「ふぁ」
「……」
「なんだ二人揃って」
「昨日は夜遅くまで遊び回ってたんじゃないだろうな?」
「おかか!」
「ち、ちがうよ!」

朝から同時に大あくびをかました私と狗巻くんは、真希ちゃんとパンダくんの声に二人して首を振った。
不名誉な称号を狗巻くん……とついでに私に、与えられるわけにはいかなかったから。例えば――――

「ヨッ! 不良女学生!」
「非行少年」

――――とか。

「違うもん! 家入先生のとこ行ってただけだもん!」
「しゃけしゃけ」
「保健室行ってただけでそんな遅くなるかね
「そ、それは……な、七海先生にたまたま会って、その」
「あの人先生じゃねーぞ」
「しゃけ」
「え」
「礼儀に厳しいからな、呼んだらたぶん怒られるぞ」


だからあんな顔をしたんだろうか。私は昨日のお出かけの後、高専へ戻ってきた時のことを思い出す。


七海せん……七海さんの冷たい目。私ではなく、そこに居た

ただの呪骸

としての私を眺めたあの顔。無感動で、興味もない表情。机や街灯を見るような瞳。
あの人は、お兄ちゃんと私を知っているのだと一瞬で理解した。
その上で、

どうだっていい

のだ。

「で、聞いたか? 今日来る転校生。同級生四人をロッカーに

詰めた

んだと」
「殺したの?」
「ツナマヨ」

さっきまで私たちを不良だなんだと揶揄っていたパンダくんは既に興味を失ったのか、話の矛先を転校生の噂話に向け、楽しそうにニマァっと牙を剥いた。
どう詰めればロッカーに四人も入るのか。そもそも"重傷"で済む話なんだろうか。

そんな滅茶苦茶をやってのけるなんて。今日来る転校生は、一体どんな人なんだろう?
呪術高専に来るってことは呪術師なんだろうけど……

学ランを腰で穿いて、金髪に大きなピアス。ポケットに手を突っ込んでいて、バットを片手にガムを噛んでいる――――
そんな想像をして、私はぶんぶんと首を振った。
先入観は良くない。もしかしたら女の子かもしれないじゃないか。そう、女の子ならきっと、

「ま、生意気ならシメるまでよ」

真希ちゃんのその物騒な言葉に、私の頭の中で髪をロングに伸ばして金色に染め、足首が隠れるくらいの長さに改造したセーラー服を着て黒いマスクをつけた目つきの悪い女の子が皆にガンを飛ばしたのち、真希ちゃんに四の字固めをくらってギブギブと叫んで「姉御、舎弟にしてください!」と土下座する情景が一瞬にして再生された。

真希ちゃんを制止するように、まだ会ってもいない不良転校生を心配した狗巻くんが「おかか」と言う姿を眺めていると、パンダくんがニマニマした顔で私の方を見た。

「なんだゆき〜? 昨日棘にエスコートしてもらって意識しちゃってんのか〜? 青春か〜?」
「や、やめてよパンダくん、狗巻くんに失礼だから……案内してもらったのにパンケーキまでご馳走になっちゃったから、むしろお礼しなきゃなのは私の方なのに……」
「……おかか」
「気にしないで奢らせとけよ。棘は二級呪術師様だぞ」
「せめて自分の分くらいは自分で」
「稼いでから言え」
「ウッ」

ぐうの音も出なかった。



教室に着いても尚、私と狗巻くんを揶揄おうとするパンダくんに抵抗していると、席に着いた真希ちゃんが頬杖をつきながらこちらを見た。

「で、ゆき的にはどうだった? 大都会新宿を満喫した感想は」
「すごい広かったし、人も多くてご飯も美味しかったよ」
「引率のし甲斐があったなぁ棘」
「しゃけしゃけ」
「それでね、どんぐり貰った」
「は?」
「どんぐり?」

ほらこれ……とバッグから取り出そうとした瞬間、バターンと大きな音を立てて教室の扉が開かれた。
それと同時に、話の腰を折られた真希ちゃんが嫌そうな顔をして振り向く。
私も、バッグに手を伸ばした状態でピタリと静止した。
教室にひんやりとした空気が流れる。


「……転校生を紹介しやす! テンション上げてみんな!!」
「……」
「……」
「……」
「あ、あはは、ほら転校生だって、」
「上げてよ」

目隠しの横で変わったピースをしながら、五条先生が寂しそうに言う。
思いっきり特大の溜息を吐きながら、真希ちゃんはゆっくりと脚を組んで五条先生を睨みつけた。
狗巻くんもパンダくんも、しらーっとした顔でやる気なさそうに椅子の背へ身体を預けている。

「ま、いっか。入っといで―!」

まずい。この空気の中で金髪長ランピアスの不良……いや黒マスクのレディース……性別はどちらでもいいが、転校生が入ってきたら良くて無視、悪くて一触即発バット振り回しのうえ舎弟コースだ。

内心私が慌てていると、扉が開いて

が入ってきた瞬間、ざ、と教室の空気が変わった。好き放題跳ねた黒い髪、幸薄そうでどことなく自信無さげな表情。

それよりも、彼が従えている"ソレ"の方が脅威だった。

この人は背中に何を抱えてるの? 呪いの塊? 真っ暗な闇? 悪意のある守護者?


――――それとも、重い想い?


強烈な存在感に、気づけば私達は立ち上がっていた。

真希ちゃんが持つ呪具が黒板に突き刺さっている。
パンダくんが拳を構えてソレを見据えている。
狗巻くんは口元を隠すネックウォーマーに手を添えている。
私は気づけば狗巻くんの前で、パンダくんと同じように戦闘態勢に入っていた。

……私達三人は近距離型。接近戦で戦うけれど、狗巻くんは呪言師だ。
支援もできて、破壊力もある。呪言を使わずとも一通り素手で制圧するくらいの身体能力はある。でも、"完全な"近接戦向きではない。相手に口を抑えられてしまえば抵抗のしようもない。
私の体はそれを理解していたかのように、自然と棘くんとソレの前に位置取ったのだ。

ぴりぴりとした空気の中、真希ちゃんが口を開く。


「おい。オマエ、呪われてるぞ」


呪われてる奴がくる所じゃねーよ、と冷たく言い放った真希ちゃん、信じられないくらい職務怠慢をぶちかましていたらしい五条先生、そしてその怠慢目隠し先生の哀れな犠牲者となったらしき乙骨くんという転校生。そして三人のやり取りを呆気に取られて見守っていた残りの私たち。
最強目隠し怠慢先生に対する五人の心がひとつになったとき、当の本人は何でもないことのように言う。

「あっ、早く離れた方がいいよ」

次の瞬間、黒板からズルリと飛び出た腕が私達に振り下ろされた。











「……で、乙骨くんは里香ちゃん? の呪いにかかってるんだ?」
「うん……」

前を歩く佐倉と乙骨の話し声が聞こえる。

「なぁ棘」
「こんぶ?」

こそっと自分に耳打ちしてきたパンダに、何? と狗巻は返事をしてやった。
これから乙骨には午前いっぱい、簡単にだが高専やら呪術師やらの説明をするらしい。
それは五条が担当する……つまり、自分たちは運動場で自習である。職務怠慢だろとツッコみたかったが、乙骨への事前説明を既に怠っていた五条は年間を通して職務怠慢ランキングのぶっちぎりナンバーワンだった。もはや五条の耳に念仏の域である。きっと来年には辞書に載るはずだ。

運動場と途中まで同じ道だから、一緒に行こ。と声をかけた佐倉の後ろをダラダラと着いていく形で狗巻達は歩いている。
乙骨を目の敵にしている真希は、さっさと先に行ってしまったけれど。

「……憂太がいつゆきのこと呪骸だって気づくか、賭けようぜ」
「いくら」
「俺は今日中にゆきが自分からバラす、に一票」
「……おかか、高菜」
「そんなアホか?」
「すじこ」

佐倉は既に、乙骨が自分のことを聞いていると思い込んでいて、自分からはバラさない、に一票。
狗巻のベットにパンダはニヤリと笑って、面白そうだなと呟いた。

午後は実習になるらしい。乙骨は真希と、自分はパンダとペアだが、余った佐倉は高専の術師の任務に見学する形で参加するそうだ。

三人とも無事に実習を終えてほしい。

狗巻は前を歩く乙骨と佐倉、それに先に運動場で待っているであろう真希のことを考えて、ふぅと息を吐いた。



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