「さて、ここはどこでしょう……」

少し離れた木の上から私を見下ろしている鳥に話しかけたところで、返事が返ってこないことはわかりきっていた。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう。答えは単純明快だったけれど、何度そう思ったことか。

狗巻くんを追いかけたはずの私はすっかり道に迷ってしまっていて、行く道も帰る道もわからない状態の中、遠くの木立を見つめることしかできなかった。
真希ちゃんと一緒に行くときは道がわかるのに、自分一人で行くとそこにあるはずの道がなかったり、なかったはずの曲がり角があったりする。
私が真希ちゃんについていくばかりで、その実まったく道を覚えられていなかった事実に気付いて今更ながらショックを受けた。アヒルの雛のように誰かの後ろをついていくだけで、周囲に気を配るほどの余裕も頭も無い。

私の頭の中、当初の予定ではすぐに追いつけるはずだった狗巻くんの背中すら一度も見ることが叶わず、今はまさに詰みの状況。
このままとにかく歩いて知っている道にぶち当たることを願うか、恥を承知で大きな声を出すか。
それともここで助けを待つか……人が通るところならそれもありだけど、さっきから一度も誰ともすれ違っていないのがいい証拠だった。

ここでこのまま誰にも知られずに時が過ぎていったら、もしかしたら呪いの人形になっちゃうかもな。

「授業、サボっちゃったことになるのかなぁ」

手元に携帯も時計も無いからそれを判断できる要素はどこにもないけれど、もしそうだとしたら。私はれっきとした不良だろう。
割と適当な五条先生は「いいぞ、もっとやれ!」なんて怒らずに言って親指を立てそうだけど、学長先生は渋い顔をしそうだなあ。
サングラスをかけた学長先生が何も言わずに私をじっと見降ろしている画を想像して、私は恐ろしさに呻きながらその場に座り込んだ。

……その時は、土下座を披露しよう。そうしよう。
ぺたりと縁側に腰を下ろした私は暇を持て余し、綺麗な土下座の姿勢でも練習しようかと床に手をつき頭を下げた。

「……あれ?」

どこかで、ぱたぱたと音がしている。
床に頭を近づけたからか、床板を通して誰かの足音が聞こえているようだ。

――――これだ。

頭の中で、稲妻のように閃きを感じる。
良い案だ。このまま耳をつけて、音が大きくなったら少しだけ大きな声で足音の主に呼びかけよう。
もし足音が近づいてこなくても、音の方向を割り出しさえすれば、そちらへ歩いていけば必ず人が通る道がある。
そうすれば、ここに一体の呪いの人形が放置される最悪の未来は避けられるだろう。

そう考えた私は、もう少し音を聞きやすいようにと正座の状態から膝を少しだけ外側へ開き、上体を崩して顔を木立の方へ向けて耳をつけ、ゆっくり目を閉じた。

ぱたぱた、ぱたぱた。

まだ音が小さいだろうか。だいぶ遠くで足音の主は歩いているみたいだ。

ぱたたた、ぱたぱた

歩いているというより、小走りにどこかへ向かっているのだろうか?
音は遠ざかっているでようでもあり、近づいているようでもある。

パタパタパタッ……

先ほどと比べて一番音が大きくなったと判断した私は、今だと自分を奮い立たせて立ち上がり、声をかけた。

「あ……の……っ!?」

いや、正確には声を

かけようとした



長時間歩きまわって疲労が溜まった上に、座り込んで足に負担をかけてしまったんだろう。
立ち上がる途中の姿勢で、私は足がもつれて前へつんのめるようにして間抜けにも床へ突っ込んだ。
勢いがついていたからか私が重いからか、どたん、と大きな音が鳴る。

「ぅ……痛い」

声をかけなければ、またここで迷子のまま待つ羽目になってしまう。それは絶対に嫌だけど、転んだ衝撃でかケホケホと咳き込んでうまく声にならない。
咳をする私の耳に、バタバタとこちらへ走ってくる人の足音が聞こえた。

もしかして、私の間抜けな転倒音に優しい誰かが気付いてくれたんだろうか。

「つ……ツナマヨ!?」

床とこんにちはをしたままげんなりしている私の前方から、すごく焦ったような、聞き覚えのある声が聞こえる。

「え……」

這いつくばったまま顔を上げると、驚きに目を瞠った狗巻くんの姿があった。
彼は額にうっすらと汗をかいていて、身体を起こそうとする私のそばにしゃがみ込むと肩を支えてくれる。

「高菜!」
「だ、大丈夫……ちょっと転んだだけで、」
「おかかおかか!!」

立とうとする私を制した狗巻くんは、私の脚を見てから視線を顔へ戻し、じっと何かを探るように私の目を見つめてくる。

「あ、あの……本当に大丈夫……だから」
「おかか……」

気まずさに目をそらす私を見た狗巻くんは何を思ったのか、嘘つくな、と言わんばかりに眉間へシワを寄せた。きっと、いつまで経っても帰ってこない私を探しに来てくれたんだろう。面倒見のいい狗巻くんらしい行動だな、なんて考えて、申し訳なさばかりが降り積もっていく。
いたたまれなくなった私は精一杯の笑顔を作りながら、まだ心配そうに私の肩を支えている狗巻くんへ顔を向ける。

「えっと、その、迷っちゃって……狗巻くんが来てくれてよかった、ありがとう」

そう言うと、狗巻くんは面食らったような顔をしてから、小さな声で高菜……と呟いた。そのまま身振りを加えつつ、私の身体に問題がないかを訊いてくれる。
……とても心配してくれているんだ、本当に申し訳ない。
私は恐縮して手を身体の前でパタパタと振りながら、必死に異常がないことを伝えてみせて声を張り上げた。

「ほ、本当に大丈夫だから……!」
「こんぶ」

情けなく座り込んだままだった私はそう言って床に手をついて立ち上がろうとしたけれど、脚に力が入らずよろよろと二歩歩いたところでまたしゃがみ込んでしまった。どこが大丈夫なものか。羞恥心で頬が熱くなる。

呪骸も捻挫するんだろうか。

そんな間抜けなことを考えていると、狗巻くんはほれ見ろと言わんばかりにため息をひとつ落とし、私の前で背を向けてしゃがみ込んだ。
手を自分の後ろに回して、乗れよという風にジェスチャーをしている。

「わ、わるいよそんな……重いし、肩貸してくれればたぶん、」
「おかか!」

狗巻くんは怒ったように声を上げると背中越しに私へ視線を向け、四の五の言わずに乗れと無言の圧力をかけてくる。
こ、断り切れない。

「お、お邪魔します」
「しゃけ」

私が恐る恐る狗巻くんの首に腕を回したのを確認して、彼はスッと膝の裏へ腕を回し、何事も無いように立ち上がって歩き始める。

「わ、」

驚いた私は、思わず狗巻くんの首元にぎゅうっとしがみつく。
すごい。私一人をおんぶしてもふらつくこともなく、よいしょ、だなんて掛け声も出さずに立ち上がるなんて……
男の子とこんな近い距離に居るのはお兄ちゃんを除けば初めてのことだったから、なんだか胸がどきどきして仕方が無い。
こんなに顔が熱くなっていて、狗巻くんに気付かれちゃわないだろうか?

「……」

ぴたりと足を止めた狗巻くんは、何事かを考えるように足元へ目をやっているようだ。
やっぱり重いだろうか、降ろしてもらおうかと私が思案し始めたあたりで、狗巻くんは何も言わずに来た道を戻り始める。

「……狗巻くん、ありがとう」

なんだか胸がぽかぽかする。
私と背が近くても、やっぱり男の子なんだな。
小柄でもがっしりした背中と筋肉の付いた腕の感触を肌で感じながら、私は狗巻くんの背に身体を預けた。



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