫……?」
「あ、あぁうん、別に……ダイジョブ。」
考え込む私を心配してくれたのか、乙骨くんが私の隣に腰かけてそう言った。
彼は、乙骨くんは、私をどう思うんだろう。
前の私を知らない彼なら、今の私を受け入れてくれるのかな?
「乙骨くんは……地理ができない私って、どう思う?」
「えっ」
「ヘン、かな」
「いや、僕は……」
私が投げた質問に、乙骨くんは目をぱちぱちさせてから視線を彷徨わせて、恥ずかしそうに笑う。
「……赤点の心配、してるの?」
「んー、うん。そんなとこ」
クイズ予選を敗退した私たちは、楽しそうにテレビ画面を見つめているふたり……と、それを茶化しながら見守るひとりを後ろから眺めている。
今度は真希ちゃんが元気よく早押しボタンを叩いた。テレビの中のタレントが、誤った選択肢を選んだようだ。
私はテレビ画面に映った「赤点先生! 〜今日のおさらい〜」の文字を眺める。
――――私は赤点だろうか。それとも落第だろうか。
人ではないが故、外では生きられない私は、高専にしか居場所がない。
乙骨くんや真希ちゃん、狗巻くんにもパンダくんにも認めてもらえなかったら。
五条先生も学長先生も家入先生も、七海さんも。出来の悪い呪骸なんて要らないだろうか。
みんなに捨てられてしまったら、私はどうなるんだろう。どこへ行くんだろう?
「僕もあんまり……歴史とかは苦手だから、佐倉さんが心配に思うのは、ちょっとわかるな」
「……乙骨くんも?」
「うん。高専の授業って、普通の高校とは違って呪術史とか呪骸学とかもあって。覚えることがいっぱいだよね」
「うん……ほんとに、いっぱいいっぱいだね」
もし、お兄ちゃんが今の私を見て、幻滅してしまったら。
お兄ちゃんにすらバッテンを付けられてしまったら、私はどこへ行けばいいんだろうか。
――――人間になれたらいいのに。
私はお兄ちゃんのお葬式の日から、頭のどこかでずっとそう考えている。
生きているってどういうことなんだろう。どんな条件を満たしたら、生きているといえるのだろう。
私の体が肉で構成されていたら? 呼吸をしていたら? 血液が循環していたら?
できもしないことをたくさん考えてしまうのは、"私"が観測されていないからだろう。
早く箱が開いて、私の使い道がわかればいいのに、と思った。
真希ちゃんと遊びに行くことも楽しみだったけど、それ以上に、この覚束ない足元を照らす光が欲しいと思った。
クイズに答えて楽しそうに笑う、三人が眩しかった。私もあの輪の中に入りたい。
乙骨くんは私の手を引いてくれるけれど、私はみんなの中で笑っていられる自信がなかった。
クイズの正解みたいに、絶対的な答えが欲しかった。
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