狗巻くんと駅前のお店へ向かう途中、お母さん、と誰かに手を引かれた。
右手を見てみれば、小さな男の子がこれまた小さな手で私の手を握っている。
「ぼく、どうしたの?」
「……お母さんは?」
「…………迷子かな?」
黄昏時の中、膝を折りしゃがみこんで目線を合わせると、男の子は不安そうに私の手を握りしめた。
年の頃は五、六といったところだろうか。春先にしては暖かそうな上着にマフラーを巻いている。
「一緒に探したげよっか。お母さんはどんな服着てる?」
「……赤い服」
「うんうん。髪の毛は長いかな? 短いかな?」
「むすんでて、これくらい」
男の子は小さな腕をめいっぱい縦に広げて、大きさを伝えてくれる。とりあえず、ロングヘアだということはわかった。
「ぼくのお名前、教えてくれるかな?」
「たがみ、しょーぶ」
「ショウブくんか、強そう。いい名前だね。お母さんのお名前は?」
「……? お母さんはお母さんだよ?」
「そかそか、ショウブくんのお母さんだもんね」
「みんなはね、お母さんのこと"とーかさん"って呼ぶよ」
私はショウブくんの手を握り返して、できるだけ端に寄って人並みを避けながら歩き出す。
小さな迷子の話を聞くうちに、既に私の頭の中からは、隣を歩いていたはずの狗巻くんのことはきれいさっぱり消え去っていた。
つまり、二人目の迷子が誕生した瞬間であった。
子供のように手を繋いでいてもらったらよかったのかもしれないが、狗巻くんより目の前の男の子に気が向いている私は罪悪感を覚えることすらできなかった。
「靴、真っ赤でかっこいいね」
「うん! 旅行に行くなら、ってお父さんがくれたの。これ履くと早く走れるんだよ!」
びゅーん! と年相応にはしゃぎはじめたショウブくんの手を離さないようにして、周囲に目を凝らす。
「最後にお母さんといたとこ、どこかな?」
「んー」
思案するように首を傾げた男の子は、曲がり角の方へ私の手を引く。
横道を覗き込むと、そこには紅い鳥居……神社が見えた。
「ビルとビルの間なのに、神社があるんだね」
「前まではなかったよ? でも最近きゅうにできたの」
この辺に詳しいのだろうか。不思議そうに私を見上げるショウブくんへ笑ってみせる。
「こんなにいろいろ変わっちゃったら、迷っちゃいそうだね」
「お母さん、迷子になって泣いてたらどうしよう」
それは君の方だよと思いながら、母思いの小さな彼に胸がほかほかと温かくなる。
自分も迷子なのだということは、その時の私には気づけなかった。きっと、その場に五条先生が居たら「二次遭難かぁーゆきは本当に予想外のことしでかしてくれるよね」なんて嫌味を言われていただろうか。
「大丈夫! 早く見つけてあげようね」
「うん……」
神社を気にするショウブくんを連れ、私は頭を下げながら鳥居をくぐった。
静謐な空気が満ちている。
神社は鳥居を門として見えない結界があるのか、呪霊の影も形も見えなかった。
私はショウブくんと一緒に手水舎で浄めると、お狐様の石像を横目に見ながら境内を見て回る。
綺麗に掃き浄められたここには私達以外誰もいないようだ。
巫女さんも見当たらない。さして大きくもない敷地を見て回ったところで私はショウブくんに声をかける。
「ショウブくんのお母さん、いないねぇ」
「いないね……」
一瞬で元気の無くなった小さな男の子の姿に、私はすこし慌てながら元気な声を出した。
「大丈夫! お母さんもショウブくんのこと探してるはずだし、すぐ見つかるよ」
「……ほんと?」
「もちろん! ショウブくんは、お母さんと一緒にここに来たな〜って覚えてたでしょ? だから、ショウブくんのお母さんもこの神社のこと、覚えてるはずだよ」
「うん……」
「それなら、ここで待ってみたらお母さん来るかもしれないよ!」
私の言葉に、不安そうにしていたその顔がほんの少しだけ明るくなった。
「じゃあお母さんのこと、待つ!」
「オッケー! その間、私と遊んでよっか」
「うん! 桶だと、どんな遊びがあるの?」
オケ……おけ……桶…………。私の言葉を新手の遊びと勘違いしたのか、不思議そうにショウブくんが首を傾げた。
私はもちろん桶を使った遊びなんて知らないし、神社に桶があるかどうかはわからない。
「んー……桶はないけど、けんけんぱとかどう?」
「やるー!」
先ほどとは打って変わって元気にはしゃぎ始め、円を描くための木の棒を探し始めた幼い横顔を見つめながら、私は闇に沈みゆく鳥居を眺めていた。
「あ!」
片足でぴょんと着地した男の子は、社殿の方を見て声を上げた。
おかあさーん! と言いながら走っていく。
その先には、先程まで居なかったはずの人影があった。
黒髪を一つに束ね、芥子色の着物の上に赤い帯を締めた女性が立っている。
彼女は走ってくる姿をハッとした表情で見つめてから、ショウブくんを受け止めた。
「どこ行ってたの!」
「ごめんなさい……ゆきちゃんにお母さん探してもらうの、手伝ってもらってたの」
「もう……」
ショウブくんのお母さんは私の方へその美しいかんばせを向け、ぺこりとお辞儀をした。
「母のトウカと申します。息子のショウブがご迷惑をおかけしまして、申し訳ございません」
「いえいえそんな! 見つかって何よりです」
「最近ここに来たばかりで、何もお礼できるものがないのですが……」
「あ、いえあの、本当にお気遣いなく……!」
彼女はそう言うと、私の方へ近寄り片手を出した。
「これくらいしかないのですが、どうぞお受け取りください」
「ご丁寧にそんな……ありがとうございます」
恐縮しながら私が手を差し出すと、ショウブくんのお母さん、トウカさんはその白くて細い指を開いて私の手の中へいくつかの……どんぐりを落とした
。
「……?」
時期外れのそれに私が驚いていると、「もし困ったことがあれば、どうぞこちらにお越しください」と彼女の声が聞こえた。
ハッとして前を見れば、もうそこには誰もいない。
呆気にとられてぼーっとしている私の後ろで、狗巻くんが「高菜!」と言ったのが聞こえた。
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