その朝。……つまり昨日の実習の次の日。

教室で私と顔を合わせた狗巻くんは、いつもと変わらない様子で「明太子」と声をかけてくれた。顔色も良くて、昨日使い込んでしまった呪力もだいぶ回復したのだろう。

「お、おはよう」
「はよー」
「ゆき、昨日はどうだったんだ? 俺たちも別んとこ行ってて遅くなったから会えなかったけど」
「うん……」

その言葉に、ちらりと狗巻くんの顔を盗み見る。

言っていい、の? それとも昨日のことは話さないほうがいい?

私につられるようにして顔を動かしたパンダくんと真希ちゃんの視線を受けた狗巻くんは、元気そうに腰に手を当てながら人差し指と中指をびしっと立ててみせる。

「しゃけしゃけ」
「ま、棘がいたら百人力だな」
「しゃけ」
「よ、棘様! イケメン!」
「ツナツナ」
「バカ言ってるともう一人のバカが来るぞ」

真希ちゃんが欠伸をしながら、悪ふざけしてつつき合うパンダくんと狗巻くんに声をかける。
言わないほうがいいのかな。それとも皆、自分の実習のことはあんまり言わないだけ?
とにかく皆の様子を見て、暗黙のルールに従おうかな。
日本人らしい思考で私がそう結論付けたと同時に、バッターンと大きな音を立てて教室のドアが開いた。

「ほら来た」
「おっっっっはよう諸君! 青春してるかい?」
「朝からうるせぇ」
「五条先生、朝から元気ですね……」
「明太子」

めんどくさそうに席へ戻った狗巻くんとパンダくんが着席するのを見届けると、さて、と気を取り直すように声を出した五条先生がぱちんと手を鳴らした。

「今日は何の日でしょう!」
「……」
「……」
「……いち、に、さん」
「……えっ、と」

三人とも五条先生を無視すること十秒。
真希ちゃんはまた欠伸をしていて、狗巻くんはどこからか取り出した白い紙を折って、鶴か何かを作り始めた。
パンダくんは、なぜか自分の指の本数を数えている。


「せんせぇーだんしがぁーさとるをむししますぅ〜」
「それ三人とも漏れなくお前だろ」
「しゃーけ」


ぷあーっと狗巻くんが欠伸をした。
それにつられるようにして、私も。

春の陽気だ。今日はきっとぽかぽか天気になることだろう。
狗巻くんにつられて外を見れば、陽の光を浴びた緑が青々と輝いているのが目に入った。

「今日はおねむちゃんだらけだなぁ」
「おめーがくだらねぇことやってっからだろ」
「真希はいつも辛辣だなぁ」

そんなことを言いつつ、五条先生はとても嬉しそうだ。

「ひとまず今日は午前自習、午後自習でオナシャス!」
「職務怠慢か」
「生徒の自主性を育てる授業って言ってよ。イケメン呪術師の五条悟くんは案外忙しくてさぁ」

ではさらば! と叫ぶと、五条先生はパッと消えた。
神出鬼没過ぎて……人に使う動詞じゃないような気はするが、一体彼はどうやって出たり消えたりしているんだろう。

丸一日自習。つまり午前も午後も必然的に身体を動かして過ごすことになる。ひとまず更衣室で靴だけ履き替えようと席を立った私は少しだけ気になって、後ろで黒板に落書きしている狗巻くんをチラリと見やる。
どうやら彼はパンダくんの似顔絵を描いているらしい……そこそこ犬に似ているブチ柄のブタが完成したところで、満足したのか狗巻くんはひとつ伸びをした。

悪戯好きの狗巻くんとパンダくんのやり取りは、なんだか微笑ましい。
――――テレビで見るような、遊園地にいる着ぐるみと記念撮影をしてる感じで。

そんなことを考えながら教室のドアを開け、グラウンドに向かうべく廊下へ足を踏み出す。

……瞬間に、大きな壁に顔から突っ込んだ。


「っぷぁ」
「何、僕の胸に飛び込んでくるとか。やっぱデートしたいの?」
「ご、五条先生……」

壁の正体は、さっき教室から消えたばかりの五条先生だった。
胸に飛び込んできた私をよろけることなく受け止めて、楽しそうな笑みを浮かべている。

「じゃあゆきだけは丸一日デート実習にする?」
「え、いや、いいです行かないです」
「淫行教師。なんでまた戻ってきてんだよ」
「冗談冗談! 本題は棘。ちょっと後で学長室に来てくれるかい?」
「こんぶ?」
「今からでもいいけど。どうせ今日は自習だし」
「しゃけ」
「せんせぇー、棘クンが女子のスカートめくりましたぁー!」
「お、か、か!」
「呼び出しとか何したんだよ」
「明太子……」

真希ちゃんの声に知らない、と首を振った狗巻くんは、私の横をすり抜けて五条先生と一緒に廊下を歩いていった。
その後ろ姿がどことなく元気が無いように見えて、少し心配になる。

「……大丈夫かな」
「あ? 別になんもないだろ」
「棘は二級だし、それ系の話かもしれないぞ」

とりあえず今日もスパルタ特訓だ、とパンダくんが嬉しそうに笑った。
私はまだ買い物に行けていなくて、高専の制服のままパンダ師匠の"特訓"を受けている。
最初はお兄ちゃんのお下がりをジャージ代わりにしようかと迷ったが、お兄ちゃんが好きだったというアーティストのライブTは汚すのが躊躇われて、結局制服のままでいることを選んだのだ。


今日こそはパンダくんに綺麗なアッパーを決められるようになりたい。
そう自分に気合を入れて、私の師匠へ向かって「押忍!」と元気よく返事をした。



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