「……」
「……」
「私、ゆきちゃんと会うの久しぶりっス! 元気してましたー?」
「は、はいおかげさまで……」
新田さんが明るく喋る声と、たまに私が相槌を打つだけの車内。
隣に座る七海さんは私達に興味は無いようで、手元の資料に目を落としている。
どうしてこうなったか、事の発端は二時間前に遡る。
「ゆきは実習あぶれちゃったから他の人についてってもらうね」
「はぁ!? つかその術師とこいつ組ませりゃいいだろ!」
思いっきり舌打ちした真希ちゃんに、こいつ、と言って指さされた乙骨くんは、曖昧な笑みを浮かべ困った様子で二人の顔を見比べている。
「そしたら真希の引率は誰が行くのさ? 僕は新入生の憂太クンの面倒を見なきゃいけないんだぞ」
「そんなん他の手が空いてる人にやってもらえよ! 七海さんとか!」
「アハハ、その七海がゆきの引率だよ」
「……」
驚いたように五条先生を見た真希ちゃんが、ちらりと横目で私を見る。
声には出さなかったが、その顔は「マジか」と言っていた。
私もびっくりした。あの七海さんが、私の引率……?
ひやりとした眼鏡越しの瞳を思い出して、私は内心どきどきしていた。
七海先生と呼んでしまったから怒っていた、わけではない。
きっと私のことがどうでもよくて、どうでもよかったのだ。
「七海は一級だからね、あくまで引率だから手は貸さないようにって言ってあるよ」
「そ、ですか」
「なにゆき、七海のこと苦手?」
「苦手とか、そういうんじゃないです、けど……」
ダイジョーブダイジョーブ、なんとかなるよ!
と言って五条先生はぺろりと舌を出し、左手で目元にピースを作った。
そして今に至る。ダイジョーブナントカナルヨ? そんなことばはこの車内には存在していなかった。
「ゆきちゃんはほんとーに人間みたいっスねー」
「あ、あはは……」
「何製でしたっけ? 綿? 合皮?」
「えっと、学長先生もわからない、そうです」
「え〜じゃあ佐倉術師は本当に死人の皮膚を貼り合わせた、って噂もあながち間違ってないんスかね〜」
「……」
楽しそうに笑う新田さんの言葉に、私はドキリとした。
おそらくシリコン製だと思うが、何とも言えん。
そう学長先生が言ってはいたものの、私の体が何で作られているのか、まだわかっていない。
MRIを撮ってみようとかCTスキャンしてみようという家入先生の提案も、結果として「私が何でできているのかわからない」ということがわかっただけだった。
素材だけではない、何も写らない
のだ。
輪切りにした画像にも、骨を写し出すフィルムにも、私の形をした真っ白なモノが存在するだけだった。
これ以上は分解しないとわからないが、なんだかわからないものをいじくりまわせばどうなるかわからない。
学長先生は、パンダくんとは違う意味で特別な私を研究したいそうだ。
「……死人の皮膚を使っているなら、術師にはわかります」
七海さんが静かに口を開いた。
「えー、わかるんスか?」
「普通、強烈な違和感と嫌悪感を感じます」
「あーそういわれてみるとゆきちゃんには気持ち悪さよりもなんかこう興味とか感心する感じするッス」
「……」
感心。それはお兄ちゃんの研究成果としての私、に対する純粋な感情。
「昔、抱き上げると目がパチって開く人形あったじゃないスか」
「私はお人形遊びには興味が無かったので知りません」
「あったんスよ」
バックミラー越しに私と目が合った新田さんが、にっこりと笑う。
「それに良く似てるッス。他にどんな動きするんだろーとか」
あれッス、ファービー的なやつッス。
アハハと笑った新田さんが車を止め、「ご乗車あざっしたー!」と振り向きながら言った。
「佐倉は私の同級生でした」
「え?」
廃ビルの中、新田さんが降ろした帳の闇の中、呪霊の気配を追って階段を上る私の後ろで、七海さんが言った。
「在学中も相当色々なことをしでかしてきましたが、卒業後……私がこの世界に戻ってきて再会した時、驚きましたよ」
「……な、なにに……?」
「呪骸に対する知識欲と、情熱です。今風に言い換えればイカレ具合に、です」
お兄ちゃんは、卒業後に私を作ったんだろうか。七海さんは、呪術師にならずにどんな仕事をしていたんだろうか。
そんなことを考えながら、私はまた一歩階段を上った。
「どれだけイカレたクズであっても同じ釜の飯を食った仲です。友人が亡くなったと聞いた時は私も人並みに悲しみましたよ」
「……」
「しかしそれは佐倉に対してです。アナタではありません」
冷ややかな声色だった。ほとんど独り言のような声だった。
「遺品整理は五条さんがすると聞きましたが、私はアナタが感情を持っていようが誰かに操作されていようがどちらでも構いません。どうだっていいんです」
「……私は、」
「呪術師として機能するかどうか、重要なのはそれだけです」
視界の端で何かが動いた。残穢が廊下の手前から二つ目の扉へ向かって続いている。
コトン、と小さな音がした。
「証明してください。自らの有用性を」
――佐倉が遺したものを、見せてください。
七海さんの呟きを背に受け、私は走りだした。
七海さんは、お兄ちゃんの友達だったのだ。親友かどうかは知らない。でも、高専で四年間一緒に過ごして……一緒に生き延びてきた仲間だ。
そんな級友が、死んだ。自分が作った呪骸をかばって。
私に、それだけの価値があるのか。一級呪術師のお兄ちゃんの命を天秤の向こう側に乗せたとき、私にどれだけの重さがあると示せるか。
……お兄ちゃんが狂人ではないと、七海さんは信じたいのかもしれない。それが結果的に、私の存在を認めることと同義になるだけ。
あの瞳の冷たさは、私に向けられていたんじゃない。私の価値へ向けられていたんだ。
私はグッと奥歯をみ締めた。
パンケーキが美味しいとか、街並みが綺麗だとか。
七海さんからお兄ちゃんを奪ったのは、私だ。
呑気に笑っていた、昨日の自分を殴ってやりたかった。
残穢の続く扉の向こう、追いかけた先にはひとつの小さな"こけし"が置かれていた。
「……?」
私が怪訝そうに顔を顰めた瞬間、その小さな木の玩具の足元に這いつくばっていた影が一気に横幅を、奥行きを、質量を増して立ち上がった
。
『ちょーうだい、』
「……」
『あおあおあか、ちゃん……ちょーだい』
ぐぱり、とその影が口を開けた。
その中にはサメのように何列もの人の歯が並んでいて、喉の奥には大小様々なたくさんの目が蠢いていた。
あの中に飛び込んだらアウトだな、と考える。一息に食べられてしまいそうだ。
食べられたその先は何に繋がっているんだろう、もしかしたら四次元胃袋があるかもしれない、と思ったけれど、私はそんな馬鹿らしい想像を吹き飛ばすように床を蹴って距離を詰めた。
向かって右側から呪霊に近づき、その大きな口がこちらへ向いた瞬間に右足に力を込めて呪霊の左側に飛び出す。
着地して左足に重心を掛けながら、体重を乗せて左腕で呪霊を殴る。
私の動きについてこれなかった影の呪霊は私の拳を受け――――何事もなかったようにこちらを向いた。
「えっ」
『ほ、しーね』
足元から新たに影が立ち上り、瞬時に両腕を曲げた私の腕ごと胴体に巻き付く。そのままギチギチと締め上げられて、私は呻きながら体を捩った。
「ぅ、ぐ……!」
「手助けが必要ですか?」
部屋の入り口で腕組みをしながらこちらを見ているらしき七海さんの声が私に問いかける。
"その程度か"と。
「だ、いじょうぶ、です!」
私だって、自習の間だらだらと追いかけっこをしていたわけじゃない。
組みつかれたときにどう抜けるか、パワー負けする相手にどう立ち向かうか。
パンダくんに先生になってもらって練習したのだ。十割勝ちとは言えないがそこそこの成功率を叩き出せるようになった。
『ほ……』
曲げていた腕を伸ばす力で拘束から抜け出す。腕が抜けた瞬間、強さを増して私の下半身に影が巻き付く。抜け出せきれずに私の膝から下が捕らえられた状態で残ったが、そこは別に構わない。
膝を曲げて一気に仰け反り、その勢いで床から伸びる影を右手で掴んだ。逆さになった視界に映る七海さんが、手元の腕時計を見つめている。
掴んだ呪霊の影を思い切り引っ張って左の拳を叩きこむ。
抵抗する私に苛立ったのか、影の呪霊は私の脚を掴んだまま大きく振り回した。思い切り壁に叩きつけられて、私の動きが止まる。
木彫りのこけしがこちらを見て笑った、ように見えた次の瞬間、私は頭からバックリと影の口へ飲み込まれた。
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