閑話
花と呪骸
青空の中、駆ける影がひとつ。
「棘くん、なにしてるのー?」
走り寄ってきた、中学生ほどの少女へ向かって狗巻棘は小さく会釈をした。
「すじこ」
「お花? なにが咲くの? ゆきお手伝いするよ!」
そう言って、誰もが好意を抱いてしまうような笑顔を浮かべる少女には、人の魂が宿っていないだなんて誰が信じるだろうか。
狗巻だって、高専で教鞭を執る佐倉アラタ術師が居なければ、彼女が人間だと信じてしまっていたかもしれない。
高専入学前にも何度かここへ出入りしていた狗巻へ、何年か前にこの少女を引き合わせたのはアラタである。
その時の言葉を、狗巻はよく覚えている。
――――ゆきはこれからどんどん成長するからね。いっぱいお話してあげてね。
その言葉通り、"アップデート"を繰り返していくアラタは、この間"妹"を中学生に"進学"させたらしい。
今狗巻の目の前に立つその姿は、自分より頭一つ分近く小さい、ごく普通の女の子に見えた。
「これはなんて花?」
「……高菜」
「じゃあ、これはなんて道具? スコップ?」
「しゃけしゃけ」
「種を蒔いて育ててるの?」
「……しゃけ、おかか」
「どっちも? このお花とこのお花、離して植えてるのはなんで?」
「明太子」
「そうなんだ、棘くんはいろいろ知っててすごいね! ……あ、そうだ! お兄ちゃんがね、ゆきが好きそうなお花が売ってるお店があるよって言ってたの」
ひとしきり質問攻めに遭った後、少女は「明日、一緒にお花屋さん行こ!」と笑いながら手を振り去っていった。
貴重な休日、二度寝をしてからゆっくり過ごそうかと思っていたが、きっとあの様子では寮の部屋まで忍び込んで叩き起こされることだろう。
狗巻は、自分の日曜日が"一級術師のお人形遊び"で潰れることを予感し、溜息を吐いた。
翌日。
「棘くん! 見て見て、お兄ちゃんがね、ゆきに図鑑買ってくれたんだよ!」
「こらゆき、前を見ないと酔っちゃうよ」
「大丈夫だもん! お兄ちゃんの運転だから平気!」
「……すじこ」
「これはね、"愛の告白"って花言葉なんだよ! それでね、ピンクのは"愛の芽生え"なんだって!」
どうやらアラタがまた"アップデート"をしたらしい。
昨日花壇で見た花を図鑑でぺらぺらとめくっては、狗巻の方を振り返って笑いかける少女の姿を視界の端に収め、ハンドルを握るアラタが嬉しそうな色を横顔に浮かべている。
「お兄ちゃん、今日行くのはどんなお花屋さんなの?」
「ん? ゆきが行ったことない、ホームセンターってところだよ。花もたくさんあるけど、他にも自転車とか家具とか、いろいろ売ってるよ」
「ほんと!? 早く着かないかな〜!」
「……」
渋々ついてきた狗巻だったが、きっとアラタの一言が無ければ首を縦に振るまでもっと時間がかかったかもしれない。
――――春先だし、肥料とかいろいろ欲しいだろう? 全部買ってあげるよ。
まあ、何かを探すにも、会話を中継ぎしてくれるならすこし楽だし。一級術師様の言葉と主に財布に甘えよう。
そんな現金な理由と打算があって、狗巻はこの車に乗っている。
「あのねあのね、ゆきこれほしい! このウサギさん! 花壇においたら可愛いと思うの!」
「今日はそんなに持てないからだめ。わがまま言わないの」
「えー! お兄ちゃんのけちー。棘くんだって、花壇にウサギさんほしいよね?」
狗巻は少し考えてから首を横に振った。別に、特段欲しいとは思えなかった。
ごちゃごちゃと物が増えても困るし、雨が降った後の泥汚れも気になる。
……絶対に掃除しにくるだろうけど。
「こら。あの花壇の主は棘くんなんだから。王様には従うこと!」
「はーい。じゃあゆき、お花選ぶ!」
そう言って少女は少し離れた場所へ歩いて行った。
その後姿を見たアラタが言う。
「……もう、こういう非術師の多いお店でもね、僕からだいぶ離れててもちゃーんと動くんだよ」
「明太子」
「棘くんの話も、しっかり理解できてるだろ? 別の言語を操るのは文化的な背景も一緒に学習させないといけないから難しいけどね、日本語なら話の前後の流れから補填・予測して、他人の思ってることをある程度予測させるのは、そこまで難しくはないんだよ。たぶん、棘くんが何も話さなくても、今のゆきなら会話が成立すると思うよ」
「……ツナ」
狗巻は顔を顰めた。アラタをこのまま喋らせておいたら、弾丸のように言葉を紡いで止まらないだろうと簡単に予測できたからだ。
かといって、この変態と別の会話を楽しむような気力は無い。
だって、今日は休日なのに。
「お兄ちゃーん! 棘くーん! このお花なんてどうかな〜?」
少女が指差すその色とりどりの小さな星々は、女の子らしい花ばかり。
「ゆきは本当にお花が好きだねぇ」
「うん! だってかわいいんだもんっ」
「でもね、もう咲いちゃってるのよりは、蕾のを選んだ方がいいよ?」
「そっか……じゃあこのお花は、来年のもっと早い時期にする! 次は棘くんの好きなお花、見にいこ!」
買い込んだ肥料や花の種をバンの荷台に積んで、二人と一体は黒い機械の馬に揺られながら、アスファルトの上をゆく。
「帰ったら、棘くんと一緒にお花植えていーい?」
「ん? 王様がいいって言ったらね」
「わかった! 棘く……あっ……ふふっ。後で、聞いてみるね」
「どうして?」
「ゆきがいっぱい連れまわしちゃって、たぶん棘くん疲れてるから……」
「……うん、そうだね。帰るまではゆっくりさせてあげようね。静かにできる?」
「できるよっ! ゆきもうお姉さんだもん。お兄ちゃんも、しーっ、だよ?」
運転席と助手席で繰り広げられる一人芝居を聞きながら、狗巻はゆっくりと目を閉じた。
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